2008.11.8

 昼過ぎになって外出。
 区による、この期間中に婚姻届を出した夫婦に記念の苗木(あるいは鉢植え)をプレゼントするという企画の、それの受け渡しが今日で、ちょうど休みだったこともあり、「じゃあ鉢植えをもらおうじゃないか」と、ひどく重い腰を上げたわけである。
 雨は思っていたほど降らず、妙子の好きそうな曇天の1日だった。
 行く途中で、区内のこれまで行ったことのない図書館に立ち寄り、本を借りる。初めて行く図書館は新鮮でいい。思わず10冊めいっぱい借りてしまう。これが重いの重くないのって。重いよ。トートバッグの紐を肩に食い込ませながら、(これプラス鉢植えかー)と途方に暮れる。暮れなずみながら受け渡し場所に向かう。
 でも実際にその場所に行ってグッドニュースが。指定された会場で受け付けの人に引き換え用のハガキを提示したところ、「これは明日ですよ。ホラ。なので明日また来てください」と言われ、見てみたらハガキには思いっきり「11月9日」と書いてあって、僕はファルマンの「今日は苗木の受け渡しだからね」という言葉でしか情報を入れていなかったので、ファルマンのそのどうしようもないうっかりミスのせいで、外出の主目的がすっかり雲散霧消してしまったのだった。でもこれは奥さんが阿呆なのに、その口から出た情報を疑うことなく信じた僕のミスだ。
 今回の鉢植えをファルマンは、結婚の証としてやけにもらいたがっていて、別にもらいたくもなかった僕は、(でもこいつはもらうだけもらってろくに管理せず枯らしてしまうのだろうな、そしてその様を見て僕は、僕ら夫婦のこれからを暗示しているようだと思うのだろうな)と思いながらここまで来たのだが、現実は僕の予想のはるか上をいっていて、ファルマンが日付を読み間違ったせいで鉢植えをもらえさえしない(明日も休みだが、決して近い場所でもないので明日はもう行きたくないのだ)、というそのオチは、僕ら夫婦の今後の暗示としては、なるほどむしろこちらのほうがより相応しそうだな、と納得するものだっだ。

2008.11.7

 この1年ももうあと残り50日くらいになり、ということは毎日やっている短歌も300首以上になり、なんだかんだで1年通してしまう見通しなわけだが、その仕上がりに満足がいっているかと言えばもちろんいっていない。と言うか途中でクオリティの低さ、もとい自分の短歌への向かなさに気が付いて、それ以降かなりがんばらなくなったことこそが、1年にわたり1日1首を続けてこられた要因であると思う。
 来年はやはり俳句的なものをやりたいと思う。俳句的なものというか、まあ俳句だ。
 先日からレンタルボックスをやり始めたこともあり、ものづくりの気運が高まっていて、そこで、もちろん簡単なコピー本でいいから、句集みたいなものを作れないかとぼんやり思っている。ぼんやり思っている割にはタイトルはもうしっかり決めていて、「破皮狼句集 余裕」という。あるいは他に4コマとかイラストとかエッセイとか、いろいろコンテンツを増やして、「月刊少年 余裕」みたいな感じのマガジンにしてもいいんじゃないかと思う。

2008.11.6

 ファルマンが福山雅治の坂本竜馬のモノマネをする。まだ福山本人がやっていないのに似ている。すごい奇蹟。

2008.11.4

 今日付けのファルマンの日記がよかった。
 ファルマンは、書かれないまま放置されたブログに心を痛めていて、ネットに浮遊するそれを、私が育てるなり眠らせるなりしたい、と嘆いていたのだった。
 なんだかそれは物語のモチーフになりそうだと思う。
 つまり彼女のやろうとしていることは、ブログ祈祷師とでも言うような、ネット世界に漂う幽霊ブログを、成仏させる活動ということだろう。なにしろ舞台がネット世界という、それそのものが人間の業で作られた世界であるから、それは現実の祈祷師よりもはるかに、人間の業の深い所に到達するのではないか。だって外部的要因はないのだ。とにかく人の精神世界にその原因は終始して、幽霊ブログはネット世界を浮遊している。それを見つけ、眺め、理解し、てなづけ、供養する、ブログ祈祷師、ファルマンぱぴこ。来春映画化。

2008.11.3

 午後から西荻窪の例の店に納品に行く。
 それまでに、「ヒット君人形だけじゃ寂しくない?」というファルマンの提案で、バッヂとかシールとかを作る。バッヂは本当に作り、シールは大昔に作っていたものを、ファルマンがうまくまとめてくれる。夫婦でせっせと。マニュファクチュアる。
 納品は割とスムーズに終わる。他人の作品を見て、(あれ、ヒット君人形600円じゃ安くね?)ということで急遽700円にしたりした。
 バッヂ、シール、店のケースの様子、それぞれ「STITCHTALK」に邁進。
 あとは売れるのを待つばかり。実際まあ売れても売れなくてもいいのだが、このヒット君人形とかが家にまったくなくなっての、自分の創作意欲の湧き上がりが尊い。実際バッヂとか1時間ちょいで10個くらい作ったし、作ろうと思えばどれも気楽に作れるのだから、やる気を出してガンガン作るべきだと思う。
 そんなわけなので西荻窪を出たあと吉祥寺に移動し、ユザワヤでバッヂとか消しゴムはんこの素材を調達。次回は消しゴムはんこも納品できたらいいと思う。あとコースターも。
 愉しいなあ。日記とか書いてる暇ない。クラフト作家になろう。

2008.11.2

 おふとんがあまりにも気持ちいい。
 寒くなって冬用の掛け布団にしたら、ほどよい重みが全身を包み込むような感じで、とてもいいのだ。加えて近ごろ思うことには、ダブルベッドの横で眠るファルマンは、おふとんの才能があると言うか、おふとんに対する順応性、おふとんとのシンクロ率で極めて高い数値を弾き出すことのできる女性なのだ。休日の朝のまどろみに、心地よいベッドの中でついでに彼女の身体を抱きしめたりしたものなら、まるで無重力空間のような、浮遊してゆくような快感が得られる。
 それがあまりにも素晴らしいので、それほどふざけた意識ではなく、彼女を教祖として「おふとん教」を開いてみてはどうかとちょっと思う。別に彼女を教祖としなくてもいい。とにかくおふとんの気持ちよさ。我々はおふとんに生まれ、おふとんに育ち、おふとんに癒され、おふとんに泣き、おふとんに喜び、おふとんに死す、我々の人生とはつまりすべておふとんによってもたらされたものなのだ、おふとんを崇拝しよう、という教義。
 これは割と考えやすい宗教だと思うのだが、世界のどこかに就寝具が象徴となっているというような宗教はないのだろうか。ないのだとしたら僕が開祖だ。みなよ眠れ。炎よ燃えろ。

2008.11.1

 にわかにファルマンと所沢を歩く。ちなみにあとから気付いたことに、そこからすぐ近くにある大学の校舎で、ちょうど学園祭を開催中だったらしいのだが、別にそういう目的はぜんぜんなかったので、足を向けようともまるで思わなかった。
 それでプロペ通りを歩く。プロペ通りをパピロったのだった。
 所沢駅から歩いてゆき、ファルマンと繋がるプロペ通りの先端に、「プロペ通り」というアーチが掛かっているので、せっかくだからその下でポーズを取り、ファルマンに写真を撮ってもらおうかとも思ったのだが、さすがに恥ずかしくてやめた。
 そのあと適当なところで晩ごはんを食べていたら、携帯電話に登録していない番号から着信があって、出たら西荻窪のレンタルケースの所だった。言われていた通り、4ヶ月ぐらいでの連絡である。場所が空いたので近いうちに来てほしいと言われ、あさっての月曜日に行くことにする。契約、そして初めての納入だ。うわー。ドキドキする。
 そのあと、その電話の前には、「行く? まあ行く必要ないか」みたいに話していた、プロペ通り先にあるダイエー5階のユザワヤ所沢店へ、ちょうどそんな風な連絡が来たものだから色気(情熱とか焦りとか)が出たのか、寄る。そこでちょっと厚めの生地を3色買った。これはコースターを作るための布である。売れるのかどうか判らんが、物は作らなければいけない。もちろんあさっての納入はほぼヒット君人形だけになるだろうけど。
 そんな感じ。ではコースターの型紙を作りますので。では。

2008.10.31

 大学のテニスサークルに所属する下の義妹が、同級生のサークル員から告白されたそうで、ファルマンからその報告を受けた僕はもちろん、わなわなといきり立ったのだった。
 さらには下の妹には同じく同級生のサークル員で気になっている男子がいるのだそうで、告白してきた男のことはこれまで完全に友達としてしか見ていなかったのだが、でも告白されて以来ちょっと意識しちゃって……みたいな、今そんな感じなのだという。
 なんというかもはや、そういうのって現実に存在するんだな、と純粋に驚いてしまった。この分だと最近その実体に疑いの目を向けていた「クラブ」とか「合コン」というのも、やっぱり虚像ではなく現実に在るものらしいぞ、と思えてくる。「クラブ」で踊る若者はいて、「合コン」をする業界人はいて、そして「あすなろ白書」みたいな青春を送るテニスサークル員は本当にいるのだ。
 結果として義妹の恋がどちらに転ぶのか判らないけれど、そういうアクションがあったからには、なんか近いうちにどちらかと交際を始めるのではないか、という気がビンビンする。お義兄さんビンビン、ビンビンお義兄さんだよ。
 もしも正月に島根に行った際、義妹に彼氏ができていて、そして年が明けた直後に電話で「あけましておめでとう。今年も……よろしくね」とか言う、みたいなことをしていやがったら、その後ろで思いっきり太い声で「おい誰と話してんだよ」とか言ってやろうと思う。襖1枚隔てただけのビンビンお義兄さん、そう言ってやろうと思うんだよ。

2008.10.30

 ぼくがぼくの作った落語を両家の前でやらせようとしていると(ブログに書いたから)彼女にバレてしまい、どんな顔するのかと思ったら、それがひっどい不細工な顔で、でもその不細工な表情の形成に、僕はまた彼女の芸達者さを見出したのだった。この子はやっぱり才のある恐ろしい子かもしれないよ、と思う。なのでまだこの望みは捨てていない。まずは先に落語を作ってみよう。そうしてからやってくれるかどうかを問えばいいのだ。
 それで「だから落語やってくんろ」的な話をしていたら、ファルマンが「交換条件ならいいよ」と生意気なことを言い出して、替わりに何をすればいいのか問うたら、「私の替わりに『ごっこ遊び』の体をなした家族への手紙を読み上げればいいのだ」と言い出し、僕はそれを聞いて、ああこれはどうも、こいつもまた食事会の余興に関し、僕と同じく自分の創作でどうにかできないもんかと、なんだかんだでこの出たがりは密かに考えていたらしいぞと気付き、その内容を詳しく訊ねたら、「私はウェディングドレス。今日はぱぴこちゃんの結婚式。」みたいな、すごい具体的な、あれ、こいつもしかして、もうほとんど内容できあがってんじゃねえの的な答えが返ってきて、「その原稿を私の替わりに読み上げてくれたら落語やってもいいよ」と言い、「言っとくけどお母さんすごく泣くからがんばってね」と言い出し、なんかその図を想像してすごく、うわー、となった。どうやら僕ら夫婦は、友人の上り坂自転車のことをぜんぜん馬鹿にできない。僕らは「間が持たない」という言葉に、ちょっと前向きに、積極的に反応しすぎだ。常識で考えれば、もっと穏当な対策がいくらでもある気がする。逆にそれがまるで浮かばないのが僕らの気質の困ったところなのだけど、このままではちょっといろいろな意味で痛々しい結末になる気がする。まだ起こっていない未来の出来事のはずなのに、既に「恥ずかしい過去の思い出臭」がプンプン漂ってくるのはなぜだ。

2008.10.30

 1日経ってもまだ処理できないほどに、今週のヤングジャンプの篠崎愛のグラビアにあてられている。そもそもヤングジャンプのグラビアが僕は好きなのに、それに加えてモデルが篠崎愛なのならば、もはや否定できる要素など残されていない。屈服だ。篠崎愛って本当に、エロくないところがひとつもないと改めて思った。

2008.10.25

 少女の人数は何人が適当なのか。
 これは純粋理性批判について考える上で、永遠につきまとう命題だ。
 ある者は「三人だ」と言う。
 これはつまり最終的な大団円で、ひとりは主人公とセックスをし、ひとりは主人公にクンニされ、もうひとりは主人公のアヌスを舐めればよいのである、という考えである。
 それに対し「四人だ」と唱える人たちがいる。
 これは主人公とセックスする少女をひとり増やし、ふたりの少女はまるで正常位でことを行なうように一方が一方に覆いかぶさり、主人公は上下にふたつ並んだ女陰に、思い思いのタイミングで好きなように男根を挿れればよい、という考えである。
 大体はこの二派に分かれる。
 そしてこのセックスの仕組みだけを見れば、三人よりも四人のほうが優れていると見る向きは多い。挿れる女陰がひとつしかないより、ふたつあったほうが都合がいいのは言うまでもない。
 しかし話がフェラチオに至った場合、四人派は少々分が悪くなると言わざるを得ない。
 もっとも、時おり四人で行なうフェラチオが小説内に登場することはある。しかし実際の問題として、ひとつのちんこ、亀頭から陰嚢までのすべてを含んだとしても、それを四人で分配することは可能だろうか。どのようなチームワークを発揮したところで、どうしたって頭が密集してしまい、お互いがお互いを邪魔し、少女らの舌はちんこまで届かなくなってしまうのではないか。
 その点三人の場合のフェラチオは考えやすい。棒担当ふたり、陰嚢担当ひとりと考えてもいいし、またはその逆でもいい。どちらにせよ少女らの頭はギリギリでぶつかることなく収まる。収まるはずである。実験した上で記述できればよかったのだが、残念ながら機会に恵まれなかった。これに関しては純粋に読者諸兄に謝りたいし、今後の人生で貪欲にチャンスを求めてゆきたいと思っている。
 話を進めるが、つまり図式としては、三人派と四人派は、それぞれフェラチオ派とセックス派に分けられる、ということになる。逆に言えば、フェラチオを尊ぶならば三人だし、セックスを尊ぶなら四人だ、とも言える。
 これならこれで単純な話だった。あとは好みの問題だからだ。
 しかしここへ来て四人派からの反論が出た。
 彼らの主張はこうである。
「三人にフェラチオされながら、そこからあぶれたもうひとりには、アヌスを舐めてもらえばよいのである」
 言われてみればその通りであった。これにより三人派の立場はきわめてまずくなった。三人派は自分のちんこに群がる三人の少女を見下ろしながら、ノータッチの肛門の切なさに思い至り、討ち死んだ。
 アヌスが勝敗を決しただけに、これぞまさに天下分け目の戦いであった(うまい気がする)。勝利の二文字は四人派のもとに舞い降りた、かのように思われた。
 しかしここへ来て、これまで沈黙を守ってきた五人派が台頭してくる。
 五人派の主張はこうである。
「三人にフェラチオされ、ひとりにアヌスを舐められ、もうひとりとキスをすればよい」
 それを聞き、四人派は唇の切なさを恥じながら死んだ。
 奪い取った頂点へ安穏とする五人派へ、しかし今度は七人派が挑んでくる。
 曰く、「三人にフェラチオされ、ひとりにアヌスを舐められ、もうひとりとキスをし、さらにあとのふたりからは乳首をいじくってもらえばよいのではないか」
 五人派は両乳首の切なさに耐え切れず、ことごとく自害することとなった。

2008.10.23

 結局のところ、話はちんこに尽きるのであろうと思う。
 純粋理性批判において主人公の男子の設定は、もちろん金持ちであったり王子であったりする場合はあるものの、それはむしろ少数派で、長けた能力もなければ裕福でもない、ごく一般的な少年である場合が多い。
 しかしごく一般的な少年であるならば、なぜ彼はそんなにも、三人とか四人とかの少女たちから熱烈に求愛されるのか。
 この理由づけにたびたび登場するのが、ちんこのサイズなのだ。
 基本的に「優しい」だけでしかない主人公は、気の強い少女たちによる逆レイプのような破目に往々として陥る。
 腕ごと身体を柱に縛り付けられ、無抵抗にされた上で、主人公のズボンとトランクスは、どうしたって一気に脱がされる運命にある。逆にこうも言えるだろう。脱がされないトランクスはない、と。
 そしてトランクスを脱がされることによって現れるのは、平均よりもはるかに巨大なサイズのちんこなのである。
 これを見て、彼を虐げようとしていた少女はおののく。
 な、なによこいつのサイズ、こ、こんなの見たことないんだけど、となる。
 それでも少女はすぐに屈服するわけではない。まずは強がって、やはり彼のちんこを苛めなければいけない。
 しかし勇気を振り絞って巨大なちんこを苛める少女に、喘ぎながらも主人公はさらなる試練を与えるのだ。
 そう、そのちんこはさらに巨大化するのである。
 ま、まだおっきくなるの、お、おかしいよ、こいつの……、となる。
 そうなってしまえばもうこっちのものである。かくして少女は主人公の下に陥落する。
 純粋理性批判の主人公は、このようにして複数の少女から同時に、違和感なく求愛されることになるのだ。
 この「ちんこが大きい」という手段こそ、純粋理性批判の画期的な部分だろう。
 それ以外のそんじょそこらのレーベルの小説では、主人公は「優しさ」のみで少女を虜にすることが多い。しかしそれに現実味がないことは、純粋理性批判の読者である大多数の優しき青年たちが、身をもって証明しているのである。優しいだけでモテるのならば、俺がモテてないのはおかしいだろ、となる。
 それゆえの「ちんこが大きい」という発明である。
 高校生の頃モテていた奴は、ぜんぜん性格がよくなかったけど、たしかにちんこが大きそうだった、実際に見たことはないけど、おそらくはちんこが大きかったのだろう、それゆえにモテていたのだろう、読者はそういう風に考える。
 そして「ちんこが大きい」という発明のもうひとつの長所として、「俺のちんこも割と大きいのではないか」という疑いが拭いきれない、ということが挙げられると思う。
 俺、最大勃起時のちんこはまだ誰にも見せたことがないし、さらに言えば俺自身も知らない勃起、例えば柱に縛り付けられて複数の女の子たちからトランクスを脱がされるような、そんな状況だったら、ちんこは俺史上最高の勃起を見せ、それは少女たちをおののかせ、陥落させるのではないか、と読者は思うことができる。
 だから純粋理性批判の女の子たちは、ちんこばかりを尊ぶのだと思う。ちんこを褒められることだけが、読者に残された最大にして最後の希望なのではないだろうか。

2008.10.19

 姪が生まれてひと月が経過し、これまで実家で暮らしていた姉も、そろそろ自宅のほうに戻ると言うので、その前にファルマンとともにもういちど会いにゆく。今回は祖母も来ていた。
 姪は、生後1ヵ月なので、僕はあんまり変化が分からなかった。周りの人間は「太った」とか言うのだが、赤ん坊の特徴って本当に分からない。どっちに似ているのかも相変わらず判らなかった。どちらにしろ相変わらず割と大人しい子だ(話によると昨晩はぐずっていたそうだが)。
 途中で一同のいるリビングで、姉が普通に母乳を与え始めたので驚いた。もちろん僕はその流れを察知して、その間はネット画面のほうなどを見つめ、そちらの様子は決して見なかったのだけど、10年ぐらい前、ともに思春期を経てきた姉が、「そういう風」になった感じというのは、なんか非常に感慨深いことだと思った。そんなに自然なら、僕も別に「ああ、あげてるなあ」みたいな感じで、ナチュラルに眺めればよかったのだろうか。「母となった姉の授乳」というのは、ものすごく微妙な位置にある現象だと思う。
 いや、でもやはり見られない。僕ばかりが未だ思春期なのかもしれない。

