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2008.9.17

 ポニョはハムが好物、という設定を知り、深く感じ入るところがあった。
 ポニョは5歳児なのだそうだが、5歳児というのはたしかにハムが好きそうであると思う。「ハムだー!」と言ってテンションが上がってしまう感じが、たしかに5歳児にはある。
 つまり「ハム好き」というのは、5歳児を形成する要素のひとつなのだ。
 それは「パパとお風呂」が中学1年生の要素のひとつであるように。「おもらし」が中学3年生の要素のひとつであるように。「跳び箱」が高校2年生の要素のひとつであるように。
 要するに5歳児がハムでテンションを上げるというのは、幼女好きの駿による、ある種の学年題的なものなのではないか、と思い至った。
 そしてそれを足掛かりにして、僕はこれまで身近にあったのに不思議と気が付かなかった、エアポケット的な真理に到達した。
 学年題は、萌え要素である。
 萌え要素という言葉を、ここでは「萌え」の定義などのややこしい問題を抜きにして、単純に「ポイント」ぐらいの意味合いで使うわけだが、「5歳児のポニョの好物はハム」というのは、イコール学年題であり、イコール萌え要素だ。よって学年題イコール萌え要素という式も当然成り立つ。
 だとすれば、である。
 そもそも学年題という発想はどこから来ているかと言えば、言うまでもなく季題から来ているわけである。春における桜、夏における入道雲、それの女学生バージョンが学年題ということだろう。ならば結局のところ季題もまた、季節の萌え要素だ、ということにならないか。

2008.9.16

 姉の子どもが無事に産まれたのだった。
 昼の11時ぐらいに病院に行き、13時には産まれたという。スムーズだな。予定日は14日だったので、日程的には少し遅れたことになる。20日じゃなくて残念だ、と思っていたら、それはもちろん残念なのだが、本日9月16日は義兄の、つまり父親の誕生日なのだそうだ。ちょっとすごいな。便利なのか不便なのか判らないけど。
 性別は予定通り女。つまり姪である。姪か。実際に姪ができてしまったか。これまで詠んできた数々の姪の句や歌が思い出されることだ。まあそれとこれとは違うからな。そんなこと言ったら義妹でもいくらでも詠んでるし。うん。
 日曜日に顔を見に行く予定。

2008.9.13

 吉行淳之介の「夕暮れまで」を読んだ。男女の機微とか深淵とかはよく解らないが、とりあえずエロおもしろい部分にだけは反応した。複雑な関係の恋人と部屋にふたりで残され、外に出ていたもうひとりが部屋に帰ってきたとき、不穏な空気にその人が「どうかしたの?」と訊ねたら、主人公の男が「杉子が発情してね」と答えるシーンがあるのだが、これはすごいなあと思った。ファルマンと僕は家以外の場所では往々にして挙動不審になるのだけど、それについて第三者に「どうかしたの?」と訊かれた際には、「ファルマンが発情してね」と今後は答えることにしようと思った。

2008.9.11

 ファルマンと、なんか卒業論文を書きたいねという話をしている。なにからの卒業だ、と言われると参るのだが、なんかしらのこの支配からのだ。この支配からの卒論だ。
 ファルマンの論文のテーマは「ムーミン」か「太宰治と吉行淳之介の比較」だそうだ。
 僕はもちろん「純粋理性批判研究」ということになるだろう。シリーズ百巻突破を記念して、データとかを精細に集計し、その特徴や傾向なんかを論としてまとめたいと思う。
 電車で純粋理性批判を読んでいて、射精の行に付箋を貼るということしか今はしていないのだけど、僕はもう少しきちんと、ノート片手に純粋理性批判に向かい合うべきなのではないか、とは常に思っている。
 いつかできたら本当に書きたい。書く意義があるとも思う。

