2009.3.13

 というわけで出雲行き。手荷物以外のすべてがキャリーバッグに収まったとは言え駅までの道がつらいなあと思っていたら、家から出てすぐの所でタクシーが拾え、すごく助かった。
 羽田空港へは大門で乗り換えて京急。
 11時発の飛行機で、空港到着は10時10分くらい。まあまあちょうどの時間。羽田は母と行った去年の夏以来だ。
 ここでキャリーバッグを預けていると、ファルマンが声を掛けられた。なんと結婚式にも出席していただく、ファルマンの父親の妹さん、正月に一家でやってきた、その叔母さんだったのだ。話を聞くと、息子の大学が決まり、東京で部屋探しをしてきた帰りなのだという。あのモテそうなファルマンのいとこの青年も一緒だった。JALの羽田から出雲空港の便が1日に5便ぐらいなので、翌々日に結婚式があることを考えればそれほどの偶然でもない気もするが、それでも驚いた。
 飛行機に乗り込んで緊張する。たった1時間半だというのは解っているのだが、それでもやはり慣れない。どの集団にも絶対に弱い人間というのはいて、パイロットなんてエリートたちの集まりのように思えるが、僕の乗った便のパイロットだけは、心が割と簡単に折れてしまう人のような気がいつもする。でもやっぱり飛行機はいつものように飛んだ。そして昇りつめて安定し、ちょっとしたらもう降ってゆくムードなのも前回通りだった。
 様相が変化したのはここからだ。やけに揺れる。ぐわんぐわん揺れて、ぐいんぐいん機体が斜めになる。はじめの頃は割とジョークだったファルマンへのしがみつきが、次第に冗談じゃ済まなくなってきた。島根の街は眼下にはっきりと見えているのだが、それは「自分が空中にいるのだ」ということを知らしめ恐怖をかき立てるだけの効果しかない。ただただ怖い。それでも身体を斜めにして震えているような人は僕以外いなかったのだが、いちど本格的にガタリと揺れ、クールを決め込んでいた乗客たちが「うわっ」とか「きゃっ」とか短く声をあげた瞬間、言うまでもなく僕の恐怖もピークで、心臓がキュウゥーっと締め付けられた。老人らが安穏としているなかで、僕だけが乗客の中にいらっしゃるお医者様を呼びかけられるところだった。アナウンスによると、風が強く、いま着陸を試みたのだが、風の強さが規定値を超えていて、しょうがないからもういちどいま上がったところで、タイミング見計らってこのあともう1回挑戦してみたいと思うけど、無理だったら大阪の空港に行くからその時はごめんね、みたいな感じらしく、「いま米子上空を旋回しております」とかアナウンスが入り僕は椅子の手すりを必死に掴みながら、なんとかなれ、嘘のように風がやめ、と心の底から祈った。
 でもなんとかならなかった。僕の期待したことは大抵の場合なんとかなるのだけど、今回はなんとかならなかった。「大阪空港に参ります」という無情のアナウンスが流れ、急に機体のバランスが整った。嘘のようだった。
 出雲に行こうとしているのに大阪なんて、実際ありえないと思う。でもあの大揺れの恐怖を味わった身としては、出雲だろうと大阪だろうと無事に地面を踏めるだけで割と御の字だった。ただしもちろん予定は崩れる。昼過ぎに出雲に到着したら、午後は食事会の会場の旅館の人と打ち合わせをする予定だったのだが、それはキャンセルするほかなかった。明日は別の結婚式があるとのことで支配人側からNGが出ているので、打ち合わせなしで本番に臨むことになってしまった。
 30分ほど飛んだあと、さっきのことが嘘のようにスウウゥッと伊丹空港に到着してからは、前述の叔母親子と合流し、「怖かったねえ」「えらいことになったねえ」などと話しながら、とりあえず昼食として空港内の蕎麦屋で蕎麦を食べた。時刻は13時半ぐらい。
 それから高速バスで新大阪駅へ移動。島根に陸路で行く際に通過したことはあるが、大阪の街で実際に活動をしたのは初めて。とは言え大阪も広いんだろう。東京人の僕が期待するようなそれっぽい風景はまるでなく、虎柄のハッピを羽織った人もひとりもいなかった。
 新大阪から新幹線で岡山。ちなみに飛行機を降りた際に航空会社からは伊丹・出雲間の航空代金に相当する金額を貰い受けており、とは言え伊丹・出雲間の飛行機が飛ぶはずはなくて陸路なわけで、陸路で新大阪から岡山、岡山から特急やくもで出雲市というルートだと、航空会社からもらったひとり分の代金で、ふたり分まかなえる計算となり、実はだいぶ儲かったのだった。しかもチケット自体は早割で取っていたため、返してもらった金額は払った金額よりもむしろ大きかった。そういう意味でちょっとテンションは上がったのだが、それにしたって昼過ぎに出雲に着けていたほうがよっぽどいいのは間違いなかった。
 しかしこの日の出雲の天候のひどさはどうしようもなかった。岡山駅に到着し、8分後ぐらいに発車するやくもの乗り場まで急ごうとしていたら、僕らの乗ろうとしていた(新大阪でチケットを購入した)便は、強風によるダイヤの乱れにより運休となっていて、そのひとつ前、1時間前に発車しているはずの15時すぎ発車予定の電車に、16時すぎに飛び乗ったのだった。
 そしてこんな状態の電車が空いているはずもなく、指定席が取れないのは新大阪の時点で判明していたのだが、自由席のほうも人がいっぱいで、接続部分にまで人が溢れ、B3のウェルカムボードが入る海外旅行用の巨大なキャリーバッグを持っている僕らが近づける雰囲気ではまるでなく、しょうがないので指定席のほうの接続部分に避難した。これだと途中で座れる可能性はないが、自由席のほうの様子を見れば、そちらにいても望みはなく、だとすればこちらのほうが人が少ないだけよかった。もちろんつらかったけど。肉体的にも精神的にも。だって昼過ぎには出雲に着いて、あさってに迫った結婚式の打ち合わせをして、成田空港で買ったフルーツのロールケーキをおやつに食べているはずだったのだ。なのになんで僕らは揺れるやくもの接続部分に立ってうなだれているのか。花嫁のファルマンなんて床に座りはじめちゃってるじゃないか。ここへ来て叔母を含めた僕らの合い言葉は、「思い出になる」「一生忘れられない結婚式になる」以外になかった。
 そしてこれで終わりではない。途中で車内アナウンスが入り、「出雲市駅行きのこの電車だが、また折り返して岡山駅発の電車にならなければならず、そのためには出雲市駅まではどうしても行けないんですよ、なので松江までで勘弁してください、ごめんなさい」みたいなことを伝えてきたのである。ええええ、となった。まあ出雲と松江なので悲劇的な距離でないのはたしかで、叔母親子とワリカンにすればタクシーでもいいかとも思ったのだが、それにしたってひどかった。いちど出雲上空まで来て追い返され、いまふたたび6時間後に出雲寸前まで来て、なおも拒まれるとは。なにかの呪いだろうかと思った。
 時刻は18時過ぎとなっていた。そのときちょうど仕事が終わったらしい義父から、「どんな具合だ」みたいなメールが来て、ファルマンと叔母で「これに迎えに来てもらおう!」と意見が合致する。実際叔母親子にもそれなりに荷物があり、果たして1台のタクシーで4人まかなえるだろうかという不安があったのだが、義父の車なら大きめなので心配ない。よっしゃよっしゃと話がまとまる。
 松江駅に到着したら、外は台風のような雨だった。まったく本当にとんでもない日だ。義父の車を探しながら、この間ほとんど言葉を交わさなかった(みんなつらくって割と無言だったのだ)叔母の息子(僕にとって義理のいとこになるのか)に、「おなか空いたねー」と話しかける。彼は「ホント空きましたね!」と、こいつレモンでもかじってんじゃねえのかっていうくらい爽やかに頷いてくれて、ちょっと好きになりかけた。
 義父の車に乗り込んで、ファルマンの実家と叔母の住まいのある町までは30分ぐらい。「大変だったなあ」「うちの会社の駐車場では、車の窓ガラスに木が刺さったりしたらしいぞ」などと義父は話し、僕らも飛行機ややくもがどれほどつらかったかを切々と語った。
 戦友の叔母親子と別れ、7時間遅れのようやくの到着でファルマンの実家へ。実家では義母と実家在住の次女がお出迎え。岡山の三女は明日の到着になるらしい。
 やれやれだった。時間的にも体力的にも、今日は丸ごと潰れてしまった。義母の手料理を食べ、おいしいビール(義父の好きなプレミアムだったのが残念だったけど)を飲み、ファルマンと風呂に入り、早々に寝てしまった。実を言えばまだ絵本が仕上がってない。本当は今日終わらせる予定だったのだ。まったくなんという日だったろう。一生忘れられない。

2009.3.10

 猫の色塗りが完成した。色を塗った猫で、いわゆるウェルカムボード的な文面を作り上げてゆく。つまり端的に言ってしまうとこれはマスゲームなのだ。文面は、「welcome!」「2009.3.15」、そして僕の名前、ファルマンの名前(アルファベッド)という感じ。「塗る猫は全身塗る」というルールにしたため、文字として読みづらい部分もできてしまったが、「顔だけ塗る」とかが許されたら意味がないのでしょうがない。文面は猫を描き終えてから決めたので、無理が生じるのは当然だった。
 でも時間が掛かっただけあって完成品の満足度は高い。このB3のボードには、僕のいろいろなものが詰まっている。あるいは十牛図のように、ここに描かれた猫らの姿から、見た人が勝手に解釈してなんかしらを感じ取ればいいのだと思う。あんまり目にする機会はないと思うけど。
 ちなみにいま悩んでいるのだが、結婚式後はこのボードを、文面を埋没させるようにすべての猫にとりどりの色を塗って、なにかよく判らない、B3のボードに3センチくらいの膨大な数の猫がカラフルな配色で敷き詰められているもの、というそんな風なものにするのはどうかと思う。そして部屋の壁に飾るのもいいかなと思うのだ。もちろんファルマンは嫌がる気がするけど。

2009.3.9

 相変わらず準備に追われている。昨日仕上がらなかったウェルカムボードを、ついに完成させた。描きも描いたり2644匹の猫たち。最後のほう、「あとスペースこれだけだからせいぜい100匹くらいで、100匹なんてないも同然だな」と見積もっている自分がいて、ファルマンに「猫100匹て」と言われ、そう言えばなんで猫100匹描くことを俺はないも同然の労力のように捉えてるんだろう普通の人は一生に猫100匹も描かないだろうに気持ち悪い、と思った。
 この猫たちみんなポーズが違うんですよ、と言いたいところだが、別にそんなことない。「顔は必ず全景描く」というルールがあって、そのため目や口をこすったり、ほかの猫の腕が顔に被っている猫は1匹もいない。これをやると本当に隙間なく描けてしまう(顔の全景を描かなくてもいいということは、丸ごと描かなくてもいいわけで、ちょっとしたスペースを腕とか脚とか埋めてもいいことになる)と思ったのではじめからそう決めていた。そのためどうしても空白になってしまう部分もできたが、ごちゃごちゃするよりはよかったんじゃないかと思う。それに上記の2644匹というカウントもしやすいし。もっともその数字がいま考えた真っ赤な嘘でなければもっとよかったのだろうが、残念なことに真っ赤な嘘だ。数えたくもないが、数えやすいは数えやすいだろうと思う。
 とにかく右手が疲れた。猫を色で塗る作業も割と神経を使う。サインペンで猫を描くのとは、別の筋肉を使うのだろうと思う。ファルマンは延々と絵本の色塗り。僕がウェルカムボードにこんなに時間を掛けなければそっちの色塗りはやってあげられたのに、申し訳ないと思う。猫の大群が出てきて気持ち悪かった夢を見た晩もあったと言うし、そういう意味でも申し訳なかったと思う。

2009.3.6

 滅多に鳴らない大橋のぞみのデモテープ版「崖の上のポニョ」の着信音に携帯電話を持ち上げたら、発信欄に「父」とあっておののいた。
 いつ以来の会話だろう。父親はやけにゆっくり、めんどくさそうに、10歳になる前に離れ、与り知らないところで成長した息子に対し、すごく気まずい、畏怖に似た感情を抱いている感じを漂わせながら、じいぃっとりと喋った。
 用件はもちろん結婚式の打ち合わせ。食事会を座敷で両家向かい合ってやると確認すると、
「……やだなあ」
 と本音をオブラートに包むことなく口に出してきた。それがもう本当に心の底からの言葉なのだろうな、と一瞬で伝わる「……やだなあ」で、まあ不倫して子ども作って出て行った(ということなのだと思う)家の、姉の時みたいに割と大人数で、円テーブルがいくつも会場にある披露宴とかならまだしも、親族だけで行なわれる結婚式に「知人」として呼ばれるのはきついよなあ、この人の立場だったらおばあちゃん(母の母)とかすごい怖いんだろうな、と納得しつつも、それはまったくもって彼の自業自得なので、はあ?うるせえよ、と思った。

2009.3.1

 ファルマンと実家に行く日曜日。
 結婚式前の最終打ち合わせと、食事会でちょっとしたスライドショーみたいのを流すらしいので、そのための僕の幼少時代の写真を取ってくるのが目的。たまプラ東急でわらび餅買う。
 実家は祖母と母と犬といういつもの面子。犬ももう10歳だそうで、人の年齢にしたらこの家の平均年齢は60歳を確実に超えるなと思った。琵琶湖マラソンを漫然と眺めながら昼ごはんを食べ、わらび餅を食み、いざ用意してもらっていたアルバムへ。
 久し振りに見た僕の幼少時代の写真は、もちろん覚悟はしていて、想像も膨らましていたのだけど、その想像を凌駕するほどに、すさまじくかわいらしかった。苺のビニールハウスで撮った写真があって、(あれ、苺の妖精が写り込んじゃったのかな?)と思ったら僕だった。そのくらいかわいかった。マジでマジで。厳選するのに苦労しながら、なんとか20枚ほどを選び出す。

2009.2.26

 ファルマンから最近たびたび「性格が悪い」と言われる。これは結婚式準備という共同作業をしているせいに他ならない。共同作業なんかしていなければ、お互いにお互いの性格をちょっとどうかと思いつつも、そんな風に指摘したりしない。
 僕は割と僕以外の手によるあらゆることが嫌いと言うか、自分最上主義であり、ウェルカムボードがすごい手間で、手首が痛かったり肩が痛かったりするのだけど、ファルマンに手伝ってもらうわけには絶対にいかず、猫1匹だって描いてもらっては困り、彼女だってあんな小っちゃい猫なんて死んでも描きたくもないだろうが、どちらにせよ共同作業なんて極力したくないと思っている。人が横から入ってくるのがすごく嫌いなのだ。そんな僕のスタンスが、もちろん既に自明ではあったのだけど特に今晩は顕在化してしまって、ファルマンから「あなたは性格に問題がありすぎて、なるほど友達がいるはずなくて、妻として嫌だと言うか、もうひどすぎて心配なくらいだよ」みたいなことを言われ、「俺だって友達いないことが不安で眠れない夜があるよ!」と応酬したのだけど、ダブルベッドで隣に眠るファルマンには「ないじゃん! 毎晩寝付きよくグーグー寝てるじゃん!」と喝破され、ああそう言えばぜんぜん不安がないわ、と思い、まあいっか、友達程度の話なんかどうだって、と思った。
 期せずして「友達は必要?」みたいなテーマの討論となったので、「ここは真剣10代しゃべり場か」とツッコんだら、「陰険20代しゃべり場だよ」とファルマンに返されて、それはうまいと思った。そんな風に時々うまいことを言ったり、モノマネがやけにうまかったりするので、ファルマンがいればそれでいいなと思った。なんなら猫もちょっとぐらいなら描かせてあげてもいいくらいに。まあ彼女は「死んでも描きたくないよ」って言うだろうけど。

2009.2.24

 火曜にしてやけに身体が疲れているのだった。
 これはおそらくウェルカムボードの作業によるものだと思う。そのくらい描いている。腱鞘炎にならなければいいと切に思う。
 幸いなことに明日は労働が休み。もっとも労働が休みで身体が休まるかと言えばあまりそんなこともなく、むしろ時間を取られず存分に1日中ウェルカムボードを描くのだろうから、逆効果かもしれない。まあ一気に進めてゴールが近付けばいい。

2009.2.22

 日記を書くことについて、僕とファルマンはせっせせっせと毎日やっているわけだが、なのでこのままでゆくと、将来僕らに子どもが生まれた場合、その子どもは自らの誕生から、物心がついて僕らの日記を読むその日まで、両親ともがせっせせっせと毎日書いて公開し、すなわちそれは子どもの人生そのものが、余す所なく記されているわけで、子どもはかなりの衝撃を受けるのではないかと思った。でもその子も、お父さんとお母さんが毎晩、互いのパソコンに向かって日記を書く時間を取るので、しょうがなく自分も書きはじめるのだろうな、と思う。きもいきもーい。

2009.2.21

 労働から帰宅したら、家に新しい座卓がやってきていた。
 これまでリビングで使用していた座卓、これは僕が実家から持ってきたものなのだけど、それを先日和室へ移動させたのである。和室はダブルベッドを購入して以来、寝る用途がなくなってからはまるで利用していなかったのだけど、ここ最近の結婚式準備のための書いたり切ったりの作業が、リビングをかなり散らかし、食事に支障をきたす(リビングにはダイニングテーブルもあるが、食事はもっぱら座卓でする)ため、これはいけないということで和室に座卓を持っていって作業部屋ということにしたのだった。そのため座卓のなくなったリビングには、ファルマンが学生時代のひとり暮らしで使用していた座卓を、押入れから引っ張り出して置いてみたのだが、これが大型スーパーで5000円くらいで買ったという安物で、以前この上で文字を書いていたら脚が揺れ、「ありえない!」と叫んで僕が押入れにしまったという代物で、もう本当に醸し出す全体の雰囲気が貧乏くさく、キッチンで料理を作り、ファルマンに「配膳してー」と呼びかけリビングのほうを振り返ると、そこにある座卓の貧相さにへなへなと力が抜け、「そんな机の上においしい料理が乗っかるわけねーじゃねーか!」と怒り出したくなる、というそれほどのものだったので、これはいけないということでちゃんとしたのを買うことにしたのである。先日ちょうど祖母から結婚祝いをもらっており、せっかくだからそのまま全額貯金するのではなく、なんかしら物品を買うべきだろうという気持ちもあり、それなら結婚祝いで座卓を買うなんて非常に真っ当な感じなので、ここまで来ればもう迷いはなく、しかもネットで見てみたらちょうどこたつ付き座卓が冬物処分で安くなっていて、これはラッキーということで注文したのだった。
 それが今日届いたという次第。
 かなり吟味して選んだそれは、黒の長方形の座卓。せっかくなので長方形にしてみた。長いほうの辺には余裕でふたりが座れる大きさ。パーティーなどで6、7人のお客さんが来ても難なく対応できるサイズ。まあ6、7人のお客さんは来ないんだけど。とりあえず今晩は感動しながら、ファルマンと長いほうの辺に横に並んで座り、チキンカレーを食べた。カレーだけはファルマンのほうが僕よりもうまく作る気がする。

