おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト ~フレーズで振り返る20年の歩み~
2007.9.9
恋人と部屋探しに出掛け、契約してしまう。早いよ!
引越しは9月の終わりで、約半月後。早いってば!
でも決めた物件は、よくある仲介業者のレトリックではなさそうに「こんな物件そうそう出ない」感じのものだったので、即決にも後悔はない。
これまでは成り行き上1Kでふたり暮らしをしていたわけだが、今後は一気に2LDKとなる。これまでの部屋が、新居のリビングに丸ごと入るかもしれない。
家賃は見学した物件の中では少々割高になるのだが、業者の人が言うには
「借りる人のライフスタイルによるんですが、外で遊ぶのが好きな人は家なんか寝られさえすればよくて、家賃を安く上げる分を交際費に回せばいいんですし、割と多く家にいるという人はやはり家に対してはこだわりを持つべきですね」
ということで、その論で言えば僕と彼女は飛びっきり居住空間にはこだわるべきであると思った。なにしろ自己の空間の快適さのみに固執して生きていると言っても過言ではないほどの僕らである。互いに毎日せっせとブログをやっているのは、もしかすると箱庭療法的なもので、だとすればここはサナトリウムなのかもしれないね、といった感じの僕らである。
と言うか実際の話として、交際費はほとんどなく、ケータイ代も安く、服もあんまり買わない僕らは、言ってしまえば「家賃ぐらいにしか使い道がない」とさえ言えるのだった。なので多少の割高も別にいいのだと思った。
2007.9.4
夏の終わりに驚愕の事実なのだが、ちょっと太ったっぽい。
そう言えばこのところ、夏バテ回避という名目でやけにエネルギー補給に邁進していた。こまめな糖分はもちろんのこと、ビールとともに夕食をお腹いっぱい食べて仮眠、そしてまた就寝前に晩酌とかして結構な肴を食べたりしていた。
つまりなんか振り返ってみれば、まるで太ろうとしているかのような生活を送っていたのだった。おかげで夏バテになる気配はあんまりないのだが、このまま太ってゆくのは大いに困る。もう新弟子検査に通る年齢でもない。そもそも身長も足りない。
とりあえずおやつと晩酌は控えることにした。
したのだが初日から頓挫して晩酌してしまう。でも肴は蒲鉾のみ。ストイック。
2007.8.31
それと「俺ばかり」にも書いたことなのだが、切に友達が欲しい。
8月は、8月なのになんにもなかった。友達と飲んだりすることもなく、仲間とキャンプに行くこともなく、義妹らの体のやわらかさを味わうこともなく、8月は終わってしまった。他の月との差異と言えば、ただ暑く、ただ毎夜のビールがやけに美味いだけだった。
数日前、友達のいない恋人と友達のいない僕で「どうすれば友達ができるか」ということについて話し合い、「相手のことを思いやる」とか「身腐慰に参加する」とか「ウサギさんと友達になる」とかの有益な意見が出されたのだが、その成果もなく相変わらず友達はできていない。以前までは「結婚式やりたーい」とかのたまっていた恋人だったのだが、最近になってお互いのあまりの友達のなさを自覚したのか、「レストランとかでパーティーみたいにできればいいよね……」と現実的なことを言うようになってきており、そのことだけはありがたいと思う。みんなドラクエⅤ以来、結婚式というイベントに憧れを抱いてしまってるんだと思うが、ああいうのは初めて行った町でも緊張せずに人に話し掛けられる人だけに許された行為なんだと思う。
2007.8.5
3日目は活動的なのだった。
まず朝食を終えていきなり、知事が「精米に行くぞ」と言い出す。どういう事情か知らないが(きっと田舎くさい事情なんだと思う)恋人の家には玄米が大きな袋で置いてあり、それを5キロなり10キロなり精米して食べているらしいのだ。そしてせっかく都会っ子が来たのだからその様子を見せてやろう、と知事が張り切ったのらしい。
言うまでもないが、ぜんぜん気分が乗らない。精米とか知らない。きっと重い米の袋とか僕が持つことになるんだろうな(男性や若者に力があると思ったら大間違いなのに)、と思うと嫌で仕方ない。しかし猛烈に拒否したキャンプがこの程度になったと思えば受け入れるしかないか、と観念してしぶしぶと参加する。米を車に乗せ、3人で近所のそういう施設に。そこで全自動で精米してくれるのだそうだ。あそうー。うんー。
精米されてゆく米を見つめながら知事に「米の香りがするだろう」と言われ、(うんー、感じるー。うんー。マジ米ー)と思った。言っとくけどあんたの娘は俺が無洗米以外の米を買おうとすると叫んで抵抗するんだぞ、と思ったが大人なので口にはしない。
そのままおばあさんの入院している病院へお見舞いへ。僕はロビーで待つ。道路だけがやけにきれいに走る山の上のほうにその病院はあり、天気がよかったこともあって天国のようだった。「こんなところで療養してたら治らない人なんていなそうだね」と恋人に言ったら、「治らない人の病院だけど」と返されたのが印象に残っている。
帰宅して、今日はいちおう観光に赴くことに。
まず海を見る。前回は日御碕という岬に行ったのだが、今回は砂浜のほう。日本海なのに海水浴している人たちがたくさんいて驚いた。日本海っていつでも濁ってて荒波なのかと思っていたらそうでもない。海の種類などほとんど知らないが、割ときれいだと思った。
僕もいちおう海水に手で触れ、なんということもなく砂浜を歩いた。歩きつつ目線ではもちろんじょっちゅとじょっこのグループなんかを探していたわけだが、そういう輩は不思議なほどおらず、ファミリーばっかりだった。残念だ。また砂浜散歩は僕も恋人も割とすぐ日差しと熱気と照り返しのまぶしさにやられ終了した。
そのあとはなんと温泉に入る。アクティブなことだ。「いちじく温泉」というちょっと微妙な名前(ここらへんはいちじくが名産らしいよ)の温泉である。島根って実は何気に温泉どころらしいのだが、立地条件ゆえに疲れを取る結果には決してならない(帰宅で疲れるため)のが哀しいところだと思う。そして温泉は普通だった。
次は出雲大社。これは前回も行ったが、やはり島根に来たからには出雲大社には行かなきゃいけないだろう。しかしここも日差しが強い。ヘロヘロになりながら引いたおみくじには「本年は良くも悪くもなく何事もほどほどの運気である」と書いてあった。この約半年間いろいろあったような気もするが、しかし「良くも悪くもなく何事もほどほど」と何神様か知らないがその神様に言われてしまえば、たしかにそうかもなあと思った。うむ。
大社近くの蕎麦屋で昼食。桃鉄でおなじみの出雲そばってやつ。まあ蕎麦だった。
そんなこんなで帰宅。夕食までのんびりしようと思っていたら、下の妹のうわさの彼氏から連絡が入り、どこかで野球していた彼を、なぜか知らないが恋人家が迎えに行き駅まで送ってあげることに(彼の母親の都合が悪くなっての依頼だったらしいが、えらい度胸であると思う)。昨日から僕は下の妹に「かずぴーの写真見せてよ」と頼んでは断られ続けていたので、これはいい機会と長女と三女とともに知事の運転する車に同乗することに。
彼が野球をしていたグラウンドは、なんでここにグラウンドを作らないんだろうね、という土地をずいぶん走った先の山の上にあった。
そしてここからがすごいのだが、ちょうど車が彼のもとに着いたあたりに急に雨が降り出し、しかし空は少し夕方の雰囲気をまといつつも晴れており、やや黄色がかった日差しが雨を照らして世界を金色にし始めたのである。これだけでも衝撃なのに、車に乗り込んできた17歳の野球少年の彼はどこまでもさわやかで、気さくで、はつらつと喋り、なんか別世界の人間のようなのだった。
車中で彼は知事とともに野球の話で盛り上がり、僕はただ感動して黙っていた。口を挟むにも、野球の話がぜんぜんできなかったのだ。ただソフトバンクの和田投手の話になったとき、「それって仲根かすみの夫だよね」と得意気に言い、一同からほとんどスルーされたのみ。恋人はそんな僕を見て大爆笑していた。
またそのとき僕は昨日ユニクロで買った「ブラックジャック」のキャラTシャツを着ており、それもまた気持ち悪い構図を作り出していたと思う。東京からやってきたアニメキャラのTシャツを着た青年(ブロガー)。でもそのあとで恋人と語り合ったのだが、「しょうがないよ、俺たち腐り芸術学部卒だもん、そしてそんな輝いてる人物を見てウジウジしてる自分たちが、なんだかんだで大好きなんだからさ」なのだ。まあ来々々世くらいで、かずぴーみたいになれたらいい。
微妙な関係の彼との邂逅は15分ほどで終了したのだった。次に彼と会うことはあるのか、会うとしたらいつかはまるで分からない。でもいつか彼の友達グループの飲み会というのに、いちどでいいから参加してみたいなあと思った。怖いもの見たさで。
しかしあっという間の時間だったし世界は金色だし、もしかしたら彼の存在は幻だったんじゃないかと思ったりした。田舎にはときどき出るらしいよ。「フレッシュ」っていう名前のそういう妖怪。
夕食は家の近所のすし屋に7人で行く。うまかった。
帰宅してから、以前製作したもので持ってきていたヒット君人形(ピンクと黄色)を妹たちに見せる。本当は新しく型紙を小さくしたヒット君がこれまでのものに較べどれほど小さくなったかの比較写真を撮るために持っておいたのだが、作れなかったのでいっそそっちをあげちゃえ、と思ったのだ。これが(悪く言われるはずもないだろうが)好評で、調子に乗って創作意欲がむくむくと湧いてくる。そこで急遽1体作ることに。下の妹にフェルトの希望の色を選ばせ、夜から作り始める。
長女と次女がふたりでスーパーファミコンをしているのを眺めながら、三女へ贈るための人形を縫う俺。再び漢詩に詠めそうな情景だと思う。
途中で恋人の眠気がピークになりお開きになる。そんな感じで夜が更けた。
2007.8.4
8時半くらいに起きてリビングへ。お母さんと妹ふたりとの久々の対面。ちなみに県知事は出張ということで、本日の午後に帰ってくるのだそうだ。
朝ごはんを食べてもそもそと過ごす。持参したおみやげ(ビスケットとかタルトとか)を食べつつ、上の妹とともにスーパーファミコンをしたりする。こんかい下の妹は受験生ということでなかなか前回のようには遊べず残念なのだった。「義妹夜陰遨剥開皮膜牢薫芳懐湿潤甘脆夏葡萄」と漢詩にまで詠んだというのに。