2008.9.10

 昨日からはじめた「いっぱい出た物種」が、1300行目ぐらいからの漢字の羅列が続いた後、2500行目ぐらいに「元旦のをとめが舐める足の裏」となり、そして「大晦日は「俺ばかりが正論を言っている」をすごいやった。13枚」などと始まったらおもしろいな、とぼんやり思った。
 それがなにかと言えば、2007年1月1日の「KUCHIBASHI DIARY」の書き出しである。2500行目にそこへ辿り着くことによって、僕の日常を綴るこの「KUCHIBASHI DIARY」という日記もまた、実はすべてがシャノマトペであった、ということが判るという仕組み。
 す、すごい。すごすぎる。なにこれ、てっきりブログかと思ってたけど、実はSF? 宇宙の果てにはまた別の宇宙的な、永遠に連なる入れ子構造的な、そんな感じだ。そしてだとすれば昨日とか今日の日記というのは、その連鎖の中で俯瞰的な発言をしていることになるので、すごく哲学的だなと思う。連鎖宇宙の中心で射精。どっどどどどう!
 もう自分でも何を書いているのかよく分からない。文章を書いているのか射精しているのかも判然としない。もっともどちらも混ざり合ってしまえばどうでもよかろう、という感もある。それもまたザーメン。要するに精子の濃度の話だ。そのマーブル具合こそが人生の縮図なのだ。
 昨日から日記の文面が名言に溢れているような気がするのだけど錯覚だろうか。

2008.9.9

 cozyripple内に密かに新しいページを作る。トップからリンクなどはまだ置かず、とりあえずここにだけそっと提示する。その名も「いっぱい出た物種(仮)」。
 見てみると一見意味不明の文字群が連なっているわけだが、ここに「純粋理性批判」と「シャノマトペ」というキーワードを提示すると一気に謎が解けると思う。
 解けると思うと書いたが、あんまり解けないかもしれない。考えてみればそのふたつのキーワードとも僕が勝手に使っている用語で、前者はキルタイムコミュニケーションから出ている二次元ドリーム文庫のこと、後者はそのレーベルの特長である射精のオノマトペを指す造語だ。
 つまりこれはどういうページかと言うと、「射精が何分間も続いた」というような表現がしばしば見受けられる純粋理性批判の精神に則り、延々と続く射精の描写をただひたすらにやってゆこう、というページなのである。
 おそらく1行で経過時間は10秒ぐらいのものだろう。なので現在のところ9行で、約1分半。1分半の射精は現実的には小便をも超越した大記録だが、純粋理性批判的にはまだまだ序の口で、新しい世界の扉はまるで開けていない。
 やってゆく上での目標として、「普通に考えたらぜんぜん射精の描写じゃないけど、なんか言われてみたらなるほど射精かも」的な、そういう効果を目指してゆきたい。
 おそらくは行が進むに連れてこのページは、詩や散文となってゆくのだろうと思う。400行目あたりではきっと空の美しさや鳥の囀り、季節が巡ることへの感謝などを綴っているに違いない。
 文字表現におけるどこまでが射精なのか。
 その疑問を僕はこのページで、掘り進めるのでは決してなく、むしろその問いからどんどん浮遊してゆきたい。途中から読んだ人間には単なる日記にしか見えないけど、初めから読んでいる人間にとってはたしかにそれは射精であるというような、読者にそんな高みを提示できたらいいなと思う。そして700行目ぐらいでみんな真理に到達してほしい。
 この世に射精でないものなどなにもないということ。
 この世のすべての物事は宇宙の射精なのだということ。
 おそらく300年後ぐらいの修行僧たちは、1300行目ぐらいから漢字の連なりになってゆくだろうこのページを経典とし、それを繰り返しぶつぶつと読み上げながら山に篭もるようになるのだろうと思う。思わない。ちょっと思う。なんとも言えねえ……。

2008.9.8

 例の「なんも言えねえ」に対し、「なんとも言えねえ」というのは流行らないだろうか。前者が「言えねえ!」であるのに較べ、後者は「言えねえ……」という感じ。前者が主張であるのに対し、後者は時候の挨拶的な、あるいは相槌的な要素を持っている。日常生活中でどちらの使用頻度が高いかは言うまでもないだろう。流行る可能性はこちらのほうがよほど高い。
 ずっと前に長井秀和の「まちがいない」が流行ったとき、それに対しての「いちがいに言えない」という、これは僕が考えたものではたしかなかったのだが、そういう風に言うのが流行りはしまいかと期待したことがあった。結局は流行らなかったけど。今回の「なんとも言えねえ……」はそれのリベンジ的な感じだ。まあリベンジが叶ったからどう、ということもないのだけど。
 あーこの日記、なんとも言えねえ……。

