それにしてもpapiroはよくも毎日、欠かすことなくブログに文章を書くものであると思う。
もちろんそれ自体はさほど珍しいことではないかもしれないが、papiroのすごいところは、なんの反響もないのにずっとそれを続けている、ということだ。本当に毎日まったくなんの反響もないのだ。もう何ヶ月もひとつのコメントもない。100%ない。正真正銘ない。どのような内容の文章をアップしても、誰からもなんにもひとつもない。コメントもトラバもメールもない。ぜんぜん返ってくるものがない。それなのにpapiroは毎日なんかしらの文章を書き、アップし続けている。これはすごいと思う。よくもこれほど達成感のない行為を続けていられるものだと、ほとほと感心する。
papiro自身はこのことに関し、「どうせ個人サイトなんて自己満足さ」などと嘯いている。しかしそれは必ずしも真情ではない。彼の脳髄に暮らし、彼の思念がダイレクトで伝わってくる吾輩は、そのことを誰よりもよく知っている。その証拠として、ブログの記事にコメントが付けられた場合ブログの管理会社からそのことを通知するメールが届くようになっているのだが、メール画面に「新着メールがあります」の表示を見つけた際のpapiroの胸のドキドキは尋常ではない。脳は震え、至る所から分泌液が放出され、吾輩は立っていられなくなるほどだ。もっともpapiroが震える手でマウスを操作しメールを開封しても、大抵の場合のそれはリクルート情報で、papiroは怨嗟の念から内容も見ずにそれを削除してしまうこととなる。
やはり平素papiroが自分のサイトに関しどれだけ自分だけのシャングリラの創造を気取っていようと、人間とは所詮「間」があって成り立つもの、他人からの評価なしにはなかなか精神が持つものではない。
よってどうしても感想が欲しいときは、PAPIKOに電話をしてそれを求めるということをする。PAPIKOにしてみればいい迷惑だろうことは間違いない。PAPIKOは、ウケを狙ったようなことを書いたときには「おもしろかった」と言い、エロいことなんかを書いたときには電話口でただ笑い、小難しいようなことを書いたときには「すごかった」と言う。まったくもってその程度の感想なのだが、それはそれでいいとpapiroは思っている。砂漠で脱水症状になれば、人はラクダの小便でも奪い合って飲む。要するにそういうことだ。
そしてその際ネットの先輩たるPAPIKOに、どうやったらコメントとかたくさんもらえるだろうか、ということを相談もする。それに対するPAPIKOの答えはいつも決まっていて、「ネットワークなんだから、サーチに登録したり、他の人のサイトに書き込んだり、リンクを増やしたりしなくちゃ」である。
これはまったくもって道理であると吾輩も思う。PAPIKOのサイトを除けばまったくと言っていいほど他サイトと関わりを持たぬpapiroのサイトは、ネットワーク上にありながら孤島であると思う。ネットとは網状に繋がっているからネットなのであり、これではネットじゃないじゃないか、という気さえする。こんな状態に自らを置いておきながらコメントが来ないことを憂いているのは、大いなる矛盾である。情報というものが重要視される現代において、どんなに名前を知られている大企業であっても日夜のコマーシャルを欠かすことはないのである。それなのにネットワーク上におけるガラパゴス諸島のような僻地にあって外界との連絡を持とうとしないpapiroが「人が来ない」「コメントが来ない」とはまったく笑わせる。
だからpapiroの頭の住人としてpapiroの不断なる精神の健康を願う立場にある吾輩としては、諸手(翼)を挙げてPAPIKOのアドバイスに賛成する。どうしてもコメントが欲しいのならば、papiroは即刻、自分のそれと似た傾向のあるサイトに忍び込み、その掲示板に当り障りのない、感じのよろしい文言を書き込んで、さりげなく自らのホームページのリンクをそこに貼るべきだ。そうすればそこにラインが誕生し、真なるネットワークというものが成立するというものである。
ところが、それはそうなのだが、上記のようなpapiroとPAPIKOの「どうすれば……」「ネットワークなんだから……」という会話は実際のところ、これまでにもういくたびも繰り返されてきたのである。papiroはもちろん1度目のその掛け合いから、PAPIKOの話の理屈をきちんと理解している。しかしこれまで吾輩がさんざん述べてきたように、事態は一向に改善されていない。
この原因はpapiroの意味不明のプライドの高さにあり、要するにそれは、そのような努力をしてサイトに来てもらい、「ああ、この人はたくさんの人に観てもらって褒めてもらいたくてがんばっているんだな」なんて感想を持たれたらもう最悪で、そんなことになるくらいだったらむしろ、誰からも発見されていない孤島のほうがよっぽどいいという感情であり、結局それが邪魔をしてそのような積極的な行為をためらわせているのだ。いや、ためらうと言うよりも拒否だ。papiroはこれからもずっと、そのような行為について「体制への迎合だ」「真のエンターテイメントは集団から独立したものであり、他人を介在する「間」などには存在しない」などとホザき、実行することはないのだろう。そして相変わらず人の出入りの少ないサイトでは、反響もないのだろう。そしてときどき不安になって、PAPIKOに「どうすれば……」と相談するのだろう。そしてPAPIKOは「ネットワークなんだから……」と答えるのだろう。そしてpapiroはそれを否定するのだろう。
大人の階段ダッシュで駆け降りるpapiroはまだ、幸せは誰かがきっと運んでくれると信じている阿呆である。