そうこうしているうちに昼時になり、車を貸してもらって近所のパン屋へお使い。出雲の道路は土建屋さんのおかげで必要以上に整備されていて、走っていて気持ちがいい。信号が基本的に赤とか青でなく真っ昼間から黄色の点滅なところもすごいと思う。
パンを食べて再びもそもそしていると(僕らは割ともそもそすることだ)、東知事が帰宅した。約4ヶ月ぶり。このとき改めて思ったのだが、ホームでいちど会って酒を飲んでおいて本当によかったと思う。この状況で初対面だったら相当に精神的にプレッシャーだったに違いない(と言うか来なかったかもしれない)。
午後は夕食の買い物がてらドライブ。ブックオフとかユニクロとか行く。あんまりやってることがこちらと変わっていない。かと言って「なにして過ごそうかねぇ」とつぶやいたところお母さんが薦めてくれた「松江城とかは?」というのにはまるで気持ちが動かされない僕らなのだった。ちなみにブックオフでもユニクロでもなかなか収穫がありましたよお母さん。
夕食の買い物はイオン。せっかく島根なのだから話題(僕と恋人の間で)のホックに行ってみたかったのだが、恋人の驚くほどの土地勘のなさの前に諦める。駐車券や満員といった概念が存在しないらしい駐車場に車を停め買い物。肉やら刺身やら酒やら、買い込む。
帰宅して、夕食の前に犬の散歩。相変わらずの母犬と息子犬。家からすぐの、2年前から一体なにが進んだのか分からない工事現場脇の土手を歩く。前回も感動したがこれが本当にすごい。軽く地平線の世界。地平線に真ん丸くて赤い夕日が落ちていった。阿呆か。思わず息子犬の引っ張りに乗じて全力疾走とかしてしまう。気持ちいいじゃねえか。
ちなみになんとも幸いなことに今回ここの草が刈り取られたばかりということで、あのアレルギー性鼻炎は最後まで発症することはなかったのだった。ことなきことなき。
夕食はおじいさんも呼んで総勢7名。多いなー。とりあえず肉と酒がうまかった。しかしこういうときの僕は、おもしろい話をするわけでもなく、酒に酔ってキャラクターが変化するわけでもなく、空気を読まずにどうこうするわけでもなく、気持ちよくたくさん喰うわけでもなく、実に中庸で普通であると思う。お母さんはあとで恋人に僕のことを「癒し系」と評したらしいが、要するにそれは「なんということもない」ということではないかとも思う。
あっという間に1日が終わる。
2007.8.3
労働を終えて恋人と合流し、夕方に新幹線に乗り込む。
空腹だったので席に着いて早々にお弁当を広げ、ビールを飲む。しかし気付いてみれば新幹線は東京の次にすぐ品川に停まるのであり、そこまではぜんぜん山手線のエリア内なのだった。ここで旅気分が盛り上がりお弁当を食べられるのならば、僕にお弁当を食べられない区間なんて存在しないということになると思う。
新横浜を過ぎ、暮れなずむ神奈川県や静岡県を眺め退屈する。
いざ乗ってみると新幹線で手芸をやる気持ちにはなかなかならなかったのだった。これは教訓である。普通の人ではなかなか気付けないだろう尊い発見だ。
とは言えすっかり手芸をやる気持ちだったため、実は碌な本を持っていなかった。そのため困った。ビールを飲んで振動で攪拌されたため思考力はないのだが、かと言って寝過ごせば福岡に着いてしまうかもしれない状況にあって寝られるほど度胸もない(隣の席に恋人はいるが、彼女によってもたらされる安心感などは存在しない)。おまけに窓の外はもう暗くてつまらない。
しょうがなく、茫洋と無為に過ごした。まったく旅ベタである。
岡山に到着してからは「特急やくも」に乗り換え。これが揺れるし座席は座り心地悪いしでなんとも悪名高い列車なのだが、幸いなことに同じ車両の乗客に恵まれ難を逃れた。
いたのは試合だったらしい部活少女たちのグループと、島根観光に来たらしい真面目そうな白人グループで、僕と恋人は紙に落書きをしながらずっとその2グループの話を盗み聞いていた。
ちなみに聞くところによると前者グループにおいては、「まゆ」は「そうた」のことが好きらしいのだが、「そうた」は「ゆり」のことが好きで、そして「ゆり」は「なつめ」のことが気になるのだそうだ。複雑である。また彼女らの話の端々には文脈とは明らかに関係のないキーワードが挟まれ、はじめのうちは不思議に思っていたのだが、途中で(もしかするとこれは「女の子すらんぐ」なのではないか?)と思い至った。出てきた用語は3つで、「アイス」と「森の熊さん」と「ブブカ」。どれも割とイメージを膨らませやすい隠語であると思う。
彼女らが途中駅で降りてしまったあとは、喋るのは後者の白人グループだけになってしまい、岡山から鳥取を経由して島根へと至る列車はさながらニューヨークの地下鉄にようになった。加えて窓の外にはほとんどの場面で光がなく漆黒の闇に包まれていたので、途中でにわかにコンビニを見つけ(ああこれってトンネルじゃなかったんだ……)と気付くような感じで、本当に地下鉄の様相を呈していたのだった。出雲に向かっているはずなのに、僕はそのとき確かにニューヨークの地下鉄に乗っていたのだ。旅先の不思議体験。
出雲市駅に到着したのは零時半過ぎ。恋人の母親が迎えに来てくれようとしていたらしいが、お断りしてタクシーに乗る。
そうしてようやく到着した2年ぶりの恋人の実家。ただし寝静まっている。起きていてくれた上のほうの妹(寝間着)が鍵を開けてくれて入室。玄関には相変わらず鹿の首がにょっきりと生えていた。
移動と到着の影響で、変にテンションが上がり疲労感はなかったが、疲れていないはずはない。交代でシャワーだけ浴び、すぐに眠りに就いた。
2007.7.22
恋人を連れて実家に帰る。
ところでこの夏2年ぶりに恋人のほうの実家に赴く予定なのだが、思えば恋人の我が家への初来訪というのは、それに呼応して同じく2年前の夏にしたのだよなあ、とぼんやりと思い出した。正確な日付で言うと2005年8月9日。ブログっていいね。僕らは大学4年生で、もちろんまだ別々に暮らしていた(頻繁に宿泊はしていた)。
それから約2年である。2年と言うとだいぶ長い期間だと思うが、感覚的にはどこまでも短い。恋人と母親が初対面してもう2年もの歳月が経っているとは思えない。
初対面と言えば、2年目の新機軸で今回は恋人と姉が初対面したのだった。これまでは恋人を連れて帰る日は実家に顔を出さないようにと言いつけてあったのだ。
ふたりのそれぞれの性格は、島根と横浜という土地から想像されるオーソドックスな女性像を思い浮かべればそう間違っていないと思う。会話もそんな感じだった。
2007.7.10
職場にある謎の用具にハマっている。
なんと言うか、形状がきわめて説明しにくく、「俺ばかりが正論を言っている」で絵で見せたほうが早い気もするのだが、文字表現から逃げてはいけないのでがんばる。
それはプラスチックでできており、大まかな形としてはクリップ的な感じなのだが、横から見た感じはまさに「コ」の字形であり、クリップにしてクリップにあらず、端のほうは開放されているのである。この「コ」の閉じていない部分を手前に持ってきて視点を上に持ち上げてほしいのだが、そうするとそこには3センチ×3センチくらいの面があり、そこには円がくり抜かれているのである。それは円周が6,7ミリといったところで、その穴を利用しそこからちょっと頭が出る感じで、天井と底の間にパチンコ玉がひとつ挟まっているのだ。
実際の用途がなんなのかはよく分からない。底の外側の面にマグネットが付いているので、冷蔵庫とかに貼って、パチンコ玉とプラスチックの間に紙とかを挟むのかな、などと思う。
では僕がこれにどうハマっているのかと言えば、これの穴の部分を縁取るように指を這わせると、中のパチンコ玉が微妙な空間の遊びでもって浮遊し、くり抜かれたプラスチックの硬さと浮遊する球体のソフトさが相まって、ちょっと想像も付かないような淫猥な快感が指の腹に発生するのである。乳首的とも女性器的とも言えない、あるいはどちらでもない抽象的な、しかし真実的なエロスとしてのエクスタシーなのである。本当に。こんな簡単な機構でこれほどの気持ちよさが醸し出せるものかと神になった気持ちで感嘆するほどだ。
なので労働中、暇さえあればこれに指を這わせている。女子高生を見ながらこれに指を這わせていれば、もうその子は抱いたことになるんじゃないかな、などと思う。
最近では高度なテクとして、人差し指と中指で機体を支え親指で穴を縁取りながら、圧力により微かに側面の空間からはみ出るパチンコ玉を薬指の第一関節に沿わせくすぐる、という手法を開発し、僕の攻撃により反撃してきていると考えれば、これはもはや一方的な愛撫ではなくなってきていることだ。
2007.7.9
恋人は出勤。僕は労働が休み。
月曜のゴミ当番は僕なのだが、朝つらくしていたら恋人が出してくれたので、お礼として日中は恋人の携帯電話の捜索をする。
携帯電話の捜索とはこれ如何に、僕のほうの電話で着信させりゃあ一発じゃないかという話なのだが、実はなんとも間の悪いことに電池切れなのだった。だから電話をかけてもすぐに留守電になってしまう。なので自力で見つけるしかない。
しかしこれが見つからない。ぜんぜん広くない空間で、しかも酔っている頭でどうにかしたのだからそんな特殊な場所にあるはずがないのに、まったくもって見つからないのだ。押入れの中、たんすの中、キャリーケースの下、そんな場所にあるはずもないのに。
あまりにも見つからないので、もう居酒屋とかで失くしたんじゃねえの、と匙を投げる。恋人と連絡を取ったところ「居酒屋からの帰り道、あなたが私の代わりに図書館からの留守番メッセージを聴いてくれてたじゃない」と言われるが、そんな記憶はまったくない。堂々と言うが酔っていたのでぜんぜん憶えていない。
午後になり、銀行で新しく口座を作る必要があったので外出する。次の引越し資金を貯めるための、恋人との共有口座である。
しかし携帯電話が見つからないことには口座どころじゃない。恋人はipodに釣られてソフトバンクなので、途中で紛失して契約を止めたりすると大変なのである。本当にもう恐怖を覚えるくらい大変な値段を請求される算段らしいのだ。
夕方になり恋人が帰宅して尚も探すが、尚も見つからない。居酒屋に電話してみるが、忘れ物の携帯電話はないという。
そしてこんなに見つからないということは、もしかしてタイムリーな今朝の燃えるゴミで出してしまったのではないかという疑念が湧き出てくる。不都合なことに僕は昨晩グデングデンだったくせに買い物の包装とかをちゃんと片付けていたのだった。そのことが槍玉に挙げられ、燃えるゴミの袋の中に一緒に入れてしまったのではないか、と責められる。