2008.9.6

 ダブルベッドが明日にやってくるのに向けて、今週の我が家は部屋の結構な大掃除と相成っていたわけだが、引越しの際などから薄々と気が付いていたことに、僕は片付けというのがひどく苦手なのだった。とにかく作業がぜんぜん進まない。散らばったものを見てただただ途方に暮れてしまう。それでもしばらく、20分間ぐらいがんばってうにゃうにゃやっていると、頭の中の動く部分が粘度を増していって、これまで女の子のブラジャーのことを考えるときは水のごとくサラサラと流れるようだったそれが、固めすぎたゼリーのように鬱陶しい感じになってゆくのが感じられる。そして眠くなって寝てしまう。結局まるで作業が進まない。
 それに対してファルマンは片づけが上手だ。テキパキと一気にやってしまう。僕が「……これの配置はひと晩考えて明日やることにしようよ」とか言うものを、「じゃあ私が勝手にやるけん」などと言ってすいすいとやってしまう。この様には感動する。僕が2日掛けてもできなかったことを、ファルマンは1時間半ぐらいでやってしまうのだ。結婚して本当によかった。
 それに棚の整理をしていた際に出てきた、彼女が微妙に高い代金を払って作っていた、製本した「うわのそら」も、パラパラと読んでみたら非常に笑えたので、そういう意味でもこの人と結婚してよかったなあとしみじみ思った。驚くべきことに、ファルマンは今でも思い出話ばっかりしているのに、4年前の日記でも思い出話をしている。すごいことだと思う。

2008.8.31

 ちなみに、もうすっかり実家のほうに移った姉のお腹はいよいよ大きくなっていた。予定日は9月14日なので本当にもうすぐだ。と言うか次に会うときは確実にもう出てる。そう考えるとなんかおもしろい。姉が暇に飽かせ、柄にもない鉤針編みなんかをしていて、10センチくらいの熊のあみぐるみを作っているもんだから、「いかにも赤ちゃんのおもちゃって感じだね」と声を掛けたら、「ううん、私の携帯ストラップ」とのことで、妊婦の作る編み物作品はお腹の赤ちゃんのためのもの、という固定観念が華麗に破壊される快感を得る。

2008.8.28


 1辺2cmくらいで、10分くらいでできる。人形に較べて何分の1の労力か。それでも150円くらいは取っていいのだろうから、効率という意味ではこちらのほうが優秀だ。
 消しゴムはんこ用の木片台座というのも売っていたので買ってあり、着けてみたら(あんまり意識してなかったらサイズがぴったりで驚いた)途端に商品ぽくなったのでよかった。まだやってないけど木片の裏にははんこ図案のシールを貼る予定。これも非常に商品ぽさを醸し出すポイントであろうと思う。ちなみにシールは僕すぐに作れる環境なのです。
 ところで消しゴムが青いのは彫り終わってすぐの試し押しを青インクでしてしまったからで、これはいかにも素人っぽい失敗だった。こんな色味ではもちろん商品にはできない。本当なら試し捺印をしないのがいちばんかっこいいのだが、そういうわけにもいかないので、次からは黒でササッと押し、すぐにウェットティッシュでインクを拭き取る心積もりだ。
 またアルファベットはオーダーメイドにも対応可能。こういうの結構ポイント高い気がする。そこのマダムら、大切なお子様の持ち物とかにいかがでしょう。

2008.8.28


  最近せっせと作っていたヒット君人形たち。
 「ボディ(脚含む)」、「腕」、「ボタン」、「顔を縫う糸」、「チェーンを通すための頭頂部のタグ」、という5つの要素から出来上がっていて、それぞれの色の組み合わせを考えるのが割と愉しい。
 1体500円、それ以上に高かったら誰も買わんよ、とファルマンは言うのだが、完全手作業で意外と手順が面倒くさいのにその値段は、破格ではないかと思う。しかし値段というのは労力に呼応するものではなく、需要によって決まるものだから、しょうがないかとも思う。