2009.2.19

 モノマネが得意なファルマンの最新のレパートリーに、純粋理性批判ヒロインというのがあって、「幼なじみの正統派ヒロイン」と「妹的な甘えんぼヒロイン」と「素直になれないツンデレヒロイン」を次々に演じるのがおもしろい。もちろんファルマンは純粋理性批判のことを完全にバカにしていて、少女たちから母乳が出たりすることをひどく揶揄したりするのだが、それを差し引いても愉しめる芸だ。もっとも「ファルマンが純粋理性批判ヒロインのモノマネをする」という芸のおもしろみを感じるには、「人間ごっこ」と「2次元ドリーム文庫」のどちらもを日常的に読んでいる必要があるため、あんまりその条件に当て嵌まる人がいなそうなのが残念なところ。

2009.2.16

 月曜なので週刊プレイボーイを読んでいたら、「女性の携帯電話には自分のエロ動画が満載!?」みたいな記事があって興味深かった。みなさん満載らしいですよどうも。話によると、心の奥底にある自分のセックスへの不安感みたいなものを、女の子友達同士で動画を見せ合うことによって払拭させたりする効果らしいです。なるほどですね。「でも動画をみんなで見せ合った結果、私の彼氏のちんこがいちばんダメな感じでトホホでした」みたいな、実在するのかどうか判らない女性の談話も紹介されていて、この話のどこがいちばん引っ掛かるかと言えば、断然「恋人の女の子友達に自分のちんこを見られている俺」という点だろうと思うわけで、「恋人の女の子友達」という微妙な間柄において、直接だと生々しくて、単なる気持ち悪い世界の話になってしまうけど、彼女の携帯電話の動画で彼女自身が見せる、というところが「恋人の女の子友達」にちんこを見られてしまう上での、最も甘美なラインだと思う(ちょっと自分でもなにを言ってるのか解らない)。これはもちろん「恋人の妹」とかでもありですね。あるいは互いのエロ動画を見せ合うというコンセプトでなくても、部屋に置きっぱなしになっていた姉なり妹なりの携帯電話を、「どんな動画あるんだろ?」とフラットな感じで見てみたら、不意にそういうのが発見されてしまった、という展開でもいいかなと思います。ちなみにファルマンの下の妹の携帯電話の動画ファイルには、パスワードを入力しないと内容が確認できないファイルがあるのだそうで、もしかするともしかするわけで大変に興味深いし、実際の内容に関係なく、この「もしかするともしかする」という感情を義兄に抱かせただけで、そのシークレットファイルの存在は十分に価値があると思います。それと記事の話の続きになるのだが、いま素人娘たちはその撮影したエロ動画を、割と軽くエロ動画サイトに投稿したりするのだそうで、「恥ずかしくないの?」という記者の質問に、実在するのかどうか判らないその子は、「顔が映ってない限りは私だってバレないしぜんぜん問題ない」というようなことを答えていて、その「お風呂を覗かれた時にどこを隠すか話」的な、両手で胸、脚を持ち上げて股間、っていうんじゃなくて、とにかく顔だけお隠しなさい、それが淑女の嗜みというものです的な、本当に自分でも何を言っているのかよく解らないのだけど(わくわくさんは今あんまり女の子のことをねちねちと考える頭になってないから)、とにかく僕はこの記事を読んで、女の子への愛が深まったのは確かということです。

2009.2.14

 労働から帰ってきて、昨日からやっていたヒット君4コマを完結させる。今回も12話。愉しかった。ベースやドラムを、なんの資料もなしに堂々と書いてしまう自分の浮遊性には感動した。あんまりがんばろうと思ってない分野って無反省に伸び伸びやれていい。一生そういうフィールド内で生きてゆきたい(それを実現するのがホームページかもしれない)。それと全編カラーにしたため、最終話の恒例の花はちょっと効果が薄れてしまったかもしれない。でも色塗るの愉しかった。また近いうち第4弾をやりたいけど、そう言いつつまた間が空くのだろうな。
 4コマへの逃避がひと段落したので、そのあとは結婚式のほうのをまじめにやった。本の表紙のデザイン。だいぶ恥ずかしい本になりそうで、食事会のときだけ存在し、翌日には幻のように溶けてくれればいいのにと思いながら、シコシコとやる。

2009.2.13

 ファルマンにそんなことを話していたら、「結局あなたの創作ってぜんぶ逃避なんだよね」というようなことを指摘され、心がチクチクと痛んだ。真実って指摘しないほうがいいことが多々あって、僕ら夫婦は互いにそれを痛いほど理解し合っているはずなのに、今日のファルマンはズバッと言ったのだった。本当に昨日の夜、「俺だけは休みだ」みたいなことを自慢しすぎて悪かったと思う。

2009.2.9

 バレーでもやってるのか、がっしりした体つきに、やけに高い身長の女子高生を見かけた。それだけなら町中にいくらでもいる存在であり、なんの感慨ももたらさない(自分よりもおっきな身体の女子高生に包まれるように抱かれたいというひそやかな願望はあるにせよ)。
 それではわざわざこうして話題に上げる理由として、今日見かけた彼女にはどんな特徴があったのかと言えば、そんな180センチを超えているデカさの彼女の制服のスカートが、よく僕が言うところの「世が世なら尻」レベルにまで短かった、ということなのである。
 この迫力が伝わるだろうか。
 180センチ超の女子高生の、尻ギリギリまでのたくましき太腿なのである。やっていることは他の子と同じでも、背が高い分だけ素肌として外界に晒されている面積が段違いなのだ。面積だけを採り上げて、それじゃあ145センチの女子高生に向かって「同じ分だけの面積を晒しなさい」と命令したら、145センチの女子高生は途方に暮れて涙目になって許しを請うほかないというくらいの、そういう面積っぷりということである。
 嘴亭萌え狼の創作落語に「表面積」というのがあるが、この噺の主人公の男子高校生のように、ちんこと太腿という違いはあるにせよ、もしも複数人で表面積を分けなければならないとなったとき、この180センチ超の女子高生の太腿の表面積は、すごく頼りがいがあるな、と思った。労働中に思った。もっとも僕の労働は複数人で女子高生の太腿に奉仕する類のものじゃありませんよ! あしからず!

2009.2.8

 結婚式にまつわる買出しついでに、ファルマンとともに実家に顔を出す。
 実家では祖母と母と4人で、手作りの太巻き寿司を食べながら、軽く結婚式の打ち合わせ。3月15日の結婚式はだいぶ先のような気持ちでいたら、あともうひと月くらいしかないのだった。俺知ってる。ひと月ってあっという間なんだぜ。
 祖母から結婚祝いをもらう。「金額が大きいから帰り気をつけてね」と言われ、はいはーいと適当に頷いていたのだが、帰宅して袋を開けてみたらたしかに大きな金額で、びっくりした。
 姉は夕方からしか来れないということで、今回は姪に会えず。残念だった。
 3時前に実家を辞して、田園都市線で渋谷へ。ロフトやらハンズやら電器店やらを回り、いろいろ買う。マスキングテープのセットや裁断機など前々から欲しかったものが、結婚式のあれやこれやの作成用という名目の特別予算で手に入って嬉しい。プリンタのインクも含め、結局は僕のハンドメイド活動に寄与するのだろうと思う。しめしめ。
 夕方になり、風が氷のように冷たくなった。池袋に移動してパルコへ。ここでファルマンからバレンタインのプレゼントをもらう。チョコではなく腕輪。大学生のころ着けていて、やがて壊れてしまったのとそっくりな腕輪をちょっと前に発見しており、それをリクエストしたのだった。ガーナチョコ30枚分ぐらいの値段。嬉しい。早速着ける。懐かしい感触だった。左手は時計なので右手に着けるのだが、文字を書くときにすごく不便なのである。この不便なストレス溜まる感じが懐かしくて愛しい。

2009.2.2

 トップページを刷新し、公開するページと公開しないページを選んだりする作業の中で、「プロッペッパッピローニっておもしろいなあ」と思った。どういうものかと言えば、王族の末裔であるプロッペッパッピローニが、下校中の女子中学生を捕まえて、延々と自分の性癖などを説き続けるという、そういう文のページなのだが、これがすごく生き生きとした文章なのだ。実に愉しそう。書いてるとき本当に愉しかったんだな、と思わせるのだ。
 最終更新はいつだったんだろう、大体3年前くらいかな、と思って調べたら、2006年の3月23日とのことで、まったくもって大体3年前だった。
 そして自然な流れとして想いを馳せる。3年前の3月ということは、僕は22歳で、ちょうど大学を卒業した頃だ。就職せずに、それなのに親元を離れ、ファルマンとほぼ同棲のような暮らしを始めた頃だ。ちなみに引越しをしたのはその2日前。3月21日のこと。
 そうか、プロッペッパッピローニは、就職の決まらなかった22歳の、来月から何をするのか決まっていない、それなのに実家を出て、恋人と暮らし始めてしまった男が書いていたのだな、と思うと、その文章はますます凄みを増してくると思う。
 それから就職し結婚した僕に、当時と同じ文章は書けない気もするけど、ちょっと3年越しに続きを書いてみようかと思った。王族の末裔であるプロッペッパッピローニが、下校中の女子中学生を捕まえて、延々と自分の性癖などを説き続けるという、そういう文を。

2009.1.30

 お気に入りに追加して毎日チェックする日記というのがない。そんなに気に入る日記が見つからないまま、5年も経ってしまった。
 でも最近、書籍でも日記やエッセイを好んで読むようになり、日記やエッセイというのはしみじみおもしろいと思ったりするので、ネットで毎日そういうのが読めたらどんなにいいかと思うのだ。
 ウェブ日記ソムリエみたいな人が、僕の提示する条件を聞いて、「それならぜひこちらを」と紹介したりしてくれないだろうか。
 条件は以下の通りだ。
 
 ・無意味な空白の行を置かない。
 ・文字の大きさは一定。装飾もしない。
 ・ニュースを引用しない。
 ・アフィリエイトにがっつかない。
 ・プロフィールに写真を載せない。
 ・アバターを設定しない。
 ・ユーチューブを貼らない。
 ・コメント欄が盛り上がったりしていない。
 ・政治とか科学の話をしない。
 ・音楽の話をしない。
 ・特別に好きな有名人がいない。
 ・ランキングに参加していない。
 ・毎日(あるいはそれに近く)更新する。
 ・ウケ狙いが感じられたら失格。
 ・ブログの話題を「ネタ」って言わない。
 
 こんなところか。あと下品な話もあんまり好きじゃない。女の子がエッチな話をするのは当然きらいだし、知らない男のちんこの話とかももちろん聞きたくない。気持ち悪ーい。

2009.1.29

 昨日、「萌え」の対義語は「萎え」ではなく「憤り」、などと書いたのは、多分にタグ付け作業中の20歳の頃の自分の日記に引っ張られているな、としばらく経ってから気付いた。
 そもそも萌えについて考察するところがそうだし(もう最近は萌えなんてどうだっていいはずだったじゃないか)、それに加えての「憤り」である。何を隠そうこれは20歳の自分が、「2004年に流行るギャグ」として提案した「憤り~」、そこからやって来ているに違いない。そのくらい、昨日の日記は20歳の頃の自分の日記に引っ張られていた。
 私は今回の旅に、大学2年生の頃の私を連れてきてしまった。
 という思ひ出ぽろぽろのフレーズを、1回目のタグ付け作業時、ちょうどおんなじ記事らへんの作業をやっていた、昨年の12月8日にも使った。繰り返しばかりの俺の世界。

2009.1.28

 ちんこ飴ペロペロ舐める君に逆に萌え

 2009年のタイトルは結果的に長歌にしたのだが、当初の予定では「君に逆に萌え」だった。何年か前の「君に萌え」の逆バージョンで、もちろん別になにが逆というわけでもないのだけど、とにかくそんなものを考えていた。でも実際にいくつか作ってみたら想像よりもだいぶつまらなかったのであえなく却下になったのだった。
 しかしながら、上のはありだと思う。上のを最初に思いついていれば、もしかすると今年1年は「君に逆に萌え」だったかもしれない。そのくらいに上のやつは秀逸に君に逆に萌えだ。
 つまり、君に逆に萌え、ということはストレートな萌えじゃないのだ。萌えに相反する感情があっての萌えなのである。萌えに反するものとはなにか。萌えの対義語が「萎え」でないのはいまさら言うまでもない。じゃあ対義語はなにかと言えば、それは「憤り」とかじゃないかと僕は思う。
 「萌え」と「萎え」は対義語どころか実は類義語で、だから萌えというのは、「(猫耳とか着けて)本当に萎えるけど、そんなお前に俺は萌えるよ」という意味であり、言い換えれば「許容すること」だと思う。それに対して「憤り」というのは、「お前の(語尾にニャンとか付ける)そういう態度、本当にないと思う」という、「拒絶すること」なのだ。
 なにしろ好きな女の子がちんこ飴を舐めていたら、「お前のそういう態度、本当にないと思う」に違いない。こちとらソフトクリームを舐めていてもどうかと思うくらいピュアなのに、ちんこ飴と来たらフォローのしようがない。なんだお前は。俺に恋されてるくせになんでちんこ型の飴を舐めるんだ。そうか、あれか。やっぱりあれか。原先輩と付き合ってるって噂はホントってわけか。だからちんこなんかどうってことないってわけか。じゃああれですね、先輩の彼女さんならどうしようもないっすね。違う世界の人ですわ。はいはい。ごめんごめん。バイバイ。でも君に逆に萌え。
 この感じ!

2009.1.26

 昨日の本で、男根崇拝の祭りの話をちゃんと読んだら、「男根をリアルに造形した飴を、普通の女の子たちがペロペロ舐めていてびっくりした」みたいな記述があり、疑問が少しだけ解決した。
 そうか、地元の女の子たちは、普通にちんこ飴を舐めるのか。

 男根を崇拝す地方出身のをとめ離さぬチュッパチャプス

 思わず短歌にしてしまうやるせなさだ。
 祭りの力って本当にすごいな、と思う。思えばニュータウン出身なので、祭りの効力というのをあまり感じたことがない。住宅街のなかにある、いかにも区画整理という感じの公園で、盆踊り的なものをするだけの祭りしか知らない。
 けれどその程度の祭りであっても、橙色の光に浮かび上がる浴衣姿のバスケ部の後輩なんかにはドキドキしたわけで、それでそんななのだから、もしもその時その後輩がちんこ飴をペロペロしていたら、15歳の僕はいったいどうなっていたのだろう。拝啓この手紙読んでいるあなたはどこではなにをしているのだろう。

 男根を 崇拝す地方 出身の バスケ部後輩 ちんこ飴 ペロペロ舐める 平然と 祭りの夜の 橙の 光に浮かぶ 浴衣には ちんこのごとき 柄があり 輪姦されて いるように 見えさえすれば わがちんこ ちんこやちんこ ああちんこ そんなにちんこが 好きならば 俺のちんこも いいだろう むしろとっても いいだろう 崇拝しろよ ひざまずけ 15の僕には 誰にも話せない悩みの種があるのです
 
 思わず長歌にしてしまうやるせなさだ。
 自分とは何でどこへ向かうべきか問い続ければ見えてくるのだろうか。

2009.1.25

 昨晩から引き続き、タグ付け作業を進める。なかなか順調。どうせちょっとしたらペースダウンするので、ダウンしないうちになるべく進める作戦である。
 それにしても20歳の頃の自分の日記は、ちょっとびっくりするくらい健全だ。当時、自分では割と激しいことを書いていたような気がしていたのに、読み返してみると書いてることはなんだかんだで純真でかわいい。苦悩し批判する20歳の青年がそこにいた。
 それに較べ、「純粋理性批判」だの「シャノマトペ」だの「義妹」だの「陰嚢」だの「芝生」だのと言っている今の感じはどうだ。勢いとかはぜんぜんないくせに、フラットに気色悪い。穏やかなのに、不穏。でもその感じが、すごく理想に近付いてきているな、という気がする。
 ああ自分が好きだ。自分の成長が、深化が、浮遊が、ぜんぶ好きだ。このまま書き続けていればさらに5年後、ここらへんの日記を読み返して、「芝生とか言って25歳の俺は生真面目だなあ」と感心できるのだろうか。その頃の僕は、自分のちんこのことを一体なんと呼んでいるのだろう。どんな階梯に至っているのだろう。愉しみでしょうがない。

2009.1.24

 一緒に街を歩いていた上の義妹が、いきなり僕の後ろに回りこむと、足の間から手を入れてきて、陰嚢ごと僕のちんこを包み込み、僕はびっくり、という夢を見て目が覚めた。朝だった。
 これは淫夢なのだろうか。
 夢の中で僕のちんこは、陰茎ごと義妹の掌にすっぽりと埋まっていて、ぜんぜんジョジョ勃ちしていなかった。スタンドも出てなかった。俄然シットダウンだった。
 まあ淫夢だろうな、と思う。これが僕の生きる芝生道。

2009.1.23

 帰宅して夕食を終えたあと、上の義妹とファルマンが電話で話していた。内容を聞いたところ、義妹はまたバイト先の社員の家で何人かで集まって遊んだそうで、その集いに義妹は、共通の趣味を持つ人に見せようと、ジョジョのフィギュアを持っていったらしいのだが、以前に米粒つけあいっこをした男性社員が、その人形を義妹の手から取り上げると、あろうことか自分のズボンの股間部分に入れ、取り返そうと手を伸ばした義妹に向かい、「セクハラだー」と叫ぶ、というような、そういうきゃっきゃきゃっきゃがあったそうだ。
 なんなのだろうか、その共学のノリは。高校が男子校だった僕がついぞ味わわなかった、人生の掛け替えのないなにか、それが豊潤に含まれたエピソードだと思う。米粒つけあいっこほどの衝撃ではないが、ボディーブローのようにじわじわと、これも効いてくる。
 いったい義妹らは僕にどれほどの「MINORANAKATTA★AMAZUPPASA」を痛感させるのか。「それが本当のジョジョ勃ちってかー」なんてことをファルマンに呟いて呆れられることくらいしかできない僕を、どれほど惨めにさせれば気が済むのか。
 逆に義妹らのきゃっきゃきゃっきゃのすべては僕へと回帰する、僕にこのやるせなくも誇らしい気持ちをもたらすためのプレイなのではないかと思えてくる。