そんなことはしないと思いつつも、あまりにも見つからないのだからどうしようもない。発生するお金のことを考え暗澹たる気持ちになりつつも、もう哀しんでもしょうがないと気持ちを切り替え夕食の準備に取り掛かろうとする。
その矢先、「そう言えば前にもこんなことあったよね、そのときはティッシュ箱の中に入ってたんだよね……」と恋人がつぶやき、僕はそれを聞いてハッとする。恋人は自ら口にしながらぜんぜんハッとした様子がない。一体どういう精神構造をしているのかと思う。
果たしてティッシュ箱を持ち上げたら異様な重さで、しっかりと恋人の青光りする携帯電話が入り込んでいたのだった。
たしかに2年くらい前にも、携帯電話ではなく腕輪だか指輪だかで、今回と同じ場所で発見された失くし物があったのだ。なので今回のことはそれの再来で、その頃のことをちゃんと覚えていればすぐに見つかったわけで、これは交際4周年記念デートの顛末として相応しいような、あるいは疑いを持たれたことに大いに頭が来るような気がするのだった。
2007.7.8
恋人とデートをする。なにデートか。交際4周年記念デートだ。
4周年と言うとかなり長い。辻希美と杉浦太陽の付き合いよりはるかに長いだろう。
1日たっぷり愉しむため、午前中から出掛ける。天気はもう最高とも言える薄曇り具合。降らないし、暑さで恋人が呼吸困難になることもない。たくさん歩く予定だったのでこれは本当に助かった。
まず山手線で原宿へ行く。本当は渋谷に直接行くのでもよかったのだが、ブックオフに行きたかったので寄ったのである。しかし収穫はあまりなし。さくらももこの「富士山」とか買う。この店もまた、以前までに較べて確実にエロの比率が下がっていることだ。また手芸の本もろくにない。大型店なので期待していたのに非常に残念。
そこから渋谷まではもちろん歩かない。これが二十代半ばというやつだ。再び原宿駅に戻り、電車に乗る。
愛しの渋谷に着くが、しかし渋谷は乗り換え駅に過ぎない。山手線の出口からそのまま井の頭線へ移動する。そう、今日は井の頭線ツアーなのである。芸術系の大学生時代にはまるで縁のなかった下北沢を覗き、思い出の明大前を訪問し、ゴールはもちろん吉祥寺。そういう予定。
ちなみに明大前はなにが思い出なのかと言えば、通っていた高校がこの街だった。それなので渋谷駅の井の頭線乗り場まで来ただけでもはやひどく懐かしい。田園都市線から来て毎日このエスカレーターに乗ってたんだよなあ、とかけっこうこみ上げてくるものがある。恋人との交際4周年記念デートと言うよりは、節目でもない自分の人生の思い出探しの様相を呈する。恋人はきっと同時期、熊に襲われぬよう鈴を着けて山道でも下っていたんじゃないかなと思う。
まず降りた下北沢は、定期券内の駅だったくせに高校時代もほとんど降りたことがなかった。友人に連れられて来たことが何度かある程度。今になって来て、それなりにじっくりと街を眺めてみて、それはきっといいことだったんじゃないかなと思った。無垢な高校生時代にこの街にハマって染まっていたら、なんかそれは僕の嫌いなタイプの人になっていたんじゃないかと思う。
再び井の頭線に乗り込み、次は明大前。あの日、一貴と伊織の気持ちが通じたことで有名な明大前だ。しかしその「I`s」にも描かれたホームの風景が割と変わっていて驚愕する。なんか駅ビルみたいのができていた。しかしそれに伴ってのものかカレー屋が移動しているほかは、見たところそれほどの変化なし。改札らへんの風景とか、なんだかんだで懐かしい。
駅からは歩いて5分ほどなので、学校にも行ってみることに。みることに、とか言うと話の流れのようだが、もちろんまったくもって僕のわがままだ。恋人がそんなところに行きたがるはずがない。でも通学路が非常に懐かしい僕は、興奮しながら変わらぬ校舎までたどり着く。恋人にしてみればなんの感慨もない男子校を見せ付けられて、さぞ迷惑なことだろうと思う。「あの柱時計!」とか「このプレハブ!」とか僕だけが大いに盛り上がる。
また僕が2、3年の頃のクラス担任は体育教師でサッカー部の顧問だったので、日曜だけどもしかしたらいたりしてと期待していたのだが、残念ながらサッカー部の練習はなし。ちなみに僕はもちろんその担任が大いに嫌いだったのだが、それなのになぜ会いたかったかと言えば、先日この学校のホームページを見たところ学校の方針が変わったらしく、僕がいた頃はどうしようもない阿呆な学校だったのが、特進クラスみたいなのを作り出してがんばっているようで、そんな風にして生徒の偏差値が上がってしまったら、あのバカな体育教師はそんな生徒たちとうまくやっていけるのだろうかと心配になっていたからだった。今回は会えなかったが、どうか気丈にやっていてほしいと思う。
駅までの帰り道を歩きながら、その体育教師がホームルームで「帰り道でタバコを吸うときは、タバコを持つ手の位置にくれぐれも気をつけろよ。子どもの目の高さなんだからな」と言っていたのを思い出した。注意の内容が、当時の学校とこの教師のひどさを如実に物語っていると思う。
駅近くのファミレスで昼食を済ませ、井の頭線に乗り込む。
このまま吉祥寺まで行くつもりだったのだが、気が向いたのでひとつ前の井の頭公園で降りる。2時ごろになり少し陽が出てきていて木漏れ陽が気持ちいい。日曜日ののどかな自然の中を歩く。歩きながら、「なんだかまるで初めてのデートみたいだね」と語り合う。もちろん僕らの初めてのデートがこういうのだったというわけではない。
公園ではなんか自称アーティストみたいな人たちが、演奏したり創作物を売ったりしていて驚いた。井の頭線とか中央線のエリアっていうのはすごいな。手芸とか色紙とかを売っている出店をざっと眺めて、どうも販売許可証の発行と作品のクオリティには関係がないようだと判断したので、僕もそのうちやってみようかな、などと思う。
ちょうどいい感じの距離を歩いて公園が終わると、そこが吉祥寺だった。井の頭公園で降りたのは大正解だった。
吉祥寺ではまず6日にオープンしたばかりのヨドバシカメラに行く。ここがとてつもない人出だった。上階にユニクロもあるのだが、そこもすごい。なんかもうえらい消費の空間だった。ヨドバシカメラではホームページを作るためのソフト(せっかく新しく作り直すので、これまで使用していたシリーズの最新版を買ったのだ)とか、反省を生かしパソコンの埃を取るためのスプレーとかを買う。
続いて雑貨屋で皿、手芸用品の店でボタン、ブックオフで2次元ドリーム文庫、ユザワヤで消しゴム判子を作るための消しゴムなどを買う。吉祥寺に来るたびにえらく散財することだ。
夕食をどこでするかはなんにも考えていなかったのだが、とりあえず荻窪に移動する。しかしせっかくだから美味しいものをという心積もりなのが、それに相応しそうな店がまるで見つからない。
あまりよくない空気(お互い疲れているし荷物が重いのだ)で、しょうがなくいつも通りバスに乗って最寄の駅まで帰る。それで結果として、これまで気になっていた、まあまあ期待が持てないこともなさそうな駅前の居酒屋に入る。
ここは正解だった。落ち着いた雰囲気で、魚もお酒も割と美味しかった。
でも僕らはここであまりにも酔いすぎたのだった。そんなに飲んだつもりもなかったのだが、やっぱり疲れとかでやけに回ったらしい。4周年記念のデートで、もうふたりともいい大人なのに、なにやってんだよと哀しくなるくらいふたりともグデングデンになる。
本当にもう、話にならないくらいのグデングデンさだった。
実際どうやって家まで帰ってきたのかあんまりよく覚えていない。目を覚ましたときは部屋でそれぞれの座椅子に倒れていて、午前3時だった。それからなんとか布団を敷いて寝た。
しかしそんなひどい状況だったのに、ホームページ作成ソフトは中身のディスクと説明書だけ残し箱を捨て、ユニクロで買った服はタグを外し、買ってきた皿は洗い桶の中にちゃんと浸っていて怖かった。
そしてなによりも怖いのは、恋人の携帯電話が今もって行方不明だということだ。
2007.7.5
レディブティックシリーズno.1404「手作りランジェリー」(ブティック社)といったものたちを借りる。
図書館の最後のは、ヒット君人形の次のステップとしてなにを作ろうか悩んでいた折だったので飛びついた。「その下着かわいい」とか「こんな下着つけてほしい」とかいった話は、手作りすることにより軽く解決するのではないかと思い至った。
しかし店舗ならばまるで気にしないのだが公共機関でこの本というのはさすがに少々恥ずかしく、しかも受付が割と若い女性だったため、バーコードの位置を合わせなるべくスムーズに作業ができるようカウンターに提示した。だがその子がまさかの仕事熱心さんで、本に何か挟まれたりしてないかページをパラーッとやって確認し始めたので戸惑った。さらにこの本にはご丁寧にもショーツとブラジャーとキャミソールの型紙が別紙で内蔵されており、それの確認までされた。それを待っている間、ただ立ち尽くす僕の居た堪れなさ。
さらにはその本を見た恋人の眉間の皺の深さと「きもい」の連呼と言ったら。
なんかもういろいろぞくぞくした。
娘には俺の作った下着しかつけさせねえ。
2007.6.28
ブログの濫立する「COZY RIPPLE」において、大御所とも荷物とも呼ばれる腫れ物2ブログ、「purope★papiro★cantabile」と「pee★pee★mur★mur」の整備を唐突に始める。
前者は多すぎたカテゴリを統合させ、すっきりさせる。
後者は逆にカテゴリがなく雑然としていたのを整える。
しかしこの作業をやっていて思ったこととして、この2ブログの役割の違いって一体なんなのだろうな。果たしてあるんだろうか。なんかない気がする。そして僕になんかない気がしてしまったら、それって要するにないんだと思う。
思えばこの「KUCHIBASHI DIARY」立ち上げのスローガンは、「今度こそ、今度こそ日常を綴りつづける!」というもので、上記のふたつのブログというのは日常を綴る目的だったものが、同じように崩れてしまったなれの果なのだった。道理で似ているはずである。
2007.6.25
2次元ドリーム文庫への関心を深めている最近、その射精のオノマトペがひどく愉しい。
具体的に書くならばこのような感じのものだ。
「ビュクッ! ビュククッ! ドピュ! ジュッ! ドピュピュ!」
