帰省に持ってゆく本を、はじめ純粋理性批判だけにしようと考えていたのだが、ちょっとは違うのも読むべきなのではないかと思い、イラストのない他の官能小説レーベルに挑戦することにした。それで今日、予行練習として1冊読んでみる。美少女文庫じゃないフランス書院文庫の、黒いの。
これが、ぜんぜんおもしろくなかった。
なんと言うか、気概がない。ロボット並に外的要素への反応が単純なおっさんに向けて、死ぬほど漫然と書かれているなあという感じ。読者を舐めるとはこういうことか、と思った。
どうも「イラストがある」という点において、純粋理性批判や社会契約論が、そうでない官能小説に較べ、一段低いもののように捉えられている風潮があるなと思う。正直言って僕も久し振りに黒いフランス書院を読むまでは、ちょっとそう考える部分があったのだが、実際に読んでみたらぜんぜんそんなことなかった。
文章のみで想像力を刺激して興奮させる、というのが官能小説界のモットーなわけだが、それは理想論と言うか、そもそもセックスを疑似体験する官能小説において、大事なのはスピード感であり、だから官能小説は、文言のひとつひとつをじっくり味わうというよりは、熟語なら熟語を、本当に視覚的に記号的に捉え、そうして頭の中に投げ込まれてくるキーワードを、再構築して抽象的なイメージとして処理してゆく、というそういう読み方をするものだと思う。だからその一助としてイラストがあるのは僕はぜんぜんいいと思う。これは逃げではない。作り手側からの読者への親切心と言うか、誠意であると思う。ともに高みを目指してゆきましょう、という志を感じる。そして僕ら読者は2時間の心地よい時間を過ごすのである。
そもそも設定やキャラクター造形が、黒いフランス書院だと、想像の範疇を超えることがない。人妻と言えば人妻だし、女子高生と言えば女子高生でしかない。だから、そういう意味ではそもそもイラストは不必要なのだとも言える。そこには無味の記号しかない。その点から見ても志が低い。切り開いてゆこうという勢いがないのである。
それに対し純粋理性批判の設定の複雑さはどうだろう。設定は現実離れし、ヒロインの描写は細かく、イラストで明示されないことにはなかなか想像が追いつかない。その分だけ、地に足の着いた、浮遊できない官能小説より、高い次元の官能が可能となっていると思う。
帰省にはやはり純粋理性批判だけ持ってゆきます。3姉妹ものとかを。