2010.1.2

 ファルマンが帰省する。8時半くらいに品川発の早い時間の新幹線なので、おにぎりだけ作ってやって玄関で見送り、そのあと僕はまた少し眠った。1時間後くらいに受信した、「無事に新幹線に乗ったよ」というメールで目を覚ました。
 労働は明日からで、実は今日はなんの予定もない。ファルマンがもう少し遅い時間の新幹線であれば、一緒に池袋まで出てひとり買い物をしてくるという選択肢もあったのだが、ファルマンが池袋で山手線に乗り換えたのは多分8時前だろう。どうしようもない。
 新年を祝いあうような友達もいないし、ずっと家にいることを決め込む。
 午前中はファルマンの短歌を眺め、100首区切りで気に入った言葉を抜き出す。そしてそれをこの日記のカテゴリとした。001~100が「ホントは見つけてほしかった」、101~200が「ずっとこのまま赤でもいいよ」、201~300が「中枢神経キャラメルの夜」、301~400が「天気予報よ外れてしまえ」、401~500が「戸惑っている各駅停車」、501~600が「ひらり告げ口毛糸のパンツ」、601~700が「倒れ損ねて歩いてきたね」、701~800が「有害であってたまるか」、801~900が「MPがいつも足りない」とする。あくまで僕の独断と偏見なので、ファルマンの短歌の題名というわけではない。作者であるファルマンによると、並んでいる900余の短歌は、前半が「グリンピース」、後半が「うわのそら」という題名だそうだ。そうなんだ。
 たとえば昨日の「なりゆきで君と交わした一言が今日の日記の題名になる」はファルマン短歌の561首目なので、カテゴリは「ひらり告げ口毛糸のパンツ」となる。クチバシダイアリは記事の内容ではカテゴリ分けできないのでタイトルで分類するわけだが、これって1年目の季題俳句の頃からずっとだけど、はっきり言ってほとんどなんの意味もない。特に今年は、去年までは「夏」なら138日連続、「中学1年生」ならひと月連続を2回、という風にカテゴリが時系列に対応していたが、今年は1発目の昨日が561首めの短歌であるように、気の向いたときに気の向いた短歌を取り上げるため、本当にカテゴリ分けの意味がないと思う。まあいまさら「その他」とか「未分類」にするのも不恰好なので、慣習ということでやや無理やりに規定した。