「びュぷジュぶプとぷんっっぶびゅウぶプぷっっ!」
どちらも実際に存在するものを抜き出した。
ちなみに射精には音が存在しない(きっとしないと思う。自分以外の男の射精を目の当たりにしたことがないので正確には分からないのだが、これで一般的には音がするもので、僕の場合は威力が弱く無音なのだとしたらひどく切ない)ことを考えれば、射精そのものについて弄されるそれらの記述は擬音語ではなく擬態語のほうということになる。
もちろん膣への出し入れによって液体と空気が攪拌され発生する音というのはあり、それはもちろん擬音語のほうになるわけだが、小説では割と空気中で(少女らの顔にシャワーのように)放出される場合でも上記のような描写がなされることを考えれば、やはり星がキラキラするように、射精はドピュドピュとした「様をしている」ということになろう。
あるいはそれは擬音語と擬態語が1文の中に共存する、稀有な文章表現なのかもしれないとも思う。ほとんど前衛的な詩のようなものだ。なるほど「じゅ」や「ぶ」といった部分は擬音語で、「ど」や「びゅ」や「ぴゅ」らへんは擬態語っぽい。
そのように、これは考えていくと割と興味深いテーマである。
昨日の「PUPPERO?PAROPINN!」に記したように、今後この表現のことを「シャノマトペ」と僕は呼び、考察していきたいと思っている。夏の自由研究。
2007.6.24
ところで今回の実家ゆきの目的のメインは、祖母から端切れとボタンを頂戴することである。「さいきん手芸に凝ってるんだよ」と話し、昨日作ったばかりのヒット君を見せびらかす。
今回は2体目と同じく白フェルトだが、ボタンは木製で顔の刺繍も茶色の糸を使用。さらに注目すべきは頭のチェーン部分で、これまでの糸のそれではなく、これは鞄とかに付けるにはいちど本体をその輪っかに通す必要があるわけだが、試したことないもののそれはヒット君の大きさからかなり難しそうで、なので実を言うとキーホルダーとしての機能は破綻しており、頭の中にははじめから今回から使用した、玉の両端のひとつずつを金具に嵌める方式のものがあったのだが、しかしながらこのチェーンが店で探そうとすると意外になく、しょうがないので前者の使い勝手の悪いそれで済ませていたのだが、先日バッヂを作ろうとバッヂキットボックスを見たら、なんとそこに正に欲していたチェーンが無造作に放り投げられており、そう言えばニューカンバッヂグースーパーを買うと、安全ピンの付いたバッヂ仕様とチェーンの付いたキーホルダー仕様のパーツが付いてくるんだった、そしてバッヂをキーホルダーなんかにしないからチェーンばかりが余っているのだった、と思い至り、探し物は意外と身近にあるのだなあと感動し、今回の最新作からそのような方式となったのだった。頭頂部にはタグ的な布(じょっこのスカートのようなチェック地)を縫い付けていて、そこに通してあるのだ。これで鞄などにも極めて提げやすくなったのだった。実際に僕は実家までの道程では、帽子にはヒット君バッヂ、鞄にはそれをぶら提げて歩いた。
これを見た祖母はその仕上がりに大いに感心、姉はくれと言ってさっそく携帯電話のストラップにしたのだった。友人も家族も実にいい反応をしてくれることだ。僕がなにか作っていちばん冷めた反応をするのはやはり恋人だと再確認する。
2007.6.22
深夜「虎の門」で「ある言葉の新しいネーミングを考える」という企画をやっていて、「初潮」というお題に提出された蛭子能収の「もみじ舞い」というのが、採用されなかったけどすごくいいな、と思った。僕だけは使っていきたいとさえ思った。
そう言えば蛭子さんと言えば「男はどうなったら童貞喪失なのか」という議論において「膣内射精をしたらだ」「挿入をしたらだ」「Bをしたらだ」という意見が飛び交う中、「恋をしたらだ」と主張したのだそうだ。かっこいい。
そう考えると僕は思いのほか蛭子能収チルドレンであると思う。
彼の日記と「俺ばかりが正論を言っている」も期せずして似ているし。
2007.6.16
起きて上野に行く。
明日の夫妻の来訪で約2ヵ月越しのたこ焼きパーリェを行なうことになり、じゃあたこを買いにいかないけんでしょう! スーパーのは美味しいかどうか分からんし! と奮起する。
正午前ぐらいに到着し、アメ横を歩く。とんでもない陽射しですさまじく暑い。おととい梅雨入り宣言があり、翌日翌々日と晴天だ。気象庁はそろそろ謝って解散するべきだと思う。「本当はだいぶ前から異常気象でほとんどよく判ってませんでした」と正直に言うべきだ。夏に弱い恋人は、上野から御徒町までの距離でうなり声しか上げられなくなってしまった。
しょうがないので昼食として回転寿司屋へ避難。
英気を養ってから再び炎天下に立ち、目星をつけていた店で買い物をする。買ったのは車海老とか桜海老とか。肝心のたこはどうしたのかと言えばそれが1体丸ごとでしか売っていなく、店の人に「足で売ってないか」と訊ねたところ「そういうのはスーパーへ行きなっ」と返され挫ける。社交性のないカップルがせっかくの来訪に向けて離れた街に買い物に行っているのだから、彼はもうちょっとそこのところを勘案して優しく応じるべきだったと思う。
まあ海老が安かったからいいとするか。
帰り道で「前日に上野に行ったことは夫妻には内緒にしようね、張り切りすぎてて気持ち悪いから」と恋人に語りかけたところ、「もう話したよ」とさらりと言われショックを受けた。
2007.6.12
そしてその点についても思うところがあるのだが、僕はこのブログにおける記事のカテゴリ分けというのが大好きで、このシステムを使っておもしろくなる要素っていうのは大いにあると確信し、「俺ばかりが正論を言っている」「KUCHIBASHI DIARY」「PUPPERO? PAROPINN!」などで実行しているのだが(なので「日常」「感想」「思考」「その他」みたいな理念のないカテゴリ分けのブログを見るとケッと思う)、そういったことをやるにあたり思うのは、ひとつの記事のカテゴリ要素がひとつというのはおかしい、ということだ。
たとえばぱろぴんのような曜日のカテゴリ分けがあるとして、しかしそれを内容のほうでカテゴライズしたい場面もあるわけである。月曜日に女の子について語り、木曜日にも女の子について語り、次の月曜日に政治のことについて語った場合、「月曜日」カテゴリでは1番目と3番目の記事が出てきてほしいし、しかし「女の子」カテゴリを選択したら1番目と2番目の記事が呼び出されてきてほしいわけである。縦軸横軸斜め軸、いろんなところからその記事を拾ってほしいのだ。そんな風にひとつの記事に4つ5つの属性を付けられたなら、もっとおもしろい読み方の出来るブログが出来上がると思う。
2007.6.7
日が経つのが早いな。うかうかしてるとどんどん過ぎる。なにもしないまま。嫌になる。こういったぼんやり期間というのは、別につまらないわけでもなく、あっという間に過ぎるわけでもなく、とにかく茫洋としていて、一切のアイディアが閃くこともなく、しかし気がつけば5日くらい経過しているので、本当にタチが悪いと思う。
仕事先の人たちが年金の話ばかりする。この度の問題以前からずっとそう。本当にずっと話しているのだ。まるでそれについて話せば話すほど、思いを馳せれば馳せるほど、貰える金額が多くなると固く信じているかのように延々と話す。これがすごく嫌になる。どなたのなに年金がなん万でもどうだっていい。興味がない、と言うかもはや積極的に苦手だ。なんか年金の話をし始めたら人生おしまいだな、とさえ思う。夢と希望の潰えた先に年金という装置は待ち受けているんだと思う。少なくとも若いうちから触れる問題ではない。ましてや芸術系大学出身としてはなおさらだ。
2007.6.6
しかしそのあと魔が差して、大学のキャンパスに潜入してしまう。
とは言え別におもしろいことはなかった。なにしろ校舎の大部分が改築中で、部室とかもぜんぜんないのだ。自分が現役の頃には、部室へ行くと知らないOBがいるなんてことがたまにあったのに、自分がOBになったときにそれができないというのは、そのOBの現役時代なんかまるで知らず、ただの5、6歳上の知らないオッサンじゃねえか、と居心地が悪くなるだけだった当時の自分のことを鑑みるに損であると思う。僕も5、6代あとの青年に対し同じことをやりたかった。でも数年後に新しくなった部室にはもう行けないだろうな、と思う。
2007.5.10
僕はこれまでアニマル柄、その中でもヒョウ柄というものにまったくいい印象を持っていなかったのだが、今日池袋で見かけたひとりの女子高生によりにわかにそのイメージが変容した。
その子は紺色のプリーツスカートに白いシャツ、ベージュの薄手のセーターに黒髪とごく普通の女子高生で、スカートがえらく短いとかセーターが長いとかそんなこともなかったのだが、ただしリュックが全面ヒョウ柄のものだったのだ。そしてそれがなんかやけにかわいかった。
ヒョウ柄=ケバくて悪趣味、みたいなイメージがあったけど、と言うかそんなイメージがあるからこそだろうか、平凡な女子高生がしかし一点にその柄を身に着けていると、ギャップがあってやけにいいのだ。清廉な世界に落とされた汚点。汚点とはすなわち清潔な少女を眺める、不潔な僕自身であると言えるだろう。「白露のをとめの柔肌散りにけり」そして白露が精液のメタファーであるように、汚点とは少女を中心に世界を考えた時、僕という存在の唯一の立脚点なのだ。つまりあの女子高生はなにを背負っていたか。僕を背負っていたのである。
2007.5.2
ところで数日前に「2日の夜そっち泊まるから」と母にメールしたところ、「昨日から飼い犬が逃げて行方不明だ」という返信が来て驚いていた。
「見つかったらすぐに連絡して」と言っておいたものの一向に連絡がなく心配していたところ、ちょうどこの日の昼間ごろに彼はひょっこりと帰ってきたのだった。
どこに行っていたのかはまるで分からない。4日間の謎の放浪だった。まあ5年以上もう飼い慣らされているとは言え出自は山梨の雑種野良犬なので、サバイバルはお手の物なのかもしれない。なにより人を咬んで事件になるようなことがなかったことは大いに喜ばしい。そしてせっかく泊まりで帰ったのに母と祖母が犬の心配ばかりしていて家がひどく重たい空気だ、というようなことにならなくて僕としては実に助かった。