2008.10.17

 街を歩いていたら、「なんやら高校水泳部」と背中に刺繍されたジャージを着た、5人くらいの少女の一群と擦れ違い、その瞬間に勃起をした自分がいて少し驚いた。
 どうやら自分はプール的な要素を持った少女がだいぶ好きらしいぞ、というのは既に解っていたことなのだけど、それは例えば実際に小さな表面積の布しか身に纏っていないことであるとか、あるいはもうちょっと間接的に、泳ぎ終わったあと濡れたままで、油断した髪型のまま次の授業を受ける感じであるとか、そういうポイントによるものだと思っていた。
 しかし今日の少女たちは、そのどちらの要素も持っていなかった。彼女らが所属する水泳部の女子更衣室には、おそらく何代も前の先輩が寄贈してくれたドライヤーがふたつほどあって、彼女らは交代でそれを掛け合い(あるいは後輩が先輩の髪を乾かすのがしきたりかもしれない)、しっかりと髪を乾かした後に街へ繰り出すのに違いなかった。
 つまり背中の刺繍以外は、見た目的には彼女らから水泳部的な要素を汲み取ることはできない。それなのに僕は機敏な反応で勃起した。なぜか。
 答えは嗅覚にある。そう、塩素だ。彼女らの肉体から発せられる清冽な塩素臭に、僕は反応したのである。そう言えば風呂掃除をしたときなど、やけに郷愁に駆られ、こうしちゃいられない気持ちになったが、それはこういうわけだったのだ。塩素と勃起は僕のなかでイコールなのだな。
 というわけで、「塩素」は高校1年生の学年題です。

2008.10.14

 そしてこれは僕に限った話ではなく、ブログがおもしろいとかおもしろくないとか、そういう考え方が1年前に較べ、世間的にも希薄になっているのではないだろうか、と思う。ブログという玩具への巷の情熱はピークを過ぎて、冒頭の女子高生の生脚の話のように、然るべきもの的な認知、情報とかアフィリエイトとかネタとか足跡とか、そういうの一旦ひと回りして、まあ本人のための普通の日記でいいよね的な、ナチュラルな感じに割と最近なってきていると思う。web2.0に対抗してwebマイナス2.0、ということをこれまでさんざん言ってきたわけだが、なんのことはなく実は、2.0を経た次の階梯としての3.0は、案外と他者の介在を拒否するマイナス2.0的な概念なのではないか。僕は先取りしすぎていたのではないか。そんな風にも思う。思うけど声高に叫んだりしない。意見を求めもしない。これがマイナス2.0(=3.0)クオリティなんやで。

2008.10.14

 さいきん女子高生を見かけても、どうもあまり心を動かされない自分がいて、これは一体どういうことか、僕はとうとう大人になってしまったのかと不安になったのだが、よくよく考えて、そうではなくやはり僕は次の階梯、女子高生は魅力的だよ、魅力的だけど、まあそれだけだよね(笑)的な、女子高生は我が手中なり的な意識に移行してきているのではないかと思い至った。女子高生のありえない短さのスカート、そこから伸びる、世が世なら尻であるはずの生脚、それにも僕は心を動かされることはなく、生脚ひゃっほい、ともちろん思いはするものの、それは一期一会の出会いでは決してなく、死ぬか生きるかの勝負ではありえず、空手ではなく合気道的な、女子高生たまんねえよ! となるのではなく、穏やかに、君は俺の人生における女子高生の生脚コレクションカタログの1ページを、刻むことに無事成功しましたよおめでとう、というような、余裕の心持ちでもって受け止められるようになった。これは要するに、恋から愛へという変化であろうと思う。恋は下心、愛は真心なのである。好々爺のごとく女子高生の夏のビーチのビキニ姿とかを夢想し、それもまた、と微笑みつつ、これから生きてゆきたいと思う。

2008.10.13

 ところでファルマンの、「「崖の上のポニョ」をスコットランド民謡風に唄う」、という芸が昨日からすさまじくおもしろくて気に入っている。モノマネとかもいちいち上手で、彼女のこういう芸達者さは一体なんなのだろうかと思う。だって彼女は僕と異なり、いちどもクラスで中心的な存在にならずに生きてきた人種である。それなのに異様なほどおもしろいのだ。「減らず口」というスキルだけで目立っていた僕より、はるかに芸が磨かれている。
 もっとも上記の「スコットランド民謡風「崖の上のポニョ」」も、そのおもしろさを享受できるのは夫である僕だけである。芸達者のくせに人見知りで、他人には決して心を開かないファルマンなのだ。たとえるなら赤外線カメラにまず映るのは僕で、僕が用心深く確認した後に、ようやく彼女もおそるおそる画面に登場する感じだ。

2008.10.11

  ファルマンと僕の間で昨日から「トロみたいゲーム」というのが流行っていて、どういうゲームかと言うと、文章なのでリズムが伝えられないのが残念なのだが、手拍子を打ちながら「トロみたい、トロみたい、なんやらかんやら、トロみたい」と、その「なんやらかんやら」の部分に、「ガリガリくん」とか「青春時代」とか「クラスメイト」とか、交互に思いついた単語を唱えてゆくというもので、どうなったら負けなのかと言えば、相手の放った言葉がなんか非常におもしろくないな、と思った時には「トロみたい」という囃子を停止させ、「やっぱりリカの家のトロは赤身だからしょうがないよね」「シッ、その話はシーッ」と科白を読み上げ、相手の感性の悪さを断罪する。これで相手の負けとなる。以上である。
 いまいちおもしろさが伝わっていない気がする。この分ではこのゲームが世間に伝播してゆく可能性はあるまい。今度だれか我が家に遊びに来て、そのアクティブな人発信で流行ってゆけばいいなと夢想する。もっとも第三者が家に来た時は、僕らは物怖じしてしまい、のびのびとこんな遊びをすることはないのだけど。設置した無人の赤外線カメラにしか映らない、用心深い野生動物のような、まるでトロみたいな僕らなのだ。

2008.10.8

 職場でちょっと前に異動があり、勤務先が変わって、ちょっとだけ出勤に時間が掛かるようになった。これまでは電車で15分掛からなかったのが、50分くらい掛かる。そして大学生の頃あざみ野から航空公園(さらにはそこからバス)まで片道3時間弱掛かっていた身としてはそれはぜんぜん苦ではなく、むしろまとまった読書時間ができた感じで喜んでいる。
 それでそのまとまった読書時間で、僕はやはり純粋理性批判を読んでいるのだが、純粋理性批判なので、50分も読むと全体の3分の2くらいは読めてしまうのである。そしてそんな風に、一気に全体の3分の2くらいを読んでいて気付いたことには、純粋理性批判はテンポがすごく早い。300ページくらいで3、4人と2回ずつくらいセックスをし、さらには最後には全員で一斉にやるシーンを精魂こめて書かなければいけないと考えれば、そうなるのは当然と言えば当然なのだが、登場人物紹介で「主人公に敵意を持っている」みたいに紹介された女の子が、気付けばもう主人公とセックスをしていることだ。実を言えばずっと主人公のことが好きで、敵意を示していたのはそれの裏返しで、そのことを白状し、セックスしているのだ。もはや「敵意を持っている」という情報は、ほぼ登場人物紹介欄でしか感じられないと言っていい。
 これはあんまりよくないな、と僕は思った。これまでは15分の乗車時間で小刻みに読むことにより、その間の物語の時間を自分の想像で膨らますようなことを無意識にしていたのだと思う。それが一気に読むことでベールが掛からず、丸裸にされてしまった形だ。文字通りあっという間に丸裸になる。ゆえによくない。

2008.10.6

 ノーベル賞を受賞した人の研究が、ヒトパピローマウィルスに関するもので、NHKで最初に耳にした時はてっきり聞き間違いだと思ったのだが、ネットで見てみたらやっぱりヒトパピローマウィルスだったので、うわあと思った。

2008.10.6

 この前ケータイ小説の文面を目にする機会があったのだけど、ケータイ小説の特徴として横書きというのがあるわけだが、でも目にしてみて、本当にこれは横書きなのだろうかと思った。
 速読のテクニックのひとつとして、視界を縦に長くするイメージで、縦書きの文章の行の真ん中、つまり1行40文字のレイアウトならば20文字目付近のところに目線を固定し、それを右から左へスライドしてゆく、その際に行の上と下のほうは自然と視界に潜り込んでくるような、そんな感じで文章を読み進める、というのがある。
 つまり左から右ではなく、右から左という違いはあるものの、これは実は横書きとして受け取られているのである。書きと言うか読み、縦書きのものをこちらが勝手に横読みするということなのだが、それに対しケータイ小説というのは、
 
 
 でも
 
 それでもわたしは
 
 あいしてる
 
 ヒロのこと

 あいしてるんだ
 
 ヒロも
 
 そうだったでしょ?

 ね、ヒロ……
 
 
 という横書きの文章を、間違いなく縦詠みしていると思う。視線はぜんぜん左右に振られない。一直線に上から下に滑るのだ。なのでこれはある意味で、縦書きなのかもしれない。
 さらに言えば「あいしてる」みたいな定型的なフレーズで考えれば解りやすいが、それはもはや記号のようになっていて、文字や文章としてではなく、これは僕の大学の卒論に近い話になってくるのだけど、漢字の視覚効果みたいなものと似ていて、日本語で「気をつけてください」と伝えるところを「注意」と書けば一発であるという話のように、ケータイ小説の1フレーズ1フレーズというのは、一種の漢字のようなものなのではないかと思った。「あいしてる」は文章ではなく、「あいしてる」という意味のこもった1文字の、漢字のようななにかなのだ。そう考えないと文章が完結していないのに改行(あまつさえ無駄に1行空白で空けさえ)する意味が分からない。
 つまりケータイ小説っていうのは、無機質な漢字が縦にひたすら羅列する、漢書に近いものなのではないか、とちょっと思った。そしてそれで泣けるのだからあの子たちはすごい。科挙に合格しかねないほどの理解能力であると思う。

2008.10.5

 でも夕方以降は時間があっという間に過ぎてしまい、この溜まった日記とかやっていたら、なんかもう寝る時間になってしまった。日曜日はあっという間だなあ。毎日ファルマンと近所のラーメン屋さんに行って、ヒット君人形を1体作って、タイトルに1首詠んで、ぼやぼやと日記を書くような、そんな暮らしをしたいものだとしみじみ思う。

2008.10.4

 大学時代の友人が結婚を祝う飲みを企画してくれたので行く。前回はサークルで、今回はサークル連盟の集い。なぜか大学生の頃サークル代表みたいな感じで、そんなものにも参加していたのだった。今の自分からすると考えられないのだけど。
 卒業以来まったく会っていない人がほとんどだったのだが、みんなあんまり変わっていない。変わったのはやはり、去年の夏の飲みでもバッタリ会った、今回の飲みの幹事をやってくれた落研の男が、やけに太っていたくらい。
 1次会は屋台村という中華系の居酒屋で、ものすごく懐かしかった。前回の飲みではお志ど里に行けたし、今回は屋台村に行けたし、どちらの飲み自体も本質そのものが要するにそういうことなので当然と言えば当然なのだが、結婚報告にかこつけて同窓会的な、回顧的な目的が達成できて本当によかった。あとはなんかの折にトキとメルに行ければ言うことない。
 飲みは、懐かしいわ、みんなプレゼントいっぱいくれるわ、代金がタダだわ、なんか申し訳なくなるような扱いだった。それなのにきちんとそれに報いないと言うか、前回のサークルの時と同じく、自転車で来ていた僕はやはり、午前1時過ぎにブーイングを受けながらお暇したのだった。まったくねえ。自分でもどうかと思うのだが、どうしても夜通しってもうできない。だってきっと朝までいなかったからこそ、前回のサークルのも含め、どちらの飲みも今いい思い出として処理されているのだ。だからしょうがない。逆にこれは幹事に対しての僕なりの、愉しむための仁義的なものなのではないかと苦しい言い訳をしたい。
 ところで僕が帰ってきたら、会社のほうの飲みに参加していたファルマンがまだ帰宅しておらず、電話をしたらああだこうだとピンチなようだったので、深夜料金とか言ってないでタクシーで帰って来いと命じる。25歳にもなってファルマンはタクシーで泣いたという。なんて迷惑な女だろう。
 でもまあ電車なら200円くらいのところを5000円くらいかけ、いちおう無事にファルマンは帰ってきたので、そのあとなんとか平和に眠った。そんな感じの週末だった。

2008.10.3

 記事タイトル:パパ不潔パパのパンツが元々は私のブラウスだって本当

 今は受け入れられないメグミだが、30年後には「娘の古くなったブラウス父の下着に運動」の布教に努め、世界の国々を駆け巡り、その活動は多くの人々に認められ、二酸化炭素の排出量を年間でブナの木2本分減らし、地球時計の針を4秒戻し、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じ、しかしその運動の最中、若くして病に斃れるのだった。

2008.10.1

 マリア様がみてるの新刊が出ていたので読む。今作はいい。いよいよ祥子様の卒業が近付いてきていて、泣きそうになる。嘘をついた。泣きそうにはならなかったが、泣きそうになると嘘をつきたくはなった。なのでついた。かしこん。

2008.9.30

 次女に続いて三女の恋愛話も、これはファルマン越しに聞いているのだが聞いてしまい、自然なことなんだろうが、なんか寂しい気持ちになる。
 思わず、
「三女が俺のことをいちばん好きでいた時期に戻ればいいのに……」
 と呟いたら、
「ねえよそんな時期」
 とファルマンに一蹴された。
 そう言えばいつの間にかあったような気がしてた。

2008.9.29

 何日か前にファルマンのいとこと会い、ともに餃子を食べたということがあったのだが、その日のことをいとこである彼女がブログに書いていて、その書き方が「いとこ夫婦においしい餃子をごちそうになりました」というような感じで、もしも僕がそのブログを傍目に見たならば、そのいとこ夫婦はすごくクラブとか行く感じのことだよ、と思った。つまり何が言いたいかと言えば、クラブ行きそう、と人から思われるのは、思っている以上に簡単だということ。そしてそう思われる大抵の人間は実はあんまりクラブなんかに行かず、毎晩背中合わせで互いのブログばっかりやっているような人間なのだということだ。

2008.9.28

 義母と義妹がもう我が家には泊まらない3日目は、荷物を持って横浜へ。なぜ横浜かと言えば、義母がせっかくこちらに出てくるということで、うちの母が「ぜひ横浜へ」みたいな感じに誘ってきたからである。
 渋谷から東急東横線で横浜に行き、そこから直通でみなとみらい駅へ。集合場所の改札付近に母は既にいた。夏に挨拶をしに行ったばかりなので、義母はもちろん、その際ドラッグストアでバイトしていたところを強襲された義妹も、母とは初対面ではない。どうもどうもといった感じのゆるやかな再会となる。
 ちなみにみなとみらい駅を利用するのは僕は初めて。横浜のほうには本当に来ない浜っ子なのである。なので駅の造りには、ほほー、とおのぼりさんのように感心してしまった。吹き抜けの感じがすごい。すごい自然光を採り入れる感じ。デートとかで来たらとてもいいと思う。
 集合が昼過ぎだったので、まずはお昼ごはんを食べようということで近くの中華料理屋へ。横浜ということでなんとなく中華にしたが、別に中華街的な雰囲気は一切ない中華料理屋だった。でも遊園地を眺めながら食べる中華はまあ美味しく、なによりビールが美味しかった。思えば今回の3日間、僕は朝食時以外は必ずビールを飲んでいたことだ。優雅である。
 食事を終えたあとはランドマークタワーに昇る。これは出来立ての頃に連れられて行った覚えがある。相変わらずエレベータが速い。あまりにあっという間なので、エレベータが猛スピードで稼動していると考えるより、ワープとかしているのだと考えるほうが自然な気さえしてくる。
 展望階からの風景は、おー、という感じで、それ以上でもそれ以下でもなかった。展望室のホールで、企画としてそのまんま七夕の短冊みたいな、ハートのオブジェに願い事を書いた紙を貼る、というのをやっていて、僕らは誰も書きはしなかったのだけど貼ってあるのを眺め、「幸運な人間になれるよう努力ができる人間になれますように」という紙を発見し、しばし嗤った。
 ランドマークを降りてからは、あかいくつ号というバスに乗って、赤レンガ倉庫のほうに移動する。いやはや実に観光していることだ。赤レンガ倉庫ってなんなのかな、と思っていたのだが、行ってみたらけっこう普通の商業施設で、もともとが倉庫だったということなのか、開放感のない造りで、しかもそのテナントの中にラッシュなんかが入っているものだから、そもそもラッシュの香りが得意でない僕はどうしようもなくなってしまい、女性陣がウロウロと見物をしているところを、先に外に出させてもらった。これは本当にきつかった。
 それでもしばらくその界隈で過ごしたあと、みなとみらい駅まで、今度は歩いて帰る。あかいくつ号があまり快適でなかったので、そんなに距離もないし歩こうかということになったのだが、歩いてみたら微妙にしんどかった。
 この時点で4時ぐらいになっていたので、母とはここで解散。
 義母はこれから品川で友達と会う約束があり、そのまま義妹と品川のホテルに泊まるので、ファルマンと僕も夕食のご相伴ついでにそちらについてゆく。
 途中の横浜で義妹はまたしても化粧品だかなんだかを買っていた。ファルマンとの暮しでは、あんまりメイクとかブランドとかそういう単語を意識しないのだが、それに対し義妹はすごいなあと思う。あと、ここで特にすることもなく女性陣のあとをついていたら、「先輩」と呼ぶ声があって、振り返ったら大学の後輩の女性が店員として働いていたので驚いた。この際、もしかすると義母から「なんて顔の広い人だろう」と思われたかもしれない。それならそれでいい効果だなと思う。
 品川までは京急。本当にまるで乗ったことがない路線だ。なんか分岐が多くて、途中で4両切り離すとか言うし、初心者に優しくない路線だと思った。
 それでもなんとか品川に到着し、義母たちの泊まるホテルにチェックイン。義母の友達とも落ち合い、いったん荷物を置きに部屋のほうに移動する。この際、義妹からベッドの上でマッサージをしてもらう。横からファルマンが「義妹のマッサージはうまいだろう、気持ちいいだろう」と執拗に訊ねてきたが、マッサージの技術がうんぬんではなく、純粋にいやらしい意味で義妹に身体を触られてしあわせだった。残念ながら両足をやったところで義母からの召集が掛かり食事に移動となったのだが、あのまま続けば義妹が僕の背中に馬乗りになるところまでいったのではないかと推測される。惜しかった。
 食事はイタリアン。ホテル内のレストランなので割と高級だ。僕はすごくラフな恰好をしていたので、大丈夫かと心配したが別に大丈夫だった。注文はコースにして、カルパッチョやらパスタやらステーキやらを美味しく食べた。飲み物はもちろんビール。
 この際、義妹の恋愛の話を大いに聞き、気になる人がいると話す義妹に向かい、「猛烈アタックしちゃいなよ」とアドバイスしている自分がいて、「ああ俺は「猛烈アタックしちゃいなよ」と恋愛アドバイスをしたことだよ」と少しへこんだ。
 店から出たところで散会。義母と義母の友達と義妹はホテルに戻り、ファルマンと僕は品川駅へ。時刻はもう22時近く。明日は仕事だ。品川から自宅へは割と面倒くさい帰途になる。思えば昨日からかなりのハードスケジュールだった。思わず、ふひー、となった。
 でもまあ疲労した分だけ愉しかったし、こちら側としても後悔しない度合いで接待できたように思えたので、たまのことだし、張り切ってよかったのだと思う。よかったよかった。

