(中略)
それでどうしようかと悩んだ末、あることを思いつく。
すなわち、高校時代から書き続けている数千枚にも及ぶ、実家に置きっ放しのあれらの裏――。表には行が印刷され高校(男子校)時代のぼくがつらつらとどうしようもないことを書き綴っているのだけど、その裏は実は今お金を出して買っている無地のその紙なのである。
というわけでこの文章は、高校2年の2月13日の日記の裏に書いているという寸法だ。ふしぎ。
高校2年生と言えば2000年である。1000年台だったらもっと衝撃的だったんだが、しかし世紀は違う。20世紀。おどろき桃の木である。
そしてぼくは17歳だった。17歳だった! まさにそれである。
いやもうこれの裏面には17歳のぼくの、なんかガツガツした感じのひどいものが掛かれているわけである。ひどい。10代の文章って本当にあれなんだね。叫びっぽいんだね。
でも意外だったのは、女の子についての筆記はザっと見たところほとんどない。自分と社会、大人みたいな話ばかり。もちろんこれは当時のぼくが真面目だったというわけではなく、10代特有の美意識とかであったり、あるいは単純に手近に対象となる具体的な女の子がいなかったりしたことが要因なのであると思う。気持ち悪い。
それにしても実になんの問題もなく無地だな。この紙が数千枚あるのだよな。なんだか、今後これの無地を買う必要はあるのか? という疑問が湧いてくる。それにこれはこの画面を眺めている他人にはまるで伝わらないことだが、表に17歳の自分の文章が書かれた紙の裏に今の自分が文字を書くというのは、なんかものすごく、ドキドキする。おもしろい。この1枚の紙、表の執筆は17歳のぼくで、裏の執筆は22歳のぼく。これは手書きの日記にしかない感慨だろう。いいな。本当にそうしようかな。