もっとも祖母は犬が逃げたことそのものに関して勝手に責任を感じていて、「私が普段からすごく怒るから逃げてしまったんだと思うの……」としきりに言い、「散歩中にやけに草を食べようとするから、道草喰うなっていつも怒ってたから……」と何度もウダウダと言っていた。この道の草を喰う犬に対しての「道草喰うな」というのは祖母の自信ネタらしく、近隣の方々への見つかった報告電話の際にも必ずと言っていいほど織り交ぜていたのだが、ぜんぜんおもしろくない。
おもしろいと言えばこの話で僕がいちばんおもしろいと思ったのは、はじめに連絡を入れた際にもたらされた行方不明の報を恋人にも話したのだが、それを聞いての恋人の一言だ。
「えっ。大丈夫なのかな……。ほかの動物に食べられたりしちゃってないかな」
信じられない発想法だと思った。
でも島根県にいて祖父が猟師で玄関に鹿の首がある彼女にとってそれは冗談でもなんでもない発言なのらしかった(でも島根県の人が聞いたら怒るかもしれない)。幸いなことに横浜市ではその心配はない。日常にいる最も大きな生きものは、おそらく犬に他ならない。
期せずして恋人の日記で犬が草を喰っている。そしてなにその写真の大自然。
彼女は続けて「お母さんすごく気を落としてない?」と心配してきたので、「大丈夫。今の言葉を話して元気づけとく」と応じた。そして母大爆笑。
2007.4.25
恋人に髪を切ってもらう。サラリと言ったが初の試みである。
こちらに来てからというもの、どうも気に入る美容院を見出せず、散髪のことを考えると憂鬱になる日々だった。それゆえに前髪がどうしたって目に直撃して困るという風になるまで耐えるというような、そんな生活を送っていたのだった。
これの改善として、恋人に切ってもらう作戦という今回の運びとなったわけである。恋人ならば気に入らなくない。だいじょうぶだ。
もっとも心掛かりなこととして、恋人は決して器用な人ではないというのがある。むしろ大いに不器用である。そのため任せてよいのかという思いはあった。しかしまあいいかとも思った。変になったらなったで翌日は整髪料でごまかし、すぐにプロのところへ行けばいいかと。
それでやってもらったわけだが、これが殊の外いい。
とてもかわいいのである。ちょっと女の子風のマッシュで、デビュー直後の広末涼子を彷彿とさせる感じである。すっかり気に入り、成功した美容院散髪でもなかなかこんなにはならないというぐらいの度合いで嬉しくなってしまった。
そう言えばすっかり忘れていたが、恋人は全体のそれっぽい雰囲気を掴むのが非常に上手なのだった。もはやほとんどイメージのみで生きていると言っても言いすぎじゃないほどに。彼女の口から放たれる「イメージ中国語」「イメージフランス語」のなんと上手いことか。そんな、僕という人間のイメージをそれっぽく掴み、散髪のイメージをそれっぽく持った彼女が、それっぽい完成品を生み出さないはずがなかったのだった。
これからはいつもやってもらおうと思う。
2007.4.14
いきなりだが明日、恋人の父親と初対面することになった。恋人の妊娠が発覚して、結婚することになったからだ。嘘だ。なんか出張で東京のほう(と言っても茨城らしいのだが)に来ているということで、じゃあ会おうということになったのだ。
これは僕にとっては幸運である。なぜなら妹らとの時にも母親との時にも共通の戦法として、こっち(東京)はホームであるからだ。なにしろあっちは島根県民。山の陰に棲む人々である。こちらの地での邂逅ならばあちらの力は半減である。勝てる。第一印象で勝てる。こういう時はことさらに東京っぽさを出すに限る。すべての発言のあとに鍵括弧で(ま、東京なんですけどね)という雰囲気を醸す感じだ。得意分野であるそういうのをすごく使っていこうと思う。
しかし力は半減だとは言え父親だ。ドキドキであるのは間違いない。ただでさえ父親というだけで彼氏という立場からすればドキドキなんだろうが、ましてや僕は母子家庭である。「父親」というポジション抜きに僕の家庭イメージは形作られており、だからそれが実際にどういう風なのか僕はよく知らないのだ。そういう点でもドキドキ。明日はドキドキレボリューションかもしれない。あるいはドッキドキレッボリューションかもしれない。
2007.4.2
ところでなんで買い物に出掛けたかと言えば、明日が恋人の誕生日だからだ。今回はプレゼントに関しリクエストがなくお任せなのだが、これが難しい。下見をし悩んだ末に出した結論として、僕の頭の中にはいま「電熱たこ焼き器」があるのだが、果たして24歳になる彼女は喜んでくれるだろうか甚だ疑問だ。
とは言えよく考えてみれば、僕と共同生活していることが彼女にとってなによりのプレゼントなのではないか、とも思う。のび太の結婚前夜のようなそんな結論はどうだろう。それにしても彼女が誕生日を迎えるということは、彼女と僕の共同生活も1年を過ぎたというわけだ。なるほど1年か。なんとかなるもんだな。
2007.3.24
今日は恋人がにわかに静岡くんだりにまで行っているので、ひとりの夜である。これが淋しい。ひとりって実に淋しい。恥じることなく堂々と言おう。ひとり暮らしって淋しい。やらずに済んでいて本当によかったとしみじみ思う。本当に僕ほどの愛され気質はいない。愛されて、愛され抜いて死んでゆきたい。愛されワンピよりももっと愛されたい。愛されない限り死にたい。ひと晩でこれだけ淋しい。こんなにも淋しがっている僕のことを思い、僕よりもひと回りも年下の襞付きスカートを腰に巻く君らの、すでに毎月のそれにより掻き立てられている幼き母性本能もくすぐられ、その摩擦は熱病のごとき奔流を生み出し、夢の中の僕はそれに優しく包まれ、ピンク色の素敵な夢を見てしあわせそうな微笑みを浮かべるならば、それに勝る喜びなんてない。おやすみなさい。
2007.3.18
ここ数日恋人が部屋の整理をしているのだが、本日押入れの奥からオーバーオールを発掘してきた。懐かしい。思い出のオーバーオールなのだ。ただしかつて恋人が穿いていたとかではない。彼女が中学生の頃に購入しその当時は穿いていたらしいが、現役で穿いているところは見たことがない。穿いていたのは僕だ。ときどきそれで大学に行った。それで懐かしい。4年付き合った恋人の共有の思い出ではない。僕による僕の思い出だ。
早速久しぶりに穿いてみたら、かわいくて驚いた。ただしオーバーオールがではない。僕がだ。23歳という年齢を感じさせない少年性だった。もしかしたらこの子、精通とかまだなんじゃないかしらと思わせるほどのあどけなさだった。おやすみなさい。
2007.2.18
恋人と桃鉄のつづきをやる。設定した10年が昨晩では終わらなかったのである。8年目ぐらいまでは僕の圧勝だったのだが、貧乏神のせいで没落する。目的地が遠くに設定されたとき、どうしても地道にそこに向かおうという気が起きず、カード駅が密集している地帯をウロウロしたりするのがいけないのだと思う。しかしコンピュータは怒涛の勢いで目的地へ邁進するし、恋人は50マスぐらい離れているのにコツコツと近付こうとするので、結局は僕に貧乏神が着くことになる。それで負けた。結果として1位はコンピュータ、2位が僕、そしてもちろんビリは恋人だった。真面目にやって普通にビリなのが恋人らしいと思う。しかし社会人ふたりがせっかくの休日に3時間以上の時間を費やしてゲームをやり、そのどちらもが勝たないって果たしてなんなのだろう。一体なにセラピーなのか。ちなみにコンピュータプレイヤーの名前は「まひろ」であった。
2007.2.15
かわいい女子中高生を視界に入れたとき、どうしようもなくなるのを抑えられない。
このホームページにおいて僕は3年に渡り、手を変え品を変えこの感動を表現してきたわけだが、ぜんぜん足りないと思う。ぜんぜん表現できていない。自らの文字表現をどれほど駆使しても到達できない。俳句、短歌、学年題俳句、漢詩、女子中学生コウコツ文字と、詩は文章表現では届かない地平を見せてくれたが、それでもまだ不足だ。
本当はもっと、気持ちが悪いのだ。
もう精神が逼迫して笑いながら全身から謎の液体がにじみ出るような、そんな感じなのだ。爬虫類と知性動物という2層の脳がコラボして作り上げる、形而上とか形而下とかを超越した絶対的な衝動。これをどこまで文字作品に昇華させてゆくことができるかなのだ。
2007.2.10
恋人の友達が遊びにやってくる。つい先日に結婚式を挙げた、元同じ学科の現妊婦である。まだ見た目的にはなんにも変わりないけど。そして実を言うと在学中あまり喋ったことがないぐらいの関係なので、ちょっと緊張した。ちなみに我が家に客がやってきたのは11月のやはり恋人の友達以来なので、3ヶ月ぶり。そして僕の友達が僕の家にやってこない記録は、そろそろ1年に到達しようとしている。
ところで今日やってきた彼女は、「COZY RIPPLE」をわりと評価してくれているらしいという噂があったのだが、本当だった。「女子中学生コウコツ文字」とか「オオクチアホキリン」とかの単語がポンポンと飛び出る。嬉しいじゃないか。でもだったら前々からコメントとかしてくれていたらよかったじゃないかと思うのだが、彼女いわく「誰にも相手にされていない感じのところがよい」のだそうだ。一体いつよかったのだろう。ぜんぜんピンと来ない。
ところで今日やってきた彼女は、「COZY RIPPLE」をわりと評価してくれているらしいという噂があったのだが、本当だった。「女子中学生コウコツ文字」とか「オオクチアホキリン」とかの単語がポンポンと飛び出る。嬉しいじゃないか。でもだったら前々からコメントとかしてくれていたらよかったじゃないかと思うのだが、彼女いわく「誰にも相手にされていない感じのところがよい」のだそうだ。一体いつよかったのだろう。ぜんぜんピンと来ない。
2007.2.8
ところでノロ以前に決意した、食べられない食材をなくす活動なのだが、第1弾の茄子のあと用意されていた第2弾の大葉が、使われることなくチルド室でしなしなになっている現状の中で、なんと僕は近ごろネギが食べられるようになった。これはすごい。炒飯のネギさえも取り除いていた僕が、今夜はインスタントの味噌汁にわざわざ刻んで加えさえしていた。しってる? ネギってね、気づいたら風味がいいの!(僕の中でいま密かに「君に届け」のこのフレーズが流行っている)このようにネギが食べられるようになるのは、外食で困らないようにするという大目的を達成する上で、非常に大きいと思う。ネギってなんにでも入っているからな。よしよし。
2007.2.6
ところで本日で「COZY RIPPLE」が3周年を迎えた。3周年!