2008.9.27

 本日のスケジュールは、昨晩からガイドブックを広げてああでもないこうでもないと話し合った結果、吉祥寺に決まっていた。吉祥寺は雑貨屋もあるがデパートもあるので、義母にも義妹にも受け入れられやすいと踏んでいた。果たして着いてすぐに義妹がデパートに入り、目当てのブランドのなんかしらを購入する。義母は早くもベンチで休み、ファルマンはそれに付き添っていたため、ブランドでなんかしらを買う義妹にひとり寄り添う僕は、傍から見れば普通に彼氏だったのではないかと思われることだ。3月の三女との動物園のときも、意識的にそういうムードを作り出そうとしたが、今回も果敢にそれを試みていった僕である。
 そうこうしていたらもう昼の時間で、吉祥寺ではいつも昼ごはんをどうするか悩むのだが、義母に何が食べたいか訊ねたところ、「もんじゃ焼きを食べてみたい」という予想外に具体的なリクエストが出たため、すんなりとお好み焼き屋。なにを隠そう僕はお好み焼き屋で高校生の頃バイトをしていたので、実は焼くのが特技だったりする。お好み焼き屋は昭和っぽい雰囲気で、ビルの上階の窓際の席で、ビールを飲みながら、仕上げたもんじゃ焼きを義母らとつまんでいると、なんか結構しあわせであるような気がした。なんか思い出に残りそうな気がする。
 そのあとは雑貨屋を覗いたり、井の頭公園を歩いたり、義妹にアナスイのなんかしらを買ってあげたり、そんな風にして過ごす。途中で中高一貫の女子校の文化祭を発見してしまい、義母がいることも気にせず門まで近付いたのだが、やはりここもチケットがなければ入れなそうな感じで、義妹に「先輩ヅラして入れてもらえるように頼め」と命令もしたのだが、断られたので諦めた。残念だ。せめて僕ひとりだけでも入れてもらえればよかったのに。
 そんな感じでひととおり見てまわり、時計を見たら3時過ぎだった。ここで「上野行けんじゃねえ?」みたいな感じになる。観光の目的地として、吉祥寺と、横浜と、上野という3箇所が大体挙げられていて、その3点はぜんぜん便利な位置関係にないため、初日に吉祥寺、2日目に横浜に行くことにし、上野は今回は却下ということになっていたのだった。でもせっかくだからまだ3時だし行っちゃうか、という流れに。
 中央線で東京まで出て、そこから山手線。到着は5時前ぐらいだったか。義母が行きたがっていた美術館はもう閉館の時間だそうで、しょうがないのでまずは銀座線で浅草に出る。先にそちらを見物し、また上野に帰ってくるという工程。
 浅草では雷門を見、浅草寺を眺めた。東京観光、という感じがいかにもあっていい。義母は、えっそれを買うか、というようなグッズをおみやげとして買っていた。「浅草」の文字の入った提灯など。僕は人形焼を買って喰う。あったかくて美味しい。
 上野に戻ってきて、アメ横を歩く。歩いたけどあんまり買い物はしなかった。なぜなら晩御飯はおうちで手巻き寿司にしようということになっていて、手巻き寿司用の刺身の盛り合わせ的なものを買うならば、アメ横じゃなくてスーパーなのだ。もう1年以上も前に友達夫妻とたこ焼きパーティをやるとなった際、アメ横にたこの脚を買いに行き、1匹丸ごとしか売ってなくて、脚だけで売ってくれないかと訊いたところ「そういうのはスーパーに行きなっ」とダミ声のおやじに切り捨てられたことを、未だに深く深く根に持っている僕なのである。
 それでもアメ横を突っ切ったのは上野駅から大江戸線の駅に移動するため。駅名は忘れたが、なんかあるのだ、そういう便利な駅が。それで帰る。
 そうして舞い戻った最寄り駅で刺身やらなんやらを買い込み、帰宅。手巻き寿司は美味しくできたのでよかった。アボカドが義母に好評を博す。相変わらずファルマンは納豆ばかりを褒める。
 しかし今日はかなり歩いたことだ。
 寝る前にふたたびベッドで義妹とゲームをしていたら、先に寝た義母から「いい加減に寝なさいよ!」と怒られた。修学旅行みたいだ。そんなわけで寝る。

2008.9.26

 義母と上の妹がやってくる。東京観光である。
 ファルマンと僕は労働後に合流し、羽田からやってきたふたりを渋谷で待ち受ける。本当は横浜のほうに来てもらい義兄の店で食事という流れのはずだったのだが、義兄のほうの親戚にちょうど不幸があり店が臨時休業となったため、渋谷で食事ということになった。
 行ったのは牛タンをメインにした居酒屋。ファルマン側の面々との邂逅も、籍も入れた今となってはぜんぜん緊張しない。これが身内になったということなのだな、と思った。
 食事を終えて帰宅。最寄り駅からはタクシー。運転手があまりいい人でなくへこむ。ファルマンからあとで「パピロウは心を閉ざす瞬間が本当に分かりやすいよね」と指摘される。
 義母と妹は我が家で2泊する予定(旅行は3泊で、最終日はホテルに泊まる)。義母が就寝したあとは、妹といつものごとくゲームをする。ダブルベッドの上で、義妹と深夜にゲームをしてしまうほうの人種なのだ、僕は。どうだろうかこの誇らしい気持ちは。
 そして寝た。義妹は義母がすでに眠る部屋へと帰っていき、僕とは寝なかった。不思議だ。

2008.9.22

 社会契約論3冊を読み終える。今月はかなりクオリティが高かったように思う。最近どうも純粋理性批判のパワーが下がってきている感が実はあるので、がんばってほしいと思う。
 吉行淳之介の話はエロくておもしろいのだが、しかし彼は基本的に銀座でホステス相手にブイブイ言わしていた種類の人間で、そういう輩の描くエロと、たとえば純粋理性批判なり社会契約論なりのエロというのは、ぜんぜん違うものな気がする、ということをこれまで思っていたのだけど、今日になって必ずしもそういうわけでもないな、と思った。
 なんと言うか、吉行淳之介も純粋理性批判も、セックスを恋愛の末にあるものと規定していない所と言うか、女性に自分と対等の意識や理性を認めていない所が、実はものすごく似ている気がする。少なくとも石田衣良や辻仁成なんかと一緒に並べた場合、吉行淳之介と線で結ばれるのは間違いなく純粋理性批判であるとは言えそうだ。
 要するに即物的と言うか、純粋理性批判にはなぜヒロインの女の子が4人も5人も登場するのかと言えば、それはまさしくキャバクラ的な発想で、運命の人とかそういった類のロマンチックな考え方じゃまったくなく、このうちのどれかしらは気に入るでしょ的な考え方なのである。
 そう、つまり純粋理性批判とはキャバクラなのだ、というのが今日までの結論。

2008.9.21

 さらにそのあと、田園都市線を渋谷ではなく、三軒茶屋で下車する。実は夕方から、ファルマンのいとこの女の子と会食する予定があり、その会場が三軒茶屋の餃子屋なのだった。
 初めて会うその女の子は、僕らよりふたつ年下で、身長は僕よりも高かった。人当たりがよさそうで、コンプレックスとかがなさそうな人種っぽかった。いとこでずいぶんと違う。
 餃子は美味しかった。2皿食べてしまう。ビールも2杯。しあわせ。
 食後にはその子のひとり暮らしのマンションにもお邪魔してしまい、女の子のひとり暮らしの部屋にお邪魔するのなんて、おっさん約5年ぶりのことだったので、非常にどぎまぎした。カーペットやクッションがピンクを基調とし、加えてディズニーキャラクターのグッズが多く見受けられるその部屋は、いかにも女の子らしい感じで、5年前に目にした際のそれとは大きく異なっていると思った。5年前の女の子の部屋は、やけに殺風景で、ノートパソコンばかりに住人のすべての念がこもっているような部屋だった。本当に、いとこでずいぶんと違う。
 そこで少し喋り、おいとま。雨がけっこう強くなっていた。
 さらにはこれでまっすぐ帰宅ではない。途中の駅にある大型電化店で、オーブントースターを買う。食パンがいちどに4枚焼けるやつ。これまでのは2枚しか焼けないし、温度調節もできないようなやつだった。もちろんパンくずトレイもない。一気にグレードアップだ。嬉しい。
 これはなんなのかと言えば、ファルマンからの僕への誕生日プレゼントである。僕らの誕生日なりクリスマスなりのプレゼントは、なんかずっと電化製品を贈りあっている感がある。

2008.9.21

 いちど家に帰って、今度はファルマンとともにお出掛け。目的地は実家。5日前に生まれた姪が、今日でちょうど退院するということで、おうちで初対面と相成ったのだった。
 家に着くと、リビングのソファーに姉夫婦が腰掛け、義兄が赤ん坊を抱いていた。生後5日である。小さい。見る前から「抱くのは怖いからやめておこう」と思っていたが、実物を見てその思いを強くする。でも「大丈夫だから抱いてみな」と言われ抱く展開に。緊張した。
 姪は、僕は生まれたばかりの赤ん坊の顔はみんな同じに見えるので、「鼻はお父さん似だ」とか「眉毛はお母さん似だね」とか、そういうことを言う人は押し並べて嘘をついているのだと思って生きているのだが、ファルマンも含む女性陣によれば「お父さん似だ」ということになるのらしい。そのあって無きがごとしの眉毛がか。分かんねえよ。
 リビングには割と巨大なベビーベッドが設置され(今後少なくともひと月くらいは実家で暮らすらしい)、そこへ姪は寝かされ、母を含む5人で鮨の昼食。これから夕方開店の店に向かう義兄の横で、僕だけビールをいただく。しあわせ。
 姪はやけにおとなしかった。大人が喋り、犬が鳴き、至近距離で携帯電話のシャッター音が鳴る中で、黙々と眠っていた。ついに滞在2時間弱でいちども泣かなかった。なので視覚的にはほとんど写真で得られる効果と変わらない。抱いた感触だけがリアルだった。

2008.9.20

 労働から帰宅して、ファルマンと近所のケーキ屋へ。
 夕食は僕が作り、昨日から食べているカレー。うまい。
 今年のファルマンによるハッピーバースデイ独唱は、去年の綾戸智絵風に続き、宇多田ヒカル風をリクエストし、急なフリにはじめは戸惑っていたファルマンだったが、やがて唄いはじめたそれはさすがのクオリティなのだった。「ハッピー」の所を「ア・ファッピ」みたいな感じに唄うのとか、ラストの「トゥーユー」の所をやけに音程を上げて声が掠れる感じに唄うのとか、本当に無駄に芸達者だ。来年は中島みゆき風をリクエストする予定。

2008.9.17

 ポニョはハムが好物、という設定を知り、深く感じ入るところがあった。
 ポニョは5歳児なのだそうだが、5歳児というのはたしかにハムが好きそうであると思う。「ハムだー!」と言ってテンションが上がってしまう感じが、たしかに5歳児にはある。
 つまり「ハム好き」というのは、5歳児を形成する要素のひとつなのだ。
 それは「パパとお風呂」が中学1年生の要素のひとつであるように。「おもらし」が中学3年生の要素のひとつであるように。「跳び箱」が高校2年生の要素のひとつであるように。
 要するに5歳児がハムでテンションを上げるというのは、幼女好きの駿による、ある種の学年題的なものなのではないか、と思い至った。
 そしてそれを足掛かりにして、僕はこれまで身近にあったのに不思議と気が付かなかった、エアポケット的な真理に到達した。
 学年題は、萌え要素である。
 萌え要素という言葉を、ここでは「萌え」の定義などのややこしい問題を抜きにして、単純に「ポイント」ぐらいの意味合いで使うわけだが、「5歳児のポニョの好物はハム」というのは、イコール学年題であり、イコール萌え要素だ。よって学年題イコール萌え要素という式も当然成り立つ。
 だとすれば、である。
 そもそも学年題という発想はどこから来ているかと言えば、言うまでもなく季題から来ているわけである。春における桜、夏における入道雲、それの女学生バージョンが学年題ということだろう。ならば結局のところ季題もまた、季節の萌え要素だ、ということにならないか。

2008.9.16

 姉の子どもが無事に産まれたのだった。
 昼の11時ぐらいに病院に行き、13時には産まれたという。スムーズだな。予定日は14日だったので、日程的には少し遅れたことになる。20日じゃなくて残念だ、と思っていたら、それはもちろん残念なのだが、本日9月16日は義兄の、つまり父親の誕生日なのだそうだ。ちょっとすごいな。便利なのか不便なのか判らないけど。
 性別は予定通り女。つまり姪である。姪か。実際に姪ができてしまったか。これまで詠んできた数々の姪の句や歌が思い出されることだ。まあそれとこれとは違うからな。そんなこと言ったら義妹でもいくらでも詠んでるし。うん。
 日曜日に顔を見に行く予定。

2008.9.13

 吉行淳之介の「夕暮れまで」を読んだ。男女の機微とか深淵とかはよく解らないが、とりあえずエロおもしろい部分にだけは反応した。複雑な関係の恋人と部屋にふたりで残され、外に出ていたもうひとりが部屋に帰ってきたとき、不穏な空気にその人が「どうかしたの?」と訊ねたら、主人公の男が「杉子が発情してね」と答えるシーンがあるのだが、これはすごいなあと思った。ファルマンと僕は家以外の場所では往々にして挙動不審になるのだけど、それについて第三者に「どうかしたの?」と訊かれた際には、「ファルマンが発情してね」と今後は答えることにしようと思った。

2008.9.11

 ファルマンと、なんか卒業論文を書きたいねという話をしている。なにからの卒業だ、と言われると参るのだが、なんかしらのこの支配からのだ。この支配からの卒論だ。
 ファルマンの論文のテーマは「ムーミン」か「太宰治と吉行淳之介の比較」だそうだ。
 僕はもちろん「純粋理性批判研究」ということになるだろう。シリーズ百巻突破を記念して、データとかを精細に集計し、その特徴や傾向なんかを論としてまとめたいと思う。
 電車で純粋理性批判を読んでいて、射精の行に付箋を貼るということしか今はしていないのだけど、僕はもう少しきちんと、ノート片手に純粋理性批判に向かい合うべきなのではないか、とは常に思っている。
 いつかできたら本当に書きたい。書く意義があるとも思う。

2008.9.10

 昨日からはじめた「いっぱい出た物種」が、1300行目ぐらいからの漢字の羅列が続いた後、2500行目ぐらいに「元旦のをとめが舐める足の裏」となり、そして「大晦日は「俺ばかりが正論を言っている」をすごいやった。13枚」などと始まったらおもしろいな、とぼんやり思った。
 それがなにかと言えば、2007年1月1日の「KUCHIBASHI DIARY」の書き出しである。2500行目にそこへ辿り着くことによって、僕の日常を綴るこの「KUCHIBASHI DIARY」という日記もまた、実はすべてがシャノマトペであった、ということが判るという仕組み。
 す、すごい。すごすぎる。なにこれ、てっきりブログかと思ってたけど、実はSF? 宇宙の果てにはまた別の宇宙的な、永遠に連なる入れ子構造的な、そんな感じだ。そしてだとすれば昨日とか今日の日記というのは、その連鎖の中で俯瞰的な発言をしていることになるので、すごく哲学的だなと思う。連鎖宇宙の中心で射精。どっどどどどう!
 もう自分でも何を書いているのかよく分からない。文章を書いているのか射精しているのかも判然としない。もっともどちらも混ざり合ってしまえばどうでもよかろう、という感もある。それもまたザーメン。要するに精子の濃度の話だ。そのマーブル具合こそが人生の縮図なのだ。
 昨日から日記の文面が名言に溢れているような気がするのだけど錯覚だろうか。

2008.9.9

 cozyripple内に密かに新しいページを作る。トップからリンクなどはまだ置かず、とりあえずここにだけそっと提示する。その名も「いっぱい出た物種(仮)」。
 見てみると一見意味不明の文字群が連なっているわけだが、ここに「純粋理性批判」と「シャノマトペ」というキーワードを提示すると一気に謎が解けると思う。
 解けると思うと書いたが、あんまり解けないかもしれない。考えてみればそのふたつのキーワードとも僕が勝手に使っている用語で、前者はキルタイムコミュニケーションから出ている二次元ドリーム文庫のこと、後者はそのレーベルの特長である射精のオノマトペを指す造語だ。
 つまりこれはどういうページかと言うと、「射精が何分間も続いた」というような表現がしばしば見受けられる純粋理性批判の精神に則り、延々と続く射精の描写をただひたすらにやってゆこう、というページなのである。
 おそらく1行で経過時間は10秒ぐらいのものだろう。なので現在のところ9行で、約1分半。1分半の射精は現実的には小便をも超越した大記録だが、純粋理性批判的にはまだまだ序の口で、新しい世界の扉はまるで開けていない。
 やってゆく上での目標として、「普通に考えたらぜんぜん射精の描写じゃないけど、なんか言われてみたらなるほど射精かも」的な、そういう効果を目指してゆきたい。
 おそらくは行が進むに連れてこのページは、詩や散文となってゆくのだろうと思う。400行目あたりではきっと空の美しさや鳥の囀り、季節が巡ることへの感謝などを綴っているに違いない。
 文字表現におけるどこまでが射精なのか。
 その疑問を僕はこのページで、掘り進めるのでは決してなく、むしろその問いからどんどん浮遊してゆきたい。途中から読んだ人間には単なる日記にしか見えないけど、初めから読んでいる人間にとってはたしかにそれは射精であるというような、読者にそんな高みを提示できたらいいなと思う。そして700行目ぐらいでみんな真理に到達してほしい。
 この世に射精でないものなどなにもないということ。
 この世のすべての物事は宇宙の射精なのだということ。
 おそらく300年後ぐらいの修行僧たちは、1300行目ぐらいから漢字の連なりになってゆくだろうこのページを経典とし、それを繰り返しぶつぶつと読み上げながら山に篭もるようになるのだろうと思う。思わない。ちょっと思う。なんとも言えねえ……。

2008.9.8

 例の「なんも言えねえ」に対し、「なんとも言えねえ」というのは流行らないだろうか。前者が「言えねえ!」であるのに較べ、後者は「言えねえ……」という感じ。前者が主張であるのに対し、後者は時候の挨拶的な、あるいは相槌的な要素を持っている。日常生活中でどちらの使用頻度が高いかは言うまでもないだろう。流行る可能性はこちらのほうがよほど高い。
 ずっと前に長井秀和の「まちがいない」が流行ったとき、それに対しての「いちがいに言えない」という、これは僕が考えたものではたしかなかったのだが、そういう風に言うのが流行りはしまいかと期待したことがあった。結局は流行らなかったけど。今回の「なんとも言えねえ……」はそれのリベンジ的な感じだ。まあリベンジが叶ったからどう、ということもないのだけど。
 あーこの日記、なんとも言えねえ……。