2009.1.22

 このところすっかりサボっていたブログひとつにまとめ作業を再開する。どれくらいサボっていたかと言えば、ひと月更新がないブログには最新記事のところに広告が表示されてしまうのだが、それが出てくるくらいだった。この作業、いちばんはじめは2008年内に終わらせようとしていたのだよな。ウケる。それを諦めた次の目標が、2月6日の5周年の日だったのもマジウケる。「富士山100秒で登るぜ!」って言う小学生みたい。
 現実はそんなに甘くないのだ。
 ひと月ぶりに重い腰を上げ、広告が表示されてしまっている新ブログを眺め溜め息をついた僕は、おもむろに管理ページへと画面を進め、次の瞬間には、去年末にひとつひとつやり、ようやく150を超えたところだったそれらの記事を、ぜんぶ削除したのだった。
 現実っていうのは、そのくらいに甘くないのだ。
 でも決して錯乱していたわけではない。この行為にはもちろん理由がある。
 そもそもなんで僕がそのブログをひと月も放置したのかと言えば、すべての記事をタグで完璧に管理しようというコンセプトの集大成ブログなのに、行き当たりばったりでやっているうちにどんどんタグが増えてゆき、ただ増えてゆく分にはいいのだが、「このタグとこのタグはほとんどおんなじ意味じゃねえ?」とか、あるいは「この記事にこのタグ貼るんならあの記事にも貼っとくべきじゃねえ?」とか、それ以外にも「このキーワード、タグにするまでもないと思ってたらそのあと意外に何度も語ってるから、やっぱりタグにしといたほうがよかったんじゃねえ?」というような、そういう許せないほころびが続出し、それがすごく嫌だったからなのである。
 だからもう去年のその150はいい勉強だったということでいちど仕切り直し、今度ははじめに、思いつく限りのパピローキーワードを打ち出し表にしたので、それにしたがってやっていこうと思った。きっとこのやり方が正解。この作業は行き当たりばったりじゃなくて、はじめにひと通りの記事をバーッと読み、キーワードを抜き出してからはじめるべき。絶対そう。俺発見。
 このことはすごい勉強したなあという感じがあって、先人として誰かに教えてあげたくてしょうがない。「いくつものブログに合計で何千か記事があってそれをひとつにまとめることにしたんだけど、ただまとめるんじゃなくてせっかくだからタグをすごい綿密に設定しようと思うんだけど、それにあたってのなにか心構え的なものがあれば」みたいなワードで、誰かこの記事を検索しないだろうか。おーい、ここだよ。たどりつけー。

2009.1.20

 新刊の純粋理性批判を読んでいたら、主人公のいちどの射精が4人の膣にまたがっていて、それ自体はもはや目新しい手法ではないのだけど、その4人ともの子宮がそれぞれ精液で満杯になったとあったので、それはすごいなと思った。「子宮が満杯」というそれが実際どれほどの容量なのかは分からないけれど、とにかくまあ尋常ではないだろうと思う。しかも主人公は4人の子宮を満杯にし終えたあと、その射精を継続させたまま、最後は虚空へとぶちまけ、4人のヒロインの体躯を白く染めさえしていた。もう、とにかくすごい、としか言いようがない。2ページの中に、5回シャノマトペがあった。みんなシャノマトペが好きすぎて、回数が増えるのはもちろん、1回ごとの文字数も増える傾向があり、最終的(たぶん60年後ぐらい)にはシャノマトペが遂にそれ以外の文章の量を超えてしまい、宇宙はビッグクランチへと転じるのではないかと言われているのだが、だとすればこれはその流れを推し進めた1冊だと言えるだろう。バトル系少年漫画が強さのインフレを起こすように、純粋理性批判もまた射精バブルの時代を迎えるのだろうと僕は予測する。
 この文章が末永くネット上に残り、未来の研究者たちに驚嘆されますように。

2009.1.17

 純粋理性批判と社会契約論が同時に出た。計6冊。そう言えば純粋理性批判はちょっと前まで、基本2冊たまに3冊だったのに、恒常的に3冊になったな。いいことだ。
 いつも通り社会契約論の3点を先に読む。
 なかなかよかった。社会契約論はやはり会社としての歴史があるため、懐が深いというか、安定感があると思う。絶対にそんなひどいものは出てこないだろうという安心。要するに雰囲気作りがうまいのだ。老舗の料理屋の鍋は鍋に味が染みてるからそれで鍋を作ったらだいたい美味い、というような、そういう感じが社会契約論にはあると思う。
 そしてこれはいいこととも悪いこととも言えない。社会契約論が常に70点とか80点を弾き出すのに対し、純粋理性批判は10点だったり100点だったりする。そっちもまた魅力的なのだ。社会契約論と一緒にいると安らぐけど、常に目で追ってしまうのは純粋理性批判のほう。両者の関係というのはそういう感じだ。本当にどっちがいいとかじゃない。どっちかを選べったって無理。まじめな社会契約論も好きだし、奔放な純粋理性批判のことも愛してる。俺にとってはどっちも大切な恋人なんだ。だから両方一緒に……じゃ、ダメ、かな?
 最終的には個々の単行本の女の子キャラクターとかではなく、純粋理性批判と社会契約論という、レーベルそのものを擬人化し、萌えてゆきたい。
 わあ、すっごい高み! 人々がゴミのよう!

2009.1.16

 言うても性に興味のある少女たちにとり、僕の勃起は魅力的に映らないものだろうか。奇っ怪な男性器の構造を、愛するヒロとの実地の前に、リアルに学んでおく必要性に、少女たちは駆られないものなのだろうか。
 どうもここには大きな需要が眠っているような気がしてならない。ビジネスチャンスと言ってもいい。中学時代の僕がまさにそういう状況にあったように、少女たちもこの点に関して、需要ばかりが募っているのではないだろうか。実は彼女たちの頭の中には、(ちんこが見たい)(ちんこが見たい)という欲求が渦巻いているんじゃないか。そうに違いない。
 それが結果的に少女たちへの性の堕落へと結びつく。(ちんこが見たい)という欲求は、つまりは好奇心である。少女に好奇心を持たせたらロクなことにならない。練習後のラグビー部の部室なり、いとこのお兄さんの部屋なりに赴いた少女は、ちんこを見せてもらう替わりに、必ずや大事なものを失う結果になるだろう。
 これはゆゆしき事態である。思えばずっとゆゆしくて、をとめごらのゆゆしい哀しみを生んできたのだ。それなのにクソ教育委員会は、なんの処置もしてこなかったのだ。
 今こそ改革の時である。
 ちんこを見させてもらう替わりに処女を失ってしまう、というこれまでのシステムは、一応は需要と供給が成り立っている。ただし客観的な価値基準から鑑みて、少女のほうが大いに割を食っているのは言うまでもない。ちんこの公開が少女の純潔と対価であった時代など、有史以前を振り返ってみても存在しない。つまり、もはやこれは詐欺なのだ。開国直後の明治の日本で、やってきた外人が日本人とお互いの硬貨を両替したらしいが、日本人がつかまされた外国の貨幣の価値に比べ、日本のお金は金や銀の純度が高く、国へ持って帰るとすごい高値で引き取ってもらえたという。ちんこと処女は、だいたいそんな感じであろうと思う。
 僕はこの偏りを是正したい。つまり、ちんこが稀少であるからいけないのだ。少女にとって生のちんこがもっと身近な存在であれば、少女も危険を冒してちんこを求めたりしなくなる。昔はたぶん祭りとかが果たしていたこの是正を、いかにして成し遂げるか。
 もちろん、裸の上にトレンチコートのみを羽織り町を闊歩するわけにはいかない。どうして僕が逮捕されなければいけないのだ。少女たちの流れるはずだった涙をせき止める役割を果たす僕が、逮捕などされていいはずがない。
 ではどうするか。これはやはりクソ教育委員会が決心するほかない。すなわち、少女たちへの性教育カリキュラムに、僕という教材を用いる許可を彼らが出す、ということだ。
 イラストやビデオ、あるいは人形など、いかにリアルに努めようと、結局は作りものである。それらがもたらすちんこは、とても少女たちの好奇心を満足させるものではない。むしろますますかき立てさえするだろう。本物のちんこってじゃあ!? となる。逆効果なのだ。
 その点、僕ならば本物である。サイズとか角度とか、そういうのは今はいいじゃない。とりあえず少女たちは本物のちんこを、間近でつぶさに観察することができる。これによって少女たちはちんこに対し親近感が持て、いたずらに妄想を膨らませることがなくなる。すばらしい。
 これまでの町の乱暴者たちが、ちんこ公開の代償として少女に破瓜を求めてたのに対し、わきまえている僕はそんなこと言わない。ただ制服を脱いで下着になってくれればいい。これは自然学習で泥まみれになるから、水着とか捨ててもいいTシャツとかを用意してきなさい、と同じようなテイストでの下着ということである。格別そのような流れを求めるというわけでもないが、どうしたって場合によっては僕が射精へと至るケースも出てくるだろう。学校の偏差値によってはそういうこともありうるはずだ。そうしたとき、制服に掛けるよりは下着に出したほうが被害は少ない。それゆえの下着ということである。ユッコのブラかーわーいーいー。
 ちなみにこの役割というのは、そこらへんにいる男性教諭ではいけないのである。そのことも強く主張しておきたい。なぜなら男性教諭は、ちんこにあてられてエロい気分になった少女が、授業が終わったあと交渉を求めてきた場合、抱いてしまうからである。これでは意味がない。
 その点、僕は安心だ。なぜか。なぜなら僕の勃起は芝生だからである。ただ五月の風にそよぐだけだからである。この仕事は、勃起にそんな風な芝生性がなければ勤まらない。選ばれた仕事なのだ。職業に貴賎はないが、この仕事だけは尊いと思う。
 そういったことも含めて、今後クソ教育委員会には協議を進めていってほしいと思う。

2009.1.14

 昇りのエスカレーターで、4段ぐらい前にひとりの女子高生がいて、しかもその子がスカートの尻の部分を手で押さえていなかったのだった。
 6年に一度ぐらいの頻度でこういうチャンスが巡ってくる。
 それで、さて実際ショーツ(あるいはボニータ)が見えたかどうか、と言えばまあ見えなかったのだけど、太もものすごいところまでは見えたのでまあよかった(もしかしたらボニータはおろかショーツも、穿かないタイプの子だったのかもしれないね)。6年に一度のイベントを無事に堪能したな、という感じがあった。
 そのあとエスカレーターを降りて、僕は少し早歩きをし、その女子高生のほうをちらりと見た。女子高生の顔を確認するためだ。これでいい結果がもたらされる確率はきわめて低い(後ろ姿は女子高生の7割がかわいいが、顔を見てかわいいのは2割にも届かない)のだが、でも見ずにはいられないのだからしょうがない。そして見る。その子は、まあ中の中の上ぐらいかな、という感じで、でも清潔感があるので決してマイナスではない、というくらいの容姿だった。
 でもそんなことは大して問題じゃなかった。それよりもっと大事なのは、彼女を見た瞬間に僕が、なぜ年ごろの少女である彼女が、エスカレーターで無防備にスカートを風に晒していたのか、というミステリの真相に到達したことだった。
 答えはこうだ。
 彼女はケータイをいじっていたのである。
 なるほど、と思った。
 ケータイ大好きな女子高生は、ケータイが好きすぎて、スカートが風になびいていることなんか、すっかり失念してしまうんだ――。
 これは実にいい機構だと思った。つまり世の中、もっとケータイのコンテンツが充実して、女子高生がもっともっと夢中になれば、もっともっともっと僕がエスカレーターで女の子のスカートの中身を見る機会が増す、ということだ。なんて素敵な世の中か。
 もういまさら町の男に見られちゃうスカートの中身なんかどうでもよくて、ウチらにとって大事なのはこの3インチの中の世界であって、これを見られるのはショーツどころじゃなくて、小陰唇を見られるぐらいの恥ずかしさ、だから電車で横の席の人とかに覗かれないように、リトルマーメイドの盗み見防止シールも貼っとるんだけんね……という観念の世界。
 そんなわけだから、ケータイ小説とかが流行るのもぜんぜんありだな、と思った。風が吹けば桶屋が儲かる的に、ヒロが白血病になればなるほど、女子高生はスカートに無頓着になり、6年に一度は3年に一度に短縮され、僕の芝生は青々と茂るのだから、と思った。
 とは言え女子高生のケータイのディスプレイは小陰唇みたいなもの、と捉え出すと、ちょっとそっちのほうに魅力が湧いてくる感もある。

2009.1.12

 休日をおうちでのんびり過ごす。今年初のふたりのんびり休日。堪能した。ふたりで過ごす1日は、心地よくて大好きだ。さすがは結婚するだけあるな、と感心するほどにファルマンと過ごす休日は満ち足りた気持ちになる。もっともお互い勝手なことをしていて、食事以外の時間はほとんど共有しない。ファルマンが今日なにをやっていたのか、ぜんぜん知らない。なんやらヘッドフォンをして、ずっとノートパソコンに向かっていた。そして僕も僕で、耳にイアフォンをはめて、イラストを印刷したり、官能小説を書いたり、人形を作ったり、流しの下の整理をしたり、そんなことをしていた。充実だ。いい時間になって僕が食事の準備を始め、ぜんぜんテーブルのセッティングをしてくれない彼女に指示を出してやらせ、向かい合ってごはんを食べて、彼女の食べ方が下手で、相撲の話とかネットの話とかして、お昼にも夕食にもビールを飲んで、ああ幸せだなと思った。

2009.1.10

 小池里奈のことが気になってきている。表情がいい。「あれ、このクラスメイト、もしかして俺の恋人じゃね?」と思わせる表情を、この子は写真の4枚に1枚はしている。ふたりで海に来たものの急な夕立ちで泳ぐどころじゃなくなってしまい、慌てて小屋に避難して「参ったね」なんて言い合っている、そんな感じの表情なのだ。
 これは篠崎愛にも共通する。でもどちらかと言えば篠崎愛は隣のクラスな感じだと思う。隣のクラスから僕のことを好きになりそうな顔をしている。そこがいちばんの差異だ。
 どちらがいい、ということはなくて、クラスメイトの小池に感じる身内の安心感もよければ、保健委員会つながりでお互いのクラスの愚痴を語り合える篠崎もいい。
 ちなみに篠崎愛が1992年2月生まれの16歳で、小池里奈が1993年9月生まれの15歳。若いなあ。特に小池はちょうど10個下という計算だ。10個下のグラビアアイドルという存在には驚きを禁じ得ないけれど、逆に、10個下ともなれば、ある意味でたしかにクラスメイトな気もしてくるから不思議なものですね。人生って。

2009.1.9

 また、キャラクターとしてめんどくさいという意味で、最もめんどくさいのは、なんと言っても父だ。この父の扱いがやたらとめんどくさい。
 義父と義母は父に気を遣ってくださり、新郎新婦から両親に花を捧げる際にも、一緒に渡してあげればよいのではないか、などと言ってくださるのだが、それはどう考えてもおかしいと思うし、そもそも父が結婚式に顔を出すのは、おまけ的な、こちらとしては「苦笑い」的な意味合いしかない。「恨み」みたいな生々しい感情もまるでないのだが、正当な父として扱うのは絶対的に違和感があるし、なんと言うか、とにかくチョー宙ぶらりんな感じなのだ。姉の結婚式の時もまったくもってそうだった。今回もきっとそんな感じになるのだと思う。あっちも一応、こっちも一応、な感じで一同に会するだけでしかないのだ。でもそのニュアンスはなかなか伝わりにくいらしく、伝えようとすればするほど、義父と義母からは「やはりこの子は父親に対して相当なわだかまりがあるらしいぞ」と思われてゆくように感じられるのだった。ないのに。ものすごくフラットな、「空気が乾燥してて参ったね」ぐらいの感情しかないのに、そのことを解ってもらおうと言葉を弄すれば弄するほど、拘泥しているように捉えられてしまう。ドツボである。めんどくさい。
 とりあえず今週の日曜日、そのめんどくさい僕のほうの実家にファルマンともども顔を出す予定。祖母も来ていると言うし姉も来ると言うし、結婚式の話を少し詰めたいと思う。ちなみに姉は今日が誕生日。29歳。姉が29歳かー。

2009.1.8

 それにしても女子高生のスカートはすごい。おっさん寒さのあまり先月から股引デビューしてると言うのに、あの子たちのスカート丈と来たらもう。もっとも女子高生の場合、スカートがすごいというか、スカートから伸びる太腿、それを映えさせる制服、そして全体の凛とした雰囲気、そんな風なすべてのバランスがすごいのだと思う。もはやそれは神々しい。女子高生はなんで寒くないのか。それは神から護られているからだ。説明のつかない超常現象には、神の力を感じるほかない。女子高生の太腿の体感温度は、科学では実証できない特殊な力が働いているのだ。ときどき女子高生を見ていると、あまりにもあまりにもかわいくて、これは人間とかいう生き物なんかじゃ決してなくて、金属みたいな、そういう原初的なものではないかと思えてくる瞬間がある。ここに僕は女子高生を護る、護ると言うか創造した、神の存在を垣間見る。僕はそれを崇めたい。あるいは、死後それになりたいと思う。戒名に「女子高生」の4字があれば幸福だ。

2009.1.5

 ファルマンがようやく戻ってきた。
 しかし一筋縄ではいかなくて、午前中にメールを受信し、誰からかと見れば上の妹からで、「お姉ちゃんがケータイを忘れました」とのメッセージである。ああさすが、と思った。そうそう、そうでなくっちゃファルマンじゃないよね、という感があった。
 かくしてファルマンは携帯電話を持たずに半日の移動をすることになった。
 もっとも彼女も大人だから、帰ってくること自体は問題ない。大体の帰宅時間も事前に聞いているので、こちら側の食事の準備も大丈夫だった。
 なにより僕が危惧したのは、「ぱぴこさんが半日もの移動の最中、日記を書けないなんて」ということである。あのぱぴこさんが日記書きを禁じられてしまったら、いったい移動中なにをするというのか。眠るのも、ずっとというわけにはいかない。起きている間、彼女はいったいなにをするのか。することなどなにもない。普段だって日記書き以外なんにもしてないではないか。
 これは相当のストレスを溜めて帰ってきて、帰宅するなり食事もそこそこに阿修羅のごとくキーボードを打ち叩くに違いない、と僕は覚悟した。
 でも帰ってきたファルマンは、疲れた様子はあったもののまあまあ上機嫌で、ほとんどパソコンに向かう様子がなかったので、拍子抜けした。危惧のことを話すと、「私はあなたと違って、「ない」となったもののことを、半日もうだうだ考えたりしないの」と言われ、ああそうかいと思った。
 僕なんか、「ない」となったもののことを、半日もうだうだ考えたりするのではないか、と半日うだうだ考えていた。ここまでくれば立派ではないかと思う。

