2009.9.24

 本歌取りっていうのがあるじゃないか。あれがなんか好きになれない。
 漢詩なんかは特にそれが激しかった。「この部分はあの漢籍のあの部分のスタイルを故意的に真似ているユーモア」とか言われても、その漢籍なんか知らねえし、知っている側の人間が「だから漢籍の知識が深くないとこの詩の魅力を本当には理解できないんだよね」みたいなことを得意気に唱えるのも、ずいぶん醜いことだと思った。
 本歌取りなんてそんな立派なもんじゃなくて、ネットの書き込みとかで散見される、ガンダムやエヴァを見てなきゃ解んない、登場人物の名セリフとかを使って書き込むあれと、ほとんど一緒だろうと思う。そう考えれば本歌取りなんてやっぱりくだらない。パクリ元の漢籍が価値の高いもので、それが大事な教養であるとか、そういうのは問題にはならないと思う。漢籍も流行っているCMのフレーズも、別に知識として区別する必要はない。
 というわけで何が言いたいのかと言うと、今年ももうすぐ残り4分の1となるわけで、この割と早いタイミングで、来年のこのブログのタイトル企画が仮決定したので、ここに書き記したいのだ。
 季題俳句、学年題短歌、長歌と来て、4年目のタイトル企画は…………。
 ファルマンの短歌のパロディに決まりました。
 もうすぐ1000首になんなんとするファルマンの短歌、これを本歌として、パロディ、まあパロディって言ってしまったけど、もうちょっと高等な言い方をすれば返歌と言いますか、アンサーソングと言いますか、「一生一緒にいてくれや」に対する「一生一緒にいてほしい」みたいな、この引用も知っている人しか解らないわけで、でもそんなの引用に限らずすべての文言がそうなのであって、知識や認識によって世界は如何様にも変容するのであって、その環世界の交差こそが営みなのであって、とは言え他人との交差の発生をそう躍起になって求めんでもその環っかを巨大にしてゆけば空間は丸ごと俺の環世界となるわけであって、ブログっていうのはまさにそういうものだと思うわけであって、それなので、なにがそれなのでなのか自分でもぜんぜん解らないけど、来年はファルマンの短歌をパクって美少女短歌に仕立て上げる、という感じてゆこうと思います。
 もっともこれはひそかに前からやっていて、去年の4月11日の短歌「寺西と相合傘して歩く道ずっとこのまま雨でもいいよ」はファルマンの「さよならの駅前信号手を握るずっとこのまま赤でもいいよ」の思いっきりパクりだ。そういう感じでやってゆく。
 つまりファルマンの短歌をすべて把握していて、かつ僕の日記を毎日読んで、学年題俳句とか、気にしない短歌の概念を、完璧に理解している者じゃないと、この詩の魅力を本当には理解できないんだよね、って得意気に唱える企画ということだ。
 そしてそんな者は神以外に存在しないんじゃないかと思う。だとすればこれは本歌取りでありながら、神に捧げる讃美歌なのかもしれないね。
 抱負として、もう夫という立場を最大限に利用して、悪用して、元の歌に対する尊厳とかを一切排除した、他人には絶対にできない悪質なパクリを繰り広げてゆきたいと思う。ちょっと苦言を呈されただけでマウスピースを作る羽目になるファルマンの、他人には絶対に踏み込めない領域に、僕は夫として果敢に挑んでゆきたい。修羅の道やで。