2008.9.6

 ダブルベッドが明日にやってくるのに向けて、今週の我が家は部屋の結構な大掃除と相成っていたわけだが、引越しの際などから薄々と気が付いていたことに、僕は片付けというのがひどく苦手なのだった。とにかく作業がぜんぜん進まない。散らばったものを見てただただ途方に暮れてしまう。それでもしばらく、20分間ぐらいがんばってうにゃうにゃやっていると、頭の中の動く部分が粘度を増していって、これまで女の子のブラジャーのことを考えるときは水のごとくサラサラと流れるようだったそれが、固めすぎたゼリーのように鬱陶しい感じになってゆくのが感じられる。そして眠くなって寝てしまう。結局まるで作業が進まない。
 それに対してファルマンは片づけが上手だ。テキパキと一気にやってしまう。僕が「……これの配置はひと晩考えて明日やることにしようよ」とか言うものを、「じゃあ私が勝手にやるけん」などと言ってすいすいとやってしまう。この様には感動する。僕が2日掛けてもできなかったことを、ファルマンは1時間半ぐらいでやってしまうのだ。結婚して本当によかった。
 それに棚の整理をしていた際に出てきた、彼女が微妙に高い代金を払って作っていた、製本した「うわのそら」も、パラパラと読んでみたら非常に笑えたので、そういう意味でもこの人と結婚してよかったなあとしみじみ思った。驚くべきことに、ファルマンは今でも思い出話ばっかりしているのに、4年前の日記でも思い出話をしている。すごいことだと思う。

2008.8.31

 ちなみに、もうすっかり実家のほうに移った姉のお腹はいよいよ大きくなっていた。予定日は9月14日なので本当にもうすぐだ。と言うか次に会うときは確実にもう出てる。そう考えるとなんかおもしろい。姉が暇に飽かせ、柄にもない鉤針編みなんかをしていて、10センチくらいの熊のあみぐるみを作っているもんだから、「いかにも赤ちゃんのおもちゃって感じだね」と声を掛けたら、「ううん、私の携帯ストラップ」とのことで、妊婦の作る編み物作品はお腹の赤ちゃんのためのもの、という固定観念が華麗に破壊される快感を得る。

2008.8.28


 1辺2cmくらいで、10分くらいでできる。人形に較べて何分の1の労力か。それでも150円くらいは取っていいのだろうから、効率という意味ではこちらのほうが優秀だ。
 消しゴムはんこ用の木片台座というのも売っていたので買ってあり、着けてみたら(あんまり意識してなかったらサイズがぴったりで驚いた)途端に商品ぽくなったのでよかった。まだやってないけど木片の裏にははんこ図案のシールを貼る予定。これも非常に商品ぽさを醸し出すポイントであろうと思う。ちなみにシールは僕すぐに作れる環境なのです。
 ところで消しゴムが青いのは彫り終わってすぐの試し押しを青インクでしてしまったからで、これはいかにも素人っぽい失敗だった。こんな色味ではもちろん商品にはできない。本当なら試し捺印をしないのがいちばんかっこいいのだが、そういうわけにもいかないので、次からは黒でササッと押し、すぐにウェットティッシュでインクを拭き取る心積もりだ。
 またアルファベットはオーダーメイドにも対応可能。こういうの結構ポイント高い気がする。そこのマダムら、大切なお子様の持ち物とかにいかがでしょう。

2008.8.28


  最近せっせと作っていたヒット君人形たち。
 「ボディ(脚含む)」、「腕」、「ボタン」、「顔を縫う糸」、「チェーンを通すための頭頂部のタグ」、という5つの要素から出来上がっていて、それぞれの色の組み合わせを考えるのが割と愉しい。
 1体500円、それ以上に高かったら誰も買わんよ、とファルマンは言うのだが、完全手作業で意外と手順が面倒くさいのにその値段は、破格ではないかと思う。しかし値段というのは労力に呼応するものではなく、需要によって決まるものだから、しょうがないかとも思う。

2008.8.26

 街に女子高生が戻ってきている。まだ日程的には夏休みだろうになぜだろう、とファルマンに訊ねたら、もう補講とかが始まっているんだよきっと、と教えてくれた。そうか、きちんとした高校には補講とかがあるのか。そもそもそれを知らなかった。
 それで、涼しくなったと言ってもさすがに8月でそれなりに蒸し暑く、しかもしとしとと降り続く雨で、さらに言えばここひと月あまり制服に袖を通さなかったことによる少女たちの意識の低下、あるいは日程上は夏休みの状況ではじまった登校に対するせめてもの抗いとしての開放感の主張、そんなものが相まって、いま街に出ている少女たちのシャツからブラジャーの透ける率、すなわちパピロー率は、半端ないことになっていると思う。これに関しては常々、汗やら薄着やらの観点から、もしも8月に少女が登校などしたらどれほどパピロー率の高いことだろうか、と夢想していたわけだが、今まさにそれが実現した、と言うより、現実はそのさらに上をいっている。まさかそこに雨を付け加えるとは思わなかった。もちろん夕立ちまでは想像した。でも夕立ちは不確定要素と言うか、あるいは不平等要素とでも言うもので、クラスメイトでもない限りは、一瞬の出来事である夕立ちに少女が遭遇する場面になど、なかなか立ち会えるものではないと思う。学校から駅までの道で夕立ちに遭い、これまでつかず離れずぐらいの距離で、お互いなんとなく意識し合って歩いていたふたりが、道端の野菜の無人販売所とかで雨宿りして、ぼそぼそと語り始め、少女の持っていたハンカチで顔だけ拭き、「サンキュ」と言って返そうとしたら少女のブラが思いっきり透けていてどぎまぎ的な、夕立ちってそれくらい選ばれた者にだけ与えられた要素だ。残念ながらいま僕につかず離れずでお互いなんとなく意識し合うクラスメイトはいない。それに対しここ数日の一両日降り続くしゅんしゅんとした雨は、誰にも均等にチャンスを与えてくれていることだと思う。少女のシャツは押し並べて透け、僕らはそれを押し並べて見るチャンスに恵まれている。
 そんな誰にとっても幸福な雨の降り注ぐ世界で僕は今日、これまでに想像したこともなかった要素を持つ少女を目撃した。その子とは通路で擦れ違っただけで、だから透けたブラジャーの様子も一瞬しか見られなかったのだけど、そのブラの右肩の紐は、明らかに少女の肩から外れ、二の腕辺りの位置にだらんと垂れ下がっていたのである。ブラが紺色的な濃い色をしていたため、白いシャツには殊の外よく透け、そのためにできた発見である。
 これの何が発見なのかと言えば、これまで僕のなかにあった「ブラを外す=ホックを外す」という認識が改まったこと、ここである。もしかするとブラは僕らが思っている以上に外れやすい――もとい、日常茶飯的に外れているのではないだろうか?
 この片方の肩紐が外れていた少女は、友達と歩いている最中であり、手もバッグとかで塞がっていたので、わざわざ立ち止まって直さなくても、もう片方の紐さえ無事なら問題ないのでいいや、と思ってその状態で歩いていたのだろう。仮に両肩がその状態になれば、これはデリケートな問題になるのだけど、やっぱり少女は「自分がブラの上はシャツ1枚で、それなりにパピロー率は高まっている」ことは認知しているのだろうから、ブラが両肩の紐が外れるほどに身体から浮き上がった結果として表出するのはすなわち乳首なわけで、それはさすがにすぐにバッグなんかかなぐり捨てて、位置を直すのに違いない。だけど片方だったからあえて直すことなく歩いていた(ならばその状態はその状態で結構スリルがある)。そして僕はその状態を見た、というわけである。
 それでは、である。じゃあこれがその上にベストなりブレザーなりコートなりを着ていて、つまり突然いかなる天候になろうと絶対にブラが透けて見えることはないという状態、すなわちプロペ状態にあった時に、その両肩のブラ紐が外れるという展開になってしまったら、少女はいったいどうするのか。この答えは明白である。きっとそのままだ。だってプロペ状態なのだから。さらに言えばシャツ1枚なら薄着で危険が大きい分だけ直しやすいが、厚着だとブラの紐を直すという作業は、守られてる分だけ衣服を掻き分けて作業せねばならず、なかなか困難なのではないか(人生に似ている)。なので結局「まあこのままでいいか」と、ともすればホックだけでは支えきれない立体的な振動でカップが完全に乳房から分離してしまい、まろび出た乳首がポリエステルのシャツの無機質な感触に反応して屹立したとしても、そのままユミと一緒にアナスイの話を続けるのだろうと思う。アナスイなのはむしろよっぽど彼女の乳首だというのに。
 というわけで、要するに何が言いたいかと言えば、僕は今日パピロー率の高い少女のブラの片方の紐が肩から外れているのが透けて見えているのを目撃したわけだが、それは、これまで僕が無感動に眺めていたプロペ状態の数多の少女たち、その少女たちの乳首がアナスイであったやもしれない、という甘美な疑念を僕の心に植えつけた、ということ。その感動を伝えたかった。でもすいません。なんも言えねえ。アテネのとき以上にチョー気持ちいいです。

2008.8.25

 純粋理性批判を読んでいて、女の子って実に「男子のズボンのベルトをガチャガチャと外し、スラックスをトランクスごと一気にずりおろす」ことだよ、と思った。周りにひと気がなくなった途端、すぐにやる。おそらく男で言えばブラのホックを外すぐらいの感覚なのだろうと思う。ならばそれによってまろび出た男根をぱくりと咥えることもまた、男で言えばセーラー服のリボンをシュルシュルと外すぐらいの感覚なんじゃないかと思った。斯様に女子っていつも男子の2歩ぐらい先を行ってることだよな、と思った。

2008.8.23

 昨日の話の続きになるのだけど、そういう人たちと僕の違い、なにによって彼らと僕はwebの2.0とマイナス2.0に分かれているのかと言えば、彼らっていうのは結局は物事を「情報」とか「知識」とか、そう言う感覚で受け取っていて、だからそこには「根拠」とか「他者の同意」とかが必要で、そういう外へ外へ的な確認作業をするためにつるむ必要があるので、うざったいのだと思う。結局のところそれっていうのはつまり、理系の発想なのだ。あいつら物事なんてぜんぶ自分で決めりゃあいいのに、すごく第三者からの確証を得ようとすると思う。そこが文系の僕とは大いに違う。文系は自分の心に訊ねればそれでいいのだから。そしてコンピュータとかネットってやっぱり理系の人間の発明したものだから、理系の人間ほど使いやすいように出来上がっていると思う。だからその象徴とも言えるソーシャルネットなんとかに順応して愉しめる人間って言うのは、生粋かどうかは別として、僕に言わせれば間違いなく理系側の人間なのだ。なので好きじゃない。と言うか怖い。うざくて怖い。なに考えてんのかよく分からない。自身の目的地も分からずに他者の同意ばかり求めて、ひどく虚ろであると思う。

2008.8.23

 僕だけが土曜だというのに労働ということで、ファルマンがお弁当を作ってくれる。基本的に冷凍食品ばかりの、しかし「愛妻弁当」だそうだ。そのおかずのなかに、スペースを埋めるために置かれた竹輪があったのだが、冷凍食品ばかりのお弁当を製作したファルマンが、「見て見て、創意工夫」と呼ぶので近付いて見てみたら、ふたつ並べられた竹輪の内側の円の中に、細かくした味付け海苔が適当に入れられてあって、まあ竹輪の内側に味付け海苔が入れられてあったから、(ああ竹輪の内側に味付け海苔が入れられているなあ)としか思わなかったのだが、(でもわざわざ呼んで見せるということは、この子は本当にこれで褒めてもらえると思ったんだよな)と僕は慮り、がんばって「わあすごいアイディアだね」と褒めてあげたのだった。思うにそれは僕の人間性が成長し、限界の拡張した瞬間だったのではないか。竹輪の内側に味付け海苔を入れた25歳のことを褒めてあげられた人間に、褒めることのできないことなんてそうそうないのではないか。この精神への鍛錬と成長こそがファルマンと一緒に暮らす効用であるなとしみじみと思った。

2008.8.22

 サイトに関して外部からの反応のなさは本当にひどく、閲覧数は大締めの「cozy ripple」以外カウンターを設置してないので定かじゃないが、それぞれ相当に低いことは疑いの余地がない。こんなんじゃダメだと思い数日前、ファルマンにそそのかされた「あわせて読みたい」というサービスをこのブログに追加したのだが、そのサービスに「あわせて読みたい」ものと提示されたいくつかのブログは、チラリと見てみると、別にあわせて読みたくも読まれたくもぜんぜんない感じで、ファルマンからも「あんたのブログだけ浮いてるね」と言われ、自分もなんかやけに恥ずかしいような気持ちがしてきて、10時間ぐらいで削除してしまった。なんだかんだで知らない人とランキングなり「あわせて読みたい」なりで並べられて、たくさんの人にぜひ読んでもらいたいというほどには、僕のなかの反応が欲しい願望というのは強くないのだなと思った。そして「知らない人」との馴れ合いへの拒否感というのは割と否定できずに存在するのだが、かと言って勝手知ったる人ばかりのソーシャルネットなんやらみたいのも理念として大嫌いで、久し振りに口にするけど我がwebマイナス2.0的スタンスとしては、結局のところ今回の「大百句」のように、孤独にグラウンドを走るのがいちばんの理想なのかもしれないなと思う。夏の出雲行の際、出雲大社での式の話で、ファルマンのお母さんから「でもこのプランだと大社に来ている一般の人たちにすごく見られちゃうかもよ」というようなことを言われたのだが、それに関しては僕もファルマンも「それは見られたいから大丈夫」と揃って回答し、ああこの感じはまさにwebマイナス2.0的だなあと思ったのを覚えている。最低限の家族以外の知り合いに結婚式の様子なんて絶対に見られたくないが、名前も知らないような人にならなるべくたくさん見てもらいたい。かと言ってその時に僕らの態度が泰然としているかと言えば決してそんなことはなくて、きっとすごく周りの目を気にしてそわそわしている。そんな感じ。 

2008.8.21

 街中にいる女子高生の数がひどく少なくて、発見するやいなや穴が開くほどに観察するのだが、それで得た結論として、女子高生のブラジャーって大抵が水色かピンクであると思う。
 これはおそらく、黒はありえないし、白は白で子どもっぽい、みたいな風に考えていって、消去法で結果的にそこらへんの色に辿り着く、ということなんだろう。
 この意識の推移って、なんかとっても愛しいと思う。女子高生の自分がいて、ブラジャーを選ぶというとき、黒とか白とかを敬遠して、やがて無難な水色とかピンクに到達する、その流れ。
 分かる。大いに分かる。そして分かってあげられる自分がさらに愛しい。今後もし女子高生にブラジャーをプレゼントしなければならない状況になっても、これからの僕ならば失敗はない。白とか黒とかを渡したら、きっともうそれからは口を聞いてもらえないのだ。さらに言えばピンクも、「ああピンクね」という感じがあると思う。どうしたって、まあ間違いはないけどよ、という逃げが感じられる。ならば僕は他の挑戦者がピンクでそういう感じになっているとき、颯爽と水色のブラジャーを女子高生に提出したい。彼女はきっとふわっと微笑むとこちらに背中を向けてブラウスを脱ぎ、「着けて」とお願いしてくるのだろうと思う。
 ならばここまでの高みに来た僕が次に目指す階梯は明白だ。
 あのブラジャーを着けるときに女の子たちがやるという、乳房の下方の肉をカップの中に上げ入れるあれ、あれを乳房に触れることなく(触れたらセクハラになるから)、さらには自分は背後に回った状態から、いかにして少女に施すかということだ。
 いちばん現実的で甘美な方法は、「そこは女の子に協力してもらう」なんじゃないかな。
 いっせーの、でブラ装着させたい。きゃっきゃきゃっきゃ。

2008.8.18

 このまるで気乗りしない状態で日記を書いてゆく意義について考え、「俺ばかり」にちらりと書き、読んだファルマンに「それ病気っぽいよ」と言われる。ファルマンにブログのことで「病気っぽい」と言われるなんて、アル中患者に震える手で喝を入れられるような、そんな納得いかない気持ちになる。そんな心象風景の、新婚夫婦です。

2008.8.18


 

2008.8.16

 夜から大学のサークルの飲み会だった。僕の結婚を祝うという名目の会。とか言いつつ実際は単なる同窓会なんだろうな、と思っていたら、殊の外きちんと祝われる感じだったので仰天した。
 そもそも8時からの会だったのに、「準備があるから8時過ぎに来て」と言われる段階から気恥ずかしい。要望通り少し遅れて「お志ど里」の2階に上がると、色とりどりの折り紙の輪っかの飾りとか、「結」「婚」「お」「め」「で」「と」「う」の張り紙とかが壁にしてあって、施設のクリスマスパーティーみたいだー、と思った。
 サークルの人たちに会うのは3月の飲み会以来、半年ぶり。
 席につくなり、折り紙の輪っかで作った鎖に、画用紙にドラえもんの絵が描かれたメダルという、貧乏臭い首飾りを掛けられ、「齧れ」という命令のもとしょうがなくメダルを齧り、そこを写真で撮られるという恥辱を受ける。主催者がどうしたいのかよく解らない。僕を上げるつもりなのか下げるつもりなのか。とりあえず、直前まで来るかもしれなかったファルマンを連れてこなくてよかった、とは思った。夫の尊厳もなにもあったもんじゃない。
 ところで我がサークルには飲み会のたびに作る小冊子というのがあり、所属部員が共通のお題に対し、1枚の紙でイラストなり文章なりで回答し、それを係の部員が編纂して人数分コピーして飲みの席で配り、もちろん誰も読まない、というものなのだが、今回それが発行されたのにはちょっぴり感動した。みんな面倒くさいことをよくやるもんだ、と思った。相変わらず受け取った瞬間に放り投げたのだけど、今回ばかりはそのあと拾って、大事に持って帰り、後日きちんと読みました。おもしろかったです。
 飲んでいるうちに、遅れて次々に懐かしい顔が登場して、特に3年ぶりぐらいに顔を合わす2つ上の先輩とか、ほとんど幽霊を見るような心持ちだった。ビールを持って近づくといきなり「はいおめでとう」とご祝儀をくれ、後日中身を確認したところ、それが予想外の金額で、「いやいやいやいや!」と思った。どうもこの代の、こういったジョークへの静かで並々ならない気合というのが、別れて何年も経った現在でも未だに掴めない感がある。お礼を言うにもお返しをするにも連絡先を知らないのだが、僕は一体どうすればいいのだろう。これは今ちょっと本当に悩んでいる。
 そんなこんなで1次会が終了し、2次会へ移動。もうほとんどの人間が現役で大学生とかじゃなく、体力もないので、2次会でもうかなり平穏な感じの飲み会となる。かくいう僕もダラダラとやった会話の内容とか、ぜんぜん覚えていない。最後は気持ち悪くなったけど、吐いたら楽になった。また吐いたりしてしまった。既婚のいい大人なのに。
 1時過ぎにそこもお開きとなって、僕はそこで失礼した。
 参加者20人ぐらいのうち僕がいちばん先の結婚であり、これからはこんな感じのが、半年置きぐらいに発生すれば同窓会代わりにちょうどいいんじゃないかなと思う。次からは準備側に回って、前日から小冊子を作ったり、会場に移動する前にシャノワールで「結」「婚」の張り紙を作製したり、ぜひしたいなと思う。
 今回の飲み会でサークルの人たちはほとんど僕の日記を読んでない、ということが判ったのだけど、一応ここでお礼を言っとこう。参加者のみなさんどうもでした。いろいろ贈り物も戴き嬉しかったです。でもやっぱり特に嬉しかったのは小冊子かな。そういう意味でも幹事のおふたりは本当にどうもでした。お疲れ。感謝。

