絵文字っていうのは「無機質になりがちな文章表現において和らぎをもたらす」みたいな目的で使われはじめたらしいが、それは絵文字が目新しかった時代の話で、メールやブログがこんなにも蔓延した現代、もはや絵文字なんてものは句読点や『……』なんかと同等の地位を獲得していて、「和らぎ」なんてものはいちいち特に感じなくなって来ているのではないかと思う(これが言語におけるものすごいレベルの変容であることは言うまでもない)。
それで思ったのは、じゃあ絵文字っていうのはいま文章内で使用されるにあたりどういう役割を担うのかと言えば、「逆に使わないことにより筆者の機嫌の悪さを表す」っていうことなのではないか、ということである。僕は普段から使わないので推測になってしまうけど、やっぱりイライラしてるときに絵文字を選んで使うのはけっこう難しい行為なのではないかと思う。だからつまり普段は絵文字を使う人の文章に絵文字がないと、その人はあんまり気分がよろしくないということ、そういうことを伝えるためにいまの絵文字は存在する。
つまり絵文字の現代における立場っていうのは、「あっても和らぎは発さず、なければ文章を送る相手を戸惑わせる」、そんなどうしようもない感じになっている気がする。ここにはプラスの効果がなにもない。それが新鮮だった時代ではプラスに働いたのに、現代ではあるのが普通になってしまった。だからないと不安になる。
果たして人類の向かう先に幸福なんてあるのだろうか。