2009.4.21

 そう言えば今月の純粋理性批判と社会契約論はなかなかよかったのである。全体的によかったわけではないのだけど、どちらにもいいものがひとつずつあった。
 それでよくなかったものとよかったものを比べ、どこがちがうのか考えてみた結果、よくなかったものが「小説という枠組みを中心にして書いている」のに対し、よかったものは「エロを一番に考えている」のだと気付いた。つまりストーリーに固執していたらいいエロ小説にはならないのだ。せっかく「交合」という、他のジャンルの小説ではあんまり描いてはいけないとされる、しかしパワフルな素材を、思う存分に描いていいジャンルなのだから、その高炉をフル活用しない手はないのだ。
 そう考えると、これはもう奉仕の精神である。すべては主人公(=読者)のちんこを、いかに気持ちよく盛り上げるか。作家はそれだけを念頭に置き、お世話に徹すればよいのだ。そこを起点にすれば、ストーリーなんてものは後からついてくるのに違いない。ミステリでは、小説中のあらゆるすべての言葉が、ラスト1行の真相にかかるのが理想とされる。エロ小説ではそれがラスト一行ではなくちんこなのだ。すべてはちんこのために描かれるべきで、ちんこに関係ない言葉は削ぎ落とされるべきなのである。このブログのように。