それどころか、これは最近になって思ったのですが、その衝動は年を重ねれば重ねるほど強くなるものだと思います。開始期のそれなんて、数値化したら実はそれほどの衝動ではないのではないか、と思われます。
これはなぜかと言うと、ヒトは年を経れば経るほどバカになるからです。20歳くらいをピークにしてヒトの脳細胞は毎日万ペースで死んでいくと言われていますが、それはつまりヒトとしてだんだんバカになるということに他なりません。そしてバカになるとはどういうことかと言うと、つまりエロくなるのだと思います。
なにしろヒトの生きる意味はエロ──すなわち生殖ですから、ヒトは基本的にエロく出来上がっています。いわゆる本能というやつです。しかしヒトと動物の大きな違いとして社会体制というものがありますから、ヒトは基本的にそんなに大っぴらにエロは出しません。出してはいけないことになっているのです。しかしそれはあくまで「あえてそうしている」わけで、ヒトもまた動物である以上、エロは常に(むしろ「常に」なんて動物以上)画然として存在するのです。
そして頭がきちんと働くうちはそれを自制する精神もあるので大丈夫ですが、頭が働かなくなってバカになっていくと、だんだんそのバリケードが壊れていくのですね。エロという大河の氾濫に、磨耗した自制心という防波堤が決壊してしまうわけです。そしてヒトはエロくなる。エロを隠さないようになるのです。もちろんこれもまた現在では「経験」や「慣れ」がものを言って一応表面上は抑えられるわけですが、その内側では止まることのないエロの荒波が常に押し寄せます。考える力が衰えて、本能が強くなっていくわけです。
それに年を経れば経るほど、ヒトは死ぬべき存在になっていきますから(生物学的に言えば、子どもがある程度の年齢になったら親は生きている意味がない)、そういう意味でもエロに対して貪欲になるのだと思います。「死の覚悟」というのはすさまじいもので、それがあればどんな行為でもできます。若者には「前途」と引き換えにこれがありませんが、年寄りにはあります。だから年寄りは社会規範について若者ほどまじめに取り組む必要がなく、ゆえにエロくなるとも考えられます。
とにもかくにもヒトはエロいということです。先生もすごくエロいです。実際いまの先生は3年前よりもはるかにエロいと思います。中学生のころ始思春期の「淡い感情」ごときでどうしようもなくなっていた頃が懐かしい。頭の中はいつも濃く具体的なエロばかりです。だけど先生は変態じゃありません。それと同じで君も変態じゃないのです。「バカって言うほうがバカ」と同じ論旨で、「変態って言うほうが生物学的に見たらよっぽど変態種」です。