2005.2.16

 とは言うものの、法律のみで人は人生のすべてを律することが可能かと言えば、決してそんなことはない。法律は新しい事象に対してその都度あと追いで制定されていくものなので、ルールにはなっても指針にはならない。そしてルールだけだと、ルールがない場合は対処ができないということになる。
 そこで「主義」というものが発明される。神による教義を否定した者が、それでは生きていくにあたり困難が多いため、その代わりとして獲得した新たなる装置、それが主義であり観念である。要するにそれは、名前を変えた宗教に他ならないのだ。
 そして感動の愛撫主義とはどのような方向性を持つものかと言うと、それは快楽を獲得することを第一信条としている。つまり快楽主義である。快楽を得ることのみがこの世に生きる意味であり、なるべく多くの快楽を一生の間で得ようと心掛ける。