2008.4.18

 純粋理性批判を読んでいてハッとした箇所があった。
 それは少女がリードする状況の中、少女の小玉スイカ大でありながら下着を外してもほとんど垂れない胸は露出され、優柔不断な主人公のトランクスは無邪気に脱がされ、さてこれからパイズリをせんという時に出た台詞である。
「これ、一度やってみたかったんだ」
 この台詞のなにが新鮮かと言えば、てっきり男側の一方的な夢だと思っていたパイズリが、実は女の子にとっても夢なのだったという、そう言えばそういう考えもあるよね的な、その目からうろこ感である。おそらく「奉仕」というイメージが強かったために、これまでこのような発想が出てこなかったのだろうと思う。でも実際考えてみれば男がペニスを乳房で包まれたいのと同じぐらい、少女が乳房でペニスを包みたいと思ってもおかしくない。ふたりで一緒にやることなんだから、それでぜんぜんおかしくないのである。むしろ男性上位的な、女を玩具にするような「奉仕」のイメージが払拭された分だけ、はるかに健全だとさえ言える。
 この理屈で言えばもちろんフェラチオも、女の子は「いちど咥えてみたかった」となるべきだ。
 そうだよ、咥えたいはずなんだよ、じゃあしょうがねえから咥えさせてやるよ、ほら、これ欲しかったんでしょ的な、これからの男の子はそういう認識で生きてゆきたいものだと思う。