街に女子高生が戻ってきている。まだ日程的には夏休みだろうになぜだろう、とファルマンに訊ねたら、もう補講とかが始まっているんだよきっと、と教えてくれた。そうか、きちんとした高校には補講とかがあるのか。そもそもそれを知らなかった。
それで、涼しくなったと言ってもさすがに8月でそれなりに蒸し暑く、しかもしとしとと降り続く雨で、さらに言えばここひと月あまり制服に袖を通さなかったことによる少女たちの意識の低下、あるいは日程上は夏休みの状況ではじまった登校に対するせめてもの抗いとしての開放感の主張、そんなものが相まって、いま街に出ている少女たちのシャツからブラジャーの透ける率、すなわちパピロー率は、半端ないことになっていると思う。これに関しては常々、汗やら薄着やらの観点から、もしも8月に少女が登校などしたらどれほどパピロー率の高いことだろうか、と夢想していたわけだが、今まさにそれが実現した、と言うより、現実はそのさらに上をいっている。まさかそこに雨を付け加えるとは思わなかった。もちろん夕立ちまでは想像した。でも夕立ちは不確定要素と言うか、あるいは不平等要素とでも言うもので、クラスメイトでもない限りは、一瞬の出来事である夕立ちに少女が遭遇する場面になど、なかなか立ち会えるものではないと思う。学校から駅までの道で夕立ちに遭い、これまでつかず離れずぐらいの距離で、お互いなんとなく意識し合って歩いていたふたりが、道端の野菜の無人販売所とかで雨宿りして、ぼそぼそと語り始め、少女の持っていたハンカチで顔だけ拭き、「サンキュ」と言って返そうとしたら少女のブラが思いっきり透けていてどぎまぎ的な、夕立ちってそれくらい選ばれた者にだけ与えられた要素だ。残念ながらいま僕につかず離れずでお互いなんとなく意識し合うクラスメイトはいない。それに対しここ数日の一両日降り続くしゅんしゅんとした雨は、誰にも均等にチャンスを与えてくれていることだと思う。少女のシャツは押し並べて透け、僕らはそれを押し並べて見るチャンスに恵まれている。
そんな誰にとっても幸福な雨の降り注ぐ世界で僕は今日、これまでに想像したこともなかった要素を持つ少女を目撃した。その子とは通路で擦れ違っただけで、だから透けたブラジャーの様子も一瞬しか見られなかったのだけど、そのブラの右肩の紐は、明らかに少女の肩から外れ、二の腕辺りの位置にだらんと垂れ下がっていたのである。ブラが紺色的な濃い色をしていたため、白いシャツには殊の外よく透け、そのためにできた発見である。
これの何が発見なのかと言えば、これまで僕のなかにあった「ブラを外す=ホックを外す」という認識が改まったこと、ここである。もしかするとブラは僕らが思っている以上に外れやすい――もとい、日常茶飯的に外れているのではないだろうか?
この片方の肩紐が外れていた少女は、友達と歩いている最中であり、手もバッグとかで塞がっていたので、わざわざ立ち止まって直さなくても、もう片方の紐さえ無事なら問題ないのでいいや、と思ってその状態で歩いていたのだろう。仮に両肩がその状態になれば、これはデリケートな問題になるのだけど、やっぱり少女は「自分がブラの上はシャツ1枚で、それなりにパピロー率は高まっている」ことは認知しているのだろうから、ブラが両肩の紐が外れるほどに身体から浮き上がった結果として表出するのはすなわち乳首なわけで、それはさすがにすぐにバッグなんかかなぐり捨てて、位置を直すのに違いない。だけど片方だったからあえて直すことなく歩いていた(ならばその状態はその状態で結構スリルがある)。そして僕はその状態を見た、というわけである。
それでは、である。じゃあこれがその上にベストなりブレザーなりコートなりを着ていて、つまり突然いかなる天候になろうと絶対にブラが透けて見えることはないという状態、すなわちプロペ状態にあった時に、その両肩のブラ紐が外れるという展開になってしまったら、少女はいったいどうするのか。この答えは明白である。きっとそのままだ。だってプロペ状態なのだから。さらに言えばシャツ1枚なら薄着で危険が大きい分だけ直しやすいが、厚着だとブラの紐を直すという作業は、守られてる分だけ衣服を掻き分けて作業せねばならず、なかなか困難なのではないか(人生に似ている)。なので結局「まあこのままでいいか」と、ともすればホックだけでは支えきれない立体的な振動でカップが完全に乳房から分離してしまい、まろび出た乳首がポリエステルのシャツの無機質な感触に反応して屹立したとしても、そのままユミと一緒にアナスイの話を続けるのだろうと思う。アナスイなのはむしろよっぽど彼女の乳首だというのに。
というわけで、要するに何が言いたいかと言えば、僕は今日パピロー率の高い少女のブラの片方の紐が肩から外れているのが透けて見えているのを目撃したわけだが、それは、これまで僕が無感動に眺めていたプロペ状態の数多の少女たち、その少女たちの乳首がアナスイであったやもしれない、という甘美な疑念を僕の心に植えつけた、ということ。その感動を伝えたかった。でもすいません。なんも言えねえ。アテネのとき以上にチョー気持ちいいです。