島根県に行った。
こうして文章にするとすっきりしているが、実際はそれほど容易なことではない。なにしろ新横浜から出雲市。長旅である。そして空の旅ではない。陸路なのだ。
まず新幹線ののぞみで、岡山まで。
新横浜で列車に乗り込み指定の席まで行くと、そこにはすでに東京から乗車していたぱぴこさんがいた。午前のわりと早めの電車だったのだが、ふたりともトラブルなくこうして対面できたことは喜ばしい限りである。そして「飴とパックンチョがあるよ~」とはしゃぐ遠足気分満々のぱぴこさんに対し、僕は広げたテーブルの上に缶ビールとシュウマイを置いてみせた。移動時間の過ごし方についての意識に若干の相違が見られるものの、とりあえずは順風満帆な滑り出しと言ってよい。
それにしても新幹線というのはすごい乗り物だと思った。気付くのがだいぶ遅いかもしれないが。
よく誇示される時速何百キロ、というのは、乗っている限り実感としては抱きようもない単なるデータであるけれど、それよりも心躍ったのはなにより停車駅の面子である。なにしろ新横浜の次の停車駅は名古屋で、そこから大阪、京都、神戸と続き、岡山のあと博多にまで行ってしまうのだ。すごい。なんというか、そういった都市らに自分が接するということが信じられない。思うにそれらは僕の中で、テレビの中の都市なのだと思う。つまり自らの生活には関わらないはずのものなのだ。なのにそれを新幹線は簡単につないでいる。ホームの案内には「大阪方面」などと、もったいぶることもなく書いてある。すごいじゃないか。新幹線は次元を超えた世界と世界をつなぐ、夢の列車だと思った。21世紀のいまさら新幹線ではしゃぎすぎだろうか。
岡山に着いたあとは、行く前にも書いたがスーパーやくもという特急電車に乗り換える。これがつらいのだ。コースとしては岡山からちょっと鳥取を掠って島根県を走る、というものらしいが、新幹線ほどの座席の快適さも望めなければ、中国山地にぶつかるため揺れもひどい。そして所要時間は東京から岡山までの新幹線のそれと同程度ほどかかる。ぱぴこさんが以前、「いつの日か山陰新幹線を開通させたい」とのたまっていたことがあったが、気持ちが大いに分かった。山陽からのアクセスのどうしようもなさが、山陰を山陰たらしめているのだとしみじみと感じた。
それにしても山陰と書いて思い出したのだが、この山陰って言葉は果たしてどうなのだろう。この列車に乗っていたとき、窓から見える看板に「ようこそ山陰へ」などと書かれているのを何度か見かけたのだが、「ようこそ山陰へ」ってなんか、なんとも言えない気持ちになるフレーズだと思う。やっぱり「陰」の字が強烈で、こんな字で表されるような土地に、愉しいことなんてひとつもありゃしないのではないか、と思わせるのだ。そしてこの台詞を言っているのは確実に、生気のない陰気な感じの顔の老婦人だろうな、という気がする。さらには、もしかしたらこの看板は老婦人の仕掛けた罠なんじゃないか、という勘繰りさえ頭に浮かぶ。どうしようもない。しかしそのどうしようもない感じが、さすがはぱぴこさんを育んだ土地だな、とも思わせた。
しかし栄えていない分だけ、自然はすごい。さすが島根は日本一であると思う。その自然は、東京における「緑」と同義語の「自然」などではなく、なんていうかもう、要するに自然だ。そのまま、という意味で。ぜんぜん人間が手を付けていないのだ。大地を支配しているのは人間ではなく自然で、人間はその自然の隙間で暮らしているようにさえ見えた。すばらしい。
よく田舎から東京に出てきた人の言う「空が狭い」という表現を、僕はこれまでよく理解できていなかったのだけど、こちらに来てようやくそれを実感した。なるほどこちらの空は広い。これは実際的な面積ももちろん大いに関係しているのだろうが、すぐ眼前に山が迫り、視界のほとんどが山で占められ、空が少ししか見えなくても「それでもこちらの空は広い」と感じるところからすると、この空が狭い広いという観念は、空の下の大地、そこに在るものを脳が処理するのに掛かる労力に関係するのではないかと思った。すなわち人やビルでごちゃごちゃしている都会では、脳が下界のそれらを処理するのにいっぱいいっぱいで、空を認識する余裕がない。その点、山や田んぼは受け入れやすいため、空にも意識が行きやすい。だから田舎では空というものを実感する。そして大きくなる。うん、どうでもいい。
出雲ではなく出雲市、という駅からは、ぱぴこさんのお母さんが車で迎えに来てくれた。以前お母さんに会ったのは大学2年生の終わりごろだったから、約1年半ぶりだ。それにしてもこうして彼女の実家に遊びに行くため島根に来てみて思うことは、「ぱぴこさんの家族と前もって東京(ホーム)で会っておいてよかったな」ということだ。これで初対面だったら、間違いなく恐縮しまくりだったろうと思う。ただでさえ島根県はあまりにアウェーで、終始きょどり気味の僕である。これにさらにその緊張が合わさったら、島根にはただビクビクしに行っただけ、みたいな感じになってしまうところだった。危ない。
しばらく運転して、ようやくぱぴこさんの実家に到着。言うまでもないが、実に遠かった。長旅だ。
玄関ではいきなり鹿の首の剥製の飾り(なんと言えばいいのだろう)が出迎えてくれた。あらかじめ話には聞いていたが、それでも驚く。あまりにワイルドすぎる田舎の出迎え。またこの鹿の目つきの悪いこと悪いこと。かわいくしろとまでは言わないが、もう少し柔和な表情にしてもよかったんではないかと思う。これを仕留めたのはぱぴこさんの祖父で、どういう風に剥製にしたのかは分からないが剥製にし家の玄関に飾って、そしてその仕留められた鹿は、仕留めた人間の家の玄関でなお、今にも襲い掛かりそうな顔で首だけとなっている。なんだかよく分からない構図だ。とりあえず鹿よりも少し遅れて姿を現し出迎えてくれたおじいさんとおばあさんは、ふたりともとても柔和な感じの親しみやすい人たちだった。でもおじいさんがどんなに笑っても、と言うか笑えば笑うほど、僕の心の中では(しかし鹿を仕留めて首を剥製にして玄関に飾る人だものなあ……。なにか心に闇を抱えているのかもなあ……)と思ってしまうのだった。恋人の祖父に向かってずいぶんと失礼な話だ。
それで、そのまま案内されてリビングに進入する。そこにはぱぴこさんのふたりの妹がいた。3姉妹はそれぞれ器用に3年のインターバルを置いているので、大学1年生と高校1年生だ。いい年齢である。いい年齢の少女たちだ。そしてこちらも去年のゴールデンウィークに対面済みのため、身構えはない。かくして僕は2泊3日で女の園へと入り込んだのだった(お父さんは単身赴任)。