おふとんがあまりにも気持ちいい。
寒くなって冬用の掛け布団にしたら、ほどよい重みが全身を包み込むような感じで、とてもいいのだ。加えて近ごろ思うことには、ダブルベッドの横で眠るファルマンは、おふとんの才能があると言うか、おふとんに対する順応性、おふとんとのシンクロ率で極めて高い数値を弾き出すことのできる女性なのだ。休日の朝のまどろみに、心地よいベッドの中でついでに彼女の身体を抱きしめたりしたものなら、まるで無重力空間のような、浮遊してゆくような快感が得られる。
それがあまりにも素晴らしいので、それほどふざけた意識ではなく、彼女を教祖として「おふとん教」を開いてみてはどうかとちょっと思う。別に彼女を教祖としなくてもいい。とにかくおふとんの気持ちよさ。我々はおふとんに生まれ、おふとんに育ち、おふとんに癒され、おふとんに泣き、おふとんに喜び、おふとんに死す、我々の人生とはつまりすべておふとんによってもたらされたものなのだ、おふとんを崇拝しよう、という教義。
これは割と考えやすい宗教だと思うのだが、世界のどこかに就寝具が象徴となっているというような宗教はないのだろうか。ないのだとしたら僕が開祖だ。みなよ眠れ。炎よ燃えろ。