2009.1.5

 結婚式の食事会でやる落語を書かなければいけない。
 しかし先日の打ち合わせではっきりしたことには、花嫁であるファルマンに落語をやらせることはどうも難しそうだ。白無垢だの打ち掛けだのと言っている一派を見ていると、どうも落語とは言い出せない空気である。「新婦さんは当日、ゼリー飲料などを用意しててください」とか言われていた。あまり落語をやれと言えそうにはない。
 とは言え余興というものはやはりなければいけないのである。
 そこで大抵の場合どうなるのかと言えば、やはりカラオケということになるらしい。旅館の支配人も、「両家から歌のうまいひとがそれぞれひとりずつくらい出て、歌えばいいんじゃないでしょうか」とおっしゃっていた。それはたしかにまったくもって無難で楽だろうと思う。
 だが僕は、別に「憧れの結婚式は絶対にこうしたい!」というゼクシィ的な願望があるわけでは決してないけれど、とは言うものの自らの結婚式で親戚が20人ぐらいが集い、各人が中途半端な手拍子を打つ中で、ちょっと出たがりなひとりの親戚が、朗々とそれなりの歌を歌う、という、そういう時間はどうしても作りたくないのである。
 なんと言うか、テンションが下がると思う。
 僕が僕の結婚式でテンションを下げてはいかんだろう。
 ファルマンにこの話をしたら、「私もおじさんたちのカラオケだけは絶対に嫌」ということだったので、もしもカラオケが始まった場合、主役ふたりのテンションがだだ下がりすることとなる。やはりこれはなんとしても避けなければいけない。
 けれどもファルマンが落語をやることはどうしたってできないのである。
 ここで浮上してくるのは、「僕が自分で落語をやる」という道である。
 もはや残された道はこれしかない。これならばテンションは下がらない。むしろドーピング並に上がる。上がらないことにはできない。でもせっかく主役の結婚式なのだから、そのくらいのものがあってもいいのではないか。
 今そんな風に思っている。

2009.1.4

 ひとり暮しが寂しい。初日から寂しくて哀しい。
 昨日から、スーパーでやけに散財してしまう。ふたりなら作るのだが、ひとりだと作る気が起こらない。出来合いのものは僕の食に対する満足感を手作りのものほど満たしてくれないので、やけに量だけ買うことになる。非経済的だ。
 そして風呂にも入らなかった。ひとりで湯船にお湯を張るのはバカらしいが、シャワーはこの時期どうしたって寒い。結果、入らないのが一番という結論になった。
 平素からひとり暮らしの人々は、きっとここらへんをバランスよくうまいことやっているのだろう。だがにわかひとり暮らし、3日間ぐらいだけひとり暮らしの僕には、とても無理だ。
 ただ寂しい。ただ哀しい。このまますごく平和に消えてしまいそうだ。
 思えばこれは毎年のことだ。どうも去年もこんな風に、帰省からのんびり帰ってくるファルマンへの怨嗟をぶつけたような気がする。
 これでそのうちファルマンが妊娠でもしたら、いったいどうなるのだろう。

2009.1.2

 夕方から結婚式の打ち合わせを兼ねて出雲大社のほうへ。出雲大社は人だらけだった。おみくじを引いたのだが、あまり内容は覚えていない。下の妹の文面に「子どもができちゃうかもしれない」みたいなことが書いてあったような気がしたが、勘違いだったか。
 そのあとは大社の近くの旅館まで歩き、ここで披露宴代わりの食事会みたいなことをするので、そこの支配人の方から、父親と母親を含めた4人で話を聞く(妹たちは少し離れた場所で暇そうにしていた)。そしてこの人の話がしつこかった。丁寧なのは解るのだが、異様に過去のエピソードを披露してくるのが耐えられず、途中で「その話はもういいです」と、かなり苛々してる風を隠さず話を断ってみるのだが、それでも気にせず自分の中で決まっている文面を読み上げる感じが、非常に参った。
 参ったと言えば、食事会の司会は結局僕自身がやることになりそうで、これもだいぶ参ったことだと思う。式では、神に向かって夫が「我々夫婦は仲良く健やかに……」みたいな宣言をしなければならないと言うし、どうも僕ばかり当日の負担が大きい気がする。これはやはりファルマンに落語をやってもらわないことにはバランスが取れないと思った。
 打ち合わせのあとは、予約を入れてくれていたという寿司屋に移動。まあまあ美味しかったのだが、主人と常連客の雰囲気がよくなく、勇気を振り絞って出した注文は、ふたつのうちひとつが無視され、すっかり心が折れた。「なにか光り物のお刺身はできますか?」という質問が、こちらでは気取った物言いと取られるらしい。この山陰の閉鎖性! だから田舎者は嫌なんだ!
 しょうがないので帰りに寄ってもらったコンビニで、憂さ晴らしとして大量にスナック菓子やらアイスやらを買い込む。そうして家に帰ってからガーガーとビールを飲んだ。プレミアムモルツを珍重する義父が、今夜はリッツの上にオイルサーディンやらカマンベールチーズを乗せたものなんかをおつまみとして用意するので、僕はそれをコンビニで買った発泡酒を飲みながら、パクパクと喰ってやった。「ビールとしてはこちらのほうが正解なんですよ! ホップの芳醇な香りなんか美味しくないんですよ!」とか言いながら。
 心が折れたのは明日はもう帰宅だからだ。そのせいでお酒を進めてしまっては、夜が短くなって、さらに明日が近付いてしまうというのに、なかなか酒を止めることができない。要するに僕はむちゃくちゃに寂しかったのだと思う。

2008.12.31

 5時起きの大晦日。真っ暗。暗い時間に起きるのは久しぶり。昨晩は帰省が愉しみで愉しみで、「眠れないのではないか」と不安だったのだが、ファルマンによるとすぐに寝たらしい。「俺、眠れないかもしれないよ!」と変にテンションの上がった僕は、おもむろに羊の数を数え始め、そして4匹目で眠りに就いたらしい。のび太か。ちなみに忘年会で泡盛を飲んだというファルマンは2時まで眠れず、寝た後も何度か目が覚めたという。俺の勝利だ。
 ちなみに今はまさに移動中。新幹線の、名古屋を出たところ。次の停車駅は京都。
 先日「ポメラ」という携帯用ワープロを購入したので、出先で文章が打てるようになった。うれしい。人気商品で入荷待ちだったのだが、この帰省に間に合ってよかった。
 新幹線は、昨日おとといとなんかトラブルが連続していて不安だったのだが、とりあえず順調に走っている。このまま無事にいってほしい。
 ファルマンは横の席で口を開けて寝ている。写真を撮りたいくらいだが、携帯電話しかないし、痛いカップルみたいになりそうなので諦める。しかし口が開いている。
 まもなく新神戸。新幹線がひかりということもあるけれど、意外とある。こうして考えると飛行機はやっぱり速いな。リニアモーターカーってなんのために開発されるのだろう。それよりも飛行機の方が速いんでしょ?
 ファルマンがやおら起きて、ポメラを打つ俺の横で、フルキーボードの携帯電話で日記を打ち始めた。あれ? もしかしてこの夫婦、気持ち悪くない? 相当に痛々しくない? 気のせい?
 岡山に到着して新幹線を降車。岡山から出雲は今回、特急電車ではなく長距離バスを利用することになっている。バスの出発時刻は2時間後なので、岡山で昼食がてら時間を潰す。陸路で出雲に行くのはたしか3度目だが、岡山でこういう時間を持つのは初めて。駅前広場に桃太郎の像があった。犬、猿、雉を連れているのだが、頭の上に10羽近い鳩が止まっているので、犬、猿、雉、ハト、ハト、ハト……、という感じになっていておもしろかった。鬼ヶ島に糞害を与える作戦か。
 うどんを食べ、ケーキ屋でお茶をして待機。城とか見ないのね。観光地で与えられた2時間を、ぜんぜんガツガツすることなく、ダラダラと過ごした。余裕。
 そうして今バスの中。新幹線の際も、静岡をすぎたあたりで地面に雪があるのを一瞬目にしたのだが、こちらはもう本格的な雪。先ほどトイレ休憩でちょっと外に出たのだが、牡丹雪がいくつも頭の上に落ちてきた。
 なんだかすごく不思議な感じだ。外はもちろんすごく寒いのだが、バスの中はあたたかくて、今が何月何日なのか分からなくなる。何月何日って、大晦日だ。1年最後の締めの日に、日付の感覚がすっかり霧散してしまった。加えて窓から見える風景はもちろんぜんぜん知らない土地(今は安来らへんらしい)だし、目的地も妻の実家で、よその家で年越しをするのは初めてで、島根の年越しがどんな風なのかぜんぜん分からないし、そんなふわふわと実感を伴わない感じが、すごく不思議な感じ。何年何月何日何時に、僕はバスでどこへ行こうとしているのか。それにしても横の席で口を開けて眠るファルマンである。
 17時過ぎに出雲市駅に到着する。駅までは義父と義母が迎えに来てくれていて、すぐにおうちへ。夏の日帰りの挨拶も入れると、これで4度目。なんなら出雲市駅からファルマンの実家への道程は僕が運転することも可能というくらいの慣れ具合である。
 岡山からすでに帰ってきている下の義妹、近所のバイトから帰ってきた上の義妹と久しぶりの対面。前者は春、後者は夏以来か。相変わらず愛しい。
 祖父も合流し、すき焼きの豪華な夕食。おいしく食べた。出前の出雲そばも用意されていたが、すき焼きをダラダラ食べていたら、胃の容量が空いていなくて往生した。ただでさえ「君は出雲そばが嫌いなんだよね?」という誤解を受けていて、「違いますよ!(特別おいしいとも思いませんけど嫌いでは決してないですよ!)」と言っていたのに、結果的にお腹いっぱいで残してしまい、やっぱりどちらかと言えば嫌いなのかもしれなかった。
 紅白をけっこうきちんと観た。布施ときよしがよかった。年越しの瞬間はほとんどまったく感慨なく過ごした。下の義妹はかつて年越しの瞬間に、姉ふたりに手を繋ぐことを要求してきた、という話を数年前に聞いて、僕はそのことをしっかり記憶していたので、今回も期待していたのだが、彼女も大人になったらしくって、ぜんぜんそんな素振りがなくて残念だった。
 去年ほどじゃないけどしこたま酔って寝た。

2008.12.27

 上の義妹が、クリスマスパーティーだか忘年会だか知らないが、バイト先でのそういう場に参加し、愉しんだそうである。それ自体は大いに結構なことだと思う。
 けれどその会において独身の男性社員と「米粒つけあいっこ」をしたとなれば黙ってはおれない。性の乱れに対し厳格なお義兄さんは、まさに大激怒である。
 そもそも聞いたことがない。なんだよ、「米粒つけあいっこ」って。「女の子と米粒」というモチーフだけでも卑猥なのに、それをつけあうんすか? つけても、つけられてもいやらしいじゃないですか。そのゲーム、負けても勝ってもこっちの勃起(勝利)じゃないですか。
 しかも義妹はその際タートルネック的なものを着ていて、男性社員はそのタートルネックの義妹の、あろうことか首筋に米粒をくっつけようとしてきたそうである。タートルネックの義妹の首筋に米粒をくっつけようとしたところ反撃されてしまうきゃっきゃきゃっきゃ!
 日夜これほど熱心にきゃっきゃきゃっきゃを研究している僕がちっともきゃっきゃきゃっきゃできず、エロミッフィーモノマネをする妻を大爆笑しながら眺めるだけの日常だというのに、それに対し絶対にきゃっきゃきゃっきゃの研究をしていない、きっとテニスとかが趣味のバイト先の男性社員が、斯様なまでのきゃっきゃきゃっきゃを獲得しているという、この不公平。赦せない。赦せませんよ。あなたとはちがうんですか何が僕は。

2008.12.26

 クリスマスケーキを食べるとき、また恒例のファルマンによるモノマネ独唱(曲目は「ジングルベル」)があり、誕生日に引き続いて宇多田ヒカルをリクエストしたら、今回ももちろん絶妙の出来だった。余韻が似ているのだ。余韻を似せるって、奥さん本当に芸達者だなと思う。
 そんな彼女の最近増えたレパートリーが、「ミッフィーのモノマネですごい卑猥なことを言う」というもので、これはすごくおもしろい。

2008.12.24

 結婚して初めてのクリスマスイブなのだった。どうってことなかった。
 ファルマンがケーキ担当で、僕がチキン担当で、僕がモスチキン4ピースを買って帰ったら、ファルマンの買ってきたケーキはまさかの1ホールで、「おいくら?」と訊ねたら「2800円」とか言うので驚愕した。5kgの米が買えるじゃねえか。20日間分くらいの主食が賄える計算じゃねえか。
 でもまああれだ。これはあくまでファルマン談なのだが、今年のケーキは全体的に高いのだそうだ。たしかにバターとか高いわけだし、そうなのかもな、と思った。
 というわけで食べた。ひとり4分の1ずつ。でもファルマンが途中で「なんかクリームの味が苦手かも」と言って残しやがり、曇りなくうまうまと食べていた僕が残りを引き取ったので、僕が8分の3、ファルマンが8分の1という感じだった。
 ちなみにこの図式は残りの半分を処理した、翌日の夕食のデザート時においてもまったく同じだったので、最終的には僕が全体の4分の3食べたことになる。2日間で4分の3ホールのケーキを食べてしまった。モスチキンもガツガツ食べ、ビールもグビグビ飲んでしまった。
 そう言えば書き忘れていたけれど、10月に受けた健康診断の結果がけっこう前に届き、もちろん概ね問題はなかったのだけど、唯一『血中脂肪が高い』という注意だけがあってしまった。
 それで、その診断書が届いた晩の食事にだけオニオンスライスを食べたりしたが、それ以来ぜんぜんやってない。そうしてこんなハッピーなクリスマスを迎えてしまった。もっとも僕の仕立てるオニオンスライスはマヨネーズがたっぷり掛かるので、そんなに血をサラサラにする効果は望めないとも思う。このどうしようもないエピソード中のたったひとつの救いと言えば、掛けるマヨネーズがカロリーハーフという点のみだろう。

2008.12.23

 帰省に持ってゆく本を、はじめ純粋理性批判だけにしようと考えていたのだが、ちょっとは違うのも読むべきなのではないかと思い、イラストのない他の官能小説レーベルに挑戦することにした。それで今日、予行練習として1冊読んでみる。美少女文庫じゃないフランス書院文庫の、黒いの。
 これが、ぜんぜんおもしろくなかった。
 なんと言うか、気概がない。ロボット並に外的要素への反応が単純なおっさんに向けて、死ぬほど漫然と書かれているなあという感じ。読者を舐めるとはこういうことか、と思った。
 どうも「イラストがある」という点において、純粋理性批判や社会契約論が、そうでない官能小説に較べ、一段低いもののように捉えられている風潮があるなと思う。正直言って僕も久し振りに黒いフランス書院を読むまでは、ちょっとそう考える部分があったのだが、実際に読んでみたらぜんぜんそんなことなかった。
 文章のみで想像力を刺激して興奮させる、というのが官能小説界のモットーなわけだが、それは理想論と言うか、そもそもセックスを疑似体験する官能小説において、大事なのはスピード感であり、だから官能小説は、文言のひとつひとつをじっくり味わうというよりは、熟語なら熟語を、本当に視覚的に記号的に捉え、そうして頭の中に投げ込まれてくるキーワードを、再構築して抽象的なイメージとして処理してゆく、というそういう読み方をするものだと思う。だからその一助としてイラストがあるのは僕はぜんぜんいいと思う。これは逃げではない。作り手側からの読者への親切心と言うか、誠意であると思う。ともに高みを目指してゆきましょう、という志を感じる。そして僕ら読者は2時間の心地よい時間を過ごすのである。
 そもそも設定やキャラクター造形が、黒いフランス書院だと、想像の範疇を超えることがない。人妻と言えば人妻だし、女子高生と言えば女子高生でしかない。だから、そういう意味ではそもそもイラストは不必要なのだとも言える。そこには無味の記号しかない。その点から見ても志が低い。切り開いてゆこうという勢いがないのである。
 それに対し純粋理性批判の設定の複雑さはどうだろう。設定は現実離れし、ヒロインの描写は細かく、イラストで明示されないことにはなかなか想像が追いつかない。その分だけ、地に足の着いた、浮遊できない官能小説より、高い次元の官能が可能となっていると思う。
 帰省にはやはり純粋理性批判だけ持ってゆきます。3姉妹ものとかを。

2008.12.22

 タグ付け作業が停滞している。purope★papiro★cantabileが2004年の2月(24)から始まり、3月(31)、4月(31)、5月(33)、6月(30)と進んで、次の7月の記事数が(59)と表示された瞬間に、テンションがすとんと落ちてしまった。
 59て……、と膝から崩れ落ちた(心象風景)。
 それでもこの時期はまだ平和なのだ。これから1年後には「pee★pee★mur★mur」を皮切りに雨後の筍のようにブログが増えてゆき、そのそれぞれでせっせと記事が邁進されることとなる。
 想像しただけでうんざりだ。当時のせっせさと、現在のノンせっせさが、きれいに比例している。生徒会のテンションが上がれば上がるほど一般生徒のテンションは下がるみたいな、そんな感じだ。
 それでもコツコツやろうと思いはするのだが、現在進行形でKUCHIBASHI DIARYで毎日記事を書くことを考えれば、タグ付け作業を1日2記事分やったとしても、追いつく量は2-1で1であり、総合の記事数が2000弱だとするならば、完全に追いつくのは5年後ぐらいということになる。これはつらい。これはテンション下がる。そんでもってテンションが下がってタグ付けの作業が停滞すると、KUCHIBASHI DIARYの記事数ばかりが伸びてゆき、またどんどんゴールが遠くなるのだからどうしようもない。サクラダファミリアが完成しない理由がよく分かる。作りながら老朽化し、壊れ、補修作業に手が掛かるから、そんなこんなで結局いつまでも完成しないのだ。解る。解るよスペインの大工。だったらいっそcozy rippleも世界遺産に登録されればいいのにと思う。

2008.12.19

 何日か前に、義妹を思って「こうしちゃいられない」気持ちになり、純粋理性批判を読んで、それによって得た資材で、脳内に性欲大伽藍を建立し、その中庭には芝生があり、義妹はふたりともそこでしあわせそうに微笑んでいる、というようなことを書いた。
 それに加えて昨日書いた、方向性のない様式美としての勃起の話。
 今日になってこれらの事柄が、ひとつの線にまとまったので記しておく。
 つまり僕のこの、愉しく朗らかな勃起というのは、「芝生」なのである。その勃起を他の言葉で言い換えるとすれば、「芝生」以外にない。一面に生え揃い、爽快感を感じさせ、ヒーリング効果があり、転んでも怪我をせず、思わずその上に腰を下ろし、童謡でも歌いたくなるような、これはそういう勃起だろうと思う。通常の勃起が樹木だとすれば、僕によるこの勃起は間違いなく「芝生」だ。
 そして「芝生」であるがゆえに、「萌え」なのではないか。
 そうなのだ。勃起という直接的な反応が、ちょっと事態を分かりにくくしていたけれど、欲望を吐き出す必要性のない勃起、これは性的欲求で括ってしまうよりも、「萌え」として捉えたほうがよほどしっくりと来る。
 つまり「萌え」というのは、例えば猫耳なら猫耳でいいのだけど、その猫耳の少女が、脳内性欲御殿の中庭の、敷きつめられた芝生の上で、なんの憂いもなくくつろいでいてほしいと感じること、つまりそういうことなのではないだろうか。もちろん建物全体としては性欲によって造り上げられたユートピアであるから、中庭と言えど基本的には性欲で彩られている。でもそれじゃあセックスをしたいかと言えば決してそうではない。そういうんじゃなく、堅苦しい儀式の執り行われている建物からは一緒に抜け出してしまって、僕ら中庭で草笛でもしながら乳首をいじくりあおうぜくらいの、「萌え」というのはそういうものなのではないか。
 つまり図式としては、「義妹→こうしちゃいられない→性欲→建立→パーティー→脱出→芝生→萌え」という、そういう感じになるのではないかと思う。この論についてはそのうち、「「萌え」とは何の植物が生えているのか」という新書を上梓し、きちんと説明したいと思う。

