昨日からはじめた「いっぱい出た物種」が、1300行目ぐらいからの漢字の羅列が続いた後、2500行目ぐらいに「元旦のをとめが舐める足の裏」となり、そして「大晦日は「俺ばかりが正論を言っている」をすごいやった。13枚」などと始まったらおもしろいな、とぼんやり思った。
それがなにかと言えば、2007年1月1日の「KUCHIBASHI DIARY」の書き出しである。2500行目にそこへ辿り着くことによって、僕の日常を綴るこの「KUCHIBASHI DIARY」という日記もまた、実はすべてがシャノマトペであった、ということが判るという仕組み。
す、すごい。すごすぎる。なにこれ、てっきりブログかと思ってたけど、実はSF? 宇宙の果てにはまた別の宇宙的な、永遠に連なる入れ子構造的な、そんな感じだ。そしてだとすれば昨日とか今日の日記というのは、その連鎖の中で俯瞰的な発言をしていることになるので、すごく哲学的だなと思う。連鎖宇宙の中心で射精。どっどどどどう!
もう自分でも何を書いているのかよく分からない。文章を書いているのか射精しているのかも判然としない。もっともどちらも混ざり合ってしまえばどうでもよかろう、という感もある。それもまたザーメン。要するに精子の濃度の話だ。そのマーブル具合こそが人生の縮図なのだ。
昨日から日記の文面が名言に溢れているような気がするのだけど錯覚だろうか。