この前ケータイ小説の文面を目にする機会があったのだけど、ケータイ小説の特徴として横書きというのがあるわけだが、でも目にしてみて、本当にこれは横書きなのだろうかと思った。
速読のテクニックのひとつとして、視界を縦に長くするイメージで、縦書きの文章の行の真ん中、つまり1行40文字のレイアウトならば20文字目付近のところに目線を固定し、それを右から左へスライドしてゆく、その際に行の上と下のほうは自然と視界に潜り込んでくるような、そんな感じで文章を読み進める、というのがある。
つまり左から右ではなく、右から左という違いはあるものの、これは実は横書きとして受け取られているのである。書きと言うか読み、縦書きのものをこちらが勝手に横読みするということなのだが、それに対しケータイ小説というのは、
でも
それでもわたしは
あいしてる
ヒロのこと
あいしてるんだ
ヒロも
そうだったでしょ?
ね、ヒロ……
という横書きの文章を、間違いなく縦詠みしていると思う。視線はぜんぜん左右に振られない。一直線に上から下に滑るのだ。なのでこれはある意味で、縦書きなのかもしれない。
さらに言えば「あいしてる」みたいな定型的なフレーズで考えれば解りやすいが、それはもはや記号のようになっていて、文字や文章としてではなく、これは僕の大学の卒論に近い話になってくるのだけど、漢字の視覚効果みたいなものと似ていて、日本語で「気をつけてください」と伝えるところを「注意」と書けば一発であるという話のように、ケータイ小説の1フレーズ1フレーズというのは、一種の漢字のようなものなのではないかと思った。「あいしてる」は文章ではなく、「あいしてる」という意味のこもった1文字の、漢字のようななにかなのだ。そう考えないと文章が完結していないのに改行(あまつさえ無駄に1行空白で空けさえ)する意味が分からない。
つまりケータイ小説っていうのは、無機質な漢字が縦にひたすら羅列する、漢書に近いものなのではないか、とちょっと思った。そしてそれで泣けるのだからあの子たちはすごい。科挙に合格しかねないほどの理解能力であると思う。