2008.4.27

 ところで、逆にボニータの下にショーツを穿くのを忘れてしまった、という事態が起こった場合、我々はそれをどう受け止めるべきなのか。
 これにはふた通りの解釈があると思う。ひとつ目は、「ボニータが繰り上がってショーツとなる」というもので、ふたつ目は「ボニータを穿いたノーパン少女がそこに現出する」というものだ。
 前者の場合、ショートパンツとも呼ばれるボニータがショーツにさえなるのだとすれば、それは大スペクタクルであると思う。変形ロボのごとき展開に、少年心が躍り出す。
 しかし後者の解釈のほうが僕としては好みだったりする。なぜならボニータというのはある意味で観念的な存在だと思うからだ。ボニータは、あるけどないのだ。そしてないことになっているけど、あるのだ。これまで名前も付けられずに黙殺されてきたのがその証左だ。だからショーツを穿かずにボニータだけ穿いている状態というのは、ボニータを穿いているけど、しかしなにも穿いてないのである。ここまで書いて、「I's」や「ToLOVEる」にボニータが描かれないのは、要するにそういうことなんじゃないかと思えてきた。伊織も春菜も実は穿いているけど描かれないのだ。だから結局ボニータだけ穿いててもノーパンだということ。
 きっとボニータインスペクターという人は、ボニータを見、そしてボニータを見ないのだ。なので最終的には逆に、ボニータを見てもそれが弓矢だということをすっかり忘れてしまっていて、それはなにかと人に訊ねたりするのだろうと思った。カシコ!