2009.7.31

 今日は女の子の膨らみかけのおっぱいに思いを馳せた。
 おっぱいがだんだん膨らんでくるって、男子の僕らが想像するよりはるかに、とんでもないことなんじゃないか。男子における勃起とは比べものにならない。勃起は一時的なものだし、それに思春期になって初めて起こる現象でもない。それに対しておっぱいの膨らみと来たら。ある日突然やってくる、萎まないおっぱいの勃起。想像がつかない。女の子がふんわりとそれを受け止め、それどころか手のひらを胸の前で合わせ、おっぱいがおっきくなる体操をしさえする精神が、まるで理解できない。おっぱい勃起チョー怖い。女の子すごい。
 ところでおっぱい勃起ということは、すなわちおっぱい芝生だな、と考えて、そう言えば芝生ってちんこよりむしろおっぱいに親和性が高いよな、と思った。すなわち、『芝生→乳牛→おっぱい』という流れである。ちんこのことを芝生と呼ぶようになった経緯は非常に回りくどく、まだpuropediaにもまとめていないので、絶賛製本中の「KUCHIBASHI DIARY」なんかを読んでいただければ幸いなのだが、とにかく重要なのは、ここへ来て芝生はちんこよりもおっぱい的だ、という見方が出てきた事実である。芝生男子アイデンティティの危機である。
 しかしここで先ほどの式を思い出してほしいのだが、『芝生→乳牛→おっぱい』となっているこのあとは、実は『おっぱい→ミルク』と続き、そのミルクに対しては『ミルク←ちんこ』と、逆向きの矢印が伸びるのである。つまりミルクを中心にして、おっぱいからもちんこからもアプローチがあるわけである(もっとも両者のミルクは母乳と精液でまったくの別物だが)。だとすれば式のいちばん右に位置するちんこから、『ちんこ→芝生』という矢印が伸びることも至って自然だ。つまりいっぺんに示すと、『芝生→乳牛→おっぱい→ミルク←ちんこ→芝生』となり、左と右の芝生は重なって、ひとつの円となるのだ。わあ! なにこれ宗教? うまくできた神話?
 そんなわけで何が言いたいかと言うと、芝生男子っていうのは、つまりミルク男子なのであって、おっぱい男子なんじゃないか、ということだ。芝生とはいちおう勃起だが、しかしその勃起は攻撃的なものじゃなく、春の陽射しのようなものだ、ということをこれまでさんざん語ってきたわけで、膣内をがしがしやって発射、とかいうんじゃなくて、ミルキーな、恒常的に勃起している女の子のおっぱいみたいな、要するにやっぱりそういう存在なんじゃないかな、ということ。僕がなにを言っているのか解っている人いるのかな。僕でさえ解らないのだけど。でもここまで書いて、以前に将来の夢として、「女の子にとっての女の子のおっぱい」になりたい、と書いたことを思い出した。ミルクと芝生を軸にした輪っかは、実は前からもうできてたんだな。