純粋理性批判と社会契約論が同時に出た。計6冊。そう言えば純粋理性批判はちょっと前まで、基本2冊たまに3冊だったのに、恒常的に3冊になったな。いいことだ。
いつも通り社会契約論の3点を先に読む。
なかなかよかった。社会契約論はやはり会社としての歴史があるため、懐が深いというか、安定感があると思う。絶対にそんなひどいものは出てこないだろうという安心。要するに雰囲気作りがうまいのだ。老舗の料理屋の鍋は鍋に味が染みてるからそれで鍋を作ったらだいたい美味い、というような、そういう感じが社会契約論にはあると思う。
そしてこれはいいこととも悪いこととも言えない。社会契約論が常に70点とか80点を弾き出すのに対し、純粋理性批判は10点だったり100点だったりする。そっちもまた魅力的なのだ。社会契約論と一緒にいると安らぐけど、常に目で追ってしまうのは純粋理性批判のほう。両者の関係というのはそういう感じだ。本当にどっちがいいとかじゃない。どっちかを選べったって無理。まじめな社会契約論も好きだし、奔放な純粋理性批判のことも愛してる。俺にとってはどっちも大切な恋人なんだ。だから両方一緒に……じゃ、ダメ、かな?
最終的には個々の単行本の女の子キャラクターとかではなく、純粋理性批判と社会契約論という、レーベルそのものを擬人化し、萌えてゆきたい。
わあ、すっごい高み! 人々がゴミのよう!