2008.8.13

 1日中一緒に行動をして、その日の片割れの日記がよかったら、もうそのまま引用でいいんじゃないかと思った。というわけで以下にファルマンの「うわのそら」の記事を転載する。

 山梨に行ってきた。朝八時ごろ横浜をでて、びゅんびゅん高速道路を走り、二時間半ほどで到着。心配していた渋滞にもほとんどはまることなく、山梨県は想像していたよりもずっと近かった。
 山梨は田舎だと昨日みんなが言っていたから、一体どんなところなのかと思っていたけれど、建物も人もそれなりにあって、それほど田舎だとは思わなかった。盆地で山に囲まれているせいか、景色が凝縮されているように感じた。空と山と畑と建物と人々が、それぞれ単独で在るのではなく、ぎゅっとパック詰めされている感じ。

 お義母さんの実家、夫にとっての「おばあちゃんち」では、おばあさんが朗らかに出迎えてくれた。おばあさんは横浜と山梨を行ったりきたりしながら生活しているので、これまで何度かお会いしたことはあったのだが、それでも初の自宅訪問はやはり緊張する。居間には、自分の祖父母が使っているのとよく似た昔ながらの角ばった箪笥やテーブルが置かれていて、キッチンではなく炊事場と呼ぶに相応しい台所が、居間のすぐ隣に続いていた。テレビ、扇風機、戸棚・・・自分の幼い頃に使っていた形の家具や電化製品が、今も現役でつかわれていて、だからだろうか、初めてなのに懐かしく心地よく感じた。こんなにも古くなるまでよくよく使い込まれている物たちを、久々に見た気がする。
 居間の仏壇には夫がほんの幼いころに亡くなったというおじいさんの遺影が飾られていて、その写真のおじいさんの眉毛が、夫の眉毛の形とそっくりだったから、それだけでにやけてしまうほどの親近感が沸いて、へなへなっとすっかり安心してしまって、そのまま座り込み、自然な心で手を合わせた。仏壇には茄子でつくった牛がお供えされていて、お線香の香りに包まれながら、思いがけなく体験できた山梨のお盆を、しみじみ味わった。霊魂が、きゅうりのお馬で急いでやってきて、茄子のお牛でゆっくり帰っていく。魂を信じていたい私にとってそれは、泣けてくるほど優しい発想だ。
 夫が別の部屋も案内してくれて、そこにはおばあさんの作ったきり絵や習字や手芸小物や焼き物などが、たくさん飾ってあった。中には、おじいさんの生前に描かれた絵などもあって、あぁなるほど夫の物作り好きは、遺伝だったのだな・・・と、ひそかに確信した。自分の作ったものが大好きで、好きすぎるあまり自分の作ったものにしか興味がなくなり、人のつくったものは基本的に飾らないところも、どうやらここからきているっぽい。自分流儀大好き遺伝子と名づけよう。夫はそんな自分が愛しくて楽しくてしかたないと言っているので、いつか生まれるであろうわが子にも、遺伝すればいいと思う。私のように、自分を好きだけどおなじくらい嫌いなんだとか七面倒くさいことをぼやぼや言う子になられちゃうと、子育てもやりにくかろう。
 部屋を一通りみたあとはベランダにもつれていってくれて、「子供の頃よくここで花火をした」と教えてくれた。幼少時代のことをあまり覚えていないという彼が、こんなふうに具体的なエピソードを語るのは珍しい。彼の代わりにこれまでずっと、ベランダが覚えていてくれたのか。幼かった彼が、少女だったお姉さんと一緒に花火を手に持ち、きゃっきゃとはしゃぐ姿が目に浮かんできて、それが自分自身の幼少時代の思い出と鮮やかに重なった。妻になってよかったなと思うのは、こういうときかもしれない。恋人関係では知ることのできないことが、こんなにたくさんあったんだなぁ。

 おばあさんのおうちでひとしきりのんびりしてから、再び車に乗って、おじいさんのお墓参りへ出かけた。ジリジリと焦げ付くような炎天下、ジワジワ蝉の鳴くなかで、熱いお墓にひしゃくでお水をかけて、お線香をあげて、手を合わせて。これぞお盆の墓参り。まさか自分が、山梨にきてお墓に手を合わせる日がくるなんて、思わなかった。手を合わせて「はじめまして」と心のなかでご挨拶していたら、おばあさんがお墓を綺麗にしながら、「早くに死んでしまってもったいなかったね、生きていたら孫のお嫁さんを見られたのにね」と、穏やかに語りかけるので、思わずお墓に向かってはにかみながら、今日ここへきてよかったなぁと思った。おじいさん、あなたによく似た眉毛のお孫さんの、わたくしお嫁さんになりました。
 普段、私は毎日のように、死について考え、考えては怖くなる。それなのに、なぜだろう。お墓の前で手を合わせていると、安らかな気持ちになって、死を恐れる心が静まっていく。死そのものの場所なのに、不思議。

 お墓参りが終わったら再びおうちへ戻って、しばらくみんなで巨峰(山梨の果物ってすごく美味しい!桃もスモモもおいしかった!)を頂きながらオリンピックを見たりしてのんびり過ごし、夕ご飯もご馳走になって、8時ちょうどのあずさ2号ではなかったけどもそれに近い時間の特急あずさで東京へ戻った。特急だと、たった1時間半で新宿まで着く。近い! 嗚呼、島根も山梨ぐらい近ければいいのに。七月に帰ったばかりだが、よその実家で心地よくなったら、自分の実家にも帰りたくなった。ああ、夏休みが欲しい。実家のリビングで、ごろごろするなと叱られながら、妹がテレビゲームするのなど眺めつつ、勇者のレベルがあがるたびに拍手を送りつつ、気が済むまでごろごろしたいなぁ。日が暮れたら犬の散歩にでかけて、それからまたごろごろして。ああ、ごろごろしたい!得体の知れない新世界が見えてしまうぐらいまで一日中、ごろごろしまくりたい!

 今回の二日間、みんな優しくしてくれて、それゆえに自分の至らなさとか無駄な緊張が申し訳なくて、陰で夫に八つ当たりしたりなんかもして、くたびれたけど、楽しかった。お正月には、きっと私の実家へ帰るだろう。今回は夫のホーム試合だったが、今度は夫のアウェー。うちの家族は夫の家族のように落ち着いていなくて、なんやらかんやら気にしたり忘れたり慌てたりぼんやりしたりを想い想いの速度で繰り返す空回り一家なので、彼はさぞかしくたびれることだろう。しかし一年に一度か二度のことなのだから、がんばってもらわねば。
 アウェーといえば今週末は、夫の大学時代のサークル仲間が、結婚を祝した飲み会をしてくれることになっていて、私も参加するかもしれない。私はこれまで彼のサークル仲間とは距離を置いてきたのだが、夫婦になったのを機にお近づきになるのも、悪くないかなぁと思ったりして。これから二人で生きていくのだから、共通の知り合いはひとりでも多いほうが、何かと心強いだろうし。どうしようかなぁ。きょどってしまうだろうしなぁ・・・。
 とにかく、なにがなんだか、オリンピックと歩幅を合わせながら、今年の夏はめくるめく日々。今年がんばった選手のことは、すごく記憶に残りそう。「いろんなことが一気に起こってわけわからんくなる」と夫に言ったら、「別になにも起こってないじゃん、ただこなしていってるだけじゃん」と返され、ムッとしつつ、私はこなすことの多い日々が苦手なんだなぁと気付いた。思い描くのは好きだけど、思い描いた以上のことをこなそうとすると、あっという間にくたくたになる。

 ここにあるように、久し振りに眺めた祖父母の家には、書道やら陶芸やら油絵やら、祖父母の手による作品ばかりが飾られていて、床の間の掛け軸まで祖母自身が書いたもので、なんか驚愕した。でもパソコンのデスクトップを自分の絵にしたり、シール作って持ち物に貼ったり、バッヂ作ってキャップに着けたり、ああなんかそう言えば俺もそういうことしてるな、たしかに床の間があったら自分の書を飾ってるな、とも思った。
 それにしたってファルマンが日記を書いてくれたから実に楽だ。
 いつも一緒に行動すれば日記はどちらかが書けばよいのか。なるほどなと思う。

2008.8.12

 労働を終えてファルマンと合流し、実家に赴く。実は明日に日帰りで、母方の実家である山梨に、母の帰省の車に同乗し顔を出すことにしたので、その前日である今日は実家に泊まることになった。ファルマンが僕の実家に泊まるのは初めてのことである。
 実家には姉夫婦が先に来ていた。義兄のお店は火曜日が定休日であり、ぜんぜん計ったわけではなかったが、そのために集合することができた。9月中旬が予定の姉の腹は、驚くほどに膨れていた。実際もう出てきても別に大丈夫な段階らしい。
 母の料理を食べながら、ビールを飲み、オリンピックを見て、谷本選手がきれいに一本勝ちして、喜び、そんな感じで愉しく過ごした。なんだか殊のほか現在の我が家は平和であると思う。
 ただし「結婚式に父をどうしよう」という話になったときだけはその幸福に陰が差した。出雲大社での式のあと、披露宴というわけではなく食事会みたいなものをやろうと思っているのだが、問題なのはその席で父の話し相手がひとりもいないということだ。義兄に「相手してやってよ」と頼むが、「絶対にやだよ!」と断られてしまう。あー厄介。
 やがて食事がお開きとなり、母は姉夫婦を自宅まで送り届け、その間に僕とファルマンは皿を洗ったりそれぞれシャワーを浴びたりする。

2008.8.11

 眠る直前にスカッと笑ったら、夢もスカッと上質に愉しい内容で、心身ともにすっきりとし、毎日がこんな風に送れたのなら人生はどれだけ素敵だろう、と思った。
 ああ僕は、本人は大真面目に得意げに調子に乗って書いているのに、内容のひどく拙いブログというものが、本当に大好きだ。あれほどスカッと笑い飛ばせる存在は、他にないもの。

2008.8.8

 労働を終えて区役所へ。早めに切り上げたファルマンがもう先に窓口にいて、スムーズに作業を進めることができた。中国じゃないけどやっぱりぞろ目ってことで割と人は多いみたいだった。ファルマンによると「書類に致命的な不手際があったのだがどうしても今日がいいのだ」みたいに粘っている人もいるそうで、うえーっと思った。幸いうちは僕の母親の名前に使われている「恵」という文字が戸籍では「惠」なので書き足せ、というどうでもいい訂正だけで済んだ。よかったよかった。
 そんなわけで無事に受理され、晴れて夫婦となる。
 ちなみに名字の変わったファルマンが初めて新しいフルネームを書いたのは、その窓口で提案された苗木の登録で、なんとも間の抜けた感じ、そして間の抜けたと言えばファルマンの書くただでさえ間の抜けた文字が、書き慣れない僕の名字になるとさらにその間抜けさが強調され、もう腰が砕けそうなくらい間が抜けているなあと思った。
 そのあと別の窓口に移動して世帯主の変更(これまで我が家は二世帯住宅なのだった。同棲カップルは二世帯住宅なのだ)をし、新しい住民票を取得する。
 ファルマンの懇願により区役所の前でツーショット撮影という恥ずかしいことをこなしたあと、印刷したての住民票を持って近くのソフトバンクショップへ。そこでファルマンとの家族割引の契約を済ます。実に年月が掛かったがこれでようやく僕とファルマンは通信料が無料だ。ほとんどファルマンとしか通信しないのに、これまでは実に無駄なことをしていたとしみじみと思う。
 帰りながら、撮影した写真を早速メールにして家族に送ったらしく、ファルマンのもとに次々にお祝いの返信がやってくる。義母と義父のテンションがそれぞれ高く、苦笑いだった。
 帰宅してから僕も母親に、無事に終了したことを電話で伝える。「惠」の文字の文句を言うのは忘れてしまった。母から「父親にも伝えときなさいよ。メアド送るから」と言われ、少し気が重くなる。1年前くらいに梨を送ってもらい、そのお礼のメールで「そろそろ引越しをする予定だから決まったら新住所を伝えるよ」みたいなことを言ったまま、伝えることもなくずっと音信不通だった。なので父は引越しをしていないと思っているかもしれない。そろそろ梨が送られてくるシーズンが近づいてきていることもあり、なんとかしなければとは思っていた。とは言え気が重い。まだしていない。
 とにもかくにもそんなわけで本日をもって無事に夫婦となった。めでたしめでたし。ちなみにファルマンは今後「うわのそら」で僕のことを「夫」と表記するらしいが、その点こちらの「ファルマン」は便利だなと思う。

2008.8.5

 周期的に頭をよぎる疑念なのだが、「なんか前髪に勢いがなくなっている気がする!」、という今まさにその時期だ。禿げの恐怖。死んでゆく哀しみ。信じ抜く心。哀しみの初恋。繋がらない電話。滴る肉汁。みんなの心がひとつになったオリエンテーリング。
 ちょっと前に照明写真を撮る機械の前を通りがかったとき、どうやら今から撮影しようとしているらしい中年男性が、外壁に備え付けられた鏡で髪の毛を整えているのを目にしたのだが、彼は頭頂部から禿げてきているパターンで、顕著な所ではもう完全に肌色が見えてしまっていて、そこに髪を整えるべく這わされた手が触れていて、その様子を見て僕は、「髪を整えようと手を伸ばして、頭頂部に髪の毛がなくて、指の皮膚と頭頂部の皮膚が、しとっと触れ合ってしまう感触って、いったいどのような感じなのだろうか」と思い、自分に置き換えて想像してみて、恐怖に打ち震えた、という出来事があった。
 禿げの恐怖というのは本当にすさまじいものがあると思う。おなじ夕焼けにしたところで、一般人のそれと禿げのそれではぜんぜん価値が変わってくると思う。
 そんなわけで、どうしよう禿げたら、ということをファルマンに相談すると、「なんか頭皮の脂を取る、みたいなやつをやればいいんじゃない。CMでやっとるやつみたいな」みたいな返答があるのだが、これはいかにも禿げる心配のない女性の意見だな、と思う。
 そもそも脂を取ることが髪の毛にいい、なんて理屈はぜんぜんないと思う。むしろ逆だとさえ思っている。シャンプーなんてなるべくしないほうが髪の毛が丈夫になる、と固く信じている。脂を取って清潔で毛根の血のめぐりもよくなってグングン伸びます、というのはいかにもそれっぽくて、なので逆に信用がならないと思う。放っとくのがいちばんでは企業が困るのだ。
 それと毛根に刺激を与える系のものは、女の子がSTのときに、「飲み過ぎると本当につらいときに効かなくなるから」という理由でなるべくバファリンを飲まずに耐えるのと一緒で、いざというときのために取っておこうと思っている。20代のうちから使うべき、とかいう文言は完全に企業側の思惑であると思う。
 そんなわけで結果的に僕は髪の毛に対し、手付かずという姿勢を今後も貫いてゆくのだろうなと思う。まあ禿げたらあれです、カツラをかぶればいいのだと思います。

2007.8.2

 ツタヤが半額ということでファルマンと夜に出掛け、「久し振りの夜の散歩だね」なんて語り合ったりしたが、結局ツタヤではなにも借りずに帰った。僕らは実に映像を観ないことだ。最近はテレビもほとんど観ない。実は新聞も7月限りで止めてしまった。どんどんマスコミュニケーションから分離していっている感がある。ファルマンの勝手に掛ける長渕とかを、聴くともなく聴きながら、日本酒を飲みつつヒット君を縫っているときが、いちばんしあわせだなと思う。つましいことだ。

2008.7.30

 自分が血液型を検査していないものだから、世間で盛り上がっているような診断も興味がないし、ファルマンの血液型だってよく忘れる(最近になってようやく「たしかA型だった」と思い出せるようになった)。
 そんな生活のなかで、さいきん職場の人たちから、「破皮狼はなんだかんだでB型っぽいな」と言われるようになってきている。親のそれによりA型かB型であることはたしか、ということは伝わってあり、そして僕はなんとなく自分はA型だろうと思っているので、血液型を訊かれたときは「まだ検査してないんです。たぶんA型だと思うですけどね」と答えるようにしているのだが、そんな僕に降って湧いたB型疑惑である。
 まあ実際のところA型でもB型でもどちらでもいいのだ。
 問題なのは、はじめは「たぶんA型だと思うんですけどね」で、「まあそうかもな」と反論もされなかった僕のA型イメージが、長く付き合ううちに否定され、「お前はむしろB型だろう」と断罪された、という職場の人たちの僕への心象の変化と言うか、人間関係的な点である。
 だって僕の参加できない、彼らの普段の血液型診断トークでは、彼ら全員がA型ということもあって、明らかにB型の人間を蔑んでの論調なのである。そんな環境のなかで「AかBです」と言って、「多分Bだね」と言われる、このなんとも言えない気持ち。
 まあどうでもいいんだけど。
 血液型の話って全般的に本当に「まあどうでもいいんだけど」であるなと思う。

2008.7.25

 そのあと本日の主目的である指輪探し。そして見つかる。太さは新宿で見て「これは太いなあ」と思ったのと同じぐらいなのだが、とにかく色とデザインが気に入る。太いと言っても3,4mmくらいのもので、別に仕事中着けていてもぜんぜん変じゃない。要するに新宿のはデザインが気に入らなかったのだな、と気が付いた。色は紺色(3色あったのだが、結局ふたりとも紺色にした)で、チタン製。チタンを化学変化させて色を出しているということで、基本的に色が剥げたりはしないということだった。そんなわけで「これぞ」に巡り合ったので購入。今日も手に入らなかったら土日で出掛けたりしなければいけなかったかもしれないので、よかったよかった。
 そんな風に、あれやこれやが着々と片付いてきた。と言うかもう概ね片付いたのではないか。結婚にあたり引越しとかがないのは非常に救いだなあと思う。

2008.7.24

 そんなわけで新ブログが完成しました。
 その名も「大百句」。
 要するに「学年題俳句1000詠」の、1句で投稿オッケー版ということである。
 「1000詠」がどうしてあんなに盛り上がらないかと言えば、参加受け付けの際の質問事項が多すぎたことと、1題で10句詠むという厄介さ、そして主催者のリンクとかへの嫌悪感(どこにも宣伝しないこと)によるものだろうと思われ、そのうちとりあえず1題10句という部分だけはきちんと改善したというわけである。
 でもこれはなかなかいいと思う。早速「pee*pee*mur*mur」から参加を申し込み、いま2題目まで作ったのだが、非常にさくさくできる。たとえるなら高原の夏の朝のさわやかなジョグ、といった感じ。「1000詠」ってなんかドロドロ血めいた感じがあるが、こっちはすごく若い。いい汗たくさんかいて、血がサラサラしてゆきそう。本当におすすめだ。
 参加の際の質問事項も減らし、また今回の趣向として、「100句を基本的にひとりの女の子について作るみたいな、そんなゆるやかな縛りが守れたらいいよね」的な、徹底はしないのだがそういうイメージが僕のなかにあり、そのため質問のひとつとして、作ってゆく上での「主人公の女の子の名前」を訊ねている。名前が前提としてあれば、名前によって17文字の一部が取られずに済むので、そういう意味でも効果的だと思う。
 そして実際的にサイトを盛り上げてゆくためのリンク、つまり大きく開かれ、喧伝されてゆく、ランキングの上位に入ってしまうようなサイト化計画は、もちろん基本的にしないのだが、ただし「1000詠」に較べての大きな進化として、「学年題大募集」というカテゴリを設置した。だいぶ前にちらりと「学年題を募集する掲示板を作ってみたらどうだろうか」みたいなことをつぶやいた気がするが、とうとうそれの実現というわけである。これはすごい。これまでの超閉鎖性に比較すれば、大きな一歩であると思う。もちろんそれが正式に題になるかどうかは僕ひとりの判断に拠るのだけれども。
 そんな感じで新ブログ「大百句」をよろしくお願いします。参加待ってます。