2008.12.18

 相変わらず義妹に想いを馳せ、そして勃起している僕である。
 そうだ、正直言って義妹に想いを馳せる僕は勃起するのである。でも勘違いしないでほしいのは、それは義妹とセックス的なことをしたいという欲求があるからではない。そうではなくて、この勃起は、そういう、単なる男と女として僕と義妹と捉えた場合、健全なものとなるそういう勃起ではなくて、もっと下卑た性質の勃起なのである。なんと言うか、様式美的な、不必要だが、あることによって全体が締まる、みたいな、そういう勃起なのである。
 だから逆に言えばぜんぜんいやらしくない。なんせただ勃起するというだけで、ぜんぜん方向性のない勃起である。ただ大きくなるだけなのだ。「鎮めてくれなくちゃ苦しい」などと言うつもりももちろんない。見やると、お義兄さんは何事もないかのように微笑んでいる。でも股間はたしかに勃起している。これはそれほどに、どうでもいい勃起ということだ。
 しかしどうでもいいからこそ広がる可能性というのもあると思う。お義兄さんがセックスを期待してたらその勃起は危険だが、セックスの待ち受けていないその勃起は、まるで動物園の檻の中にいるライオンのように、獰猛であればあるほどに愉快、むしろ眠ったままだと強化ガラスを叩いて起こしたくさえなる、それほどまでに愉しく平和的な勃起である。
 それゆえに、義妹たちの抵抗感も薄いのではないかと思う。まるでサファリパークで生肉を餌でやるように、レジャーを愉しめばよいではないかと思う。

2008.12.16

 今月の純粋理性批判が3冊同時に発売された。いつか、「通しナンバーが110番台に入ったらまた純粋理性批判は質が高まる」と書いたが、さて中身はどうか。とりあえず相変わらずちんこは描かれないままだ。最近なんだかんだで世間的には、一時期厳しかった規制が若干緩くなっているような感じが、一部の雑誌を見ているとするのだけど、なぜ純粋理性批判は今ごろ自粛モードなのだろう。本当にこれはよくない。
 ここ数日は昔の、70番台とか80番台のを読んでいて、その頃のは本当にいいなあと改めて思った。レーベルとしての脂が乗っているのだ。
 さてパピロノダムスの予言通り、またそんな時期はやってくるのだろうか。

2008.12.13

 統合ブログの編集を相変わらずやっているのだが、前に言った1日30記事なんて、とてもじゃないができないでいる。粘度が高くて多い日であっても30なんていかない。平日に至ってはひとつも進まないこともしばしばだ。だってそれをやっていると、他のことができないんだもの。それに加え、ちょっとだけ飽きてきたのも、この進度の遅さの一因と言えるだろう。
 そんなわけで、そもそもはじめからかなり無理だったが、cozy ripple5周年記念で公開、というのは諦めた。気長に、ライフワーク的な感じでやってゆこうと思う。

2008.12.10

 相変わらず過去の日記をまとめている。思ひ出ぽろぽろっている。
 2004年の、20歳の自分の日記が、依然としてかなり尖っている。社会批判とかしている。恥ずかしい。てっきり僕ははじめっから、女の子とちんこの話ばっかりしているんだと思っていた。全然そんなことなかった。ちょっぴりショックだ。
 今日やっていた分で特にすごかったのは5月25日の記事。
 一部を引用すると以下のような感じだ。

 「……というより、むしろ明確な悩み事がないことが、このテンションの低下の原因なのではないかとさえ思う。悩み事などの、ある一点への意識の集合があれば、それ以外のことに関しては目が曇るから、それはそれで成り立つ気がする。人間がいつまでも進歩を止めず、どんどん阿呆みたいに高みを目指すのは、つまりそういうことなのかもしれないと思う。
 人の営みって自転車操業的なところがあって、常にただペダルを踏むことだけに没頭することによって救われている。自転車から降りて周りの景色を見回してみると、これまではただ過ぎ去るだけだったいろいろが見えてきて、そういうことを考えるにつけ落ち込むのだと思う。よって僕は落ち込んでいる。
 これを改善するには、ふたたび自転車に乗り込むしかない。きっと僕はそのうち乗るのだろうと思う。しかし今は乗りたくないと思う。乗ることは欺瞞だと思う。大抵の人がそれに乗って、当てもなくどこかへ行こうとするなら、それに乗らずにいるのもいいのではないかと思う。
 無自覚な欺瞞からの逃避。」

 すごいと思う。最後の、「無自覚な欺瞞からの逃避」というフレーズと来たら。今の僕には口が裂けても言えない。声に出して言ってみると、絶対に噴き出す。「無自覚な欺瞞からの逃避」
 これに対しそれからちょうど3年後、2007年、23歳の5月25日の日記はこうだ。
 
 「雨である。誰かが言っていたがこんな日は、転びやすくなってシャツが透けて水溜りにショーツが反射すればいい、と思う。
 まひろさんが学年題俳句をアップしていた。最近はじまった高1女子としての日常の日記も悪くないのだが、やはりそちらも進めてもらわないとな。
 しかしこれでまひろさんはようやく「011 ボク 中学1年生」か。
 知人で学年題俳句の講評をしている人がいるのだが、彼の講評はもう「008 色情」まで進んでしまっているので、まひろさんにはとにかくがんばってほしいと思う。
 まあ1年3ヶ月で4分の1しか進んでない僕も人のこと言えないんだけど(笑)
 ――っていうここまでの文章の登場人物はすべて僕だ。
 「俺ばかりが正論を言っている」を2枚やる。ブログについて語り、ブログについて語った。一言つぶやきブログのことをブロイラーに喩えたのは我ながらなかなかいい。5月の記事数はこれで11。5月はすんなりだったな。
 「non-no」を眺め一首。
 ワンピにもスカートにもなる2WAYはお前みたいな女に合ってる
 「テックジャイアン」を眺め一首。
 この味が悪くないって俺が思ったんだから今日からこの日はオシッコ記念日ってことだよ」
 
 どちらがいい、と言うのは一概に言えない。結局いつの自分も好きなのだ。自分の日記を読み返すこの作業をしていると、20歳の頃の自分のことを、25歳の今の僕と、21歳、22歳、23歳、24歳の、各歳の僕が一堂に会して眺めているような心地になり、自分大集合の安心感と言うか、朗らかな春の日と言うか、これはもはや旅に20歳の自分を連れてきてしまったどころか、自分だらけのパラレル同窓会であると思う。つまりこの作業は、大好きなメンバーだけで開催する、連日のダンスパーティーなんだ! ひゃっほう愉しい千夜一夜! 21世紀のデカメロン!
 ちなみについでにファルマンの日記も、同じ日付で各年の日記を読み返すということをしてみたのだが、2004年の日記が、まるで彼女が昨日書いた日記のようで、これはこれで大いにパラレルだなあと思った。

2008.12.8

 ブログを収束させてゆくかもしれないということを少し前に書いたのだが、数日前から実際にその作業をやっている。新しく場所をひとつ借りて、そこにあらゆる記事を集結させている。
 とは言いつつもまだぜんぜんブログをまたぐところまでは達しておらず、作業ははじめのほうからやっているのだが、まだ初期も初期、「purope★papiro★cantabile」の本当に最初の数ヶ月分をやっただけだったりする。
 なにしろ念願のタグ機能のあるブログサービスにしたため、それがあまりにも愉しく、ひとつの記事にいくつもペタペタと張り付けまくっているのだ。タグの種類はもう100を超えた。つまり基本的に記事はぜんぶ読み返すことになる。そのためどうしたって時間が掛かる。1日に多くて30記事ぐらいしかできない。平日では20記事もきついだろう。
 当初の目標は新年から気持ちも新たに新体制ブログという感じだったのだが、今ではそれはきっぱり諦め、来年2月6日の「cozy ripple」5周年の際にスタートできたらいいなと思っている。
 だけど10を超えるブログの記事が総合でいくつあるのか分からないけど、このペースじゃそれもきつそうだったりする。仮に1日30記事できたとして、2月6日まで約60日。1800記事……というのは果たしてどうなんだろうな。ファルマンの「うわのそら」の記事数が1600台らしくって、僕のは多分それ以上なので、だとすればやっぱりきついと思う。
 まあできなかったらできなかったで。誰も困らんし。
 それよりもこの作業、じっくり腰を据えてどっぷり気持ちを注いでやってもいいかもしれない。作業中、思ひ出ぽろぽろ的な愉しさがある。私は今回の旅に、大学2年生の頃の私を連れてきてしまった。20歳の頃の、大学2年生の僕は、それなりにとんがっていて、割と大学生していることだなと思った。これに較べると今は丸くなったというか、本当に周りのことを気にしなくなっている。しみじみとそう思った。

2008.11.29

 労働が休みだったので実家に赴く。今回はファルマンはついてこず、ひとりでゆく。
 実家には祖母がいて、姉も途中から姪を抱き抱きやってきた。今回も終始ぐっすりと寝ていた姪は、アルバムで確認すると姉の赤ん坊の時の姿とやはりかなり似ていて、つまりはなんとも丸々とした不細工な赤ん坊なのだった。しかし「不細工だなあ」と感じながら膝の上に乗せていると、徐々になんとも言えない愛しさがこみ上げてきて、実になるほどなあと思った。
 来年3月の結婚式が、だんだん具体的になって迫ってきているのを感じる。こちらのメンバーは結局、祖母、母、叔父、姉夫婦と姪、父、もしかしたら父方の祖母、親戚みたいな近所の夫婦、という感じになりそうだ。人数は少ないのだが、いかんせん島根への遠征なので、飛行機やホテルのことなどが煩雑でめんどくさい。まあしょうがないのだけど。一生に一度のことなので、マックスめんどくせえけどやってゆこうと思う。
 5時ぐらいに実家を後にして、池袋でファルマンと合流。そのあと地元の駅近くの居酒屋に行って、ずいぶん久し振りにふたりで酒を飲む。さいきん振り返ったことには、僕らの家には6月ぐらいから一切、家族以外の来客がなかったりする。あまりにふたりきりで外にも出ず過ごしすぎだと思う。ちょっとすごいだろう。これ。きれいな顔してるだろう、死んでるんだぜ、これ。
 でもお酒はおいしく、心地よかったので、しあわせだ。それでよい。

2008.11.28

 ハンドメイド、消しゴムはんこ、「月刊少年 余裕」、と来て、この2日間は4コママンガのことばかり考えていた。「余裕」に4コママンガを書き下ろそうと思って書いていて、いくつか書いていたらどんどん愉しくなってきて、「世界は君のことを愛と呼ばないんだぜ」、「愛のままにわがままに僕は君だけには傷付けられないつもり」、に続くヒット君シリーズ第3弾を始めてしまう。始めてしまうと言うか、もう書き終わった。今回も12話。
 それでそのうちそれは「月刊少年 余裕」用ではないのでネットにアップしようと思うのだけど、それはいつもどおり「俺ばかりが正論を言っている」にやるべきか、と考えると、もうそうしなくてもいいんじゃないか、という思いが湧いてきた僕なのだった。これまで徹底してやってこなかったことだけど、「KUCHIBASHI DIARY」に画像をアップしちゃってもいんじゃね、そのほうが書き手も読み手も面倒じゃなくね、と思うのだ。ここ数日のポエムを足掛かりにして、なんかもうそんな厳密に日記ってことをがんばんなくてもいいだろうがよ、という心持ちになった。すごい心境の変化だ。
 だってブログ、そんなにたくさんあってもしょうがないと思うし――。
 なので今後ブログはどんどん収束してゆくかもしれない。
 「PUROPE★PAPIRO★CANTABILE」から始まり、20個ぐらいに膨張したブログは、やがて「KUCHIBASHI DIARY」ひとつに収縮するのかもしれない。ブログっていうのは、俺に言わせれば宇宙と同一なわけ。拡張と収束を繰り返すんだよ。うん。

2008.11.27

 
 「花*花」
 

 お前は生徒会長
 
 俺は普通の生徒
 
 しかもすげえイジメ受けてる
 
 だけど生徒総会であいさつをするお前の 膣には
 
 俺の仕込んだバイブレーターが仕掛けてある
 
 お前が花壇に植える花を提案してる時
 
 目盛りをMAXにする俺
 
 パンジーの花言葉は淫乱
 
 パンジーの花言葉は淫乱
 
 勘だけどね 花言葉とか詳しくないけどね
 
 センキュー
 
 お前と幼なじみでよかった
 

2008.11.24

  
 「安心させろ」
 
 
 俺は割とすぐに
 
 不安とか抱くタチだから
 
 本当にちゃんと
 
 安心させろ
 
 なんにも心配しなくていいんだよ
 
 ってことあるごとに言え
 
 将来のこととかも
 
 気にさせんな
 
 悩みという悩みを払拭させろ
 
 安心させろ
 
 安心させろ
 
 全身全霊かけて安心させます
 
 ってことあるごとに言え
 

2008.11.23

 ぼんやりテレビ欄を眺めたところ、テレビ埼玉で西武ライオンズの所沢での優勝パレードを生中継するというので観た。ファンだからではない。所沢だからだ。ちなみにパレードのルートを紹介する場面で、提示された地図に「プロペ通り」とか「ファルマン通り」という表示があって、なんかこっ恥ずかしい感じになる。僕らそれほど所沢にゆかりがあるわけでもないのに、なんでこんなことになってるんだろう。我ながら不思議だ。

2008.11.22

 天気がよかったので、自転車による中央線行きを実行してしまう。もちろんこれはひとりである。ファルマンは留守番。休日を別々に過ごすのはかなり久し振りな気がする。こう書くとまるで仲良しみたいだが、ただ単にふたりとも対外的な予定を作らないだけだ。
 事前にルート検索をして地図も印刷したので、予定通り、迷わずに1時間足らずで吉祥寺に到着することができた。すごいすごい。行けるもんなんだね。それまで電車でしか行ったことのなかった街に自転車で来ている自分、というのはなんか不思議な気がしておもしろい。非日常と日常の混ざる感じ。さすが自転車は精神的な乗り物だこと。
 でも吉祥寺に着いて、早速ユザワヤに行こうか、いやいやそろそろお昼の時間だし先に腹ごしらえか、と考えるのだが、しかしそれ以前に自転車をどうするかという問題があって、というのもいざ自転車で行ってみたら、徒歩の時はぜんぜん意識してなかったけど、繁華街に自転車を停める場所っていうのは意外とないのである。
 それでいちど歩道の、放置自転車の群がっているポイントに停めてみたのだが、やはり自転車が買ったばかりということもありどうにも不安で、しょうがないのでしばらく自転車に乗って街をさまよう。さまよった結果、駅からちょっと歩いた所に駐輪場を見つけ、そこに100円の一時利用で停めた。停めたら結局、吉祥寺の街は徒歩で散策するわけで、なんかちょっと自転車で来た意味が薄れたような感じもあった。
 お昼ごはんを済ませてからユザワヤへ。ひとりで来るユザワヤは、ファルマンにせっつかれることもなく、じっくり買い物ができてよかった。「月刊少年 余裕」のための色紙とかを買う。1枚20円の色紙を2枚買うのに、5分以上悩む。ファルマンがいたらできないことである。
 ユザワヤを出たあとは商店街を歩き、細々したものを買って、吉祥寺は終了。
 自転車を回収し、線路に沿って西荻窪へ移動する。例のレンタルボックスにまた納品をするためである。今回は消しゴムはんことくるみボタンを納品。前回納品した商品のうち、ヒット君人形が2体ほど消えているような気がした。売れたのだろうか。ひと月〆なので結果はまだ判らない。次に行くときには「月刊少年 余裕」を持っていければいいなと思う。
 西荻窪から、次は荻窪へ。
 そして荻窪から自宅へのルートは、いつもバスで来ているので頭に入っていた。そんでもって帰る。帰宅したのは16時ごろ。明るいうちに帰ってこれてよかった。
 そんなわけで自転車での中央線行きはなかなか愉しかった。またそのうちやりたいと思う。もっとも僕がこうして中央線に行く以上、ファルマンは参加することができないので、そのうち怒られそうな気もする。僕がいない間、ファルマンは部屋の掃除をしてくれていて、僕のパソコン周りもすっかり片付いていて、感謝の気持ちでいっぱいだった。

2008.11.21

 お金が湯水のようにあれば、仙人みたいに生きることが可能なのだなと思う。武者小路や志賀や里見など白樺派の人たちは、家にお金が湯水のようにあったから、それができていた。しかし武者小路の思想に共鳴した人たちはそうではなかったから、食べものを自分たちの力で作るほかなくて、それで苦労する羽目になった。
 要はお金である。あくせく働くことなくお金が手元に集まればいい。その機構さえ実現すれば「新しき村」は間違いなく成立する。そのためにはどうすればいいか。
 答えは明白である。白樺派の彼らに倣えばよいのである。つまり、おうちがお金持ちであればいいのだ。あるいは特別お金持ちでなくても、自分が普通に暮らせる分だけのお金を、親が毎月くれさえすればそれでいい。
 これはつまるところニートである。ニートにはもしかしたら武者小路が目指していた理想なのかもしれない。かもしれないと言うかきっとそうだ。結局みんなニートになりたいのだ。
 でも親というのは自分より先にいなくなってしまう。ニートというのはどうしたってここらへんがネックなのである。親の養いで生きると決意した者の宿命だ。この問題を一体どうすればよいか。
 僕はその問題を解決するための、画期的な解決法を思いついた。
 親が死んだ老齢ニートは、村に新しくやってきたばかりの若者ニートの、その親(おそらく老齢ニートと同世代ぐらいだろう)に養ってもらえばよいのだ。そして若者ニートが年をとり、親が死んだ際には、また新しい世代のニートの親に養ってもらう。そうやって村の歴史を脈々と重ねてゆく。
 結局は年金と同じようなシステムということになるだろう。
 共同体を作り、親からの潤沢な援助を得て、ネット環境を整備し、プランターでラディッシュとかを栽培すれば、ニートたちの未来もかなり明るいのではないかと思う。
 ここに僕は新しきニート村の開村を宣言する。

