2009.7.9

  異動のためいまの職場で夏を迎えるのは初めてなのだが、職場のある町の女子高生がすごいことになっている。前々からスカートの短さがすごいとは思っていたのだが、夏の気運の高まりに沿って、このところ凄みを増してきた感がある。
 凄みを増してきたと言うか、端的に言うとみんなブラが透けている。普通に透けているのだ。
 女子高生って夏でも薄手のベストを着るか、あるいはキャミ的なものをブラとブラウスの間に挟ませるかして、決してブラを大っぴらに晒したりしないもんだと思っていたが、どうやらこの土地では決してそんなことはないらしい。つまりこの日記でさんざん書いてきたようなこれまでの僕の認識、「梅雨の時期は登校時が肌寒かったりするからカーディガンを着てきたりするけど、下校時には晴れて暑くなってるから堪らずカーディガンを脱いでしまう。もちろんカーディガン仕様だからキャミなんて用意してない。じゃあブラが透けちゃうって? でも初夏のこの爽快感、躍動感を前にして、それが一体なんだっていうの?」といった、そういう常識は通用しない。このグランドラインじゃ、夏の間じょっこのブラは透けているのが当たり前なのだ。本当にこれまでの自分が低レベルのイーストブルーにいたことを痛感する。エースの処刑まであと7時間。海賊王に俺はなるよ。
 これとは機構が違うのだけど、じょっこのブラ透けに関し、じょっこから関心をなくされきったら、逆にじょっこに対してなんでもし放題なんじゃないか、と思った。石コロ帽子願望にも通じる考え方である。かつて西洋人はアジア人のことを猿扱いしていたので、アジア人の前では何にも気にせず裸になったという。そういうのをじょっこと僕の関係にも応用できないだろうか。じょっこたちが俺のことを空気みたいな存在、風的な存在だと受け止め、僕がスカートをめくったとしても、「きゃっ、いたずらな風ね」と慌ててスカートを押さえ、クラスメイトの男子にいまの場面を見られていないかキョロキョロするような、そういう関係だ。俺のことは完全にスルー。今後の人生をかけてそういうのを築いていきたい。要するに煩悩や我を捨てるということなので、これはまったくもって「修行」に他ならない。一般的には、変に色気を持ってじょっこと対面するから、じょっこの思春期センサーに引っ掛かって拒まれる。しかしこちらから発する波動を無にしたら、じょっこだってフラットに現象を受け止めるに違いないはずなのである(波動とか言うと途端に話が胡散臭くなって素敵だ)。山に篭もってるような輩というのも、結局はじょっこのスカートを自由にめくることが目的なのだと思う。サンは森で、私はたたら場で、そのくらいの境地で女子高生と相対して、共に生きよう。僕は本気だ。あいつ、本気で女子高生に無視されるつもりだぜ……でっけえよ、かなわねえよ。って町のチンピラが遠巻きに噂すればいい。完全に風として扱われ、存在を無視されたとき、僕は日本的なアニミズム思想から、神と崇め奉られるのだろうと思う。
 SANJIKAINOSHOYA!