2005.9.8

 この、「うまいことを言えば許される」というのはとてもいい社会気風だと思う。現代には決してない。
 たとえば戦場で敵から自分に向かって矢をつがわれ、それが放たれたら間違いなく自分は命を落とすだろうという状況において、掛詞とかを駆使したうまい上の句を詠み、そうしたらまたその敵がその上の句に掛けたうまい下の句で「じゃあ許してやろう」みたいな内容のことを言い、つがわれていた矢を取りやめた、なんてこともあるらしい。戦場でも歌によって命が救われる。すばらしいじゃあないか。
 それに較べてなんだろうか、現代のこの詩情のなさは。
 社会がガチガチになってしまって、世の中の仕組みとか常識とか法律とかに、遊びがない。こんな型に嵌まった世の中じゃ、あんたじゃなくても、俺じゃなくても、誰が生きたって変わらないんじゃねえのか? 俺たちが俺たちとして生きている意味ってなんなんだ? ロックンロール!
 
 ――そんなわけで手始めに、痴漢をして捕まりそうになったときの歌を作りました。
 運悪く強気な女性にぶつかり、手を掴まれ、「このひと痴漢です!」と声を上げられたとき、そんな危機的状況を乗り切るための歌。

 
 スカートの下はいかにぞなりにきと 下方置換や果報は寝て待て


 (スカートの下に広がる空間はどのようになっているのかと気になって下半身を痴漢して、その痴漢ではないけれど、できることならば理科の実験でやった下方置換でその空気だけでも集めたく、またその下方ではないけれど、寝て待つという果報を、頭の位置を下げて待ってみようか、頭の位置を下げたらスカートの内側も見えるかもな、という心持ちだ)
  
 掛詞がふたつも!
 これなら絶対にみんな許してくれるよ!
 いやまあ責任は取らないけど!