2008.11.20

 そう言えばちょうど今週の「週刊新潮」で、現在の「新しき村」の取材ルポが掲載されていたので読んだ。なんとも言えない感じだった。白樺派とか新しき村の理想って、きっと突き詰めれば「悠々自適」と言うか、プラスもマイナスもない安穏とした精神世界で生きてゆきたい、もっとぶっちゃければ俺ら仙人みたくなりてえんだよね、みたいな感じだと思うのだけど、その理想と、「食べものを自分たちで作る」という結論が、ぜんぜんかみ合ってないのが哀しい。連休も取らずにせっせと農作業をして、狭いコミュニティの人間関係に悩んでいる村民たちは、はっきり言って理想ではぜんぜんないと思った。しみじみと難しいのだけど。

2008.11.20

 昨日の序文について、ある人から「それは「暮しの手帖」の花森安治のパクリではないか」という指摘があり、確認したらその通りだった。1行目の「余裕」を「手帖」に、最終行の「月刊少年 余裕」を「暮しの手帖」に直すとまさしくそれになる。こわいこわい。無意識って本当にこわい。みんな安倍なつみのこと悪く言っちゃダメだよ。

2008.11.19

 これはあなたの余裕です
 
 いろいろのことが ここには書きつけてある
 
 この中の どれか 一つ二つは
 
 すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
 
 せめて どれか もう一つ二つは
 
 すぐには役に立たないように見えても
 
 やがて こころの底ふかく沈んで
 
 いつか あなたの暮し方を変えてしまう
 
 そんなふうな
 
 これは あなたの月刊少年 余裕です

2008.11.18

 「白樺」の創刊号の序文は、「白樺は自分たちの小なる力でつくった小なる畑である」というものらしい。かっこいい。僕も「月刊少年 余裕」で、歴史に残る感じの、様になる序文を考えたいものだとぼんやり思う。まあ無理だったら無理でいいんだけど。余裕を持って。

2008.11.16

 そのあとは先週に引き続き、ジブリ映画を観る。観たのは「となりのトトロ」と「耳をすませば」の2本。どちらもおもしろかったが、「耳をすませば」のきゅんきゅんする場面のとき、思わず出る声がふたりとも「グエッヘッヘ」的な下司な声なのが哀しかった。それと雫の書いた物語を読んで、聖司のおじいさんが「荒削りでいいんだよ、これからその原石を磨いてゆくんだよ」的ないい話をするシーンがあるのだが、ファルマンと「自分たちが15歳のとき、こんな素敵なじいさん身の回りにいなかったよね……」と大いに残念がった。

2008.11.15

 自転車を買ってしまう。結局は数日前に書いた、「カゴがつかないんならいいです」といちど断ったやつにした。どうせどれもカゴがつかないのならそれがよかった。
 店からの帰り道、乗ってみたら快適さに驚いた。これまでのは苦行のようにペダルを踏むのが重かったのである。ちなみにこれまで使っていたオレンジ色のおしゃれな自転車は、地域振興券で買った覚えがある。となると10年近く乗ったのか。けっこうすごい。早く新しい自転車で中央線のほうにサイクリングしにいきたい。

2008.11.14

 近ごろエロ小説を実はさっぱり読んでいなかったのだけど、久し振りに読んだらそのおもしろさに驚いた。それで気付いたことに、エロ小説は読みすぎると、「脱いでセックスする」のが普通になってしまってダメなのだと思う。「脱がずセックスしない」ものを一方で補給してなければ、「脱いでセックスする」価値が薄まってしまうのだ。この図式はなにか別のものにうまく喩えられる気がするのだが、すぐには浮かばなかったので別にいいや。

2008.11.13

 「月刊少年 余裕」について引き続き考える。
 今日は表紙のデザインを考えた。考えて、作り、「俺ばかりが正論を言っている」に邁進した。「俺ばかり」、なんと3ヶ月ぶりの邁進である。なんともひどい。今回邁進したのは2パターンで、「裕美ちゃんバージョン」と、「余次郎バージョン」。
 ものの本を読んでいたら、武者小路実篤が「白樺」を創刊したのは25歳の時、と書いてあったので、タイミング的にはばっちりだと思う。満を持してだ。
 もっとも武者小路のように、志賀や里見みたいな仲間は見つけない。僕は最近になってようやく気付いたが、人とつるむのが嫌いっぽい。他人ってどうしても自分とは温度差があるから、一緒にいると嫌な気持ちにばかりなって、愉しくないと思う。これは最近だれかとつるんで嫌な思いをしたからそう思ったのではなくて、しばらくまるでつるまずに暮らした結果として、その快適さを謳いたいという意味で思ったことなので、本物だ。
 それと正岡子規について書かれた本を読んでいたら、いまスタンダードになっている写生俳句って、正岡子規が提唱し、たまたま運よく繁栄しただけで、別にぜんぜん絶対的なものじゃないのだなと、これまでも知ってはいたのだけど、再認識した。
 なので「白樺」風に創刊する「月刊少年 余裕」で、「写生俳句」に対抗するところの「学年題俳句」が、今後50年ぐらいにわたり栄華を極める可能性も、こうして見てみるとけっこう高いのではないかと思った。賛同者は別にいらない。

2008.11.14

 


2008.11.14


 

2008.11.12

 消しゴムはんこに飽きて、さて次は何にしようかと考え、まあ刺繍的なことをやるべきだとは思っているのだが、それと同時に、数日前に書いた「月刊少年 余裕」もちょっとマジにやってみるのはどうだろうと考えている。割と惹かれている自分がいる。
 「刊行の際には短歌を寄稿しておくれね」とファルマンにはすでに頼んだ。
 歌、句、マンガ、エッセイ、コラム、みたいな内容になるだろう。あと詩か。
 これまで誰にも言ってなかったけど、僕の専門は詩である。
 ここでさっきお風呂上がりに作った詩を紹介して、この記事の締めとしたい。
 

 「現実」

 チクショウ これが現実か
 
 てっきり俺は
 
 夢かと思ってたぜ
 
 夢かと思ったればこそ
 
 あの娘に告ったりしたのによ
 
 まぁ、それが結果的には
 
 吉と出たんだがね

2008.11.10

 自転車を買おうと思っている。ちょっといい自転車だ。
 通勤で毎日駅まで片道20分弱ぐらい漕いでいる、という事情もあるが、それ以上に大きな目的として、「アクセスの悪い中央線までの道のりをいっそ自転車で行ってしまう」というのがある。西荻窪の店に商品を納め、吉祥寺のユザワヤで材料を買い出す。これらを自転車で回れたら相当いい。いま持っている自転車だとちょっと考えられないけど、今時な感じの割とちゃんとした自転車ならば、それはけっこう可能な距離なのである。ルート検索したら10kmもなかった。
 というわけで近ごろ微妙に探していたのだけど、この前ちょっといいなと思えるものがあって、これに決めてしまおうというところまでいったのだけど、いざ手続きというところで、「そう言えばカゴが付いてないので付けてほしいんですけど」と頼んだら、「カゴは付きませんよ」と言われ、「えー」となり、「じゃあいいです」と断った。こちとら、前カゴはもちろん、いっそのこと後部にもカゴを付けてもらおうかと考えていたのである。ユザワヤで大量に布を買ったり、ブックオフで大量買いしたりすることを考えれば、それは本気で便利だろうと思っていた。しかしファルマンに「さすがに後ろのカゴはやめておけ」と言われ、泣く泣く前のカゴだけで我慢しようとしていたのである。
 それなのに前にもカゴが付けられないという。どうもそういう種類の自転車には荷物を運搬するイメージはないらしく、どこまでも本人の移動用ということらしい。雑誌とかで見てみたら、たしかにカゴが付いている自転車は1台もないのである。利用者はみんな、身体に密着する感じの空気抵抗がなさそうな三角形的なナップザックに、最低限の持ち物だけを持っている感じだった。
 そうなのか……と愕然とする。なんだか非常に間の抜けた話だと思う。中央線には行ける、荷物は運べない、ではまるで意味がない。まあ荷物が運べないとは言っても、僕の体重が50キロだから、70キロの人が運転していると考えれば、背負えないぐらいの重量の荷物を背負うことも可能なはずである。そういう発想をするほかない。しかしぜんぶ背負うのか。きついな。

2008.11.9

 鉢植えをもらいにゆくこともなく、ふたり、家で、ゆるゆると過ごす。
 日中はひたすら消しゴムはんこを彫っていた。その横でファルマンは編み物。自分の帽子を編み終わり、今度は僕の帽子を編んでくれているらしい。
 それぞれ黙々と作業をしつつ、ジブリでも観ようかということになり、今日は「海が聴こえる」「魔女の宅急便」「もののけ姫」を観た。こたつで、ハンドメイドで、ジブリ3本連続。こうして並べてみると、すさまじい閉鎖性であると思う。ひたむきなまでに内向きな、新婚夫婦の日曜日。

2008.11.8

 昼過ぎになって外出。
 区による、この期間中に婚姻届を出した夫婦に記念の苗木(あるいは鉢植え)をプレゼントするという企画の、それの受け渡しが今日で、ちょうど休みだったこともあり、「じゃあ鉢植えをもらおうじゃないか」と、ひどく重い腰を上げたわけである。
 雨は思っていたほど降らず、妙子の好きそうな曇天の1日だった。
 行く途中で、区内のこれまで行ったことのない図書館に立ち寄り、本を借りる。初めて行く図書館は新鮮でいい。思わず10冊めいっぱい借りてしまう。これが重いの重くないのって。重いよ。トートバッグの紐を肩に食い込ませながら、(これプラス鉢植えかー)と途方に暮れる。暮れなずみながら受け渡し場所に向かう。
 でも実際にその場所に行ってグッドニュースが。指定された会場で受け付けの人に引き換え用のハガキを提示したところ、「これは明日ですよ。ホラ。なので明日また来てください」と言われ、見てみたらハガキには思いっきり「11月9日」と書いてあって、僕はファルマンの「今日は苗木の受け渡しだからね」という言葉でしか情報を入れていなかったので、ファルマンのそのどうしようもないうっかりミスのせいで、外出の主目的がすっかり雲散霧消してしまったのだった。でもこれは奥さんが阿呆なのに、その口から出た情報を疑うことなく信じた僕のミスだ。
 今回の鉢植えをファルマンは、結婚の証としてやけにもらいたがっていて、別にもらいたくもなかった僕は、(でもこいつはもらうだけもらってろくに管理せず枯らしてしまうのだろうな、そしてその様を見て僕は、僕ら夫婦のこれからを暗示しているようだと思うのだろうな)と思いながらここまで来たのだが、現実は僕の予想のはるか上をいっていて、ファルマンが日付を読み間違ったせいで鉢植えをもらえさえしない(明日も休みだが、決して近い場所でもないので明日はもう行きたくないのだ)、というそのオチは、僕ら夫婦の今後の暗示としては、なるほどむしろこちらのほうがより相応しそうだな、と納得するものだっだ。

2008.11.7

 この1年ももうあと残り50日くらいになり、ということは毎日やっている短歌も300首以上になり、なんだかんだで1年通してしまう見通しなわけだが、その仕上がりに満足がいっているかと言えばもちろんいっていない。と言うか途中でクオリティの低さ、もとい自分の短歌への向かなさに気が付いて、それ以降かなりがんばらなくなったことこそが、1年にわたり1日1首を続けてこられた要因であると思う。
 来年はやはり俳句的なものをやりたいと思う。俳句的なものというか、まあ俳句だ。
 先日からレンタルボックスをやり始めたこともあり、ものづくりの気運が高まっていて、そこで、もちろん簡単なコピー本でいいから、句集みたいなものを作れないかとぼんやり思っている。ぼんやり思っている割にはタイトルはもうしっかり決めていて、「破皮狼句集 余裕」という。あるいは他に4コマとかイラストとかエッセイとか、いろいろコンテンツを増やして、「月刊少年 余裕」みたいな感じのマガジンにしてもいいんじゃないかと思う。

2008.11.6

 ファルマンが福山雅治の坂本竜馬のモノマネをする。まだ福山本人がやっていないのに似ている。すごい奇蹟。

2008.11.4

 今日付けのファルマンの日記がよかった。
 ファルマンは、書かれないまま放置されたブログに心を痛めていて、ネットに浮遊するそれを、私が育てるなり眠らせるなりしたい、と嘆いていたのだった。
 なんだかそれは物語のモチーフになりそうだと思う。
 つまり彼女のやろうとしていることは、ブログ祈祷師とでも言うような、ネット世界に漂う幽霊ブログを、成仏させる活動ということだろう。なにしろ舞台がネット世界という、それそのものが人間の業で作られた世界であるから、それは現実の祈祷師よりもはるかに、人間の業の深い所に到達するのではないか。だって外部的要因はないのだ。とにかく人の精神世界にその原因は終始して、幽霊ブログはネット世界を浮遊している。それを見つけ、眺め、理解し、てなづけ、供養する、ブログ祈祷師、ファルマンぱぴこ。来春映画化。

2008.11.3

 午後から西荻窪の例の店に納品に行く。
 それまでに、「ヒット君人形だけじゃ寂しくない?」というファルマンの提案で、バッヂとかシールとかを作る。バッヂは本当に作り、シールは大昔に作っていたものを、ファルマンがうまくまとめてくれる。夫婦でせっせと。マニュファクチュアる。
 納品は割とスムーズに終わる。他人の作品を見て、(あれ、ヒット君人形600円じゃ安くね?)ということで急遽700円にしたりした。
 バッヂ、シール、店のケースの様子、それぞれ「STITCHTALK」に邁進。
 あとは売れるのを待つばかり。実際まあ売れても売れなくてもいいのだが、このヒット君人形とかが家にまったくなくなっての、自分の創作意欲の湧き上がりが尊い。実際バッヂとか1時間ちょいで10個くらい作ったし、作ろうと思えばどれも気楽に作れるのだから、やる気を出してガンガン作るべきだと思う。
 そんなわけなので西荻窪を出たあと吉祥寺に移動し、ユザワヤでバッヂとか消しゴムはんこの素材を調達。次回は消しゴムはんこも納品できたらいいと思う。あとコースターも。
 愉しいなあ。日記とか書いてる暇ない。クラフト作家になろう。

2008.11.2

 おふとんがあまりにも気持ちいい。
 寒くなって冬用の掛け布団にしたら、ほどよい重みが全身を包み込むような感じで、とてもいいのだ。加えて近ごろ思うことには、ダブルベッドの横で眠るファルマンは、おふとんの才能があると言うか、おふとんに対する順応性、おふとんとのシンクロ率で極めて高い数値を弾き出すことのできる女性なのだ。休日の朝のまどろみに、心地よいベッドの中でついでに彼女の身体を抱きしめたりしたものなら、まるで無重力空間のような、浮遊してゆくような快感が得られる。
 それがあまりにも素晴らしいので、それほどふざけた意識ではなく、彼女を教祖として「おふとん教」を開いてみてはどうかとちょっと思う。別に彼女を教祖としなくてもいい。とにかくおふとんの気持ちよさ。我々はおふとんに生まれ、おふとんに育ち、おふとんに癒され、おふとんに泣き、おふとんに喜び、おふとんに死す、我々の人生とはつまりすべておふとんによってもたらされたものなのだ、おふとんを崇拝しよう、という教義。
 これは割と考えやすい宗教だと思うのだが、世界のどこかに就寝具が象徴となっているというような宗教はないのだろうか。ないのだとしたら僕が開祖だ。みなよ眠れ。炎よ燃えろ。

2008.11.1

 にわかにファルマンと所沢を歩く。ちなみにあとから気付いたことに、そこからすぐ近くにある大学の校舎で、ちょうど学園祭を開催中だったらしいのだが、別にそういう目的はぜんぜんなかったので、足を向けようともまるで思わなかった。
 それでプロペ通りを歩く。プロペ通りをパピロったのだった。
 所沢駅から歩いてゆき、ファルマンと繋がるプロペ通りの先端に、「プロペ通り」というアーチが掛かっているので、せっかくだからその下でポーズを取り、ファルマンに写真を撮ってもらおうかとも思ったのだが、さすがに恥ずかしくてやめた。
 そのあと適当なところで晩ごはんを食べていたら、携帯電話に登録していない番号から着信があって、出たら西荻窪のレンタルケースの所だった。言われていた通り、4ヶ月ぐらいでの連絡である。場所が空いたので近いうちに来てほしいと言われ、あさっての月曜日に行くことにする。契約、そして初めての納入だ。うわー。ドキドキする。
 そのあと、その電話の前には、「行く? まあ行く必要ないか」みたいに話していた、プロペ通り先にあるダイエー5階のユザワヤ所沢店へ、ちょうどそんな風な連絡が来たものだから色気(情熱とか焦りとか)が出たのか、寄る。そこでちょっと厚めの生地を3色買った。これはコースターを作るための布である。売れるのかどうか判らんが、物は作らなければいけない。もちろんあさっての納入はほぼヒット君人形だけになるだろうけど。
 そんな感じ。ではコースターの型紙を作りますので。では。

2008.10.31

 大学のテニスサークルに所属する下の義妹が、同級生のサークル員から告白されたそうで、ファルマンからその報告を受けた僕はもちろん、わなわなといきり立ったのだった。
 さらには下の妹には同じく同級生のサークル員で気になっている男子がいるのだそうで、告白してきた男のことはこれまで完全に友達としてしか見ていなかったのだが、でも告白されて以来ちょっと意識しちゃって……みたいな、今そんな感じなのだという。
 なんというかもはや、そういうのって現実に存在するんだな、と純粋に驚いてしまった。この分だと最近その実体に疑いの目を向けていた「クラブ」とか「合コン」というのも、やっぱり虚像ではなく現実に在るものらしいぞ、と思えてくる。「クラブ」で踊る若者はいて、「合コン」をする業界人はいて、そして「あすなろ白書」みたいな青春を送るテニスサークル員は本当にいるのだ。
 結果として義妹の恋がどちらに転ぶのか判らないけれど、そういうアクションがあったからには、なんか近いうちにどちらかと交際を始めるのではないか、という気がビンビンする。お義兄さんビンビン、ビンビンお義兄さんだよ。
 もしも正月に島根に行った際、義妹に彼氏ができていて、そして年が明けた直後に電話で「あけましておめでとう。今年も……よろしくね」とか言う、みたいなことをしていやがったら、その後ろで思いっきり太い声で「おい誰と話してんだよ」とか言ってやろうと思う。襖1枚隔てただけのビンビンお義兄さん、そう言ってやろうと思うんだよ。