2008.8.26

 街に女子高生が戻ってきている。まだ日程的には夏休みだろうになぜだろう、とファルマンに訊ねたら、もう補講とかが始まっているんだよきっと、と教えてくれた。そうか、きちんとした高校には補講とかがあるのか。そもそもそれを知らなかった。
 それで、涼しくなったと言ってもさすがに8月でそれなりに蒸し暑く、しかもしとしとと降り続く雨で、さらに言えばここひと月あまり制服に袖を通さなかったことによる少女たちの意識の低下、あるいは日程上は夏休みの状況ではじまった登校に対するせめてもの抗いとしての開放感の主張、そんなものが相まって、いま街に出ている少女たちのシャツからブラジャーの透ける率、すなわちパピロー率は、半端ないことになっていると思う。これに関しては常々、汗やら薄着やらの観点から、もしも8月に少女が登校などしたらどれほどパピロー率の高いことだろうか、と夢想していたわけだが、今まさにそれが実現した、と言うより、現実はそのさらに上をいっている。まさかそこに雨を付け加えるとは思わなかった。もちろん夕立ちまでは想像した。でも夕立ちは不確定要素と言うか、あるいは不平等要素とでも言うもので、クラスメイトでもない限りは、一瞬の出来事である夕立ちに少女が遭遇する場面になど、なかなか立ち会えるものではないと思う。学校から駅までの道で夕立ちに遭い、これまでつかず離れずぐらいの距離で、お互いなんとなく意識し合って歩いていたふたりが、道端の野菜の無人販売所とかで雨宿りして、ぼそぼそと語り始め、少女の持っていたハンカチで顔だけ拭き、「サンキュ」と言って返そうとしたら少女のブラが思いっきり透けていてどぎまぎ的な、夕立ちってそれくらい選ばれた者にだけ与えられた要素だ。残念ながらいま僕につかず離れずでお互いなんとなく意識し合うクラスメイトはいない。それに対しここ数日の一両日降り続くしゅんしゅんとした雨は、誰にも均等にチャンスを与えてくれていることだと思う。少女のシャツは押し並べて透け、僕らはそれを押し並べて見るチャンスに恵まれている。
 そんな誰にとっても幸福な雨の降り注ぐ世界で僕は今日、これまでに想像したこともなかった要素を持つ少女を目撃した。その子とは通路で擦れ違っただけで、だから透けたブラジャーの様子も一瞬しか見られなかったのだけど、そのブラの右肩の紐は、明らかに少女の肩から外れ、二の腕辺りの位置にだらんと垂れ下がっていたのである。ブラが紺色的な濃い色をしていたため、白いシャツには殊の外よく透け、そのためにできた発見である。
 これの何が発見なのかと言えば、これまで僕のなかにあった「ブラを外す=ホックを外す」という認識が改まったこと、ここである。もしかするとブラは僕らが思っている以上に外れやすい――もとい、日常茶飯的に外れているのではないだろうか?
 この片方の肩紐が外れていた少女は、友達と歩いている最中であり、手もバッグとかで塞がっていたので、わざわざ立ち止まって直さなくても、もう片方の紐さえ無事なら問題ないのでいいや、と思ってその状態で歩いていたのだろう。仮に両肩がその状態になれば、これはデリケートな問題になるのだけど、やっぱり少女は「自分がブラの上はシャツ1枚で、それなりにパピロー率は高まっている」ことは認知しているのだろうから、ブラが両肩の紐が外れるほどに身体から浮き上がった結果として表出するのはすなわち乳首なわけで、それはさすがにすぐにバッグなんかかなぐり捨てて、位置を直すのに違いない。だけど片方だったからあえて直すことなく歩いていた(ならばその状態はその状態で結構スリルがある)。そして僕はその状態を見た、というわけである。
 それでは、である。じゃあこれがその上にベストなりブレザーなりコートなりを着ていて、つまり突然いかなる天候になろうと絶対にブラが透けて見えることはないという状態、すなわちプロペ状態にあった時に、その両肩のブラ紐が外れるという展開になってしまったら、少女はいったいどうするのか。この答えは明白である。きっとそのままだ。だってプロペ状態なのだから。さらに言えばシャツ1枚なら薄着で危険が大きい分だけ直しやすいが、厚着だとブラの紐を直すという作業は、守られてる分だけ衣服を掻き分けて作業せねばならず、なかなか困難なのではないか(人生に似ている)。なので結局「まあこのままでいいか」と、ともすればホックだけでは支えきれない立体的な振動でカップが完全に乳房から分離してしまい、まろび出た乳首がポリエステルのシャツの無機質な感触に反応して屹立したとしても、そのままユミと一緒にアナスイの話を続けるのだろうと思う。アナスイなのはむしろよっぽど彼女の乳首だというのに。
 というわけで、要するに何が言いたいかと言えば、僕は今日パピロー率の高い少女のブラの片方の紐が肩から外れているのが透けて見えているのを目撃したわけだが、それは、これまで僕が無感動に眺めていたプロペ状態の数多の少女たち、その少女たちの乳首がアナスイであったやもしれない、という甘美な疑念を僕の心に植えつけた、ということ。その感動を伝えたかった。でもすいません。なんも言えねえ。アテネのとき以上にチョー気持ちいいです。

