さいきん女子高生を見かけても、どうもあまり心を動かされない自分がいて、これは一体どういうことか、僕はとうとう大人になってしまったのかと不安になったのだが、よくよく考えて、そうではなくやはり僕は次の階梯、女子高生は魅力的だよ、魅力的だけど、まあそれだけだよね(笑)的な、女子高生は我が手中なり的な意識に移行してきているのではないかと思い至った。女子高生のありえない短さのスカート、そこから伸びる、世が世なら尻であるはずの生脚、それにも僕は心を動かされることはなく、生脚ひゃっほい、ともちろん思いはするものの、それは一期一会の出会いでは決してなく、死ぬか生きるかの勝負ではありえず、空手ではなく合気道的な、女子高生たまんねえよ! となるのではなく、穏やかに、君は俺の人生における女子高生の生脚コレクションカタログの1ページを、刻むことに無事成功しましたよおめでとう、というような、余裕の心持ちでもって受け止められるようになった。これは要するに、恋から愛へという変化であろうと思う。恋は下心、愛は真心なのである。好々爺のごとく女子高生の夏のビーチのビキニ姿とかを夢想し、それもまた、と微笑みつつ、これから生きてゆきたいと思う。