芝生男子の概念がよく分からない、という意見を耳にする。
意見者は例の夫妻で、ファルマン経由でそれが僕の耳に届いた。
なるほど言われてpuropediaを見返してみたところ、よく分からない。
こんなにもよく分からない原因は、結局のところちゃんとは意味が定まっていない点にあるのだと思う。でもこれはしょうがない。だって言葉ってたくさんの人々に使われることによって初めて形が定まってゆくものだろう。言わば言葉っていうのはゲル状になってて、必要な箇所の隙間に入り込んで、それが自然と正式な形となる、そんなものだろうと思う。その論でゆくと芝生男子という言葉は、まだぜんぜん隙間に入り込んでいない。そもそも世界に投入されてもいないと思う。隙間だらけのその壁はピューピュー風を通すから、早急に補修が必要なのに、芝生男子という泥団子はまだ僕の手の中にある。あるいはたまに丸めた手を開き、泥団子を周囲の人々に見せたり、つまりそれがpuropediaにキーワードとして登録したりする行為であり、それはするけれど、でもそれは言葉の道具としての役割を果たしていないから、人々にとってあんまり魅力的なものに見えない。価値が分からないのだ。ゆえに芝生男子という言葉は意味が定まらない。
それでは泥団子をさっさと壁に向けて投げてしまえばよさそうなものだが、しかしそれは僕には不可能なのだ。せっかく用意した愛着のある泥団子を、本人はとてもじゃないけど壁にぶつけられない。それをできるのは周囲にいる人々。彼らが、僕が手のひらを広げて泥団子を誇示した瞬間にそれを奪って、壁に投げつけてしまえばいいのだと思う。そうすれば、たとえそれが変な方向に変な形で破裂してしまったとしても、言葉はなんかしらの役割を果たすはず。
芝生男子とは、『肉食系女子に喰われると言われる草食系男子に違和感を感じる、俺は草食系男子じゃないよ、だって肉食系女子は嫌いで、草食系女子が好きだもの、草食系女子に食まれたいもの、だから草食動物が食む存在としての芝生男子なんだよね俺は』、ということなわけで、その設定から先はこの日記を読んでいる人とかが独自に解釈をして、他者と絡んでいるときとかに積極的に会話の中で使用すればよいのだ。そうすれば芝生男子の意味は自ずと定まる。読んでいるあなた、あなたの口先から芝生男子の意味は生まれるのです。
そして発案者の僕はその様を眺め、そういうことじゃないんだよなあ、わかってねえなあ、感性が悪いなあ、と悪態をつくのです。そうです、puropediaの編集は僕だけの特権なのです。結局お前らは利用されるだけの噛ませ犬。そしてこういうことを言うから芝生男子という言葉は誰にも使われないのだ。こうして芝生男子という言葉は誰にも使われないまま、やがて僕の手の中から滴り落ちてゆき、次第に体積を減らしていって、自然消滅してゆくのだろうなと思う。
ところで草食系男子と肉食系女子という、なんかもうちょっと世間的に下火になっているこれらの言葉、それについて久しぶりに語るのだけど、草食系と肉食系の捕食関係で恋愛を捉えるのはなんかおかしいんじゃないか、といまさらながら思う。倖田來未を聴く肉食系女子は、エグザイルを聴く肉食系男子と付き合うわけで、スピッツを聴く草食系男子にはそもそも惹かれないだろうし、スピッツを聴く草食系男子もまた、倖田來未を聴く肉食系女子はもちろん苦手で、くるりを聴く草食系女子と付き合うに決まっている。肉食動物は肉食動物と交尾をするし、草食動物も草食動物と交尾をするのだ。肉食動物の雌と草食動物の雄が結合するとすれば、それはマッドサイエンティストの作り出すキメラである。こう考えれば芝生男子たる僕の抱く、草食系女子に食まれたいという願望も割と怪しく、草食系女子って結局のところ意外とアクティブで、草食動物が集団で大移動するがごとく、おしゃれカフェに行ったりバンドやってる友達のライブに行ったりし、その様をミクシィやはてなダイアリーに書いたりするので、考えてみたらそういう子ってあんまり好きじゃない。それよりも僕は僕と同じくらい家が好きで、他人と絡むイベントがあると精神を乱し、エキサイトブログに延々と自分の箱庭の記述をする、そんな芝生女子のほうがよほど好きだと思う。そうなのだ、芝生男子もまた、芝生女子と受粉をするべきなのだ。
そしてこう考えると、『草食系女子に食まれたい男子』という定義も微妙となり、いよいよ芝生男子の言葉の意味が分からなくなってきた。今日は意味を定めるための記事にするはずだったのに。
でもまあぶっちゃけあれです、僕が芝生男子です。
芝生男子とはつまりpurope★papiroのことです。
みなさんそういう用法で、世間で広く使っていってください。