2008.10.30

 ぼくがぼくの作った落語を両家の前でやらせようとしていると(ブログに書いたから)彼女にバレてしまい、どんな顔するのかと思ったら、それがひっどい不細工な顔で、でもその不細工な表情の形成に、僕はまた彼女の芸達者さを見出したのだった。この子はやっぱり才のある恐ろしい子かもしれないよ、と思う。なのでまだこの望みは捨てていない。まずは先に落語を作ってみよう。そうしてからやってくれるかどうかを問えばいいのだ。
 それで「だから落語やってくんろ」的な話をしていたら、ファルマンが「交換条件ならいいよ」と生意気なことを言い出して、替わりに何をすればいいのか問うたら、「私の替わりに『ごっこ遊び』の体をなした家族への手紙を読み上げればいいのだ」と言い出し、僕はそれを聞いて、ああこれはどうも、こいつもまた食事会の余興に関し、僕と同じく自分の創作でどうにかできないもんかと、なんだかんだでこの出たがりは密かに考えていたらしいぞと気付き、その内容を詳しく訊ねたら、「私はウェディングドレス。今日はぱぴこちゃんの結婚式。」みたいな、すごい具体的な、あれ、こいつもしかして、もうほとんど内容できあがってんじゃねえの的な答えが返ってきて、「その原稿を私の替わりに読み上げてくれたら落語やってもいいよ」と言い、「言っとくけどお母さんすごく泣くからがんばってね」と言い出し、なんかその図を想像してすごく、うわー、となった。どうやら僕ら夫婦は、友人の上り坂自転車のことをぜんぜん馬鹿にできない。僕らは「間が持たない」という言葉に、ちょっと前向きに、積極的に反応しすぎだ。常識で考えれば、もっと穏当な対策がいくらでもある気がする。逆にそれがまるで浮かばないのが僕らの気質の困ったところなのだけど、このままではちょっといろいろな意味で痛々しい結末になる気がする。まだ起こっていない未来の出来事のはずなのに、既に「恥ずかしい過去の思い出臭」がプンプン漂ってくるのはなぜだ。