2008.7.23

 労働が終わったあと、ファルマンを誘って渋谷に出る。なぜかと言うと僕は翌日の労働が休みであるため、体力の温存が必要なかったからである。そうでなければ平日にこんなこと絶対にしない。用事は結婚式の招待状の購入と、あといいのがあれば指輪の購入である。
 前者は東急ハンズで、無難なものをファルマンが選んでいた。その選定の際にやけに「どれがいい?」と訊いてくるものだから、「別にどれでもいいけど」と答えていたら、「どれでもいいじゃないでしょう」みたいに怒られ、「ふたりで送るものなんだから」ということだったのだけど、でも身内だけの結婚式と言いつつなんだかんだで……とかいうこともなく、僕のほうの陣容は本当に先月ぐらいの義兄の店に集まったメンバー、祖母、母、叔父、姉、義兄でおしまいなのだった。あ、あと姪か。それとチョーもしかしたら父親。どちらにせよ招待客というよりも、一般的な結婚式ならば主催者側に座る人間だけである。それ以外本当に呼ぶような親戚なんていないのだ。それに対してファルマンのほうはそれなりに選定する程度はいるみたいなので、まあ出雲でやることでもあるしそっちが多く呼べばいいよ、招待状を自由に送るがいいよ、と思う。
 指輪は何店か見て回ったのだが、あんまりこれというものがなかった。結婚指輪とは要するに仕事の最中も含めてずっと着けている指輪だろう。だとしたら太いのは困る。それなのに店員がやけに太いのばっかり薦めてくるのだ。そしてファルマンもドギマギしてんのかなんなのか、「そうだね、これなら大丈夫だよね」とか、お前どう考えてもそれかなり太いだろう、みたいなやつに平然とオッケーを出したりする。阿呆か、と思う。ファルマンの性格は往々にして、今回ならば「結婚指輪を買う」という理想的な行為に捉われるあまり、肝心の中身のチェックを非常におろそかにするのである。本末転倒と言うか、それでは結局まるで意味がないのである。ということでブーブー言ってたが「これじゃダメだろ」と言って店から出た。
 ちなみに指輪の理想は、細いのがいいはいいとして、しかしシルバーの単なる線、みたいのは嫌だなと思う。なにげに鮮やかな色が入ったやつがいいのだ。矛盾しているだろうか。ちなみに店で「単なるシルバーじゃなく、色の入ったやつがいい」と希望を出したところ、「これなんかピンクゴールドでいま大人気なんですよ」と、あんまりピンクゴールドじゃない、おばあちゃんの肌着みたいな色(でも本当に流行っているらしく種類が多かった)の指輪を差し出され、ああぜんぜん違う、と思った。というわけでこれは先が長そう。

2008.7.22

 島根行きで買うのが遅れた、今月の純粋理性批判のもう1冊と、社会契約論の3冊、そしてテックジャイアンを入手する。しかし今月はこちらが暑さで疲弊しコンディションが整わないためか、そのどれもがいまひとつに感じられた。残念和尚の経文だって聴く気になれない。

2008.7.19

 島根行。
 たまプラーザから羽田まで直通バス。自分たちで車を運転し空港の駐車場に停めておくのと迷ったのだが、「あちらでお酒を飲むことになるのでは」という予想から取りやめた。ベイブリッジとかを渡り、みなとみらいを眺め、1時間弱で到着。横浜で早くも観光気分だ。
 羽田空港に来たのは初めてのこと。飛行機は約11時発。
 乗り込んで座席に就いて、自分の心拍数が明らかに上がっているのが感じられた。これまでは普通に飛んでいたけど、こんなにも飛ぶはずがないという確信を持った人間の乗った飛行機は、おそらくきっと飛ばないだろうと思った。気分を紛らわせようと、用意していた本を鞄から取り出す。さて読もうかと思ったところで、これが自分でもびっくりの天然で、その本が向田邦子であることに気付く。もう狙ったとしか思えない、末期的なブロガーっぽいエピソードなのだが、本当にぜんぜん考えてなかった。普通に「いいな」と思って手に入れていたのだ。大失敗だ。持っていること自体が不吉であるように感じられ、窓から投げ捨てたくなった。
 それでもとにかく飛行機は飛んだ。意外だった。
 そして予想以上に早い。時速850キロとかアナウンスで言っていた。離陸から上昇が落ち着くまで20分くらいで、それから30分くらいしたら、あとは20分くらいかけて降下して着陸する感じ。
 出雲空港に着いたのは正午過ぎ。東京に較べ空気はカラッとしているが、遮るものがないため陽射しがすごい。もちろん快晴なのである。またやはり空が広い。雲の全体像というのを、去年の島根行きぶりに見た気がする。
 空港にファルマン一家、両親とファルマンが車で迎えにきてくれていた。親同士はこれが初対面である。スケジュールとしては、このままとりあえずお食事会であるらしい。
 お店まで車で移動。道の左手が宍道湖で、助手席に座った僕はそちらに目を奪われていた。宍道湖の上空にぽっかりと入道雲が浮かび、そこを2匹の鷺が飛んでゆく。青空である。圧倒的な光である。なんかもうすさまじすぎる。
 食事はよさげな料理屋で。ソフトドリンクになりそうな雰囲気だったので、「空港まで車で来ようかとも思ったんですが、きっとこちらでお酒を飲むことになるだろうと思ってバスにしたんですよ」ということをすかさずアピールして、ビールをゲットした。昼間からビールで美味しい日本海の刺身。しあわせ。運転手の知事が飲めない状況で、知事の分まで瓶2本飲んだ。
 ちなみにこの席で母が「不出来な息子ですが……」と言ったところ、知事が「ふでき感激」と言い、これに関してはあとで母が「驚愕した」と告白していた。僕はなんだかんだで耐性がある。
 それからまた移動し、次は出雲大社へ。結婚式を出雲大社でする予定なので、その下見である。どうせ島根に行くのなら出雲大社に行きたいが今回そんな時間はないかな、と思っていたので嬉しい。しかし去年と同じで、大社はとんでもない陽射しだった。汗をかけないファルマンは完全にグロッキーで、いま出雲大社は60年にいちどだけ公開されるという特別な奥の間を、期間中の何日間かだけ公開するという期間になっており、たまたま今日がその日だったりしたのだが、とてもじゃないが無理だということで車まで逃げ帰った。母は帰りがけに、姉のための安産祈願のお守りを購入していた。いいね。
 結婚式を取り仕切る所にも話を聞いたのだが、どちらにせよ式をするのは来年の3月ぐらいになりそうなので、まだ申し込み可能期間でさえないのだった。のんびりである。
 出雲大社をあとにして、ようやく家か、と思いきやまだ周る。今度は海岸。海岸なのだった。車を降りて歩いてゆくファルマンの両親に聞こえないように、ファルマンにボソッと「海岸はいいから早く実家に行かせてもらえないかな……」と思わずぼやいた。
 本当にこの時間がいちばんつらかった。大社で汗をかいたことで、お昼のアルコールも時間差で効いてきたらしい。海岸のあとようやく実家へ向かう途上、助手席で眠ってしまった僕だった。ビール飲んで昼寝。彼女の実家に挨拶しに来た男とは思えないリラックス具合である。
 実家では1年ぶりに鹿の首がお出迎え。母には話してあったのでそれほど驚かずに済んだようだ。それを仕留めたおじいさまとも対面。挨拶を交わした。
 和室に通され、和菓子とかを食べながら歓談。
 ここで婚姻届の証人の欄をそれぞれの親に書いてもらいたかったので、その前に改めて挨拶をした。これまで結婚式の下見とかをしといていまさら、という感じもしたけれども。
 先週の僕の実家に来た際のファルマンも一応それをやって、その際に「私から唐突には言いにくいから、あなたから話をふってくれ」と言われ、帰る直前に「ぱぴこから話があるみたいだよ」とふったところ、「うわのそら」に「なんて不器用な振り方だ」みたいなことを書かれムカついていたので、今度は「お返しにあなたが話をふるように」と厳命した。その結果のファルマンのふり方が、場の会話が途切れた瞬間に、「ぱぴろー、ぱぴろー」と僕の名前を連呼する、というもので、もはや不器用とかじゃなくてぜんぜん用を成していなかった。
 そんでもって婚姻届を書いてもらったりしていたら、そろそろ帰りの時刻に近づいていた。帰りの飛行機は20時前ぐらいの出発で、つまり島根での滞在時間は8時間弱ぐらいなのだった。でも感じとしては割とのんびりとできた。日帰り島根旅行ってけっこう可能だ。
 ふたたび出雲空港に向かう途中で、僕のたっての希望で次女がアルバイトするドラッグストアに寄ってもらう。夕方からバイトだったため僕らが実家に辿り着いたときにはもういなく、せっかく島根まで来たのだからひと目会っておきたいと思ったのだ。母とファルマンと3人で店に潜入。レジをしていた次女とすぐに目が合い、驚かれた。これにて悔いなし。
 出雲空港へ。空港内のおみやげ屋で職場へのみやげを買い、知事から日本酒をプレゼントしてもらう。飛行機の時間になるまでレストランで軽く夕食。ここで出雲そばを食べる。
 出雲そばに関してはその前にちょっと気まずいことがあった。ファルマンから、「ぱぴろうは出雲そばがあまり好きではない」ということが両親に伝わっていて、これには語弊があり、別に好きでなくはないのだが、名物にするほどどう、ということもなくて、要するに「まあ蕎麦だなあ」というそのくらいの気持ちだったのだが、知事によれば「それは去年食べた店が悪かったんだ」ということで、出雲大社近くの店を指し示され、「美味しいのはこの店。この店の出雲そばを美味しくないって言うんだったらもう紹介する店がないわ」みたいなことを言われたのだが、「……ごめんなさい、去年食べたのこの店です」という、まあそんな感じのエピソードである。
 そしてそのレストランで食べた出雲そばはやはり、「まあ蕎麦だなあ」という感じの味だった。やはり今後もそばはもう諦めてもらって、日本海の幸的なものを期待したいと思う。
 そして飛行機、バスでたまプラーザ、タクシーで帰宅。帰宅は23時前。
 そんな風にして出雲行きはおしまい。愉しかったし、あんまりヘトヘトとかにもならなかったのでスポーティに満足できた。とりあえずこれで無事に籍も入れられるので、結婚式まで面倒くさいことはないな。よしよし。

2008.7.18

 というわけで仕事を終えて実家へ。
 本当は東京に憧れを持つファルマンの母へのおみやげとして、新宿の大行列のドーナツを買っていこうという案があったのだが、なんか暑さで翌日まで保たなそうな気がしたので取りやめた。
 実家には祖母と母。のんびり平和にちらし寿司とか食べた。
 祖母が「くれぐれもあちらに失礼のないように」と、あまりに何度も言うのでさすがにイライラし、「じゃあ失礼なことってなにさ!」と最後には言い返してみる。
 明日は日帰りで島根だが、実はそんなに朝が早いというわけでもない。でも実家ですることもあまりないので、モヤさまも見ずに零時ぐらいには寝てしまった。

2008.7.17

 明日の労働のあとそのまま実家に帰り、翌日は島根行である。今日はその準備などをした。ちなみに台風は逸れる感じなので大丈夫そうだ。ただでさえ飛行機でビビッているのに、そんなとき急に沖縄らへんに現れた台風に、度肝を抜かれていた。大事なことがあるタイミングで、僕は意外と台風を呼ぶことだと思う。
 そう言えば婚姻届の、自分たちで書く欄を本日記入した。僕の踊るような字と、ファルマンの愉しくともなんともない字が並ぶ。保証人は普通に親とかになりそう。

2008.7.14

 携帯電話を変えるにあたりまだ葛藤している。
 ドコモからナンバーポータビリティでソフトバンクに行くと結構なポイントがもらえて、4ギガのSDが欲しいと思っているので好都合だなあと思う(策略に見事なまでに嵌まっている)。ちなみに店頭で話を聞いたところ、月々の支払いは結局三千円ちょいで、無料通話分が20分ぶんぐらいあるのらしい。僕はファルマンが家族間で無料になるのなら、あとは義妹と2ヶ月にいちどくらいおしゃべりするだけなので、それで十分だ。
 しかし一方で今日、すごいセールを目撃してしまった。ドコモのP905が、その場で一括で払えば1万5千円だというのである。これは安い。べらぼうに安い。ちなみにドコモのP905とソフトバンクの920Pとは、ドコモ用とソフトバンク用にアレンジされた実質同じ商品である。なんだかんだで後者の契約が2年の月賦で、スーパーボーナスをどう捉えるかにもよるが結局は6万超の金を支払うのに対し、それは1万5千円なのである。これには揺らいだ。

2008.7.13

 ファルマンと僕の実家に赴く。出雲行きを1週間後に控え、ファルマンからの挨拶的な。
 たまプラーザに着いてまず美容院に行く。僕の行きつけの店。ファルマンもちょうど切る時期に来ていたので、じゃあ好都合だということでふたりで切ってもらうことにしたのだ。僕はいつも通りで、短くなってすっきりしたというだけ。そして少し遅れて完了したファルマンの仕上がりを見て驚いた。ファルマンが田園都市線の人っぽくなっていた。あのファルマンがだ。
 そんでもって実家へ。祖母もまだいた。姉は今日は来なかった。
 昼ごはんを済まし、ファルマンと車で買い出し。久し振りにIKEAに行ってしまう。座椅子とかスパゲッティを保存する容器とか、いろいろ欲しかったからだ。IKEAは前回行ったときよりもはるかに空いていた。それで玄関マットやらスパゲッティを保存する容器やらを袋に入れ、しかし座椅子がどこにも見つからず、なにしろ迷宮のような店の作りなので、これは店員に聞いたほうが早いと訊ねたところ、「欧米の人たちは座椅子は使いませんから」的なことを言われ、なんか非常になんとも言えない気持ちになる。恥ずかしさと憤りとやるせなさが渾然一体となった感情、この感情をいったいなんと名付ければよいのだろう。
 OKに寄って食料品とかを買って帰宅。
 家に戻り、OKで材料を買ってきたので母に餃子を作ってもらう。餡までを作製してもらい、こっちの家のほうで皮に包んでパリッと焼く作戦。久し振りのホーム餃子だ。
 帰る直前に、ファルマンがちょっと改まって祖母と母に向かって挨拶をする。祖母と母は「こんなんでよかったら」だの「絶対に一生金持ちにはならないけどいいの?」だのと勝手なことを言っていた。折鶴を1羽50万円でアラブの富豪に売って億万長者になる予定の僕に向かい、身内のくせにずいぶんと厚顔無恥な発言であると思う。

2008.7.6

 なかなか活動的な日曜日だった。
 まず午前中に、近所にあるらしいのだがこれまでいちども行ったことがなく、どこにあるのかも分からずにいたスーパーへ、ネットで場所を調べてわざわざ行ってみる。僕は割とスーパーが好きだ。ちなみにこの炎天下のお出掛けは、当然ながら僕ひとりである。ファルマンは午前中なのでまどろみの中。そしてスーパーの感じは微妙だった。
 お昼を食べて、しばらくダラダラ過ごした後、夕方になりファルマンと荻窪に出る。先日例の夫妻に教えてもらった、西荻窪のレンタルショーケースの店を見にゆくため。
 しかしここで僕の中の悪い虫が騒ぎ出し、「西荻窪まで歩いてみようよ」と提案する。これが大失敗だった。どうも僕の中には「ひと駅は歩ける」みたいな認識があるのだが、やってみると意外と歩けない。ひと駅って、駅を設置するだけあって、やっぱり割と離れているのだ。別に迷ったわけではないが、かなりヘロヘロになった。阿呆である。しかも時間が6時半を過ぎてきたあたりから、「そう言えば店が7時までだったらどうしよう」という心配も出てきて、すっかり険悪なムードになる。こうして僕らのデートの頻度はどんどん下がってゆくのだ。
 それでもなんとか西荻窪の町までたどり着き、店にも行き着く。7時3分前くらい。でも入店してカウンターの人に「時間は大丈夫ですか?」と訊ねたら「8時までだから大丈夫ですよ」とのことだったので、取り越し苦労だった。それでのんびりと店内を眺め、ほほうと感じ入った後、箱を借りるための登録を申し出た。借りられるのはだいぶ先らしいけど、とりあえず用件が済んでよかった。
 そのあとファルマンは帰宅なのだが、なんと僕はもうひとつ用事があった。職場のメンツとの飲み会である。1日に用事がふたつあって、ひとつの用事で出掛けたあと一旦帰宅して家の畳のにおい嗅いで落ち着くことなくそのままもうひとつの用事に移行するなんて、まるで用事の上級者のようだなと思いちょっとテンションが上がる。
 飲み会は9時から2時間ほど。ひたすらにビールだけ飲んだ。美味しかった。
 ここで結婚のことを打ち明け、驚愕される。これまでは恋人がいることも話していなかった。
 「あっ、じゃああのときのケータイの待ち受け画面は、彼女の写真か~!」と、例の同僚から、気付いちゃったぞ風に言われ、「……いや、彼女の妹の写真」と答える(ドン引きされた)。それと、彼女は本棚に二次元ドリーム文庫が100冊並んでたり、毎月「SEVENTEEN」や「Hana-chu」を通読したりすることを嫌と言わないのか、と質問され、別になんにも言わないよ、と答えたら感心された。えー、でも俺ミクシィやらないしユーチューブ観ないし、そういうのやる人よりもよっぽど気持ち悪くない人間だと思うんですけど。
 飲み会はまあまあ愉しかった。日本酒を飲まなかったのでスカッと醒めてスポーティな感じ。
 零時ぐらいに帰宅する。アクティブな日曜日でした。

2008.7.4

 これまで自分でも気付いていなかった性癖と言うか嗜好なのだが、僕はどうも陰毛のことが好きだ。かわいい女の子がいたとして、僕はその子の陰毛さえ見られれば十分に満足できると思う。
 しかし現実には、女の子の陰毛を見ることのできる機会というのは非常に少ない。なんの計算式もないが、おそらく乳首よりも確率として低いだろうと思う。いや、別に乳首も見られねえけど。

2008.7.1

 1日なので「SEVENTEEN」などのいつものラインナップを読む。月の頭にそれらが一斉に発売され、内容をチェックすることで、今月もがんばろう、という気分にさせられるのはとても理に適ったことであると思う。さすが世の中ってよく考えられている。
 今月おもしろかったのは「SEVENTEEN」と「nicola」。今月はそろそろ夏休みのため、話題は学校での過ごし方とかじゃなくて、夏を一緒に過ごすための異性関連の特集が多かった。読んでいて、女子ってこんなにも男子の目を気にし、男子と遊びたがっていたのか、と改めておののいた。本当に、なぜこの情報が高校生当時の自分まで伝達されてこなかったのだろう。今からこうしてブログなどで喧伝していれば、人づてに時空を超えて、当時の僕にメッセージが届きはしまいか。女子中高生は割と男子の裸とか見たいに違いないよ、とか。もっともこの情報などはうっすらと、現代の僕だってまだまだ活用できるのではないか、僕の裸だって女子中高生は見たくないことはないのではないか、と思う部分はあるのだが、さすがにもうちょっと失うものが大きくて実験することは不可能だ。保守的な大人になっちまった。なのでやはり高校生の自分に声を届ける必要があるのだ。届け、届け。君に届け。
 ちなみに今回の通読でもっともおもしろかったのは「nicola」の、紹介されているコーディネート(CD)に付されていた、編集者による煽り文句、
「マリンボーダー×デニムって誰しもが愛しちゃう!」
 で、この「誰しもが」という言い回しに、そう言えばこの「告ハグ」(告白&抱きつき)とか「色ち買い」(色違い買い)とかホザいてる雑誌を作っているのは立派な大人なんだよな、と気付かされハッとしたのだった。「誰しもが」って。

2008.6.29


設置してないウェブ拍手レス

>誕生日おめでとうございます!
 ありがとうございます! 34歳になりました!

