テレビが、実際にそれが役立つかどうかは別として、とりあえず情報と呼べなくもなきものを流しているのに対し、日々インターネットで眺めるものは個人の日記に類するものであることが多く、ほとんど単なる私生活の覗き見だ。しかし驚くべきことに、ネット上にはそのように公開されている日記が恒星の数ほどあり、そこには惑星の数ほどもの人々が日夜訪れているのだ。ネットとは覗かれ好きと覗き好きで成り立つ面妖この上なきデータ上のシャングリラだ。そして恒星にとっても惑星にとっても、それへ投じる時間が壮大なる空費であることは疑いようがない。
papiroは驚くべきことに、このどちらもしっかりと行なっている。まるであえて虚ろなものを求めて行動しているかのように、彼は起きた直後からエンジン全開で意味のないことしかしない。その手腕には吾輩もさすがに感心せぬわけにはいかない。ちなみに恒星としてのpapiroは、自らの文章をそんじょそこいらの垂れ流しの日記と区別し、自分のそれこそは真に価値のある読みものであると信じて疑わないが、実際に彼がウェブ上に公開している文章がどんなものかと言えば、自分がどれほど女の子を好きであるかというようなことを、手を替え品を替え吼えているだけに過ぎぬことを言い添えておく。