2年じゃないよ3年だよ。3年の厚みってなかなかだ。ブログの数にもそれは表れていると思う。1年前までは「purope★papiro★cantabile」と「pee★pee★mur★mur」のふたつしかなかったのだ。それが3月の終わりに「学年題俳句1000詠」がスタートし、「TEEN×TEEN×SEVENTEEN」がそれに呼応して誕生、6月には手書きブログ「俺ばかりが正論を言っている」がはじまり、9月には別人格による「ホガラカノイロオゼ」、そして翌1月からはここ「KUCHIBASHI DIARY」が開始している。要するに1年で5つ新しくブログを作った。世の中には1年間に5つしか記事がアップされないブログだってあるだろう。その数、ブログを作った。
2007.1.28
起きたら体調は万全だった。エネルギーが足りないのは仕方がないとして、節々の痛さもない。どうやら身体はウィルスと闘い終えたらしかった。
なにウィルスかと言えば、きっとノロウィルスだ。医者からははっきりしたことは言われなかったんだが、症状が伝え聞くそれのものとあまりにも酷似している。ノロだったんだ。
いま! なんかもう世間の話題が新宮崎県知事の鳥インフルエンザとか納豆ダイエットの捏造とかになっている中で、いまノロ! 恥ずいよバカ!
まあ週末でよかったと思うべきか。恋人にも手厚く看病してもらったし。本当に助かった。ただ感謝である。ひとりだったら、あの下痢の漏れたシーツはいまもそのままであろうと思う。恋人の前でおならが出来るかどうかという話があるが、もうそういう次元の話じゃない。
2007.1.26
夜から急に体調を崩したのだが、それまでそんな気配はまるでなかったのだ。早朝から夕方までいつものように労働し、帰りには近所の古本屋で米村圭伍「面影小町伝」(新潮文庫)を250円で購入したりした。夕食の準備だってちゃんとし、美味しく食べさえしたのだ。
事が起こったのはそのあとである。なんか異様に胸焼けというか胃もたれみたいな状態になり、起きていられなくなった。どうにもこうにもならなくなり、近所のドラッグストアに胃腸薬を買いにゆくことにする。しかしその帰り道にはもう息も絶え絶え、猛烈な吐き気で歩けなくなる。それでもなんとか恋人に支えられ家に辿り着き、さっそく買ってきた薬を服むが、なんの意味もなかった。薬が効くよりも先に我慢できない吐き気に襲われる。
吐く。そして吐くと同時に下痢。とんでもない。だってトイレはひとつしかないのだ。急なことだからビニール袋とか用意してないし。死ぬかと思った。こんなことって本当にあるんだ、とか思った。
そうして苦しんでいる間に、恋人が近所の救急病院に連絡を取ってくれる。ありがたい。恋人はこういうのがすごく優秀なのだ。ネットで連絡先を調べてくれて。逆の立場ならば僕はそんな連絡そうそうできないと思う。しみじみと逆でなくてよかったと思う。
出すものを出し切り少しだけ落ち着いたところで出発する。歩いて10分足らずなのだが、雨。傘が重くてつらいったらない。道端で吐く。
病院では診察の後、採血して点滴することに。
非常にサラリと言われたのだけど、採血して点滴!? って思った。
だってまさか自分が採血して点滴するとは思わずに生きていた。僕はこの年になるまで血液型の検査もしていないし、針を刺されること自体が中学のなんかの検査のとき以来である。なんかいきなり宣告されてすごいショックを受けた。
診察室の隣の部屋に連れて行かれ、看護婦さんに袖をまくるよう言われる。看護婦なんかぜんぜん天使じゃない。僕の天使のような華奢な腕に、針が刺される。見ていられない。しかも腕が細いのか血管が細いのか、何度も失敗される。そして実際に血が抜かれているところを見てしまい吐き気を催し、針に集中している看護婦さんに向かって「袋をください」と言って迷惑がられる。そして抜かれながら至近距離でゲーゲー吐く。なんて迷惑な患者だろうか。
そのあとは点滴を受けながら安静に。なんか寒くてガクガク震えていた気がする。恋人がずっと横にいてくれたのだが、暇そうで申し訳ないなと思った。
点滴が終わって帰ったあとはすぐに寝た。寝るほかなかった。
2007.1.21
起きて、なんと本日は所沢に行く。昨日急にそういう話になったのだ。
所沢は僕と恋人にとって思い出の地。たしかもうきっと3年近く行っていない。天気もよかったので本当に行く。実は30分もかからない。というわけで「プロペ★パピロー、プロペ通りを行く」の巻(ちなみに僕がpuropeであるのに対し、こちらのアルファベット表記はpropeである)。
この道をよく歩いていた2年間でずいぶん店の入れ替わりを目の当たりにした印象があったので、2年ぶりに行ったらずいぶん店の顔触れが変わっているんだろうと思ったら、それほどではなかった。案外そんなもんか。
それにしても思い出す。喋ったこともなかった彼女のあとをつけ、この通りを歩いていたときのことを。今ではそれらすべてが、なんとなくいい思い出のような気がする。
(中略)
行ってみて改めて思ったのは、プロペ通りはゲームセンターがあって若者が多くあんまり柄がよくなくて、チェーン店ばかりでわりと薄っぺらい、あんまり愛すべき所じゃなかった。少なくともペンネームに冠するほどのものじゃなさそうだ。まあ僕はpuropeなので関係ないけど。
2007.1.9
そう言えば昨晩のことなのだけど、寝る直前に恋人が泣き出してしまい往生した。なんか要するにいつもの芸術家たる彼女らしい感情の高まりだったらしいんだが(まあ生理前でもあるようだが)、しかしそれまで明るくしていたのがどうして決壊するように泣き始めてしまったかと言えば、ふたりで寝転んで観ていた僕のパソコン兼テレビが、液晶の具合でその角度からだと光が変になってしまいあんまりよく観えなくなってしまうのだが、そのことについて恋人が「実家のプラズマはこんな風にはならないんだよ」みたいなことを言い、その前の彼女が出雲にいたときから電話とかでも「実家のプラズマがすごいよ」「プラズマの画面がでかいよ」とさんざん言われ続けていたため、いい加減ちょっとイライラしていた僕が、「プラズマプラズマうるさいんだよ!」と強めに言ったのが原因だったわけなのである。
これが今日おもしろくて。日中何度も思い出して笑っていた。
「プラズマプラズマうるさいんだよ!」
2007.1.3
母方の実家に行っていた。姉夫婦との車中は、想像していたほど嫌じゃなかった。でも(ぼくがいないほうがこのふたりはたのしいんだろうな)とは思った。
夕食は近所に住む親戚の一家もやってきて、やる。小学生の少年がなんかデュエルなんとかとかいうカードゲームの相手をやれというのでやってやった。でもルールがぜんぜん解らない。カードにいろいろ文が書いてあるんだが、日本酒を飲みながらなのでまるで入ってこない。すごく怒られた。「エンドなの!」とか。自分の行動を終えるときに「エンド」というのがマナーらしいんだが、どうしても恥ずかしくて言えなかった。
1泊ののちに今日の昼間に帰ってきて、職場の人たちとの新年会。鮨。これで3日連続鮨で日本酒だ。いい年末年始を送っている。男だけなので猥談になるんだが、こういうとき年下の性の話の生々しさと言うか切羽詰まってるさに負けるのが嫌(年を重ね落ち着いたと思われたくない)なので、いつも気がついたら先頭にいて、年下のみんなが引いてこっちを見ている、という図になる。ダメだ。でも負けたくない。
2006.12.31
今年を振り返るというわけではなく、むしろ未来への展望として言うんだが、今の2次元美少女エロ業界の底辺にあるテーマは「家族」なのではないか。
常日頃からその「流れ」だけは見失わないように、それなりの距離を置きつつそれなりの情報に触れている。でも実はあんまり掴めない。1年にだいたい3度くらいだけ、「今○○だ!」と看破できる。それはそれまでの趣味と実益を兼ねた努力によりようやく結実した、宝石のようなご褒美なのだ。
2006.12.30
だってぱぴこさんと来たら、どんぐらい帰るって、10日近くも帰るんである。年末年始の帰省なんじゃない。この計画には正月の次の行事、上の妹の成人式を見舞うという目的も隠されていたんだ! バーン!
