2009.1.25

 昨晩から引き続き、タグ付け作業を進める。なかなか順調。どうせちょっとしたらペースダウンするので、ダウンしないうちになるべく進める作戦である。
 それにしても20歳の頃の自分の日記は、ちょっとびっくりするくらい健全だ。当時、自分では割と激しいことを書いていたような気がしていたのに、読み返してみると書いてることはなんだかんだで純真でかわいい。苦悩し批判する20歳の青年がそこにいた。
 それに較べ、「純粋理性批判」だの「シャノマトペ」だの「義妹」だの「陰嚢」だの「芝生」だのと言っている今の感じはどうだ。勢いとかはぜんぜんないくせに、フラットに気色悪い。穏やかなのに、不穏。でもその感じが、すごく理想に近付いてきているな、という気がする。
 ああ自分が好きだ。自分の成長が、深化が、浮遊が、ぜんぶ好きだ。このまま書き続けていればさらに5年後、ここらへんの日記を読み返して、「芝生とか言って25歳の俺は生真面目だなあ」と感心できるのだろうか。その頃の僕は、自分のちんこのことを一体なんと呼んでいるのだろう。どんな階梯に至っているのだろう。愉しみでしょうがない。