ところで、正直言ってタイトルの短歌がつらくなってきた。要するに短歌があんまり上手にできなくて、そのため愉しさが足りないのだ。俳句の時にはあった「これまで作ったものを読み返してほくそ笑む」という喜びが得られないので、モチベーションが下がってきた感がある。
とにかく31文字が長いのだ。長すぎると思う。そりゃダラダラするよ、と思う。ねえその歌、あと14文字ぐらい削ったほうがよくなるんじゃないの、とよく思う。
これについてファルマンに相談したところ、「あなたは恥ずかしがり屋だから短歌に向かないのだ」みたいなことを言われる。なるほどなあと思う。
俳句が世界を切り取るものであるのに対し、短歌とは世界を作り出すものなのではないだろうか(自分のことを恥ずかしがり屋だという流れの文で、ずいぶんと恥ずかしいことを言った)。だから短歌を詠むという行為はどこか演技にも似ていて、自我を捨てる必要が出てくる。僕にはそれができない。それゆえに僕の短歌はどこか棒読みなイメージで、感情移入ができない。気持ちを揺さぶられない。だからつまらない。
もっともどちらにせよそもそもテーマの問題だ、という気もしないでもない。をとめご短歌を24歳の男が自我をかなぐり捨てて詠む、というのはなかなかに困難なことだと思うし。
そんなわけで、これからとりあえず3ヶ月、6月に高校3年生の歌を詠むまでは少なくとも続けるが、しかしもしもそれ以降も短歌のここらへんのことについて解決の糸口が掴めなかった場合は、短歌のことはすっぱりと諦めて、半年間で別のものに切り替えようかなとも思っている(ちなみに候補は漢詩である)。
そしてこの文章はちっともおもしろくないが、この文章を踏まえた上でこれからの短歌を読んでゆくと、僕のジタバタとする様が窺えていくらか愉しめると思う。そんな風に回りくどい卑怯な手を使ってでも、自分の短歌のおもしろさを少しでも底上げしてゆきたい。