>papiro先生、おにぎり太郎を殺さないでください! 大ファンなんでショックです!
 おむすび三太です。

>僕も思います、本当に最近の政治は腐ってますよね!
 政治の話は一切していません。

>「世界は消えなかった蒙古斑であふれてる」、いやはや納得です!
 そんな話もしてないです。

>おもしろすぎです! 腹がよじれました!
 そういうのいいです。

>思わずコーヒー噴き出しちゃいました! こりゃあキーボードの修理代をいただかないと(笑)
 そういうのほんとうにいいです。

>発想が秀逸ですよね。マジ神です!
 マジ神じゃないです。

>16歳、高校2年生、千葉県在住、天文部所属です。
 よろしくお願いします。

>私もカントの純粋理性批判が専門なので、このブログはたいへん興味深いです。
 本当にごめんなさい。

>悪魔に蝕まれし傷ましき心は新月の晩の情交によってのみ癒される……。
 了解です。

>まひろさんの電話番号を教えてください。
 頭に浮かんだ16桁の数字をダイヤルすればいつでも繋がります。

>動物のあくびシリーズが好きです。あれもっとやってください。
 やったことないです。

>恋人さんのエピソードに爆笑しました。本当に味噌汁って爆発するんですね!
 しないと思います。

2008.6.29

 


2008.6.29

 ひいひいおじいちゃんが亡くなりました。ショックです。
 お母さんは、102歳の大往生なんだからむしろお祝いしてあげなきゃダメよって言うんだけど、まひろはまだぜんぜんそういう風には思えない。今でも瞼を閉じると、ひいひいおじいちゃんの笑顔が浮かんできて、まひろはえもいわれぬ気持ちになる。
 ひいひいおじいちゃんとまひろの結びつきは、やっぱりなんと言っても学年題俳句。まひろの学年題俳句の先生は、ひいひいおじいちゃんだったから。最近まひろは部活が忙しくってあんまり作れてないけど、それでもひいひいおじいちゃんが口にした句を紙に書き写すのは、毎晩まひろの役目だったんだよ。
 まひろがいちばん好きなひいひいおじいちゃんの句はこれ。
『かつて乳輪は目測で長さを計る基準になっていたんだよ』
 はじめはまひろ、これが句だってことに気付かなくって、なんかひいひいおじいちゃん、いきなり昔の人々の暮らしの知恵を披露してくれたんだな、ってただ思ってたんだけど、そうしたらいきなり「メモれ」って言われて、そこでやっと、ああこれ俳句なんだ、って判ったの。でもその時点でもうまひろの頭の中には、江戸時代の町人が奥さんの乳輪を使って障子の紙の寸法とかを測る図がすっかり浮かんでたから、やっぱりそういう意味でこの句がいちばん印象に残ってる。
 ひいひいおじいちゃん、きっとまだまだ学年題俳句やりたかったんだろうな。だけどきっと今は天国――ううん、天国とはなんか別のどこか、乳輪を使ってものの長さを測る世界で、ひいひいおじいちゃんは愉しく暮らしてるんだ、って、そうだったらいいな、って思うんだ。ひいひいおじいちゃん、まひろ、あの時は恐怖のあまり答えることができなかったけど、まひろの乳輪は約2,7センチメートルだよ。
 まひろ思うんだ。これからはひいひいおじいちゃんの分まで、まひろが学年題俳句をがんばってゆこう、って。高1のまひろが学年題俳句を作ると、破皮狼さんが言うにはどうしても「萌え光線逆照射現象」っていうのが起こってしまうらしくって、それを気にしてあんまり作る気持ちになれなかったんだけど、でもひいひいおじいちゃんが死んだことを通して思ったの。そんなこと言ってる場合じゃないんだ、って。人生は長くて短いんだよ。だから一瞬一瞬を力いっぱい生きていかなくちゃいけない。高1のまひろには、高1のまひろにしか作れない、高2の学年題俳句があるんだと思う。
 そうだよね、ひいひいおじいちゃん。
 まだひいひいおじいちゃんの名前は継げないけど、まひろはずっとひいひいおじいちゃん――ううん、おむすび三太っていう俳人のこと、忘れないよ。
 ありがとう、そしてさようなら。ひいひいおじいちゃん。

2008.6.29

 
 一部の報道により既にご存知の方も多いと思われますが、先日おむすび三太先生が、持病の癪でお亡くなりになりました。そこで今晩はおむすび先生の追悼企画と致しまして、先生と親交の深かった田村泡の助先生、金沢一先生両氏をお招きし、生前のおむすび先生の人柄や逸話などを振り返ってゆきたいと思います。両先生とも本日は宜しくお願い致します。
 田村泡の助(以下:田)「お願いするでござる」
 金沢一(以下:金)「よおひくおへはいひはす」
 まずは両先生とおむすび先生のご関係から聞いていきましょう。金沢先生は飴を舐めていらっしゃるので、先に田村先生からお願いします。
 田「うむ。おむすび氏と拙者の結びつきは、やはり学年題俳句ということになろうかの。完全に句会でしか顔を合わさなかったがゆえ、作品以上のことは知らん。しかしひとつ言えることとして、儂はおむすび氏の作品のことが嫌いではござらんかった。句会員の内には、氏の定型を蔑ろにした句を嫌悪する輩がおったのは事実じゃが、拙者はそれもまた味であるとして認めておった。おそらく氏もまたそのことは感じ取っておったんじゃなかろうかと思うの。氏が儂を見る目にだけは、他の句会員に氏が向けていたような敵意はついぞ感じ取れんかった。直接話をしたことは実はいちどもござらんが、思うに氏は拙者になんかしらの救いを求めていたんじゃないかと思うんでござる。儂にはそんな風に思えてならんのじゃで……」
 なるほど。田村先生、キャラクターがまるで定まらないなかでありがとうございました。続いて金沢先生、飴は舐め終わりましたでしょうか。あ、大丈夫ですか。それではお願いします。
 金「おふすひさんとわらひのはんへいはへすね……」
 えっ、ちょっと待ってください。飴はまだ口の中にあるんですか。あ、舌の裏に隠してたんですか。なんでそんなことするんですか。
 金「それが、自分でもよく解らないのです。気付くといつもこんな調子で……」
 あ、でも別にちゃんと喋ろうと思えば喋れるんですね。じゃあお願いしますよ。
 金「おふすひさんとわらひのはんへいはへすね……」 
 あちゃー。
 田「司会者殿」
 はい、田村先生なんでしょうか。あ、単なる挙手かと思ったらピースじゃないですか。オシャレですね。
 田「平和への祈祷でござる」
 大事ですね。でも今はどうか、おむすび先生への哀悼のほうでお願いしたいです。まあいいですけど。それで、なんでしょうか。
 田「おむすび氏の句で、それがしの最も好きな句はなんでしょう」
 「なんでしょう」? えっ、もしかしてクイズですか?
 田「チッチッチッチッチッチッチ……」
 わあ、時間計ってるじゃないですか。ぜんぜんクイズなんですね。勝手クイズがもう始まってるんですね。えーと、問題は、田村泡の助先生のいちばん好きなおむすび三太先生の句ということですが、うーん……、ああでもないし……、こうでもないし……、あ、分かりました! わたし、その答えに興味がないです! どうですか、大正解でしょう!
 田「それは、『フレー、フレー、あたいたちおんなのこ』でござるやろ」
 ご、ござるやろ!? 先生いろいろ自由すぎますよ! まあいいですけど。えっと、その句は高校1年生の学年題「フレー」の句ですね。たしかにいい句です。定型をまるで守ろうとしていない感じも、おむすび先生らしさがよく出ていると思います。
 金「いやあ、私はむしろこちらの句のほうが好きですね」
 あ、金沢先生。ぜひおねがいします。
 金「『宇宙に散らばる数限りない星々のなかで、地球という一軒家に生まれたきょうだいであるはずの僕らなのに、どうしてこの世からはチャンネル争いがなくならないのだ……』」
 そんな句ないですよ。
 田「いや、ある」
 田村先生。本当ですか。あるんですか。私、勉強不足で知りませんでした。
 田「この句は、紀元前3000年ごろ、ジャスニン川沿岸で栄えていたと言われるニンジャス文明、ここに生きた人々の信仰の対象は炎であり、毎月満月の晩には3匹の子豚を火で炙り、それはそれは美味しく召し上がっていたそうでごじゃる……」
 はい。了解しました。ではですね、私の好きなおむすび三太先生の句をここで発表させていただきたいと思います。それはやはりおむすび先生最期の作品、つまり辞世の句と言ってもいいこちら、『お姉ちゃん泣き虫毛虫でもそんなお姉ちゃんがみんな大好き虫だよ』で、私はこれを目にしたとき、おむすび先生の6姉妹への愛情を強く感じたのです。6姉妹がそれぞれ離れ離れになる日のことを考えると、高3の長女はどうしても泣き虫になってしまう、そんな長女のことを泣き虫毛虫とからかう妹たちですが、しかし妹たちは自分たちが、紛れもないお姉ちゃん大好き虫であることを自覚しているのだ、という、これはやはり102歳で、実際に16歳の玄孫がいたおむすび先生だからこそ作れた句だと思うのです。ここまでの境地にたどり着くのは、15歳の田村先生、8歳の金沢先生にはまだ厳しいと思われますが、今後もどうか切磋琢磨して、学年題俳句の気運を盛り上げていっていただければと願います。それでは両先生、本日は本当にどうもありがとうございました。
 田「かたじけない」
 金「はりはほうほはいはひた」

2008.6.27

 とは言えこの場で言いたいのはそういうことじゃなくて、なにかと言うと、僕が区役所へ向かって歩いていた時、僕を抜かしていった自転車の女子高生の、シャツを羽織っただけの背中には、水色のブラジャーが割とはっきりと透けていた、ということであり、しかしただブラジャーが透けていただけでは僕だってさすがにもう、24歳で、籍を入れるための戸籍謄本を取りにゆくその状況で、それほどまでは興奮しないのだけど、それでは僕は一体どこで心が動いたのかと言えば、僕が労働を3時で切り上げ、その日その場所にいたのはまったくもって偶然であり、だがその偶然があったからこそ僕は彼女の透けるブラジャーを見ることができた、そうでなければそのブラジャーは見られなかったのだ、という到達にこそである。
 この「見られなかったブラジャー」という概念は発見であると思った。
 もう2ヶ月くらいも前になるが、GWにファルマン3姉妹がさほど広くもないというペンションの風呂に一緒に入ったというエピソードを聞いて、いてもたってもいられない気持ちになった僕は、「世界は「実らなかった甘酸っぱさ」であふれてる」という真理を得ることで気持ちを落ち着けたわけだが、今回もそれと同じ事情だ。「世界は「見られなかったブラジャー」であふれてる」。
 この「見られなかった」には、僕視点からの「不可能」と、ブラジャー視点からの「受身」というふたつの意味が含まれている。世の中には、見ることができなかったブラジャーと、見られないままお風呂のとき外されたブラジャーばかりがある。「甘酸っぱさ」の時と一緒で、僕は今回もそれをたまたま獲得したことによって、その背後にある圧倒的な喪失に思い至ったのだった。
 現時点で僕はこう思う。世界は「実らなかった甘酸っぱさ」と、「見られなかったブラジャー」にあふれてる(これはきっとそのうちもっと項目が増えてゆくことだろうと思う)。
 2ヶ月前の前者の発見の記事では、僕はそのことに対し、いいとも悪いとも書いていない。ただ発見したことだけを書いている。自分でもよく分からなかったのだろう。でも今の僕なら分かる。これはいいことだ。存在しない豊穣こそが、目の前にある芽生えを輝かせるのである。
 そのことを踏まえつつ、しかし限られた人生の期間で、僕はなるべく「見られなかったブラジャー」を潰してゆきたいと思う。そうして「ブラジャーが見られた」ところで、どうせその背後にある桁違いの「見られなかったブラジャー」には敵わないのだとしても、それでもなお僕は、自分がこの世に生きている意味とかを確かめるために、僕は――。

2008.6.25

 労働を早めに切り上げて、実家のほうへ行く。区役所にて先日の、年金とか保険とかのあれこれを処理するため。非常に面倒臭かったがなんとかなった。まあこれでひと安心です。
 ついでに戸籍謄本をもらう。戸籍謄本をもらったら実は養子だったりはしまいかと、24歳にもなって、婚姻のためにそれをもらう段にもなって、なお期待するが、なんのことはなく実子だった。だけどまだ病院で隣の外国の王族の子と取り違えた可能性は残っていると思う。
 ところで今日はちょうど叔父が出張でこちらに泊まりに来るということで、祖母もこちらにいるし姉も暇だしということで、ファルマンも呼んで義兄の店で食事にでもしようか、という話になっていた。なんかひょいっとうまい具合にこちらの親戚が全員集合なのだった。叔父とファルマンは初対面。
 義兄の店は2回目。その日限りのおすすめメニューみたいなのを、おそらく義兄の手によるものなのだろうが、筆ペン的なもので書いたものが壁に貼られるようになっていて、まあそうだよな、どうしたって本人が書くほかないよなあ、と思った。それと義兄の店は7月から土日だけ昼からオープンとなり、道に面した壁を開放しテラスのようにして、ちょっとしたビアガーデン的な感じにするのだという。なんかそれってすごくいい感じなんじゃねえの、と思った。
 母にそろそろ籍を入れる、という話をしたら、「じゃあ挨拶に行かなければ」みたいなことを言い出し、それはそうなのだろうが、それはたしかにそうなんだろうけど、正直(えー)、と思った。僕の心のなかに、島根だから免除なんじゃねえ? という気持ちがどうしてもあった。でも「そんなわけにはいくか」みたいに言われて、まあそうか、やっぱそうか、と思った。
 義兄の店から、帰宅する母らの車に同乗してたまプラーザまで送ってもらう。そんでファルマンと電車で帰った。渋谷からは初めての副都心線でちょっと興奮したのだけど、乗ってみたら地下鉄なのでどうってことなかった。地下鉄って結局どうしたってつまらないと思う。

2008.6.23

 6月いっぱいでこの日記を中断し、それからの半年間を充電期間にしてはどうか、と唐突に思ったのだが、これからの半年間はきっと結婚とかしたりするので、後々のことを考えればやっぱり記録しといたほうがいいんだろうな、と思ってやめた。でもそう考えると僕の一生において、書く必要のない日々なんて存在しないだろう、とも思った。

2008.6.20

 ところで今年って去年よりもシャツが透けてブラが覗ける女の子がよく見られはしないだろうか。気のせいだろうか。街を歩いていると、どうもそんな気がしてならないのだ。もしかすると風が吹けば桶屋が儲かる的な感じで、ケータイ小説がああで、ヒルトン姉妹がこうで、ラニーニャ現象がそうだと、ブラが透けることに対して無頓着の少女が増える、みたいな仕組みがあるのかもしれないと思う。そして今年の今の時期はちょうどそれが高水準で噛み合っているのかもしれない。そのおかげで毎日、精神的にすごく助かっている。今はそんな風に、誰かが生み出したバタフライ効果の影をうっすらと感じることができる程度だけど、修行を積んで7年後ぐらいには、僕自身がその気流を作り出せればいいなと夢想する。山に篭もって苦行とかやってる僧侶っていうのは、大抵そういう目的でがんばっているんだろうと思う。

2008.6.19

 労働終わりに区役所に立ち寄り、転入届を提出した。これにて僕は都民となったわけか。なんということもない。たとえば僕が島根県出身なら「都民」という言葉に憧れもあったのだろうが、元が浜っ子ならば寂寥感しか湧いてこないなと思う。港が懐かしい。行ったことないけど。
 ところでその手続きの窓口で、係りの区役所職員に「字が上手ですね」と褒められたのだった。すごくよく言われるんです、とは返さなかった。途中で記入部分に不備があり、その職員の目の前で事項を書き込んだのだが、またそのときにも「いやー、しかし字が上手だ」と改めて褒められた。でもそれはすぐに「――ペンの持ち方はそんな変なのに」と続き、あちゃー、と思った。

2008.6.18

 下の句は後付なので割とどうでもいいのだが、「混浴」を「pee*pee*mur*mur*」に「歳時記」で邁進したときに例として掲出した、「セックスが混浴の奥に立ってゐた」という句が、自分の中であまりにもおかしかったので、こちらにも残しておきたくなった次第。
 たまに詠むこの「奥に立ってゐた」シリーズは、もちろん渡邊白泉の「戦争が廊下の奥に立ってゐた」を元にしているのだが、はじめは「ブラジャーが廊下の奥に立ってゐた」とか「セックスが廊下の奥に立ってゐた」と割とまじめだったものが、いつしか「センパイが廊下の奥に立ってゐて橙色の股間の膨らみ」になり、「失恋が廊下の奥に立ってゐてそれでも渡すチョコなんだもん」になり、ついには「セックスが混浴の奥に立ってゐた」になってしまったわけで、その変遷がなんかすごいな、と思った。「戦争が廊下の奥に立ってゐた」でそれなりに感動した僕の心は、一体いまどこへ行っちまったんだ。

2008.6.17


     卒業旅行

 箱根に行こうか伊豆に行こうか。リツコは関西の芸術系の大学に行くし、メグミは春から実家の手伝いをするし、私も地元の短大に進学するから、春からはみんなバラバラだね。でもこの3年間、ホントにホントに愉しかったよ。ふたりと親友でよかった。そんなふたりと、最後にもうひとつだけ思い出作り。温泉入って、浴衣とか着て、お布団並べて、そこでずっとおしゃべりするんだ――。

 をとめごら卒業旅行の切符買ふ   近藤虹十字
 願わくばパンチラ卒業旅行哉     吉田傀儡太
 卒業より逃れるための旅行かな    手嶋歌子



     卒業式

 わあ、もう海が見えてきた。あっという間だねー。あーワクワクするー。メグミったら、この旅行じゃ卒業式のときみたいに泣かないでよ。なにそれー、ウチそんな泣いてないよ。って言うかリツコのほうが泣いてたじゃん。なに言ってんの、メグミひどかったよ。ウソだー。ねえねえミカ、ウチとリツコ、どっちのほうが泣いてたと思う? ――え? あ、ごめん、ちょっとボーッとしてた。もー、ミカったら卒業式のときからそんな感じなんだから。まあまあリツコ、そのためにこの旅行があるんだから――。バカ! それは内緒でしょ! あっ、ごめん! ……???

