2005.9.6

 「萌える(少女美への感動)」の定義を考える際、「燃える」を念頭に入れることはたしかに大事だが、それだけに囚われてしまってはいけない。たしかに「萌える」に「燃える」の一面はある。しかし忘れてはならないのは、「萌える」には「燃えていない」部分もあるのだ、ということだ。そしてその「燃えていない」部分こそが、「萌える」の「萌える」らしさ、ある意味での本質なのではないか、と僕は思うのだ。
 「燃える」が「萌える」の起源であるとする人は、かつてだれかが「マジ俺このキャラクターに心酔してるんだよ」という内容の文章を書こうとしたとき、「燃えてるんだよ」と書こうとして、そうキーボードで打ち出した瞬間、ディスプレイに並んだ文字を見、言葉の強い勢いと自身の淡い感情との間にある種のギャップを感じ、そこでもうひとつの変換候補であった「萌えてるんだよ」を選択し、かくして「萌える」は誕生したのだ、と言う。
 だとすると直接的に意味で連結される「燃える」は、自分自身の体(表記)でそれを産むことはままならなかったが、「萌える」の遺伝上の母であると言えるかもしれない。
 そして表記とニュアンスの近さで転用された「萌える(草木の芽生え)」は、「燃える」から受精卵だけ受け取って子宮内で育て出産した、「萌える」の産みの母であると言えるかもしれない。戸籍はここにある。戸籍とはすなわち表記である。
 そこで疑問になるのは、じゃあ「萌える」の育ての母はなんなのか、ということだ。
 ここにはもうひとつの存在が隠されていて、これが今まで正体不明だったから、「萌える」の定義というのは長くままならなかった。そして僕はそれに気付いた。
 
 それはずばり「萎える」であると思う。
 上記の「萌える」においての「燃える」という表記に対する違和感、これは「燃える」がエロ的な意味合いを感じさせるがゆえに起こるものであると思う。「萌える」という感情はもうちょっと穏やかなもので、なにしろニュアンスとしては草木の芽生えなのだし、つまりは落ち着きしあわせな気持ちにさせる、心臓の鼓動がとくっ、とくっと、心地よいワルツを踊るような、そういうものなのだ。そういう少女美に触れることを「萌える」と言う。そしてそれはエロでないから、ゆえに「燃える」ではないのだ。
 そこで要素として浮上したのが「萎える」である。「萎える」、すなわちしぼむ。これは一見マイナスな印象を受ける言葉のようだが、決してそんなことはない。「燃える」という激しい表記をためらわせる、少女美に触れたときのすべてをやさしく肯定したくなるような感動、それのバランスを取るための「萎える」なのだ。
 なにしろ「萌える」の遺伝の母は「燃える」なのである。産むこともできず育てることもできなかったダメな母親だけど、「萌える」は遺伝的にはしっかりと「燃える」の血を引いている。そしてそれが「萎える」によって育てられた――「萌える」っていうのはつまりそういう存在であると思う。どちらの要素もきっとおんなじぐらいに含んでいて、バランスが取れているのだ。「燃える」が陽で「萎える」が陰、それらが競い、和し、二重人格的に形成されている。それが「萌える」なのだと思う。
 
 この陰としての「萎える」の存在に気付き一瞬でハッとしたのは、「萌える」のイントネーションが「萎える」のそれと同じだったからだ。「燃える」は違う。
 「そんなのそもそも「萌える(草木の芽生え)」のイントネーションじゃねえか」と言われてしまえばそれまでだが、ここまで来たら僕としては、少女美に対する感動という意味での「萌える」は、音を「燃える」にもらい、「萌」という漢字を「萌える(草木の芽生え)」にもらい、イントネーションを「萎える」にもらったのではないか、と考えたい。3人もの母の間を巡り歩いた「萌える」は、それぞれの母親から、ちょっとずつ大切なものをもらっていたんだって――。
 
 だから要するに「萌える」の定義っていうのは、
「「萌える(草木の芽生え)」の胎に育ち、「萌える(同)」に産んでもらい、「萌える(同)」の戸籍を持っているけれど、「萎える」に産まれた直後に引き取られ、「萎える」に育ててもらい、「萎える」が実の母だと本人は信じて疑わず、貧しいながらもすくすくと健全に成長していたが、「燃える」がそんなある日やってきて、そして言う。「あんたの遺伝上の本物の母親はあたしなのよ」「嘘よ。あなたみたいな激しい女の人がわたしのお母さんのはずがないわ」「ふふん、そうかしら。じゃああんたはこれまでぜんぜん疑問に思わなかったのかしら? どうして自分とお母さんはあんまり似てないんだろう、って」「……そんなこと思ってないわ」「本当に? いちども?」「…………」「ほうら見なさい」「で、でもっ――」「どうしても信じられないなら役所に行って戸籍を見せてもらうことね。あんたの母親はあの女じゃないわ。あたしでもないけどね」「えっ、どういうこと、それ?」「ふふっ、ぜんぶ話しちゃおうかしら――」」
 要するにそういう感じだと思う。