近ごろ純粋理性批判ばかりを読んでいるので、シャノマトペについての感覚が異様に研ぎ澄まされてきている感じがする。一般人には違いが分からないだろう「どびゅうっっ、びゅっ、びゅびゅっ、びゅううぅっ」的な表記の、勢いとか心意気とか工夫とか、そういうのがやけによく判るのだ。長いだけで盛り上がりのないシャノマトペに関しては、「こりゃ跳んでねえな」などと冷静に思えてしまう。
そんな僕が最近になって至ったシャノマトペの境地は、シャノマトペとは初めから擬音語ではなく擬態語(実際の精子は放出の際に「どびゅうっ」などという音は一切出ない)なのであるから、それはもっと精神的、叙情的でよいのではないか、というものだ。その境地にて思い浮かんだシャノマトペがすでに3つある。
ひとつ目は3日前に書いた、「睾丸のことをツインスターと呼んではどうか」という案に連なるもので、射精のことを流れ星と捉え、まず「サーッ」と表記する。そしてその間に主人公が願い事を3回唱え、そのリフレインをシャノマトペにする、というものである。たとえば、「いつまでも一緒にいたい、いつまでも一緒にいたい、いつまでも一緒にいたい……」というシャノマトペ。どうか。
ふたつ目はクリスマス限定のシャノマトペとして、「シャンシャンシャン……」というサンタの橇的なものを考えた。この場合「プレゼントだよ」とか、「これがホントのホワイトクリスマスだね」とか、安易だがうまいことがたくさん言えそうなところが魅力的だ。
最後のみっつ目は、スタンディングマスターベーションという言葉が示すように射精と拍手の相性はいいわけだが、その特性を利用し、一般的に拍手のオノマトペとされる「パチパチパチパチ……」という喝采をシャノマトペにする、という案だ。なんとなく弾ける感じの音で派手さもあるし、あるいはスタンディングオベーションの習慣のある欧米列強に対し、短小コンプレックスのある日本人が、射精の際に喝采を受けることによって、ある種の自信を獲得してゆくという効果も狙えるのではないかと思う。シーズン262安打のメジャー新記録の樹立。漱石もこの点に気付けば胃潰瘍にならずに済んだのではないかと思うと残念でならない。
以上の3つである。しかし感覚を研ぎ澄ませて日常を過ごしていれば、シャノマトペに使えそうな音はもっといろいろあると思う。宮沢賢治は風を浴びてそれを「どっどど どどうど どどうど どどう」と表したわけだが、やろうとしていることは僕もまったく一緒だと思う。評価されたい(あ、でも宮沢賢治が評価されたのは死後じゃねえかと気付いた)。そして何気なく引用した「どっどど どどうど どどうど どどう」は割とシャノマトペっぽいと思った。