 卒業式夏の放課後をとめごら      嘴亭萌え狼
 卒業式祖父の遺影の舞い上がり    ありがとう代々木
 あるほどのスカート脱げよ卒業式   金沢一



     混浴

 高3の卒業旅行なんて、きっと実際すごくふしだらなんだろうな、と思う。絶対に別グループで男子も一緒の旅館だと思う。それはメグミと、メグミの彼氏のハルオが画策してのこと。だってユウスケはずっとミカのことが好きで、ミカもずっとユウスケのこと好きだったのに、ユウスケの双子の弟のコウスケに気を遣って、お互いの気持ちを隠したままなんておかしいよ。だってコウスケはもう2年も前に、1年生の春に死んだんだよ。もうコウスケだって許してくれるよ。ほらミカ、ユウスケとこのまま離れ離れになってもいいの? えっ、離れ離れって――? ミカやっぱり知らなかったんだ。ユウスケの奴、そんなことまで隠してたんだね。あのねミカ、落ち着いて聞いて。ユウスケ、春になったら世界中の貧困地域を巡って、恵まれない子どもたちを支援する活動を始めるつもりなんだよ。う、うそっ……。だからウチとハルオで、この旅行を計画したの。隠しててごめんね。だって教えたらふたりとも、来てくれないと思ったんだもん。ホントに依怙地でじれったいんだから。メグミ、わたしたちのために……えっ、じゃあリツコもグル? (コクリ)。そりゃあ一時期わたしはユウスケくんのこと好きだった時期もあったけど、ミカとユウスケくんの愛の前には完敗。あのね、知ってる? ユウスケくんったら、わたしとのデート中に、わたしのこと何度も「ミカ」って呼んでたんだよ。だから絶対に、ふたりはしあわせにならくちゃ承知しないんだからっ。……リツコ、ごめん。やだ、謝らないでよ、謝られたら、私がみじめになっちゃうじゃない。…………ごめん。ほらまたー。ふふふ。あはは。ほらほら、ミカとリツコの美しい友情はそのへんにして。夜はまだまだ長いけど、3年間の募る思いをぶちまけるには、ちょっぴり短すぎるんじゃない? 急ぎなよ、ミカ。……うん! わたし、伝えてくる。この3年間、ううん、もっとずっとずっと前から、ユウスケのこと好きだったってこと! ちょっと待った、ミカ! 忘れもの忘れもの。……これって? 見ての通り、浴衣だよ。なんで浴衣? だってミカ、これから温泉に入るでしょう。だったら浴衣持っていかないと。えっ、だって私はユウスケと、……えっ、えっ、えーーーっ! 3年間の募る思いってそういうことぉ!? まっ、待って待って! そんな、まだ、ぜんぜん、心の準備ができてないよ! ホラホラ、ごちゃごちゃ言わずに行った行った。人は私たちで止めとくからさ。ユウスケとゆっくりしてくればいいよ。だ・け・ど――くれぐれものぼせすぎないようにね。キャハハハハハ。も、も、もぉーー、メグミとリツコの意地悪ー!

 をとめごの混浴やがて島となる      斉藤ワッフル
 セックスが混浴の奥に立ってゐた    田村泡の助
 いまわたし二重の意味で混浴です    おむすび三太

2008.6.17

 食後「歳時記」をやろうとして、しかし相変わらず高3の学年題が不足していたためファルマンに助けを求めたところ、「便秘は?」と言われる。却下である。便秘はちょっといただけない。それならまだ下痢のほうがいい。次に「じゃあコーラックは?」と言われる。これもいまいちだ。とにかく便秘から離れてほしい。「それじゃバファリン」。薬つながりで来たか。うーむ……それもなあ、と思う。「ならばいっそのこと「生理痛」と素直に言ってしまうのはどうか」、とこれは僕の言葉だ。しかしその直後、「あ、でも「生理痛」は中3だよなあ……」と悩む。「知らねえよ」とファルマン。だが続いて、「でもまあ生理がきちんと痛みとして毎月決まって来るようになるのはけっこう成長してからだから、高3でいいんじゃない?」とアドバイスをくれる。なるほど。ためになるなあ。これでこそ一緒に暮らしている甲斐があるというものだ。「そうだ、どうせだから「生理痛」じゃなくて「ST」にしたらいいかもしれない」、と気付いたのは当然ながら僕だ。その様子を無表情で眺めるファルマン。そして僕はふと思い至る。「……あれっ、でも高校3年生って生理痛のことSTって言わなくない?」それに対しファルマン、「誰も言わねえよ」。
 そんな苦労の会話の末にできあがったのが「高校3年生 その4」で、結局「生理痛」も「ST」も今回の3本からは見送ったのだった。それにしたって今回のこれは歳時記じゃまるでなくて、なんて言うんだろう、なんて言えばいいのかまったく分からないけど、とりあえずこれを書いているとき、僕はとても愉しかったです。かしこぬ。

2008.6.15

 純粋理性批判のシャノマトペの行に付箋を貼る、という作業が、そろそろめぼしい作品に関してやり尽くしてしまってきていて、なんとなく物悲しい。しかしその物悲しい気持ちの中で最近発見したこととして、その作業をすると1冊の本の上部に、10枚ほど付箋の先っぽが連なるわけだが、その状態になった本を10冊くらい重ね、その言わば付箋の草原なるものに、撫でるように掌を滑らせると、これまであまり味わったことのない快感が得られる、というのがある。付箋は別に特定していないため、いろいろな厚みや幅のものがあり、そもそもページからはみ出している長さもまちまちなので、それらが絶妙の感触を生み出すのだろうと思う。そろそろ迎えるレーベル100巻到達の暁には、100冊でそれをやってみたい。そうしたら1冊の厚みが1,4cmくらいだから、100冊だと140cmで、140cmってあれだな、なんかあれだな、と思う。わくわく。

2008.6.15

 9時間以上寝た。気持ちいい。
 気持ちいいで思い出したけど、たしか2週くらい前の「週刊プレイボーイ」だったと思うが、スピード社製の水着についての記事で、「水を吸ったスピード社製の水着は締め付けが強くなり気持ちよくなってしまう。これではスピード社製ならぬスピード射精!?」という記述があり、すごく嬉しくなったのだった。みなさんおはようございます。

2008.6.13

 ところで最近のファルマンとの会話のなかでの僕のブームとして、「てことーん!」というのがある。これは「……ってこと?」を言い換えたもので、「えっ、じゃあ俺たちは腹違いの姉弟…………てことーん!」という風に使う。これが今すごく愉しい。すごく使ってる。
 えっ、じゃあ、「もう飽きた、いい加減にして」って言われるのも時間の問題……てことーん!

2008.6.13

 ファルマンからの報告によると、今日彼女の乗った電車で近くにいた女子中学生が、
「おならって地球温暖化の原因になるらしいよ!」
 という話をしていたそうだ。それだけでもおもしろいのだが更に、
「じゃあなるべく我慢しなくちゃいけなくない?」
「でもそうしたらわたしのカラダが地球温暖化しちゃうんだけど!」
 とその会話は続いたのだそうだ。すごい! すごいすごい! こういうのを聞くたびに僕は、どこまでも前向きにこの世界で生きていけるような、そんな気持ちになることだと思う。
 「私の体が地球温暖化」っていうのがとにかくいい。これを屁ではなく恋心とかと絡めて、主人公の女の子をボランティア部にすればいいのだ。「胸のCO2が吐き出せないばっかりに、エリカの心は地球温暖化、南極の氷も解けちゃうんだぞえ」みたいな。

2008.6.12

 帰宅して「ラスト・フレンズ」を観る。相変わらずすごい展開。
 ファルマンとミチルの気持ちについて、「もしも自分の親友が性同一性障害で、恋愛感情を持って自分に接していたらどんな気持ちか」と語り合うが、語り合っている途中で互いに「あ、自分、親友いなくね?」ということに思い至り、これじゃあ「ラスト・フレンズ」ならぬ「ノー・フレンズ」だね、アハハハ、と笑い合った。ホガラカノイロオゼ! カシコン!

2008.6.11

 高校3年生ともなるともう割と女性であり、少女の象徴とも言える制服に違和感があったりする、ということについて考えていて思ったのだが、高校3年生が毎日着用するそれは、誰によって選択されたものかと言えば、それとは中学3年生なのだった。中学3年生こそが、高校3年生の服装を定めていたのだ。なんかこれっておもしろくないか、と思ってファルマンに話したところ、「んなこと言ったらぜんぶそうじゃん」みたいに返されて、まあなあ、と思った。すべての選択は、過去の未熟な自分がすることだ。言われてみたらそうだった。けれどそれによってこの発見の価値がまったくなくなったかと言えば決してそんなことはなくて、だって「中3」「高3」「制服」というキーワードが入っているのだから、この話はなんかしら膨らませられ、なんかしら感動に結びつくだろうと思う。なやむけどくじけない。

2008.6.10

なのでやっぱり夏になると、男子の煩悩をダイレクトで突いてくるグラビアこそが、正義であるように思えてくる。そんな僕がいま注目しているグラビアアイドルは、外岡えりかと篠崎愛のふたりで、特に後者の、身体は発育するわ顔はいい感じに垢抜けるわ(基本的なあどけなさは十分に残しつつも)の最近の感じはすごいな、と思う。僕が中学生の頃、家に帰ったら部屋に女の子がいたりすればいいのになあ、と考えていたときの、その女の子って、そのまま篠崎愛だったんじゃないかと思う。

2008.6.9

 そのあともうひとつの目的で、区役所に行く。これまで2年に渡ってそのままにしていた、住民票を移すということをする。これはなぜかと言えば、なんかもうそろそろ結婚するかもしれないわけで、その伏線ということである。
 しかしその手続きの際、窓口の人に、「国民年金が……」とか、「社会保険が……」とかいろいろ言われ、大体は理解できなかったのだけど結局は、未払いだったわけではなくむしろ逆で、なんかそれとそれは同時に払う必要のない理屈のもの、という感じのものを、どうも払っているかもしれない疑いがあるとかで、確認の必要があるとか、そういうことらしかった。分からん……。こういう話になるたびに、みんなこういうのを、いつどの段階で習ったのか不思議になる。絶対に習わなかったと思う。それとも僕が頭の悪い高校に通っていたからだろうか。とりあえず労働先とかに相談してみようと思う。と言うか誰か30分くらいかけてここらへんの理屈を僕に説明しておくれよ。どうも僕、その日学校休んだっぽいよ。

2008.6.8

 ファルマンがワンピースを2枚買う。そのうちの1枚は「僕も着られそうだ」という理由で半額出した。ロングパーカーのグレーのワンピースで、裾やフードの内側にレースがあしらってあるもの。シンプルだけどなかなかかわいくて、好きな感じ。Tシャツなりパーカーなりの、ロング仕様でワンピースとして着るタイプのものは、ファッション雑誌を眺めながら前から気になっていた。これなら俺も違和感なく着られるんじゃねえの、って。
 家に帰ってから、先ほど実際に、ファルマンよりも先にワンピースに袖を通してみる。まあ想像していた程度の、8掛けくらいのクオリティで満足できた。乳房とかを作ればもっとシルエット的によくなると思う。だいたいそんな感じ。

2008.6.8

 女性の「愛液」は、男性で言う「カウパー氏腺液」的な名称はついていないのだろうか、ついていないのだとしたら「パピロー氏腺液」というのはどうか、と思って暮らしているのだが、この歌では試みにそれのことを「柘榴紅茶」と表現してみた。言い得て妙と言うか、なかなかいいと思う。それにしてもリプトンの発見からわずか数日にして、僕はまた学年題俳句の次の階梯に進んではいまいか。俺はあれか、最終兵器彼女か。「わたし、また強くなってる――」か。

2008.6.7

 昨夜遅くに帰ってきたファルマンは、なんかいきなり泣き出して、非常にタチが悪かったのだった。僕は眠かったこともあるし、なにより飲み会で悲しくなったような人間を慰めてあげるような、そんな無駄で阿呆なことはしたくなかったので、「とっとと寝ろ! 俺も寝る!」と言って眠った。
 そうして土曜なのに労働に出掛け(ファルマンはもちろん寝ていた)、帰ってきたら、昨晩の僕の冷たさについてファルマンが怒っていて、本当にもうなんて面倒くさい女だろうか、と思った。もちろん僕はまったく下手に出ることはなく、「出ていけ」だの「出ていく」だのあっちが吼えるのを適当に流し、そうしていたらしばらくして頭が冷えたのか、ようやくファルマンが態度を改め、それを心の広い僕は普通に許してやったのだった。こう書くと、本当にすばらしい人間ですね。
 お酒を飲んで悲しくなる人間とか、本当に理解できない。僕なんか飲み会前夜は愉しみであまり眠れないし、実際に飲みはじめると圧倒的な「愉しさの泡」みたいのが全身を包み、しかしそれを全ては味わい尽くせない自分を歯がゆく感じて、ジタバタして、なんかもうとにかく気持ちが盛り上がってゆく。だから要するにとにかく愉しいのだ。せっかく一食に3000円ほどという考えられない金額を費やすのだから、そのくらいの効果は得られないともったいない。ましてや悲しくなるなんて、あまりにも馬鹿げていると思う。

2008.6.6

 ファルマンが会社の飲み会で帰りが遅い。ひとりで過ごす夜はGWとかぶりだろうか。冷凍のごはんと冷凍のカレーで夕食を済まし、浮いた食費分で260円もするプリンを買って帰った。ホイップクリームがたくさん乗っかっていて美味しかったです。かしこん。

2008.6.3

 純粋理性批判への情熱が下がってきていると言いながら、やはりそればかりを読んだ1日だった。とは言え僕の現在の読書時間と言ったら、労働に向かう電車移動の時間のみなのだから、そればかり読んだと言ってもせいぜい往復で30分ほどだ。
 読む際は相変わらずシャノマトペの行に付箋を貼るという作業をしているのだが、これがそれなりに混んでいる電車だとさすがに少し気になったりもする。混んだ電車でたまに、前の人の読んでいる本なり新聞なりを覗くともなしに覗いてしまうということがあるが、それをされると僕の場合は純粋理性批判なわけだし、さらに言えば射精のシーンに来るとおもむろにポケットから付箋を取り出し、その行のところに、やけに几帳面にまっすぐと貼り付けたりするのだ。もしも僕がそんな気持ち悪い奴を見たら、喜び勇んで「こんなキモイ奴がいた」ってブログに書くところだと思う。なので微妙に周りを気にしながら読んでいる。
 この前ファルマンに、
「そんなにせっせと読んで愉しい?」
 みたいなことを訊ねられたので、
「俺は日々こうやって、世の中の純粋な理性を批判して、やがてどこかへと辿り着くんだぜ」
 とカッコよく答えた。
 そうしたら冷たく、
「刑務所じゃない?」
 と返された、という出来事があった。
 それにしたって梅雨の女子高生のシャツは透けますね。おっぱいはもちろん正面から見たほうが愉快なわけですが、それに対してブラジャーは背中から眺めたほうがはるかに愉しいわけで、なんかそれっておもしろいな、などと思いました、プロペパピロウです。

2008.6.1

 近ごろ純粋理性批判ばかりを読んでいるので、シャノマトペについての感覚が異様に研ぎ澄まされてきている感じがする。一般人には違いが分からないだろう「どびゅうっっ、びゅっ、びゅびゅっ、びゅううぅっ」的な表記の、勢いとか心意気とか工夫とか、そういうのがやけによく判るのだ。長いだけで盛り上がりのないシャノマトペに関しては、「こりゃ跳んでねえな」などと冷静に思えてしまう。
 そんな僕が最近になって至ったシャノマトペの境地は、シャノマトペとは初めから擬音語ではなく擬態語(実際の精子は放出の際に「どびゅうっ」などという音は一切出ない)なのであるから、それはもっと精神的、叙情的でよいのではないか、というものだ。その境地にて思い浮かんだシャノマトペがすでに3つある。
 ひとつ目は3日前に書いた、「睾丸のことをツインスターと呼んではどうか」という案に連なるもので、射精のことを流れ星と捉え、まず「サーッ」と表記する。そしてその間に主人公が願い事を3回唱え、そのリフレインをシャノマトペにする、というものである。たとえば、「いつまでも一緒にいたい、いつまでも一緒にいたい、いつまでも一緒にいたい……」というシャノマトペ。どうか。
 ふたつ目はクリスマス限定のシャノマトペとして、「シャンシャンシャン……」というサンタの橇的なものを考えた。この場合「プレゼントだよ」とか、「これがホントのホワイトクリスマスだね」とか、安易だがうまいことがたくさん言えそうなところが魅力的だ。
 最後のみっつ目は、スタンディングマスターベーションという言葉が示すように射精と拍手の相性はいいわけだが、その特性を利用し、一般的に拍手のオノマトペとされる「パチパチパチパチ……」という喝采をシャノマトペにする、という案だ。なんとなく弾ける感じの音で派手さもあるし、あるいはスタンディングオベーションの習慣のある欧米列強に対し、短小コンプレックスのある日本人が、射精の際に喝采を受けることによって、ある種の自信を獲得してゆくという効果も狙えるのではないかと思う。シーズン262安打のメジャー新記録の樹立。漱石もこの点に気付けば胃潰瘍にならずに済んだのではないかと思うと残念でならない。
 以上の3つである。しかし感覚を研ぎ澄ませて日常を過ごしていれば、シャノマトペに使えそうな音はもっといろいろあると思う。宮沢賢治は風を浴びてそれを「どっどど どどうど どどうど どどう」と表したわけだが、やろうとしていることは僕もまったく一緒だと思う。評価されたい(あ、でも宮沢賢治が評価されたのは死後じゃねえかと気付いた)。そして何気なく引用した「どっどど どどうど どどうど どどう」は割とシャノマトペっぽいと思った。

2008.5.31

 明日が日曜日なので、「SEVENTEEN」や、中学生向けファッション雑誌らがもう発売されていた。なのでチェックする。ちなみに今号は期待の高まる7月号である。
 おもしろかったのは、まず「ピチレモン」の特集で紹介されていた「休み時間のあそび」である。それによると最近の少女たちは休み時間に、「スカートめくり」「ジャージ下げ」「くすぐりあい」といったことをしているらしい。「スカートめくり」と「くすぐりあい」はまだ解る。衝撃だったのは「ジャージ下げ」だ。ファルマンの解説によると、ジャージの下には短パンを穿いているので大丈夫なのだそうだ。一体なにが大丈夫だというのか。なにも大丈夫ではない。
 あと同じく「ピチレモン」で、今度は「暇潰しにやることグランプリ」みたいな特集があり、その1位が「恋バナ」となっていたのだけど、「恋バナ」は暇潰しではなくてお前らの仕事だろう、と思った。赤ん坊にとって寝るのが仕事であるように、大学生にとって堕落するのが仕事であるように、をとめごらにとって恋バナは仕事のはずである。暇潰しとか言っちゃいけない。
 あとこれは「Hanacyu」で、これもまた同じく「休み時間にやるゲーム特集」みたいなのがあったのだが(そんなんばっかだ)、そこで紹介されていた「愛してるゲーム」というのにすごく興味を持った。これはゲームの参加者同士で、マジな感じで「愛してる」って言い合い、照れて笑ったりしてしまったら負け、というルールのゲームだそうだ。すさまじいゲームだと思う。おそらく変態の中年とかが、お正月に親戚の女子中学生を使って、長年の夢を叶えるために発案したものなのだろうと思う。僕もやりたい。7人くらいの女子中学生とやって、でも僕ら8人はみんながみんな実際にあたたかな愛で包まれているから、「愛してる」なんて言葉はぜんぜん照れ臭くなくて、普通に言い合えて、いつまでも決着がつかないね、あはは、と笑い合いたい。そんな風に思った。
 肝心の水着特集は、やはり「SEVENTEEN」がなかなかだったけど、でも期待が高まりすぎたのか、そこまでガツンとは来なかった。残念。残念和尚のありがたい経文。