2008.8.25

 純粋理性批判を読んでいて、女の子って実に「男子のズボンのベルトをガチャガチャと外し、スラックスをトランクスごと一気にずりおろす」ことだよ、と思った。周りにひと気がなくなった途端、すぐにやる。おそらく男で言えばブラのホックを外すぐらいの感覚なのだろうと思う。ならばそれによってまろび出た男根をぱくりと咥えることもまた、男で言えばセーラー服のリボンをシュルシュルと外すぐらいの感覚なんじゃないかと思った。斯様に女子っていつも男子の2歩ぐらい先を行ってることだよな、と思った。

2008.8.23

 昨日の話の続きになるのだけど、そういう人たちと僕の違い、なにによって彼らと僕はwebの2.0とマイナス2.0に分かれているのかと言えば、彼らっていうのは結局は物事を「情報」とか「知識」とか、そう言う感覚で受け取っていて、だからそこには「根拠」とか「他者の同意」とかが必要で、そういう外へ外へ的な確認作業をするためにつるむ必要があるので、うざったいのだと思う。結局のところそれっていうのはつまり、理系の発想なのだ。あいつら物事なんてぜんぶ自分で決めりゃあいいのに、すごく第三者からの確証を得ようとすると思う。そこが文系の僕とは大いに違う。文系は自分の心に訊ねればそれでいいのだから。そしてコンピュータとかネットってやっぱり理系の人間の発明したものだから、理系の人間ほど使いやすいように出来上がっていると思う。だからその象徴とも言えるソーシャルネットなんとかに順応して愉しめる人間って言うのは、生粋かどうかは別として、僕に言わせれば間違いなく理系側の人間なのだ。なので好きじゃない。と言うか怖い。うざくて怖い。なに考えてんのかよく分からない。自身の目的地も分からずに他者の同意ばかり求めて、ひどく虚ろであると思う。

2008.8.23

 僕だけが土曜だというのに労働ということで、ファルマンがお弁当を作ってくれる。基本的に冷凍食品ばかりの、しかし「愛妻弁当」だそうだ。そのおかずのなかに、スペースを埋めるために置かれた竹輪があったのだが、冷凍食品ばかりのお弁当を製作したファルマンが、「見て見て、創意工夫」と呼ぶので近付いて見てみたら、ふたつ並べられた竹輪の内側の円の中に、細かくした味付け海苔が適当に入れられてあって、まあ竹輪の内側に味付け海苔が入れられてあったから、(ああ竹輪の内側に味付け海苔が入れられているなあ)としか思わなかったのだが、(でもわざわざ呼んで見せるということは、この子は本当にこれで褒めてもらえると思ったんだよな)と僕は慮り、がんばって「わあすごいアイディアだね」と褒めてあげたのだった。思うにそれは僕の人間性が成長し、限界の拡張した瞬間だったのではないか。竹輪の内側に味付け海苔を入れた25歳のことを褒めてあげられた人間に、褒めることのできないことなんてそうそうないのではないか。この精神への鍛錬と成長こそがファルマンと一緒に暮らす効用であるなとしみじみと思った。

