萌えるとは、女の子の欠点に対峙して感じる場面がわりと多いのではないか。
ドジっ子などはまさにそうだし、ツンツンしているキャラにしても、彼女がデレっとした瞬間にこそ萌えがある。つまり完璧に立派な女性(たとえばライス長官のような)にはなかなか萌えないわけである。母性本能にも少し似ているかもしれない。
そして欠点にはたしかに萌えるわけだが、同時にちょっと萎えもするわけである。欠点を全肯定することは不可能であるがゆえ、そこにはちょっと萎えの感情も生まれる。萎えと萌えはすなわち同時に胸中に巻き起こる。なぜならそれは同じものだからである。ここから「萌え」=「萎え」仮説が生まれる。
ではここに新しい女の子のキャラクターを作成するとして、それを究極の萌え萌えキャラとしたいとしたらどうすればいいか、「萌え」=「萎え」仮説に則って考えてみる。
「ドジ」や「目が悪い(メガネを外すと生きられない)」など、女の子に付与できる欠点要素は多々あるが、それの究極と言えるものが「もはや女の子とはとても呼べない」であることは間違いない。女の子に萌えようとして萎える要素を探しているのに、もはや対象は女の子とはとても呼べないのだ。それほど萎え、そして萌えることはないだろう。
ただしそれはただ単に女の子からかけ離れればいいというわけではもちろんなく、たとえば無機物でもいいのかと言えばそんなことはなく、やはり一応は女の子としての要素を持っていなければならない。
そこで僕は究極の、「完全なる女の子」から多くのものが欠けた、「もはや女の子とはとても呼べない」形状をした、しかし「たしかに女の子である」、萎え萌えな女の子像に思い至った。
それは「精子」であった。
たとえばエロゲーなどで、顔に精液をかけられた少女に対し僕らは萌え、それはこれまで顔に精液が掛かっているのが欠点であるがゆえに萌えるのだと思われていたわけだが、もしかすると究極の欠点を抱えた萎え萌え美少女としての精子に萌えているのではないか。
ごめんなさい。