さまざまなタイプの新興宗教が紹介されている本をいま読んでいるのだけど、そこで紹介されている、300人から1000人くらいしか信者がいない中小企業的な宗教の感じに憧れる。
教祖が、神様なんだけど、でも同時に気のいい「おっちゃん」でもあるみたいな、アットホームな感じがいい。おっちゃんは実は神様ではなくて、ご信託は人生の先輩としての助言でしかないのだけど、でも悩める信者が彼に相談をして、もらったアドバイスを実行することで心が晴れやかになるのなら、やっぱりそれは立派に宗教なんだと思う。たまに美人が相談しに来ると密室相談になって、わいせつ罪で摘発されちゃったりするのもご愛嬌。「おっちゃんまたやっちゃったらしいよ」みたいな感じで信者たちも笑って済ませてくれる。いいなあ。僕の人生の目標は「尊敬されつつ呆れられたい」なので、まさにこれに近い気がする。「おっちゃんまた『ハーレムしたい』『ハーレムしたい』って言ってるよ」「死ぬ前に1回くらいやらせてあげる?」って心の優しい女子高生信者に気遣われたい。女子高生信者に気遣われる、っていいな。
それにしても宗教っていうのは結局は「安心感」なのだよな。哲学的な不安とかだと、そこから精神を安心へ持ってゆくには高次の論理が必要なのだろうけど、たとえば「姑と仲良くできません」「トイレ掃除に励むのじゃ」みたいのだと、アドバイスにしたがってトイレ掃除をして、それにより姑と仲良くできるに違いないと安心し、鷹揚とした心で姑と接するようになれば、実際に明るく仲良くできたりする。そういうちょっとした不安を取り除くプラシーボ効果的なことこそが、中小企業的なおっちゃん宗教の役目なんだと思う。大事な役目だ。
同時に読んでいたエロ小説で、初体験の女の子が主人公の命令によりシックスナインの体勢になっていたのだが、主人公に陰部を刺激されイキそうになると「怖い」と言って不安になってしまう、これを主人公は、「ちんこに掴まらせる」という方法で女の子に安心感を与えていて、なるほどなあと思った。落ちそうな飛行機で必死に座席を掴んでしまうみたいな、不安なときってとにかく硬い、芯の通ったものを掴みたくなるものだ。だとすればちんこってそれにいちばん相応しいツールなんじゃないか。そう言えば「挿れられているときがいちばん安心できる」みたいな、愛のない家庭に育ち夜の街を徘徊するセックス依存少女とかが、よくそういうことを言うだろう(実際に言っているところを見たことはないけれども)。
なるほどなあ、ちんこで安心かあ、と唸りたい気持ちになる。初体験からシックスナインってハードル高くないだろうか、と思いがちだが、実はちんこを提示してあげたほうが優しいということ。
そう言えばハーレムのときも、代わる代わる別の女の子に挿入してゆく際、挿入されていないときの女の子ってやけに不安そうだ。それで、やっと順番が回って挿れられる段になると、「ああっ、やっときたっ。こ、これなのっ」という風に安心する(実際に見たことはないが)。
そうなのだ、ちんこはいつだって安心と結びついていたんじゃないか。
それで思い出されるのは、僕が大学時代に構想していた宗教、「感動の愛撫教」のことである。これは「挿入ほど大掛かりな話じゃなくて、挿入とかすると実際シャレにならない感じも出てくるので、フリー愛撫で気持ちよくなってしあわせになってゆこう」というコンセプトだった。フリーハグよりもだいぶ世界を意識しない感じで、ああいう「差別とかなしに宇宙船地球号の乗組員として立派な心掛けだから俺を褒めて褒めて、広告料ちょうだい、アフィリエイトちょうだい」的な、いかにも欧米らしい下品な感じは一切なく、ただ自分のほんのりと上気する幸福感のみを希求してゆく、そういう慎ましやかな救済。これなんかまさに上のシックスナインの話そのままだと思う。ちんこから出るのは精液なんかじゃなくて、本当は安心液なんじゃないのかな。おっちゃんの安心液、お嬢ちゃん欲しいやろ。プロッペパッピローニ!
ところでちんこで思い出したのだけど、今週発売の低俗系の週刊雑誌では、パラパラと雑に読んだだけでも、恵方巻きとフェラチオを引っ掛けたネタがいくつもあって、阿呆だなあと思った。とは言え天狗の鼻みたいな感じで、いちおう祭事なのだし、恵方巻きというのもそもそもは本当に男根のメタファーなのかもしれないとも思う。昔からの風習のほとんどは五穀豊穣、子孫繁栄の願いがこもっていて、すべてにちんこを結びつけるのもあながち間違っていない。それどころか発想法として正攻法でさえある。だとすると毎年恵方という方角が変わるのは、それぞれの方角の神様に奉仕するためか。図式としてはひとりの女子マネージャーが裸の野球部員に取り囲まれ、「最初は西南西キャプテンのやつな」「次は北東北先輩のやつだよ」と代わる代わるちんこを咥えさせられているようなものなのかもしれない。でもそれが女子マネージャーの安心に繋がるのならそれでいいよね。「マネージャーがこれしてくれないと甲子園行けねえよ」とか言われたら、やらない限り不安だもの。なかなか順番が回ってこない2年生たちはそのうちしびれを切らし、マネージャーの豆を1000本ノックで複和打ちしはじめる……。しかもその間、マネージャーは絶対に声を漏らしてはいけない。無言で一気にやらないといけない。だって監督に見つかったらどやされっから。だからマジ鬼監督が外にいる間にみんなで複和打ちし終えねえとやべえからマジで。