「月刊少年 余裕」について引き続き考える。
今日は表紙のデザインを考えた。考えて、作り、「俺ばかりが正論を言っている」に邁進した。「俺ばかり」、なんと3ヶ月ぶりの邁進である。なんともひどい。今回邁進したのは2パターンで、「裕美ちゃんバージョン」と、「余次郎バージョン」。
ものの本を読んでいたら、武者小路実篤が「白樺」を創刊したのは25歳の時、と書いてあったので、タイミング的にはばっちりだと思う。満を持してだ。
もっとも武者小路のように、志賀や里見みたいな仲間は見つけない。僕は最近になってようやく気付いたが、人とつるむのが嫌いっぽい。他人ってどうしても自分とは温度差があるから、一緒にいると嫌な気持ちにばかりなって、愉しくないと思う。これは最近だれかとつるんで嫌な思いをしたからそう思ったのではなくて、しばらくまるでつるまずに暮らした結果として、その快適さを謳いたいという意味で思ったことなので、本物だ。
それと正岡子規について書かれた本を読んでいたら、いまスタンダードになっている写生俳句って、正岡子規が提唱し、たまたま運よく繁栄しただけで、別にぜんぜん絶対的なものじゃないのだなと、これまでも知ってはいたのだけど、再認識した。
なので「白樺」風に創刊する「月刊少年 余裕」で、「写生俳句」に対抗するところの「学年題俳句」が、今後50年ぐらいにわたり栄華を極める可能性も、こうして見てみるとけっこう高いのではないかと思った。賛同者は別にいらない。