2008.8.22

 サイトに関して外部からの反応のなさは本当にひどく、閲覧数は大締めの「cozy ripple」以外カウンターを設置してないので定かじゃないが、それぞれ相当に低いことは疑いの余地がない。こんなんじゃダメだと思い数日前、ファルマンにそそのかされた「あわせて読みたい」というサービスをこのブログに追加したのだが、そのサービスに「あわせて読みたい」ものと提示されたいくつかのブログは、チラリと見てみると、別にあわせて読みたくも読まれたくもぜんぜんない感じで、ファルマンからも「あんたのブログだけ浮いてるね」と言われ、自分もなんかやけに恥ずかしいような気持ちがしてきて、10時間ぐらいで削除してしまった。なんだかんだで知らない人とランキングなり「あわせて読みたい」なりで並べられて、たくさんの人にぜひ読んでもらいたいというほどには、僕のなかの反応が欲しい願望というのは強くないのだなと思った。そして「知らない人」との馴れ合いへの拒否感というのは割と否定できずに存在するのだが、かと言って勝手知ったる人ばかりのソーシャルネットなんやらみたいのも理念として大嫌いで、久し振りに口にするけど我がwebマイナス2.0的スタンスとしては、結局のところ今回の「大百句」のように、孤独にグラウンドを走るのがいちばんの理想なのかもしれないなと思う。夏の出雲行の際、出雲大社での式の話で、ファルマンのお母さんから「でもこのプランだと大社に来ている一般の人たちにすごく見られちゃうかもよ」というようなことを言われたのだが、それに関しては僕もファルマンも「それは見られたいから大丈夫」と揃って回答し、ああこの感じはまさにwebマイナス2.0的だなあと思ったのを覚えている。最低限の家族以外の知り合いに結婚式の様子なんて絶対に見られたくないが、名前も知らないような人にならなるべくたくさん見てもらいたい。かと言ってその時に僕らの態度が泰然としているかと言えば決してそんなことはなくて、きっとすごく周りの目を気にしてそわそわしている。そんな感じ。 

2008.8.21

 街中にいる女子高生の数がひどく少なくて、発見するやいなや穴が開くほどに観察するのだが、それで得た結論として、女子高生のブラジャーって大抵が水色かピンクであると思う。
 これはおそらく、黒はありえないし、白は白で子どもっぽい、みたいな風に考えていって、消去法で結果的にそこらへんの色に辿り着く、ということなんだろう。
 この意識の推移って、なんかとっても愛しいと思う。女子高生の自分がいて、ブラジャーを選ぶというとき、黒とか白とかを敬遠して、やがて無難な水色とかピンクに到達する、その流れ。
 分かる。大いに分かる。そして分かってあげられる自分がさらに愛しい。今後もし女子高生にブラジャーをプレゼントしなければならない状況になっても、これからの僕ならば失敗はない。白とか黒とかを渡したら、きっともうそれからは口を聞いてもらえないのだ。さらに言えばピンクも、「ああピンクね」という感じがあると思う。どうしたって、まあ間違いはないけどよ、という逃げが感じられる。ならば僕は他の挑戦者がピンクでそういう感じになっているとき、颯爽と水色のブラジャーを女子高生に提出したい。彼女はきっとふわっと微笑むとこちらに背中を向けてブラウスを脱ぎ、「着けて」とお願いしてくるのだろうと思う。
 ならばここまでの高みに来た僕が次に目指す階梯は明白だ。
 あのブラジャーを着けるときに女の子たちがやるという、乳房の下方の肉をカップの中に上げ入れるあれ、あれを乳房に触れることなく(触れたらセクハラになるから)、さらには自分は背後に回った状態から、いかにして少女に施すかということだ。
 いちばん現実的で甘美な方法は、「そこは女の子に協力してもらう」なんじゃないかな。
 いっせーの、でブラ装着させたい。きゃっきゃきゃっきゃ。

