2008.4.22

 やがてまたそれもショーツになるのだと我らがリーダー予言して死す

 という歌を、前に詠んだことを思い出したのだが、どうして思い出したかと言えば、駅の柱とかを眺めながら「やがてまたこれも少女のショーツになるのかもしれないな」とふと思い静かに興奮したからで、そう思った瞬間に(こういう気持ちを歌った短歌があったよな)と連想した短歌が、たまたま過去に自分の詠んだものだった、ということだ。そういう話。
 でもこれは人生哲学的な意味でまじめに、ただの布でしかないものが、少女のショーツや制服や水着になった途端に特別な意味を持ち、その布を作り上げる要素、万物は流転するので、食べものが僕という個を作り上げるように、僕だった一部はやがて巡り巡って少女のショーツを作り上げ、そして少女のショーツだった一部はいつか僕となり、僕は少女のショーツであり少女のショーツは僕であるという、ともすればただの布でしかない少女のショーツを特別なものにしている要素とは、かつてそれが僕であったという事実に起因さえするのではないかという、もうホントそのくらいのスタンスで世の中を眺めてゆければ、人というのは幸福なのではないかと思った。
 今日は特に書くことがなかった。