2009.1.14

 昇りのエスカレーターで、4段ぐらい前にひとりの女子高生がいて、しかもその子がスカートの尻の部分を手で押さえていなかったのだった。
 6年に一度ぐらいの頻度でこういうチャンスが巡ってくる。
 それで、さて実際ショーツ(あるいはボニータ)が見えたかどうか、と言えばまあ見えなかったのだけど、太もものすごいところまでは見えたのでまあよかった(もしかしたらボニータはおろかショーツも、穿かないタイプの子だったのかもしれないね)。6年に一度のイベントを無事に堪能したな、という感じがあった。
 そのあとエスカレーターを降りて、僕は少し早歩きをし、その女子高生のほうをちらりと見た。女子高生の顔を確認するためだ。これでいい結果がもたらされる確率はきわめて低い(後ろ姿は女子高生の7割がかわいいが、顔を見てかわいいのは2割にも届かない)のだが、でも見ずにはいられないのだからしょうがない。そして見る。その子は、まあ中の中の上ぐらいかな、という感じで、でも清潔感があるので決してマイナスではない、というくらいの容姿だった。
 でもそんなことは大して問題じゃなかった。それよりもっと大事なのは、彼女を見た瞬間に僕が、なぜ年ごろの少女である彼女が、エスカレーターで無防備にスカートを風に晒していたのか、というミステリの真相に到達したことだった。
 答えはこうだ。
 彼女はケータイをいじっていたのである。
 なるほど、と思った。
 ケータイ大好きな女子高生は、ケータイが好きすぎて、スカートが風になびいていることなんか、すっかり失念してしまうんだ――。
 これは実にいい機構だと思った。つまり世の中、もっとケータイのコンテンツが充実して、女子高生がもっともっと夢中になれば、もっともっともっと僕がエスカレーターで女の子のスカートの中身を見る機会が増す、ということだ。なんて素敵な世の中か。
 もういまさら町の男に見られちゃうスカートの中身なんかどうでもよくて、ウチらにとって大事なのはこの3インチの中の世界であって、これを見られるのはショーツどころじゃなくて、小陰唇を見られるぐらいの恥ずかしさ、だから電車で横の席の人とかに覗かれないように、リトルマーメイドの盗み見防止シールも貼っとるんだけんね……という観念の世界。
 そんなわけだから、ケータイ小説とかが流行るのもぜんぜんありだな、と思った。風が吹けば桶屋が儲かる的に、ヒロが白血病になればなるほど、女子高生はスカートに無頓着になり、6年に一度は3年に一度に短縮され、僕の芝生は青々と茂るのだから、と思った。
 とは言え女子高生のケータイのディスプレイは小陰唇みたいなもの、と捉え出すと、ちょっとそっちのほうに魅力が湧いてくる感もある。