2009.7.2

 例えば教祖のお兄ちゃんがいて、そのお兄ちゃんが妹のショーツを祈祷に使用してしまったとしたらどうか。あるいは造形作家のお兄ちゃんがいて、いま取り掛かっている作品の素材が妹のショーツだったらどうか。妹はノーパンで登校するほかなくなるのではないか。
 さらに言えばその場合、怒ってふくれた妹はノーパンでの学校生活を過ごした後、放課後お兄ちゃんに新しいショーツを買ってもらうために下着屋さんに一緒に出掛けるのではないか。

 妹のショーツ駄目にす穴埋めにイトーヨーカドー一緒に行こうよ(そんでショーツ買ったあと1階のフードコーナーでソフトクリーム食べようよ)

 お兄ちゃんはただ妹のショーツを喪失させればそれでいいのである。たったそれだけの労力でこれほどの効果が得られる。思わず字余りの短歌を詠んでしまうほど悔しい。妹がいさえすれば、世の中はこんなにも楽に回るのか。……ちゃくしょう!
 この「ちゃくしょう!」って前から密かに使っているギャグで、たしか始めに言い出したのはプロッペッさん家のパッピローニだったと思うのだが、目の前にある悔しさを「ちくしょう!」と叫ぶ場面で、誰もが誕生過程において受精の次にやった行為「着床」と叫ぶことにより、「人はどうして泣きながら生まれてくるんだろう?」「生まれてしまったことを哀しんでいるのさ」みたいな、人生そのもののどうしようもない嘆きが表現されて、話に一気に深みをもたらす効果がある。いいギャグだ。