あまりにも壮大すぎる全体像に、我々は目くらましされていたんだ。正月はカムフラージュにすぎない。犯人の真の狙いはそこにあるのだ。「木を隠すなら森の中。では死体を隠すには?」「――そうか! 死体の中だ!」
10日も会わないのなんていつ以来か。長すぎてテンションが上がる。10日もあれば大抵のことはできる。すなわち、10日後にぱぴこさんが帰ってきたときに、ぼくはどれほど彼女のことを驚かせることができるか。これはそういう勝負なのだと思う。僕は現時点の計画としては、耳と鼻にピアスを開け、そのふたつをチェーンでつなぎ、部屋の照明を赤ライトにして、謎のベトナム人と同居しているつもりである。ぱぴこさんにお土産はふたり分お願いしたい。
2006.12.29
語るべきことと歌うべきことの違いとは一体なんなのだろう。
いまぼくは姉妹間のショーツの貸し借りについて述べたい気でいるのだが、なんとなくこれは歌にすべき素材であると思う。語るべきものではない。
ではこれがショーツではなくブラジャーであったらどうか。これもやはり歌である。
ただしショーツにしろブラジャーにしろ、それが精液まみれであった場合、俄然それは語るべきテーマになると思う。
だとすれば語りと歌の差異とは、ザーメンの有無にあると言えるのではないか。そんなことはないと思う。バッカじゃねえの。
2006.12.28
先日姉と電話で喋り、ジャンパーを購入したと話し、「ノスタルジックなハンサムな少年のようだよ」と言ったら、「あなたもう大学卒業したんだからそういうのやめなよ」と言われてひどくショックを受けて嘘だって言ってほしい。
2006.12.25
口からポロっと出てはいけない言葉が出てくるということがある。年齢を重ねるに連れて常識が身についてきてだんだん頻度は下がってくるが、それでもある。
今日はぱぴこさんと話をしているとき、ぱぴこさんのふたりいる妹の下のほうの話になり、ぼくが実家に泊まりに行って対面したときは彼女はいくつだったんだっけ、みたいなことを喋っているとき、ふとボンヤリしてぼくの口がこう言っていた。
「●●(妹の名前)の乳首……」
びっくりした。あれっ、なんでぼく、恋人の下の妹の乳首について呟いているんだろ、って。
たしかに、考えてたか考えてなかったかと問われれば考えていた。と言うか女の子のことについて考えたり、あるいは見たりしたとき、その子の乳首について思いを馳せないなんてことはありえないと思う。それをしないことは逆に大変に失礼であると思うし。
2006.12.18
僕は本当に平和主義者だなあ、自未得度先度他だなあと思ったことがあって、すなわち街で切ないくらいにかわいい女子中学生を見かけたのだけど、僕は僕自身が彼女のことをいじりたいとはあまり思わなかった。思わなかったが、心の中で(彼女が濡れやすいですように)と願っていたのだ。濡れさせるのが僕である必要はない。別の男でいいし、あるいは女の子でもありだと思うし、はたまたかわいい彼女自身の拙い指であってもいい。なんだっていいのだ。そこに僕がはたらきかけられることはほとんどない。だからただ願う。かわいいあの子のためにただ祈るのだ。濡れやすいですように、と。そういう愛。平和。メリークリスマス。
2006.10.3
そう言えば女装をした。やってしまった。
「女装したら別れる」とまで言っていたぱぴこさんにお得意の催眠術をかけて、メイク、衣装協力、カメラマンまでやってもらった。そこまでしてやりたかった。
仕上がりは、まあまあだったと思う。ただしひとつ断っておきたいこととして、写真よりも本物のほうが数段いい。これは間違いない。写真は顔の陰影を際立たせるため、どうもその影が男っぽい感じになってしまう。それだけは強く主張しておきたい。あるいは写真でも感じ取る向きはあるかもしれないが、たとえそれでもやはり実物のほうがかわいいのだと。
もっともこのブログを見ている人にとっては、実物はおろか写真画像にしたところで、目にする機会はないわけで、関係のない話ではあると思う。
ちなみに言うとこの女装という試みがこれで終了になることはあるまいと思う。そのうちまた欲求が高まるはず――と言うかすでにわりと高い。なんと言うかつまり、どうやら味をしめている。最終的にはセーラー服で自転車をこぎたいと思っている。
2006.9.29
・はじめてのブラジャーを着けたのは
中1の夏だったな
雨の日
・妹のブラジャーはいつだって
私のより1サイズ大きいから
私のブラジャーはいつだって
妹のおさがり
・空色のブラジャーが欲しい
いつも胸に
・ブラジャーを着けてから
おっぱいって言うのが
恥ずかしくなったよ
ちょっぴり
・友だちのシャツ越しに
乳首が見えた
来月のバースデイプレゼントは
ブラジャーに決定
・ブラジャーLOVE
・指先でブラジャーの模様をなぞる
我に返ると明け方
・ホックはブラジャーのじゃなくて
女の子のはあとの止め具なんだよ
・死んだ親友の遺品はブラジャー
いまもタンスの奥
・一緒にお風呂入ろう
私はショーツから
妹はブラジャーから
脱ぐ
中1の夏だったな
雨の日
・妹のブラジャーはいつだって
私のより1サイズ大きいから
私のブラジャーはいつだって
妹のおさがり
・空色のブラジャーが欲しい
いつも胸に
・ブラジャーを着けてから
おっぱいって言うのが
恥ずかしくなったよ
ちょっぴり
・友だちのシャツ越しに
乳首が見えた
来月のバースデイプレゼントは
ブラジャーに決定
・ブラジャーLOVE
・指先でブラジャーの模様をなぞる
我に返ると明け方
・ホックはブラジャーのじゃなくて
女の子のはあとの止め具なんだよ
・死んだ親友の遺品はブラジャー
いまもタンスの奥
・一緒にお風呂入ろう
私はショーツから
妹はブラジャーから
脱ぐ
2006.9.27
学年題俳句1000詠に悲願の第2参加者が現れた。めでたい。ものすごくめでたい。半年たってようやく、である。
しかも自分でもびっくりするんだが、なんとその参加者というのが現役の高校生。1年生で御歳17歳の道産子ガール、まひろさんなわけである。高校1年生と言えばまさにこの学年題俳句企画におけるキーとも言える存在である。本当にすごい。できすぎと言ってもいいくらいだ。
まだ参加表明をしてくれたばかりで句は発表していないわけなんだが、今から非常に愉しみである。なにしろ現役。間違いなくリアルないい句を作ってくれることだろう。部活や恋の合間にどしどしやってほしいと思う。
学年題俳句参加用のまひろさんのブログ、「ホガラカノイロオゼ」は早速アンテナに追加した。これからが本当に愉しみだ。
しかしひとつ思うこととして、あまりに好都合すぎると言うか、実は今ひとつ信用できてない部分があるのもたしかである。果たしてまひろさんは本当に16歳の女子高生なのか。もしかしてぼくなんじゃないか、とか思う。そんな予感がすごくする。
2006.9.25
「学年題俳句1000詠」に参加します、まひろです。
えーと、まず自己紹介。年は16歳、高校1年生の手芸部員です。誕生日は7月7日、身長146cm、血液型O型。家族構成は、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、わたし、双子の片割れ、そして弟の6人です。趣味は小さなものを作ることと、詩を作ること。ちなみに道産子です。
もちろん女の子は好きです。って言うか男の子は苦手……。
この企画は、なんだかかわいかったので参加しようと思いました。不純でごめんなさい……。でもやるからにはもちろん、なるべくいい句を詠みたいです。1000句ってイメージが掴めないんですけど、でもできるだけがんばりたいです。
次にフェチと萌えどころ……質問が多いよぉー。えーと、最近かわいいなって思ったのは、嘘をついているときの女の子。それも、エッチなことについてとぼけてるときが特に。顔が赤くなったりするとますますかわいくて、頬ずりしたくなったりしました。
少女についての豆知識は、これは豆知識って言うかわたしのグループで流行ってる言葉なんですけど、制服のプリーツスカートがピンクのチェック柄でかわいくてとっっってもお気に入りで、よくみんなでいじったりとかするんですけど、そういうことをしている自分たちのことをプリーツスカート症候群って呼んでます。……これって豆知識かな。ちがうかな。ちがってたらごめんなさい。
……次と次の質問は非常に答えにくいんですけど…………まあたしかに自分でも女の子の体っておもしろいなってときどき思います。でもきっとそういうこととかを俳句にしてゆけばいい……んですよね? なのでこのふたつはとりあえずここではパス。
最後に将来の夢は、ベタだけど「お嫁さん」。大好きな人と幸せな家族になりたいです。
こんなわたしですが、どうぞよろしくお願いします。がんばります!
