ファルマンと、なんか卒業論文を書きたいねという話をしている。なにからの卒業だ、と言われると参るのだが、なんかしらのこの支配からのだ。この支配からの卒論だ。
ファルマンの論文のテーマは「ムーミン」か「太宰治と吉行淳之介の比較」だそうだ。
僕はもちろん「純粋理性批判研究」ということになるだろう。シリーズ百巻突破を記念して、データとかを精細に集計し、その特徴や傾向なんかを論としてまとめたいと思う。
電車で純粋理性批判を読んでいて、射精の行に付箋を貼るということしか今はしていないのだけど、僕はもう少しきちんと、ノート片手に純粋理性批判に向かい合うべきなのではないか、とは常に思っている。
いつかできたら本当に書きたい。書く意義があるとも思う。