2008.12.10

 相変わらず過去の日記をまとめている。思ひ出ぽろぽろっている。
 2004年の、20歳の自分の日記が、依然としてかなり尖っている。社会批判とかしている。恥ずかしい。てっきり僕ははじめっから、女の子とちんこの話ばっかりしているんだと思っていた。全然そんなことなかった。ちょっぴりショックだ。
 今日やっていた分で特にすごかったのは5月25日の記事。
 一部を引用すると以下のような感じだ。

 「……というより、むしろ明確な悩み事がないことが、このテンションの低下の原因なのではないかとさえ思う。悩み事などの、ある一点への意識の集合があれば、それ以外のことに関しては目が曇るから、それはそれで成り立つ気がする。人間がいつまでも進歩を止めず、どんどん阿呆みたいに高みを目指すのは、つまりそういうことなのかもしれないと思う。
 人の営みって自転車操業的なところがあって、常にただペダルを踏むことだけに没頭することによって救われている。自転車から降りて周りの景色を見回してみると、これまではただ過ぎ去るだけだったいろいろが見えてきて、そういうことを考えるにつけ落ち込むのだと思う。よって僕は落ち込んでいる。
 これを改善するには、ふたたび自転車に乗り込むしかない。きっと僕はそのうち乗るのだろうと思う。しかし今は乗りたくないと思う。乗ることは欺瞞だと思う。大抵の人がそれに乗って、当てもなくどこかへ行こうとするなら、それに乗らずにいるのもいいのではないかと思う。
 無自覚な欺瞞からの逃避。」

 すごいと思う。最後の、「無自覚な欺瞞からの逃避」というフレーズと来たら。今の僕には口が裂けても言えない。声に出して言ってみると、絶対に噴き出す。「無自覚な欺瞞からの逃避」
 これに対しそれからちょうど3年後、2007年、23歳の5月25日の日記はこうだ。
 
 「雨である。誰かが言っていたがこんな日は、転びやすくなってシャツが透けて水溜りにショーツが反射すればいい、と思う。
 まひろさんが学年題俳句をアップしていた。最近はじまった高1女子としての日常の日記も悪くないのだが、やはりそちらも進めてもらわないとな。
 しかしこれでまひろさんはようやく「011 ボク 中学1年生」か。
 知人で学年題俳句の講評をしている人がいるのだが、彼の講評はもう「008 色情」まで進んでしまっているので、まひろさんにはとにかくがんばってほしいと思う。
 まあ1年3ヶ月で4分の1しか進んでない僕も人のこと言えないんだけど(笑)
 ――っていうここまでの文章の登場人物はすべて僕だ。
 「俺ばかりが正論を言っている」を2枚やる。ブログについて語り、ブログについて語った。一言つぶやきブログのことをブロイラーに喩えたのは我ながらなかなかいい。5月の記事数はこれで11。5月はすんなりだったな。
 「non-no」を眺め一首。
 ワンピにもスカートにもなる2WAYはお前みたいな女に合ってる
 「テックジャイアン」を眺め一首。
 この味が悪くないって俺が思ったんだから今日からこの日はオシッコ記念日ってことだよ」
 
 どちらがいい、と言うのは一概に言えない。結局いつの自分も好きなのだ。自分の日記を読み返すこの作業をしていると、20歳の頃の自分のことを、25歳の今の僕と、21歳、22歳、23歳、24歳の、各歳の僕が一堂に会して眺めているような心地になり、自分大集合の安心感と言うか、朗らかな春の日と言うか、これはもはや旅に20歳の自分を連れてきてしまったどころか、自分だらけのパラレル同窓会であると思う。つまりこの作業は、大好きなメンバーだけで開催する、連日のダンスパーティーなんだ! ひゃっほう愉しい千夜一夜! 21世紀のデカメロン!
 ちなみについでにファルマンの日記も、同じ日付で各年の日記を読み返すということをしてみたのだが、2004年の日記が、まるで彼女が昨日書いた日記のようで、これはこれで大いにパラレルだなあと思った。