2008.10.30

 ぼくがぼくの作った落語を両家の前でやらせようとしていると(ブログに書いたから)彼女にバレてしまい、どんな顔するのかと思ったら、それがひっどい不細工な顔で、でもその不細工な表情の形成に、僕はまた彼女の芸達者さを見出したのだった。この子はやっぱり才のある恐ろしい子かもしれないよ、と思う。なのでまだこの望みは捨てていない。まずは先に落語を作ってみよう。そうしてからやってくれるかどうかを問えばいいのだ。
 それで「だから落語やってくんろ」的な話をしていたら、ファルマンが「交換条件ならいいよ」と生意気なことを言い出して、替わりに何をすればいいのか問うたら、「私の替わりに『ごっこ遊び』の体をなした家族への手紙を読み上げればいいのだ」と言い出し、僕はそれを聞いて、ああこれはどうも、こいつもまた食事会の余興に関し、僕と同じく自分の創作でどうにかできないもんかと、なんだかんだでこの出たがりは密かに考えていたらしいぞと気付き、その内容を詳しく訊ねたら、「私はウェディングドレス。今日はぱぴこちゃんの結婚式。」みたいな、すごい具体的な、あれ、こいつもしかして、もうほとんど内容できあがってんじゃねえの的な答えが返ってきて、「その原稿を私の替わりに読み上げてくれたら落語やってもいいよ」と言い、「言っとくけどお母さんすごく泣くからがんばってね」と言い出し、なんかその図を想像してすごく、うわー、となった。どうやら僕ら夫婦は、友人の上り坂自転車のことをぜんぜん馬鹿にできない。僕らは「間が持たない」という言葉に、ちょっと前向きに、積極的に反応しすぎだ。常識で考えれば、もっと穏当な対策がいくらでもある気がする。逆にそれがまるで浮かばないのが僕らの気質の困ったところなのだけど、このままではちょっといろいろな意味で痛々しい結末になる気がする。まだ起こっていない未来の出来事のはずなのに、既に「恥ずかしい過去の思い出臭」がプンプン漂ってくるのはなぜだ。

2008.10.30

 1日経ってもまだ処理できないほどに、今週のヤングジャンプの篠崎愛のグラビアにあてられている。そもそもヤングジャンプのグラビアが僕は好きなのに、それに加えてモデルが篠崎愛なのならば、もはや否定できる要素など残されていない。屈服だ。篠崎愛って本当に、エロくないところがひとつもないと改めて思った。

2008.10.25

 少女の人数は何人が適当なのか。
 これは純粋理性批判について考える上で、永遠につきまとう命題だ。
 ある者は「三人だ」と言う。
 これはつまり最終的な大団円で、ひとりは主人公とセックスをし、ひとりは主人公にクンニされ、もうひとりは主人公のアヌスを舐めればよいのである、という考えである。
 それに対し「四人だ」と唱える人たちがいる。
 これは主人公とセックスする少女をひとり増やし、ふたりの少女はまるで正常位でことを行なうように一方が一方に覆いかぶさり、主人公は上下にふたつ並んだ女陰に、思い思いのタイミングで好きなように男根を挿れればよい、という考えである。
 大体はこの二派に分かれる。
 そしてこのセックスの仕組みだけを見れば、三人よりも四人のほうが優れていると見る向きは多い。挿れる女陰がひとつしかないより、ふたつあったほうが都合がいいのは言うまでもない。
 しかし話がフェラチオに至った場合、四人派は少々分が悪くなると言わざるを得ない。
 もっとも、時おり四人で行なうフェラチオが小説内に登場することはある。しかし実際の問題として、ひとつのちんこ、亀頭から陰嚢までのすべてを含んだとしても、それを四人で分配することは可能だろうか。どのようなチームワークを発揮したところで、どうしたって頭が密集してしまい、お互いがお互いを邪魔し、少女らの舌はちんこまで届かなくなってしまうのではないか。
 その点三人の場合のフェラチオは考えやすい。棒担当ふたり、陰嚢担当ひとりと考えてもいいし、またはその逆でもいい。どちらにせよ少女らの頭はギリギリでぶつかることなく収まる。収まるはずである。実験した上で記述できればよかったのだが、残念ながら機会に恵まれなかった。これに関しては純粋に読者諸兄に謝りたいし、今後の人生で貪欲にチャンスを求めてゆきたいと思っている。
 話を進めるが、つまり図式としては、三人派と四人派は、それぞれフェラチオ派とセックス派に分けられる、ということになる。逆に言えば、フェラチオを尊ぶならば三人だし、セックスを尊ぶなら四人だ、とも言える。
 これならこれで単純な話だった。あとは好みの問題だからだ。
 しかしここへ来て四人派からの反論が出た。
 彼らの主張はこうである。
「三人にフェラチオされながら、そこからあぶれたもうひとりには、アヌスを舐めてもらえばよいのである」
 言われてみればその通りであった。これにより三人派の立場はきわめてまずくなった。三人派は自分のちんこに群がる三人の少女を見下ろしながら、ノータッチの肛門の切なさに思い至り、討ち死んだ。
 アヌスが勝敗を決しただけに、これぞまさに天下分け目の戦いであった(うまい気がする)。勝利の二文字は四人派のもとに舞い降りた、かのように思われた。
 しかしここへ来て、これまで沈黙を守ってきた五人派が台頭してくる。
 五人派の主張はこうである。
「三人にフェラチオされ、ひとりにアヌスを舐められ、もうひとりとキスをすればよい」
 それを聞き、四人派は唇の切なさを恥じながら死んだ。
 奪い取った頂点へ安穏とする五人派へ、しかし今度は七人派が挑んでくる。
 曰く、「三人にフェラチオされ、ひとりにアヌスを舐められ、もうひとりとキスをし、さらにあとのふたりからは乳首をいじくってもらえばよいのではないか」
 五人派は両乳首の切なさに耐え切れず、ことごとく自害することとなった。

2008.10.23

 結局のところ、話はちんこに尽きるのであろうと思う。
 純粋理性批判において主人公の男子の設定は、もちろん金持ちであったり王子であったりする場合はあるものの、それはむしろ少数派で、長けた能力もなければ裕福でもない、ごく一般的な少年である場合が多い。
 しかしごく一般的な少年であるならば、なぜ彼はそんなにも、三人とか四人とかの少女たちから熱烈に求愛されるのか。
 この理由づけにたびたび登場するのが、ちんこのサイズなのだ。
 基本的に「優しい」だけでしかない主人公は、気の強い少女たちによる逆レイプのような破目に往々として陥る。
 腕ごと身体を柱に縛り付けられ、無抵抗にされた上で、主人公のズボンとトランクスは、どうしたって一気に脱がされる運命にある。逆にこうも言えるだろう。脱がされないトランクスはない、と。
 そしてトランクスを脱がされることによって現れるのは、平均よりもはるかに巨大なサイズのちんこなのである。
 これを見て、彼を虐げようとしていた少女はおののく。
 な、なによこいつのサイズ、こ、こんなの見たことないんだけど、となる。
 それでも少女はすぐに屈服するわけではない。まずは強がって、やはり彼のちんこを苛めなければいけない。
 しかし勇気を振り絞って巨大なちんこを苛める少女に、喘ぎながらも主人公はさらなる試練を与えるのだ。
 そう、そのちんこはさらに巨大化するのである。
 ま、まだおっきくなるの、お、おかしいよ、こいつの……、となる。
 そうなってしまえばもうこっちのものである。かくして少女は主人公の下に陥落する。
 純粋理性批判の主人公は、このようにして複数の少女から同時に、違和感なく求愛されることになるのだ。
 この「ちんこが大きい」という手段こそ、純粋理性批判の画期的な部分だろう。
 それ以外のそんじょそこらのレーベルの小説では、主人公は「優しさ」のみで少女を虜にすることが多い。しかしそれに現実味がないことは、純粋理性批判の読者である大多数の優しき青年たちが、身をもって証明しているのである。優しいだけでモテるのならば、俺がモテてないのはおかしいだろ、となる。
 それゆえの「ちんこが大きい」という発明である。
 高校生の頃モテていた奴は、ぜんぜん性格がよくなかったけど、たしかにちんこが大きそうだった、実際に見たことはないけど、おそらくはちんこが大きかったのだろう、それゆえにモテていたのだろう、読者はそういう風に考える。
 そして「ちんこが大きい」という発明のもうひとつの長所として、「俺のちんこも割と大きいのではないか」という疑いが拭いきれない、ということが挙げられると思う。
 俺、最大勃起時のちんこはまだ誰にも見せたことがないし、さらに言えば俺自身も知らない勃起、例えば柱に縛り付けられて複数の女の子たちからトランクスを脱がされるような、そんな状況だったら、ちんこは俺史上最高の勃起を見せ、それは少女たちをおののかせ、陥落させるのではないか、と読者は思うことができる。
 だから純粋理性批判の女の子たちは、ちんこばかりを尊ぶのだと思う。ちんこを褒められることだけが、読者に残された最大にして最後の希望なのではないだろうか。

2008.10.19

 姪が生まれてひと月が経過し、これまで実家で暮らしていた姉も、そろそろ自宅のほうに戻ると言うので、その前にファルマンとともにもういちど会いにゆく。今回は祖母も来ていた。
 姪は、生後1ヵ月なので、僕はあんまり変化が分からなかった。周りの人間は「太った」とか言うのだが、赤ん坊の特徴って本当に分からない。どっちに似ているのかも相変わらず判らなかった。どちらにしろ相変わらず割と大人しい子だ(話によると昨晩はぐずっていたそうだが)。
 途中で一同のいるリビングで、姉が普通に母乳を与え始めたので驚いた。もちろん僕はその流れを察知して、その間はネット画面のほうなどを見つめ、そちらの様子は決して見なかったのだけど、10年ぐらい前、ともに思春期を経てきた姉が、「そういう風」になった感じというのは、なんか非常に感慨深いことだと思った。そんなに自然なら、僕も別に「ああ、あげてるなあ」みたいな感じで、ナチュラルに眺めればよかったのだろうか。「母となった姉の授乳」というのは、ものすごく微妙な位置にある現象だと思う。
 いや、でもやはり見られない。僕ばかりが未だ思春期なのかもしれない。

2008.10.17

 街を歩いていたら、「なんやら高校水泳部」と背中に刺繍されたジャージを着た、5人くらいの少女の一群と擦れ違い、その瞬間に勃起をした自分がいて少し驚いた。
 どうやら自分はプール的な要素を持った少女がだいぶ好きらしいぞ、というのは既に解っていたことなのだけど、それは例えば実際に小さな表面積の布しか身に纏っていないことであるとか、あるいはもうちょっと間接的に、泳ぎ終わったあと濡れたままで、油断した髪型のまま次の授業を受ける感じであるとか、そういうポイントによるものだと思っていた。
 しかし今日の少女たちは、そのどちらの要素も持っていなかった。彼女らが所属する水泳部の女子更衣室には、おそらく何代も前の先輩が寄贈してくれたドライヤーがふたつほどあって、彼女らは交代でそれを掛け合い(あるいは後輩が先輩の髪を乾かすのがしきたりかもしれない)、しっかりと髪を乾かした後に街へ繰り出すのに違いなかった。
 つまり背中の刺繍以外は、見た目的には彼女らから水泳部的な要素を汲み取ることはできない。それなのに僕は機敏な反応で勃起した。なぜか。
 答えは嗅覚にある。そう、塩素だ。彼女らの肉体から発せられる清冽な塩素臭に、僕は反応したのである。そう言えば風呂掃除をしたときなど、やけに郷愁に駆られ、こうしちゃいられない気持ちになったが、それはこういうわけだったのだ。塩素と勃起は僕のなかでイコールなのだな。
 というわけで、「塩素」は高校1年生の学年題です。

2008.10.14

 そしてこれは僕に限った話ではなく、ブログがおもしろいとかおもしろくないとか、そういう考え方が1年前に較べ、世間的にも希薄になっているのではないだろうか、と思う。ブログという玩具への巷の情熱はピークを過ぎて、冒頭の女子高生の生脚の話のように、然るべきもの的な認知、情報とかアフィリエイトとかネタとか足跡とか、そういうの一旦ひと回りして、まあ本人のための普通の日記でいいよね的な、ナチュラルな感じに割と最近なってきていると思う。web2.0に対抗してwebマイナス2.0、ということをこれまでさんざん言ってきたわけだが、なんのことはなく実は、2.0を経た次の階梯としての3.0は、案外と他者の介在を拒否するマイナス2.0的な概念なのではないか。僕は先取りしすぎていたのではないか。そんな風にも思う。思うけど声高に叫んだりしない。意見を求めもしない。これがマイナス2.0(=3.0)クオリティなんやで。

2008.10.14

 さいきん女子高生を見かけても、どうもあまり心を動かされない自分がいて、これは一体どういうことか、僕はとうとう大人になってしまったのかと不安になったのだが、よくよく考えて、そうではなくやはり僕は次の階梯、女子高生は魅力的だよ、魅力的だけど、まあそれだけだよね(笑)的な、女子高生は我が手中なり的な意識に移行してきているのではないかと思い至った。女子高生のありえない短さのスカート、そこから伸びる、世が世なら尻であるはずの生脚、それにも僕は心を動かされることはなく、生脚ひゃっほい、ともちろん思いはするものの、それは一期一会の出会いでは決してなく、死ぬか生きるかの勝負ではありえず、空手ではなく合気道的な、女子高生たまんねえよ! となるのではなく、穏やかに、君は俺の人生における女子高生の生脚コレクションカタログの1ページを、刻むことに無事成功しましたよおめでとう、というような、余裕の心持ちでもって受け止められるようになった。これは要するに、恋から愛へという変化であろうと思う。恋は下心、愛は真心なのである。好々爺のごとく女子高生の夏のビーチのビキニ姿とかを夢想し、それもまた、と微笑みつつ、これから生きてゆきたいと思う。

2008.10.13

 ところでファルマンの、「「崖の上のポニョ」をスコットランド民謡風に唄う」、という芸が昨日からすさまじくおもしろくて気に入っている。モノマネとかもいちいち上手で、彼女のこういう芸達者さは一体なんなのだろうかと思う。だって彼女は僕と異なり、いちどもクラスで中心的な存在にならずに生きてきた人種である。それなのに異様なほどおもしろいのだ。「減らず口」というスキルだけで目立っていた僕より、はるかに芸が磨かれている。
 もっとも上記の「スコットランド民謡風「崖の上のポニョ」」も、そのおもしろさを享受できるのは夫である僕だけである。芸達者のくせに人見知りで、他人には決して心を開かないファルマンなのだ。たとえるなら赤外線カメラにまず映るのは僕で、僕が用心深く確認した後に、ようやく彼女もおそるおそる画面に登場する感じだ。

2008.10.11

  ファルマンと僕の間で昨日から「トロみたいゲーム」というのが流行っていて、どういうゲームかと言うと、文章なのでリズムが伝えられないのが残念なのだが、手拍子を打ちながら「トロみたい、トロみたい、なんやらかんやら、トロみたい」と、その「なんやらかんやら」の部分に、「ガリガリくん」とか「青春時代」とか「クラスメイト」とか、交互に思いついた単語を唱えてゆくというもので、どうなったら負けなのかと言えば、相手の放った言葉がなんか非常におもしろくないな、と思った時には「トロみたい」という囃子を停止させ、「やっぱりリカの家のトロは赤身だからしょうがないよね」「シッ、その話はシーッ」と科白を読み上げ、相手の感性の悪さを断罪する。これで相手の負けとなる。以上である。
 いまいちおもしろさが伝わっていない気がする。この分ではこのゲームが世間に伝播してゆく可能性はあるまい。今度だれか我が家に遊びに来て、そのアクティブな人発信で流行ってゆけばいいなと夢想する。もっとも第三者が家に来た時は、僕らは物怖じしてしまい、のびのびとこんな遊びをすることはないのだけど。設置した無人の赤外線カメラにしか映らない、用心深い野生動物のような、まるでトロみたいな僕らなのだ。

2008.10.8

 職場でちょっと前に異動があり、勤務先が変わって、ちょっとだけ出勤に時間が掛かるようになった。これまでは電車で15分掛からなかったのが、50分くらい掛かる。そして大学生の頃あざみ野から航空公園(さらにはそこからバス)まで片道3時間弱掛かっていた身としてはそれはぜんぜん苦ではなく、むしろまとまった読書時間ができた感じで喜んでいる。
 それでそのまとまった読書時間で、僕はやはり純粋理性批判を読んでいるのだが、純粋理性批判なので、50分も読むと全体の3分の2くらいは読めてしまうのである。そしてそんな風に、一気に全体の3分の2くらいを読んでいて気付いたことには、純粋理性批判はテンポがすごく早い。300ページくらいで3、4人と2回ずつくらいセックスをし、さらには最後には全員で一斉にやるシーンを精魂こめて書かなければいけないと考えれば、そうなるのは当然と言えば当然なのだが、登場人物紹介で「主人公に敵意を持っている」みたいに紹介された女の子が、気付けばもう主人公とセックスをしていることだ。実を言えばずっと主人公のことが好きで、敵意を示していたのはそれの裏返しで、そのことを白状し、セックスしているのだ。もはや「敵意を持っている」という情報は、ほぼ登場人物紹介欄でしか感じられないと言っていい。
 これはあんまりよくないな、と僕は思った。これまでは15分の乗車時間で小刻みに読むことにより、その間の物語の時間を自分の想像で膨らますようなことを無意識にしていたのだと思う。それが一気に読むことでベールが掛からず、丸裸にされてしまった形だ。文字通りあっという間に丸裸になる。ゆえによくない。

2008.10.6

 ノーベル賞を受賞した人の研究が、ヒトパピローマウィルスに関するもので、NHKで最初に耳にした時はてっきり聞き間違いだと思ったのだが、ネットで見てみたらやっぱりヒトパピローマウィルスだったので、うわあと思った。

2008.10.6

 この前ケータイ小説の文面を目にする機会があったのだけど、ケータイ小説の特徴として横書きというのがあるわけだが、でも目にしてみて、本当にこれは横書きなのだろうかと思った。
 速読のテクニックのひとつとして、視界を縦に長くするイメージで、縦書きの文章の行の真ん中、つまり1行40文字のレイアウトならば20文字目付近のところに目線を固定し、それを右から左へスライドしてゆく、その際に行の上と下のほうは自然と視界に潜り込んでくるような、そんな感じで文章を読み進める、というのがある。
 つまり左から右ではなく、右から左という違いはあるものの、これは実は横書きとして受け取られているのである。書きと言うか読み、縦書きのものをこちらが勝手に横読みするということなのだが、それに対しケータイ小説というのは、
 
 
 でも
 
 それでもわたしは
 
 あいしてる
 
 ヒロのこと

 あいしてるんだ
 
 ヒロも
 
 そうだったでしょ?