2008.8.18

 このまるで気乗りしない状態で日記を書いてゆく意義について考え、「俺ばかり」にちらりと書き、読んだファルマンに「それ病気っぽいよ」と言われる。ファルマンにブログのことで「病気っぽい」と言われるなんて、アル中患者に震える手で喝を入れられるような、そんな納得いかない気持ちになる。そんな心象風景の、新婚夫婦です。

2008.8.18


 

2008.8.16

 夜から大学のサークルの飲み会だった。僕の結婚を祝うという名目の会。とか言いつつ実際は単なる同窓会なんだろうな、と思っていたら、殊の外きちんと祝われる感じだったので仰天した。
 そもそも8時からの会だったのに、「準備があるから8時過ぎに来て」と言われる段階から気恥ずかしい。要望通り少し遅れて「お志ど里」の2階に上がると、色とりどりの折り紙の輪っかの飾りとか、「結」「婚」「お」「め」「で」「と」「う」の張り紙とかが壁にしてあって、施設のクリスマスパーティーみたいだー、と思った。
 サークルの人たちに会うのは3月の飲み会以来、半年ぶり。
 席につくなり、折り紙の輪っかで作った鎖に、画用紙にドラえもんの絵が描かれたメダルという、貧乏臭い首飾りを掛けられ、「齧れ」という命令のもとしょうがなくメダルを齧り、そこを写真で撮られるという恥辱を受ける。主催者がどうしたいのかよく解らない。僕を上げるつもりなのか下げるつもりなのか。とりあえず、直前まで来るかもしれなかったファルマンを連れてこなくてよかった、とは思った。夫の尊厳もなにもあったもんじゃない。
 ところで我がサークルには飲み会のたびに作る小冊子というのがあり、所属部員が共通のお題に対し、1枚の紙でイラストなり文章なりで回答し、それを係の部員が編纂して人数分コピーして飲みの席で配り、もちろん誰も読まない、というものなのだが、今回それが発行されたのにはちょっぴり感動した。みんな面倒くさいことをよくやるもんだ、と思った。相変わらず受け取った瞬間に放り投げたのだけど、今回ばかりはそのあと拾って、大事に持って帰り、後日きちんと読みました。おもしろかったです。
 飲んでいるうちに、遅れて次々に懐かしい顔が登場して、特に3年ぶりぐらいに顔を合わす2つ上の先輩とか、ほとんど幽霊を見るような心持ちだった。ビールを持って近づくといきなり「はいおめでとう」とご祝儀をくれ、後日中身を確認したところ、それが予想外の金額で、「いやいやいやいや!」と思った。どうもこの代の、こういったジョークへの静かで並々ならない気合というのが、別れて何年も経った現在でも未だに掴めない感がある。お礼を言うにもお返しをするにも連絡先を知らないのだが、僕は一体どうすればいいのだろう。これは今ちょっと本当に悩んでいる。
 そんなこんなで1次会が終了し、2次会へ移動。もうほとんどの人間が現役で大学生とかじゃなく、体力もないので、2次会でもうかなり平穏な感じの飲み会となる。かくいう僕もダラダラとやった会話の内容とか、ぜんぜん覚えていない。最後は気持ち悪くなったけど、吐いたら楽になった。また吐いたりしてしまった。既婚のいい大人なのに。
 1時過ぎにそこもお開きとなって、僕はそこで失礼した。
 参加者20人ぐらいのうち僕がいちばん先の結婚であり、これからはこんな感じのが、半年置きぐらいに発生すれば同窓会代わりにちょうどいいんじゃないかなと思う。次からは準備側に回って、前日から小冊子を作ったり、会場に移動する前にシャノワールで「結」「婚」の張り紙を作製したり、ぜひしたいなと思う。
 今回の飲み会でサークルの人たちはほとんど僕の日記を読んでない、ということが判ったのだけど、一応ここでお礼を言っとこう。参加者のみなさんどうもでした。いろいろ贈り物も戴き嬉しかったです。でもやっぱり特に嬉しかったのは小冊子かな。そういう意味でも幹事のおふたりは本当にどうもでした。お疲れ。感謝。