2007.10.9

 283日目。
 夏の中盤以降くらいから考えていて、今日ついに決意した。
 「KUCHIBASHI DIARY」をやめる。
 閉鎖はしないのだが、更新はしばらくしない。少なくとも2007年中はしないと思う。
 せっかく季節をカテゴリにして毎日俳句を読んでいるのだから、あと3分の1も残ってないのだし365日やってしまえばいいじゃないか、そこで更新を止めればきれいじゃないか、とはちょっと思う。けれどやめようと決意した今の気持ちとして、この日記はそんなきれいな終わりにしてはいけないのだと思う。要するに僕はこの日記が嫌になってやめるのだ。嫌になった理由は、毎日時間が掛かりすぎたためである。割と同じことの繰り返しである日常で、毎日なんかしらのことを綴ってその日その日に固有の印象を与えてゆくことは、それ自体はとても有益だと思うのだけど、記録を残すことそのものが目的になって多くの時間を奪われ、その行為が目指そうとしている毎日の生活の彩りの創生が侵害されるのだとしたら、それはとても気色の悪い構図であるに違いない。前々から感じていたこのような疑問が、今回の引越しによってとうとう確信へと変わったのだ。引越しは引越しそのものが多く時間を取られる作業であるのに加え、あとあとから思い出す機会の多い時期であろうからと割と丁寧に毎日のことを綴った。この期間、本当に僕はそれだけをやっていた。記録のために記録をつけていた。僕は僕でない、僕を見ている違う第三者の僕で、僕としての創作活動はなんにもしていなかった。僕は自分が好きだけど、僕の作り出す世界を前にすれば、僕という個人は吹き飛んでしまってもいいと思う。僕は僕を第三者として眺めるのではなく、僕の作り出した世界を第三者として眺めたい。
 だから要するに、この日記は「失敗」だったのだと言えると思う。
 しかし失敗だからこそ、秋の途中という半端なタイミングで終わるそのダメさこそが、僕とその僕を眺めていた第三者の僕を悔いなく別離させる効果を持っているのではないかと思う。そして合間が空いている中で飛び飛びに、思い立った時々に日記を書くというのは僕にはできないので、やはりこの日記は停止するほかないのである。
 もちろん他のブログはそれなりにやろうと思っている。
 終わりはこうなってしまったけど、もちろんやっていて大体の期間は愉しかった。と言うか愉しすぎたのだな。なのでこれはいい思い出。ここでやめたことも結果的にいい思い出にできるようがんばろうと思う。と言うかもっと愉しいことをやる。それでは。