 ね、ヒロ……
 
 
 という横書きの文章を、間違いなく縦詠みしていると思う。視線はぜんぜん左右に振られない。一直線に上から下に滑るのだ。なのでこれはある意味で、縦書きなのかもしれない。
 さらに言えば「あいしてる」みたいな定型的なフレーズで考えれば解りやすいが、それはもはや記号のようになっていて、文字や文章としてではなく、これは僕の大学の卒論に近い話になってくるのだけど、漢字の視覚効果みたいなものと似ていて、日本語で「気をつけてください」と伝えるところを「注意」と書けば一発であるという話のように、ケータイ小説の1フレーズ1フレーズというのは、一種の漢字のようなものなのではないかと思った。「あいしてる」は文章ではなく、「あいしてる」という意味のこもった1文字の、漢字のようななにかなのだ。そう考えないと文章が完結していないのに改行(あまつさえ無駄に1行空白で空けさえ)する意味が分からない。
 つまりケータイ小説っていうのは、無機質な漢字が縦にひたすら羅列する、漢書に近いものなのではないか、とちょっと思った。そしてそれで泣けるのだからあの子たちはすごい。科挙に合格しかねないほどの理解能力であると思う。

2008.10.5

 でも夕方以降は時間があっという間に過ぎてしまい、この溜まった日記とかやっていたら、なんかもう寝る時間になってしまった。日曜日はあっという間だなあ。毎日ファルマンと近所のラーメン屋さんに行って、ヒット君人形を1体作って、タイトルに1首詠んで、ぼやぼやと日記を書くような、そんな暮らしをしたいものだとしみじみ思う。

2008.10.4

 大学時代の友人が結婚を祝う飲みを企画してくれたので行く。前回はサークルで、今回はサークル連盟の集い。なぜか大学生の頃サークル代表みたいな感じで、そんなものにも参加していたのだった。今の自分からすると考えられないのだけど。
 卒業以来まったく会っていない人がほとんどだったのだが、みんなあんまり変わっていない。変わったのはやはり、去年の夏の飲みでもバッタリ会った、今回の飲みの幹事をやってくれた落研の男が、やけに太っていたくらい。
 1次会は屋台村という中華系の居酒屋で、ものすごく懐かしかった。前回の飲みではお志ど里に行けたし、今回は屋台村に行けたし、どちらの飲み自体も本質そのものが要するにそういうことなので当然と言えば当然なのだが、結婚報告にかこつけて同窓会的な、回顧的な目的が達成できて本当によかった。あとはなんかの折にトキとメルに行ければ言うことない。
 飲みは、懐かしいわ、みんなプレゼントいっぱいくれるわ、代金がタダだわ、なんか申し訳なくなるような扱いだった。それなのにきちんとそれに報いないと言うか、前回のサークルの時と同じく、自転車で来ていた僕はやはり、午前1時過ぎにブーイングを受けながらお暇したのだった。まったくねえ。自分でもどうかと思うのだが、どうしても夜通しってもうできない。だってきっと朝までいなかったからこそ、前回のサークルのも含め、どちらの飲みも今いい思い出として処理されているのだ。だからしょうがない。逆にこれは幹事に対しての僕なりの、愉しむための仁義的なものなのではないかと苦しい言い訳をしたい。
 ところで僕が帰ってきたら、会社のほうの飲みに参加していたファルマンがまだ帰宅しておらず、電話をしたらああだこうだとピンチなようだったので、深夜料金とか言ってないでタクシーで帰って来いと命じる。25歳にもなってファルマンはタクシーで泣いたという。なんて迷惑な女だろう。
 でもまあ電車なら200円くらいのところを5000円くらいかけ、いちおう無事にファルマンは帰ってきたので、そのあとなんとか平和に眠った。そんな感じの週末だった。

2008.10.3

 記事タイトル:パパ不潔パパのパンツが元々は私のブラウスだって本当

 今は受け入れられないメグミだが、30年後には「娘の古くなったブラウス父の下着に運動」の布教に努め、世界の国々を駆け巡り、その活動は多くの人々に認められ、二酸化炭素の排出量を年間でブナの木2本分減らし、地球時計の針を4秒戻し、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じ、しかしその運動の最中、若くして病に斃れるのだった。

2008.10.1

 マリア様がみてるの新刊が出ていたので読む。今作はいい。いよいよ祥子様の卒業が近付いてきていて、泣きそうになる。嘘をついた。泣きそうにはならなかったが、泣きそうになると嘘をつきたくはなった。なのでついた。かしこん。

2008.9.30

 次女に続いて三女の恋愛話も、これはファルマン越しに聞いているのだが聞いてしまい、自然なことなんだろうが、なんか寂しい気持ちになる。
 思わず、
「三女が俺のことをいちばん好きでいた時期に戻ればいいのに……」
 と呟いたら、
「ねえよそんな時期」
 とファルマンに一蹴された。
 そう言えばいつの間にかあったような気がしてた。

2008.9.29

 何日か前にファルマンのいとこと会い、ともに餃子を食べたということがあったのだが、その日のことをいとこである彼女がブログに書いていて、その書き方が「いとこ夫婦においしい餃子をごちそうになりました」というような感じで、もしも僕がそのブログを傍目に見たならば、そのいとこ夫婦はすごくクラブとか行く感じのことだよ、と思った。つまり何が言いたいかと言えば、クラブ行きそう、と人から思われるのは、思っている以上に簡単だということ。そしてそう思われる大抵の人間は実はあんまりクラブなんかに行かず、毎晩背中合わせで互いのブログばっかりやっているような人間なのだということだ。

2008.9.28

 義母と義妹がもう我が家には泊まらない3日目は、荷物を持って横浜へ。なぜ横浜かと言えば、義母がせっかくこちらに出てくるということで、うちの母が「ぜひ横浜へ」みたいな感じに誘ってきたからである。
 渋谷から東急東横線で横浜に行き、そこから直通でみなとみらい駅へ。集合場所の改札付近に母は既にいた。夏に挨拶をしに行ったばかりなので、義母はもちろん、その際ドラッグストアでバイトしていたところを強襲された義妹も、母とは初対面ではない。どうもどうもといった感じのゆるやかな再会となる。
 ちなみにみなとみらい駅を利用するのは僕は初めて。横浜のほうには本当に来ない浜っ子なのである。なので駅の造りには、ほほー、とおのぼりさんのように感心してしまった。吹き抜けの感じがすごい。すごい自然光を採り入れる感じ。デートとかで来たらとてもいいと思う。
 集合が昼過ぎだったので、まずはお昼ごはんを食べようということで近くの中華料理屋へ。横浜ということでなんとなく中華にしたが、別に中華街的な雰囲気は一切ない中華料理屋だった。でも遊園地を眺めながら食べる中華はまあ美味しく、なによりビールが美味しかった。思えば今回の3日間、僕は朝食時以外は必ずビールを飲んでいたことだ。優雅である。
 食事を終えたあとはランドマークタワーに昇る。これは出来立ての頃に連れられて行った覚えがある。相変わらずエレベータが速い。あまりにあっという間なので、エレベータが猛スピードで稼動していると考えるより、ワープとかしているのだと考えるほうが自然な気さえしてくる。
 展望階からの風景は、おー、という感じで、それ以上でもそれ以下でもなかった。展望室のホールで、企画としてそのまんま七夕の短冊みたいな、ハートのオブジェに願い事を書いた紙を貼る、というのをやっていて、僕らは誰も書きはしなかったのだけど貼ってあるのを眺め、「幸運な人間になれるよう努力ができる人間になれますように」という紙を発見し、しばし嗤った。
 ランドマークを降りてからは、あかいくつ号というバスに乗って、赤レンガ倉庫のほうに移動する。いやはや実に観光していることだ。赤レンガ倉庫ってなんなのかな、と思っていたのだが、行ってみたらけっこう普通の商業施設で、もともとが倉庫だったということなのか、開放感のない造りで、しかもそのテナントの中にラッシュなんかが入っているものだから、そもそもラッシュの香りが得意でない僕はどうしようもなくなってしまい、女性陣がウロウロと見物をしているところを、先に外に出させてもらった。これは本当にきつかった。
 それでもしばらくその界隈で過ごしたあと、みなとみらい駅まで、今度は歩いて帰る。あかいくつ号があまり快適でなかったので、そんなに距離もないし歩こうかということになったのだが、歩いてみたら微妙にしんどかった。
 この時点で4時ぐらいになっていたので、母とはここで解散。
 義母はこれから品川で友達と会う約束があり、そのまま義妹と品川のホテルに泊まるので、ファルマンと僕も夕食のご相伴ついでにそちらについてゆく。
 途中の横浜で義妹はまたしても化粧品だかなんだかを買っていた。ファルマンとの暮しでは、あんまりメイクとかブランドとかそういう単語を意識しないのだが、それに対し義妹はすごいなあと思う。あと、ここで特にすることもなく女性陣のあとをついていたら、「先輩」と呼ぶ声があって、振り返ったら大学の後輩の女性が店員として働いていたので驚いた。この際、もしかすると義母から「なんて顔の広い人だろう」と思われたかもしれない。それならそれでいい効果だなと思う。
 品川までは京急。本当にまるで乗ったことがない路線だ。なんか分岐が多くて、途中で4両切り離すとか言うし、初心者に優しくない路線だと思った。
 それでもなんとか品川に到着し、義母たちの泊まるホテルにチェックイン。義母の友達とも落ち合い、いったん荷物を置きに部屋のほうに移動する。この際、義妹からベッドの上でマッサージをしてもらう。横からファルマンが「義妹のマッサージはうまいだろう、気持ちいいだろう」と執拗に訊ねてきたが、マッサージの技術がうんぬんではなく、純粋にいやらしい意味で義妹に身体を触られてしあわせだった。残念ながら両足をやったところで義母からの召集が掛かり食事に移動となったのだが、あのまま続けば義妹が僕の背中に馬乗りになるところまでいったのではないかと推測される。惜しかった。
 食事はイタリアン。ホテル内のレストランなので割と高級だ。僕はすごくラフな恰好をしていたので、大丈夫かと心配したが別に大丈夫だった。注文はコースにして、カルパッチョやらパスタやらステーキやらを美味しく食べた。飲み物はもちろんビール。
 この際、義妹の恋愛の話を大いに聞き、気になる人がいると話す義妹に向かい、「猛烈アタックしちゃいなよ」とアドバイスしている自分がいて、「ああ俺は「猛烈アタックしちゃいなよ」と恋愛アドバイスをしたことだよ」と少しへこんだ。
 店から出たところで散会。義母と義母の友達と義妹はホテルに戻り、ファルマンと僕は品川駅へ。時刻はもう22時近く。明日は仕事だ。品川から自宅へは割と面倒くさい帰途になる。思えば昨日からかなりのハードスケジュールだった。思わず、ふひー、となった。
 でもまあ疲労した分だけ愉しかったし、こちら側としても後悔しない度合いで接待できたように思えたので、たまのことだし、張り切ってよかったのだと思う。よかったよかった。

2008.9.27

 本日のスケジュールは、昨晩からガイドブックを広げてああでもないこうでもないと話し合った結果、吉祥寺に決まっていた。吉祥寺は雑貨屋もあるがデパートもあるので、義母にも義妹にも受け入れられやすいと踏んでいた。果たして着いてすぐに義妹がデパートに入り、目当てのブランドのなんかしらを購入する。義母は早くもベンチで休み、ファルマンはそれに付き添っていたため、ブランドでなんかしらを買う義妹にひとり寄り添う僕は、傍から見れば普通に彼氏だったのではないかと思われることだ。3月の三女との動物園のときも、意識的にそういうムードを作り出そうとしたが、今回も果敢にそれを試みていった僕である。
 そうこうしていたらもう昼の時間で、吉祥寺ではいつも昼ごはんをどうするか悩むのだが、義母に何が食べたいか訊ねたところ、「もんじゃ焼きを食べてみたい」という予想外に具体的なリクエストが出たため、すんなりとお好み焼き屋。なにを隠そう僕はお好み焼き屋で高校生の頃バイトをしていたので、実は焼くのが特技だったりする。お好み焼き屋は昭和っぽい雰囲気で、ビルの上階の窓際の席で、ビールを飲みながら、仕上げたもんじゃ焼きを義母らとつまんでいると、なんか結構しあわせであるような気がした。なんか思い出に残りそうな気がする。
 そのあとは雑貨屋を覗いたり、井の頭公園を歩いたり、義妹にアナスイのなんかしらを買ってあげたり、そんな風にして過ごす。途中で中高一貫の女子校の文化祭を発見してしまい、義母がいることも気にせず門まで近付いたのだが、やはりここもチケットがなければ入れなそうな感じで、義妹に「先輩ヅラして入れてもらえるように頼め」と命令もしたのだが、断られたので諦めた。残念だ。せめて僕ひとりだけでも入れてもらえればよかったのに。
 そんな感じでひととおり見てまわり、時計を見たら3時過ぎだった。ここで「上野行けんじゃねえ?」みたいな感じになる。観光の目的地として、吉祥寺と、横浜と、上野という3箇所が大体挙げられていて、その3点はぜんぜん便利な位置関係にないため、初日に吉祥寺、2日目に横浜に行くことにし、上野は今回は却下ということになっていたのだった。でもせっかくだからまだ3時だし行っちゃうか、という流れに。
 中央線で東京まで出て、そこから山手線。到着は5時前ぐらいだったか。義母が行きたがっていた美術館はもう閉館の時間だそうで、しょうがないのでまずは銀座線で浅草に出る。先にそちらを見物し、また上野に帰ってくるという工程。
 浅草では雷門を見、浅草寺を眺めた。東京観光、という感じがいかにもあっていい。義母は、えっそれを買うか、というようなグッズをおみやげとして買っていた。「浅草」の文字の入った提灯など。僕は人形焼を買って喰う。あったかくて美味しい。
 上野に戻ってきて、アメ横を歩く。歩いたけどあんまり買い物はしなかった。なぜなら晩御飯はおうちで手巻き寿司にしようということになっていて、手巻き寿司用の刺身の盛り合わせ的なものを買うならば、アメ横じゃなくてスーパーなのだ。もう1年以上も前に友達夫妻とたこ焼きパーティをやるとなった際、アメ横にたこの脚を買いに行き、1匹丸ごとしか売ってなくて、脚だけで売ってくれないかと訊いたところ「そういうのはスーパーに行きなっ」とダミ声のおやじに切り捨てられたことを、未だに深く深く根に持っている僕なのである。
 それでもアメ横を突っ切ったのは上野駅から大江戸線の駅に移動するため。駅名は忘れたが、なんかあるのだ、そういう便利な駅が。それで帰る。
 そうして舞い戻った最寄り駅で刺身やらなんやらを買い込み、帰宅。手巻き寿司は美味しくできたのでよかった。アボカドが義母に好評を博す。相変わらずファルマンは納豆ばかりを褒める。
 しかし今日はかなり歩いたことだ。
 寝る前にふたたびベッドで義妹とゲームをしていたら、先に寝た義母から「いい加減に寝なさいよ!」と怒られた。修学旅行みたいだ。そんなわけで寝る。

2008.9.26

 義母と上の妹がやってくる。東京観光である。
 ファルマンと僕は労働後に合流し、羽田からやってきたふたりを渋谷で待ち受ける。本当は横浜のほうに来てもらい義兄の店で食事という流れのはずだったのだが、義兄のほうの親戚にちょうど不幸があり店が臨時休業となったため、渋谷で食事ということになった。
 行ったのは牛タンをメインにした居酒屋。ファルマン側の面々との邂逅も、籍も入れた今となってはぜんぜん緊張しない。これが身内になったということなのだな、と思った。
 食事を終えて帰宅。最寄り駅からはタクシー。運転手があまりいい人でなくへこむ。ファルマンからあとで「パピロウは心を閉ざす瞬間が本当に分かりやすいよね」と指摘される。
 義母と妹は我が家で2泊する予定(旅行は3泊で、最終日はホテルに泊まる)。義母が就寝したあとは、妹といつものごとくゲームをする。ダブルベッドの上で、義妹と深夜にゲームをしてしまうほうの人種なのだ、僕は。どうだろうかこの誇らしい気持ちは。
 そして寝た。義妹は義母がすでに眠る部屋へと帰っていき、僕とは寝なかった。不思議だ。

2008.9.22

 社会契約論3冊を読み終える。今月はかなりクオリティが高かったように思う。最近どうも純粋理性批判のパワーが下がってきている感が実はあるので、がんばってほしいと思う。
 吉行淳之介の話はエロくておもしろいのだが、しかし彼は基本的に銀座でホステス相手にブイブイ言わしていた種類の人間で、そういう輩の描くエロと、たとえば純粋理性批判なり社会契約論なりのエロというのは、ぜんぜん違うものな気がする、ということをこれまで思っていたのだけど、今日になって必ずしもそういうわけでもないな、と思った。
 なんと言うか、吉行淳之介も純粋理性批判も、セックスを恋愛の末にあるものと規定していない所と言うか、女性に自分と対等の意識や理性を認めていない所が、実はものすごく似ている気がする。少なくとも石田衣良や辻仁成なんかと一緒に並べた場合、吉行淳之介と線で結ばれるのは間違いなく純粋理性批判であるとは言えそうだ。
 要するに即物的と言うか、純粋理性批判にはなぜヒロインの女の子が4人も5人も登場するのかと言えば、それはまさしくキャバクラ的な発想で、運命の人とかそういった類のロマンチックな考え方じゃまったくなく、このうちのどれかしらは気に入るでしょ的な考え方なのである。
 そう、つまり純粋理性批判とはキャバクラなのだ、というのが今日までの結論。

2008.9.21

 さらにそのあと、田園都市線を渋谷ではなく、三軒茶屋で下車する。実は夕方から、ファルマンのいとこの女の子と会食する予定があり、その会場が三軒茶屋の餃子屋なのだった。
 初めて会うその女の子は、僕らよりふたつ年下で、身長は僕よりも高かった。人当たりがよさそうで、コンプレックスとかがなさそうな人種っぽかった。いとこでずいぶんと違う。
 餃子は美味しかった。2皿食べてしまう。ビールも2杯。しあわせ。
 食後にはその子のひとり暮らしのマンションにもお邪魔してしまい、女の子のひとり暮らしの部屋にお邪魔するのなんて、おっさん約5年ぶりのことだったので、非常にどぎまぎした。カーペットやクッションがピンクを基調とし、加えてディズニーキャラクターのグッズが多く見受けられるその部屋は、いかにも女の子らしい感じで、5年前に目にした際のそれとは大きく異なっていると思った。5年前の女の子の部屋は、やけに殺風景で、ノートパソコンばかりに住人のすべての念がこもっているような部屋だった。本当に、いとこでずいぶんと違う。
 そこで少し喋り、おいとま。雨がけっこう強くなっていた。
 さらにはこれでまっすぐ帰宅ではない。途中の駅にある大型電化店で、オーブントースターを買う。食パンがいちどに4枚焼けるやつ。これまでのは2枚しか焼けないし、温度調節もできないようなやつだった。もちろんパンくずトレイもない。一気にグレードアップだ。嬉しい。
 これはなんなのかと言えば、ファルマンからの僕への誕生日プレゼントである。僕らの誕生日なりクリスマスなりのプレゼントは、なんかずっと電化製品を贈りあっている感がある。