2008.4.9

 誘われたような誘われていないような同窓会の、誘いを断った理由としての用事というのは、同僚とのサシ飲みだったのだけど、それが夕方になって急遽キャンセルを喰らってしまった。
 その知らせを聞いた瞬間、アドレナリンが上昇するのを感じた。
 僕はどこかでその知らせを待っていたのだ。サシ飲みが嫌だというのももちろんあったし、それに、それがなければ同窓会に行けるかもしれなかったのに、という思いもあった。それで気持ちが一気に色めきたってしまった。
 夕方に身が空いて、明日は労働が休みで、地元では同窓会が行なわれ、僕はそこに顔を出してもいいらしい。全身がカーッと熱くなるのを禁じえなかった。夏祭り前の昂揚のようだ。
 中学時代の同窓会って、行きたくない気持ちと同じくらい、行きたい気持ちも実はある。誰だってそうだろう。なにかそこには、自分が失ってしまった大事なものが待ち受けているような気がするのだ。しかしそれと同時に、それに対峙したら、自分が中学卒業後に築いてきたものが呆気なく壊されてしまうんじゃないかという不安も一方である。
 どうしようどうしようどうしよう、と本気で迷った。
 でも結局はもちろん僕は、渋谷行きの副都心線に飛び乗るということはせず、いつも通りサナトリウムにまっすぐ帰宅し、夕食を作って、ファルマンとふたりで、鶏肉と新じゃがの炒め物とかを食べ、ビールを飲んだのだった。なんのことはなく、しあわせなのだった。
 でも気になる。果たして同窓会はどうだったのだろう。僕はまた義兄の店という地の利を生かし、「写真だけちょうだい」みたいな卑怯な真似をしたくてしょうがないでいる。いつか再会するんでも、あらかじめ写真とかを見て、心の準備をしていたいじゃないか。
 行ったら20日間ぐらい精神の安定から遠ざかるだろう、と書いたが、行かなくても4日間くらいは十分に遠ざかりそうだ。みんな、けじめとか、地元とか、祭りとか、友情とか、クラブとか、大麻とか、地球温暖化とか、次代へのリレーとか、そういう話をしたのかな。