2006.9.22
昨日のバラエティ番組で、みのもんたがおもしろかった。
スタジオに甘い食べものがやってきて、それをみんなで試食した際のことなのだが、出演者の中にはスピードワゴンもいて、なのでもちろん「あまーい!」のギャグの流れがあったわけである。
するとそれを見ていたみのもんたが、自分も試食をして、こう言った。
「うめえぇぇぇぇぇ!」
これはすごい。「うまーい!」じゃないのだ。「うめえぇぇぇぇ!」である。掛かってないというか、パロディの域をはるかに超えている。勢いのみでどえらいものを召還し成立させている、みのレベルでなければ到底不可能な力技。
しかもどうやら気に入ったらしく、そのあと別のものを食べてもいちいち言っていた。
「うめえぇぇぇぇぇ!」
腹がよじれるほど笑った。
2006.9.6
ツンデレの次になにが来るのかということを、昨晩ぱぴこさんと(パ)ピロートーク(ダサい)したのだけど、ぜんぜんおもしろい意見が出なかった。
おもしろい意見が出たような気がしていたので、「おもしろい意見が出た」という話を書こうとしていたのだけど、今そのためにメモ帳を開いたら、半分以上眠りに就きながら書いたメモにはぜんぜんおもしろいことが書いてなかったので、泣く泣く方向転換だ。
まず「ツン老い」と書いてある。ツンツンしているけど、その一方で老いていっている、ということだろうか。哀しいじゃないか。
次に「ツン病」だ。ツンツンしているけど、実はなにかの病気なんだろう。救いがない。
そのあと「ツン・ヨンハ」と書いてある。「パク」とびっくりするほど掛かっていない。まさに深夜。
次は「ツンマネ」。これはたしかぱぴこさんの意見だ。「ツンツンしてるけど、それはフリ」ということだったと思う。しかしそれはほとんどツンデレだろうという気がする。
次もぱぴこさんの意見だ。「ツンぞりかえる」。ダジャレだ。そしてダジャレのくせにこれがいちばん使い勝手がいい気がする。日常生活の中でも使えそうな気がする。
最後に「ツン死に」と書いてある。ツンツンしたまま死ぬのか。それともいま流行りの「キュン死に」みたいな感じか。死にそうなくらいにツンツン。意味が解らない。
(パ)ピロートークにして、期せずして四苦のうちの三つが挙がっている。ひどい。
ここまで来たらどうせだから「ツン生」もやってしまえばどうかと思う。「あ、あんたのために生まれてあげたんじゃないからねっ」というこれはある意味で哲学的なツンツンであると思う。
2006.9.6
インターネットが相互参加型になってきているのが好ましく感じられない。
なんと言うか、コミュニティの感じが嫌なんだと思う。ルールとか責任とか。そういうのが現実で面倒臭いのでネットを始めた感じなのに、なんかネットもまたそういうことになろうとしている。解せない。
もちろん便利なんだろうとは思う。百科事典とか。
ただコミュニケーションツールとしてのそれは許せない。要するにmixiらへんが許せない。ぼくらの世代はまだいいけれど、mixiがはびこる世の中で育つ子どもは、書籍や新聞のような、個人で情報を得る手段に価値が見出せなくなるのではないかと思う。あるいはそれで得た知識や感想を他人と共有せずにはいられなくなったり。それはきわめて気持ちが悪い。大きなものに組み込まれてしまうのでは、その人が生きている意味がなくなってしまう気がする。
ぼくにとってホームページはもちろん、ブログも主張や発表のためのものなのだ。あくまで一方的。折衷案なんて必要ないんだ。シャングリラなのだから。これはダメな考えなんだろうか。未来のコミュニケーション人に疎まれるんだろうか。
2006.9.3
恋人と東京メトロの旅に出掛ける。1日乗車券が710円。
まず六本木へ。初六本木ヒルズである。どうってことなかった。日曜で盛況しているかと思えば別にそんなことない。改めて考えていれば、オフィスとマンション、そしてそれに付随して少々の店があるだけだ。街なんだった。人もそんなにいない。
まず六本木へ。初六本木ヒルズである。どうってことなかった。日曜で盛況しているかと思えば別にそんなことない。改めて考えていれば、オフィスとマンション、そしてそれに付随して少々の店があるだけだ。街なんだった。人もそんなにいない。
そこから日比谷線で銀座に出て、銀座線で浅草に。雷門とか見る。どこまでもベタに観光である。人形焼きとか、花やしきとか。それにしても六本木と浅草の土地のギャップはすごい。でも浅草のおばさんはファッションを超越したとも言えるサイケデリックな恰好をした人がたくさんいたので、逆に六本木よりも進んでいるのかもしれないとも思った。そして焼きたての人形焼きはうまかった。
次に少し戻り上野で下車。アメ横を歩く。4時から飲んでる人がたくさんいて、居堪れず参加する。青空の下のビールうまい。
そのあと三越前で乗り換え、半蔵門線で神保町に。しかし日曜日の夕暮れ時でそんな愉しくなかった。店開いとらんがな。
まあそんな感じで回ったのだった。山田優のような日曜日だった。
2006.9.1
cozy rippleのカウンターが10000を突破した。開設3年超にしての記念すべき数字である。マジだ。10000を踏んだぼく自身が言うのだから確かである。
前夜に9997の数字を目にしつつ眠りに就き、翌日ページを確認し9999のゾロ目を獲得した。ひと晩で自分以外の来場者はたったひとりなのだった。そしてその数字を得たぼくがすることは決まっていた。
カウンターが6000台くらいになったときからずっと思っていたのだ。10000を踏むのは一体どんな人なんだろう、どんなお祝いメッセージをくれるだろうか、どういう人がその役に就いてくれたら嬉しいか。
答えは明白だった。ぼくだった。
このサイトのカウンターを10000に至らしめたのはぼく個人の尽力――それ以外のいずれの要素も存在しないのであった。だとすれば記念の番号は僕が掴むべきだし、それにぼくほどぼくにとって喜ばしいお祝いをしてくれそうな人物はいない。
そんなわけで――おめでとう、おめでとうpurope★papiro!
ありがとう! papiro本当にどうもありがとう! 大大大大大好きだよ!
2006.8.19
ところで実家に帰っている途中で気付いたのだが、この紙を持ってくるのをすっかり忘れていたのだ。実家で過ごすパソコンのない自室での夜は、こうしてこの紙をせっせと書いたりするわけだが、すっかり忘れていた。ピンチである。
(中略)
それでどうしようかと悩んだ末、あることを思いつく。
すなわち、高校時代から書き続けている数千枚にも及ぶ、実家に置きっ放しのあれらの裏――。表には行が印刷され高校(男子校)時代のぼくがつらつらとどうしようもないことを書き綴っているのだけど、その裏は実は今お金を出して買っている無地のその紙なのである。
というわけでこの文章は、高校2年の2月13日の日記の裏に書いているという寸法だ。ふしぎ。
高校2年生と言えば2000年である。1000年台だったらもっと衝撃的だったんだが、しかし世紀は違う。20世紀。おどろき桃の木である。
そしてぼくは17歳だった。17歳だった! まさにそれである。
いやもうこれの裏面には17歳のぼくの、なんかガツガツした感じのひどいものが掛かれているわけである。ひどい。10代の文章って本当にあれなんだね。叫びっぽいんだね。
でも意外だったのは、女の子についての筆記はザっと見たところほとんどない。自分と社会、大人みたいな話ばかり。もちろんこれは当時のぼくが真面目だったというわけではなく、10代特有の美意識とかであったり、あるいは単純に手近に対象となる具体的な女の子がいなかったりしたことが要因なのであると思う。気持ち悪い。
それにしても実になんの問題もなく無地だな。この紙が数千枚あるのだよな。なんだか、今後これの無地を買う必要はあるのか? という疑問が湧いてくる。それにこれはこの画面を眺めている他人にはまるで伝わらないことだが、表に17歳の自分の文章が書かれた紙の裏に今の自分が文字を書くというのは、なんかものすごく、ドキドキする。おもしろい。この1枚の紙、表の執筆は17歳のぼくで、裏の執筆は22歳のぼく。これは手書きの日記にしかない感慨だろう。いいな。本当にそうしようかな。
2006.8.19
実家に来ている。ぱぴこさんも帰省&イベントでいないので。実家に泊まるのは、あれもぱぴこさんが帰省してるときだったから、GW以来か。彼女との5分の4同棲も3月の終わりからだから、もう5ヶ月ほどになるわけだ。早い。気持ちとしてはまだ生活の準備期間で、実際今日もこちらのホームセンターで食器とか買ってるわけなんだが、でも5ヶ月なのだ。
そう言えば5ヶ月で思い出したが、2ヶ月だ。2か月間勤務した会社を、昨日の出勤で終了させたのだった。決まらず、決まったと思ったら、辞めた。波乱万丈だ。なるほど5ヶ月があっという間のはずである。幸いこれからの身の振り方はしっかりと決まっているので不安はない。今後は落ち着けよう。美味しいお粥を作る工夫とかをしながら、平穏に健全にのんびりと暮らしたい。
2006.8.9
体調を崩していた。びっくりする。ぼくはなんだ、本当に弱い子か。プロフィールに「虚弱体質」と書いても差し支えない頻度で崩している。
と言うか実際ぼくは虚弱で然るべきなのだ。だって野菜とかあまり好きじゃないし、肉は多く食べれないし、運動も一切しない。ともすれば体重が40キロに届かない恋人に腕相撲で圧敗する。あらゆるデータが僕を虚弱であると唱えている。
だとすれば疑問になってくるのが、「どうしてぼくはそんなに虚弱じゃない感じなのか」ということである。腕の細さに着目してもらえば一目瞭然の事実は、なぜ人に気付かれにくいか。
そこにぼくは、ぼくの周りの人に心配をかけないと心掛ける気丈さを感じずにはいられない。なんていい奴なんだ。愛せずにはいられない。
2006.7.26
話は変わるのだが、ぱぴこさんは3人姉妹の長女であり、3女はいま、高校2年生なのだが、何ヶ月か前からその3女に彼氏ができたという。それは僕に多大なるショックを与えると同時に、長女と異なり勉強のできるらしい3女の大事な時期においてのそれという存在にぱぴこさんの母親はある種の憂いを抱いているらしく、その彼氏にあまり好印象を持っていない。彼女が言うには3女の彼氏は「笑顔で野原を駆け回ってるような感じ」で、「papiroちゃんとは正反対」なのだそうだ。これはどうやらぼくは洗練されているというレトリックらしいのだが、ぼく的には大いにショックであった。野原、駆け回りたいじゃないか。
登録:
投稿 (Atom)