思春期の女の子の生態について書かれた本を読んでいて、二次性徴の渦中にいる女の子が、だんだん生え揃ってきた自分の陰毛のことを「チン毛」と呼ぶ箇所があり、興奮した。
なるほどチン毛、いいかもしれない。ちんこならいくらでも言えるが、なんだかんだでそれに対応する女性器の呼称って口にしにくい。こんなにちんこちんこ言っている僕でもそうなのだから、世間的にはなおさらだろう。前に読んだ本で、学校教育において児童たちにその部分をどう呼ばせればよいかという大真面目の議論があり、男子のが「おちんちん」とか「ちんこ」とか呼ばせやすいのに対し、女子のは決定まで非常に難儀して、難儀した結果「われめちゃん」と呼ばせることにしたのだけどこれがまったく浸透しなかった、という話があった。そのくらい女性器って呼ぶのに苦労するものなのだ。なんと言うか、ちんこほどあっけらかんとしていないのが原因だと思う。笑って話せない感じが、気さくな呼称を拒んでいるのだ。少女は「マン毛」への違和感から、そのすぐ横にあった「チン毛」を手に取ったのだろう。解る。解るよ。
そこで、じゃあもういっそ上記の「チン毛」からの発想で、女の子のそれも「おちんちん」「ちんこ」でいいんじゃないかと思った。男性器のみを表す言葉だった「ちんこ」の意味を拡大し、「性器」という意味にすれば、女の子にも「ちんこ」が使えるようになる。それでいいんじゃないかと思う。
「いろの辞典」(文芸社)によると「ちんこ」っていうのは、まず精液が当時の酒(どぶろく的な)に似ており、そこからそれを製造している睾丸のことを酒(き)の玉と呼ぶようになり、それがキンタマとなり、チンタマとなり、チンコとなり、チンチンとなり、それの陰茎部分についてのみ言う場合がチン棒となり、チンポとなった、と説明されるわけだが、そのように紆余曲折あった「ちんこ」の旅なのだから、さらにそこからコペルニクス的転回で、女の子の性器のことも「ちんこ」と言ってしまうようになってもいいような気がするのだ。
先日キルタイムコミュニケーションの小説の話でも出たが、キリスト教神学者が理想とした両性具有的な発想、それにもこれは対応するのではないかと思う。どっちにもちんこがあって、どっちにも穴がある。「女の子のおちんちん」と言うと直感的にクリトリスを連想するが、あなたそれは現代にありがちな唯棒主義というものですよ。「おちんちん」が棒と陰嚢を併せた呼称だとすれば、発生の仕組みから考えると、棒はたしかにクリトリスだけど、陰嚢は塞がれた大陰唇なのであり、そして僕らが「まんこ」って言うときのそれはクリトリスと言うよりは大陰唇のほうなのだから、やはり全体で「ちんこ」で間違いないのだと思う。
思いついただけなのでまだ実際問題としてどうなのか、女の子が本当に自分の性器のことを「ちんこ」とか「おちんちん」とか呼ぶと僕の精神にどんな効果が現れるのか、いまいち掴めない。なので実験として、とりあえず宇佐木学園の少女たちに実践してもらおうと思う。そんなわけでずいぶん久しぶりに中埜版を更新。8月3日午後4時20分。
自分のことを「ボク」と呼んでしまうボクっ子というジャンルがあるだろう。学年題で言うと中1の。もしかするとそれみたいな感じになるんじゃないかと思う。ちんこっ子という新ジャンルの幕開け。「ふたなり」(両性具有)とも「男の娘」(見た目どう考えても美少女の男の子)とも違う、自分の性器のことを「ちんこ」と呼んでしまう「ちんこっ子」。どうだ。