2004.11.20

 イメージとしては、漢詩は原子であり、和歌は分子みたいな感じがする。原子の組み合わさったものである分子は、その配合によっていろいろと姿を変えるわけだが、そもそも日本語の言葉の基礎である熟語の、その起源である漢詩は、いつまでも変わらずに残る。
 漢詩が原子、和歌が分子だとしたら、散文は分子が組み合わさってできあがった複合体か。そして要するにそれは、物だったり生き物だったりする物体のことだろう。だから物体の表象を描く物語は、散文で書かれるのかもしれない。本質に迫ろうとすればするほど、アプローチの仕方が変わってきて、分子レベル、原子レベルの視点になるのかもしれない。だから僕らは詩を作る。 
 まあ中国人にしてみれば、漢詩とは日常的に使われる言葉からそれほど乖離したイメージでもないわけで、上のような考え方は、ひらがなというものを開発した国に生きる青年の、漢字に対する必要以上の憧憬によるものかもしれないな、とも思う。 
 さいきん、卒業論文は漢詩について書きたいなあ、とかボンヤリと思っている。